はてなキーワード: 1959年とは
おっとい嫁じょとはいわゆる略奪婚の慣習であり、「婚姻に同意しない婦女をして婚姻を止むなく承諾させるため相手の婦女を強いて姦淫する」習慣のこと。
なぜか都市伝説扱いされることもあるが、実在した風習であり、昭和34年(1959年)に強姦致傷で男性が逮捕、有罪となったことから全国的に有名になった。
事件を契機に、おっとい嫁じょの習慣の存在、村を挙げて男性を無罪にすべく署名が集められたこと、弁護人も違法性の認識を欠き無罪である旨主張したことなどが大きく新聞等で報道されたためである。
昭和34年というと大昔のように思う人もいるかと思うが、同風習が昭和34年に廃れたとしても、これににより夫婦となった者はいまだ十分存命であると考えられる(若ければ70程度か)。
両親がおっとい嫁じょにより結ばれたという人も、50代40代にはいることだろう。
判旨を引用する。太線、■は増田。鹿児島地判昭和34年6月19日。
主 文
理 由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三十四年一月十五日頃、その義兄である■■■から早く婚姻するように勧められたので、被告人もその気になつて南に年頃の娘の紹介を依頼したところ、南の計らいで同月十九日鹿児島県肝属郡串良町細山田■千■百■十番地乙野次郎方において、同人の長女A子(当二十年)と会う機会を得たが、被告人は忽ち同女に想いを寄せるに至り、その場で同女に婚姻の申込をなしその後二回にわたつて同じ申込を繰り返えしたが、同月三十日には同女の兄B男を通じて右申込を拒絶された。然し、被告人はどうしても同女との婚姻を断念できないので、同女を強いて姦淫したうえ同女をして止むなく婚姻に同意させようと考え、同年二月五日■方において■、ならびに■■こと■■■■■と相談の末、翌六日同女が鹿屋市所在鹿屋職業安定所に行くのでその帰途を三名で待伏せて無理にでもハイヤーに乗せてどこかに連れて行き、更に婚姻の同意を求め、それでも応じないときは夜になつてどこか知人の家に連行し、被告人において同女を強いて姦淫することに計画を決め、翌六日午後零時過ぎ頃、被告人等三名は前記安定所附近において同女を待伏せ、同女を附近の食堂に連れ込んだうえ、再び婚姻に同意するように説得したが、同女に拒絶されたので、ここに、被告人等三名は前記計画を実行に移すべく意思を通じ、同日午後三時頃同市向江町■■医院先路上において被告人は前方より同女の手を引き、■、■■■等は後方より同女を押す等して同女を無理に前もつて被告人が誘導して来ていたタクシーに乗せたうえ囎唹郡大崎町方面に連行し、同町所在の食堂において時間をつぶした後、同女をその自宅に連れて帰ると欺いて再び同女をタクシーに乗せ、途中下車させてくれと懇願するにもかかわらず、タクシーの戸を押えて脱出を不能ならしめたうえ同日午後六時過頃、同女を肝属郡串良町有里■千■百■十■番■■■■■方に連れ込み同日午後十時頃、被告人は前記連行により極度に畏怖している右A子を同所四畳半の間において仰向けに押倒し右手で同女の両手を同女の頭の上方に押えつけ、足で同女の股を蹴る等の暴行を加えて完全に同女の反抗を抑圧したうえ二回にわたり強いて同女を姦淫したがその際同女に対し治療五日間を要する処女膜裂傷を負わせたものである。(証拡の標目)《略》(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第百八十一条第百七十七条第六十条に該当するので所定刑のうち有期懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法第二十一条を適用して未決勾留日数中三十日を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人に負担させることとする。(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は「被告人の住居地である串良町地方には婚姻に同意しない婦女をして婚姻を止むなく承諾させるため相手の婦女を強いて姦淫する「おつとい嫁じよ」という慣習があり、右姦淫行為は一般に適法視されている。被告人も右慣習の存在により本件姦淫行為を適法行為と確信し、その違法性の認識を欠いていたから本件行為は、その故意を欠くものである。」旨主張するが、少なくとも本件の如き自然犯にあつては違法性の認識は故意の成立要件ではないと解せられるのみならず被告人の当公廷における供述同じく検察官に対する供述調書によれば、被告人が右の如き慣習が反社会性を帯びるものであることの認識を有していたことが明らかであるから被告人は違法性の認識を有していたものと認むべきであり、弁護人の右主張は採用しがたい。
よつて主文のとおり判決する。
昭和三十四年六月十九日
昭和34年に集団強姦罪はなく、強姦致傷罪の法定刑も今より軽い。なお、処女膜裂傷が強姦致傷に当たることは現在では確定判例(最決昭和34年10月28日刑集13巻11号3051項)である。
弁護人の主張、「自然犯にあつては違法性の認識は故意の成立要件ではない」との判示については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%85%E6%84%8F、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%95%E6%B3%95%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%AD%98など。現在では自然犯、法定犯の区別はぴんとこないかもしれないが。
上記判例より、おっとい嫁じょの慣習のあった地域は鹿児島県肝属郡串良町地方であることがわかる。
現在では、平成の大合併により、鹿児島県肝属郡串良町は鹿児島県鹿屋市の一部となっている。
しかしながらこの文章を書いているいま、私が検索したところでは、串良町地方とおっとい嫁じょを関連づける文献がインターネット上には存在しない。
なるほどおっとい嫁じょは現行刑法下では犯罪となるべき行為である。
しかしながら、我が国日本に古来より伝わる文化のひとつでもあり、これをなかったものとし徒に無視することはひとつ文化の損失であるといえる。
そこで、差し出がましいかと思ったが、串良町とおっとい嫁じょを関連づけるべく、本記事を書いた次第である。
失われゆく日本の文化が何らかの形で保存されることを切に願う。
このごろ渡邉美樹氏の活動が活発化し、それに伴い様々なメディア、雑誌、サイト、ブログなどで拝見することが多くなった。
そんな中、サイトやブログで触れられているものをピックアップして、一覧したいと思います。
簡単ですが、プロフィール。生年月日:1959年10月5日、血液型:A型、出身:神奈川県横浜市。
大学を卒業後、経理会社に約半年間勤務。その後運送会社で働き資本金300万円を1年間で貯める。1984年ワタミを創業した。
http://news.livedoor.com/article/detail/5364257/
東京都知事選に立候補を表明した渡邉美樹氏をゲストに迎え、3月3日にUstreamで生中継された対談。『東京の”経営者”になる~私が出馬する理由~』をテーマに、
http://www.nippon-shacho.com/search/result.html?did=13 生い立ちが一覧できるのでおススメ。
渡邉は野球が大好きなごく普通のスポーツ少年だった。そのごく普通の恵まれた生活が一変したのは、渡邉が小学校5年生の時。最愛の母が慢性腎炎で36歳の若さで急逝したのだ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2152
皆さんご存知だと思いますが、ご紹介します。ワタミ株式会社前会長の渡邉美樹さんです。
長谷川: 渡邉さんは、外食グループのワタミの他、介護、医療、農業、教育などを手がけ、カンボジアやネパールでも小中学校140校、さらに孤児院まで手広く活躍しています。渡邉さんの著書『東京を経営する』も読みました。今日はまず、どうして東京都知事選に立候補されたのかを聞かせてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/moviefun777
渡邉さんのブログが濃くなってきましたね^^私は昔、書籍を読んでから何か学びを得ることができないかと社長・渡邉美樹を追ってきたのですが、最近はブログなどのネットから情報を手に入れることができ、とても便利になったものだと感慨深く思っているところです。
私も企業務めから脱却し、渡邉さんから学んだことを少しずつではありますが、反映できていることを実感しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/izakaya_lab/750621.html
あまり知られてないかもしれませんが、渡邉美樹.netにオリジナルのビデオで取り組みなどを伝えるブログがあります。
これが意外と面白い!飾りのない生の渡邉さんを知ることができるし、非常に勉強になること内容の動画がいろいろと公開されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/izakaya_lab
こちらは上記ページのメインサイトです。自らも居酒屋を経営し、渡邉美樹氏に傾注している方が運営。ブログやツイッターからの話題を中心にブログを展開しています。
最近は、更新がないようですが、同業者として客観的に渡邉さんを見ている内容なので、いろいろな情報を発信して欲しいと思っています。
・http://booksdiary.seesaa.net/
・http://blog.livedoor.jp/five_products/archives/cat_50091124.html
暇と金を持てあました金持ちのボンボン達が白痴の女性を監禁レイプし友達も連れて来て暴行させ、娼婦として売り払おうとしたが上手くいかず、最後は殺して崖から捨てて「今度の遊びは安く上がったな」
全年齢向け作品である。
石原作品はブームになり石原の小説に憧れ、作品のように生きようとする太陽族を生み出し、「処刑の部屋」はウィキペディアによると、作品の影響で強姦拉致監禁事件を多発させた。
>19歳の無職の少年5人らによって強姦目的の女性監禁事件が起こっている。また中学3年生が隣りの家に忍び込んで砂糖壷に睡眠薬を仕込んだことによって、主婦が誤って飲み昏睡状態に陥る事件が起こった[1]。他にも16歳の高校生7人によってカルモチン入りのジュースを飲ませ昏睡状態にさせた強姦事件が起こっている[2][3]。1959年には高校3年生5人が女子高校生5人とコーヒーを飲んでいる時に、隙を見て1人の女生徒のコーヒーに睡眠薬を入れて飲ませ、近くの旅館に連れ去るという暴行未遂事件が起こっている[4]。
東京都は小説を読む人間には判断力があるから暴行などのシーンがあっても影響を受けないよ、漫画より有害にはならない大丈夫と判断して、この小説達は有害図書扱いされていない。
http://anond.hatelabo.jp/20100221123714の続きです。
現在、統一協会の信者がはてなダイアリー他のはてなのサービスを使用しています。そのうちの一人である、id:ucnow(http://k.hatena.ne.jp/ucnow/)が協会に都合の悪い箇所を隠蔽しようと必死です。
2010/03/03 10:45:08にキーワードの内容の大部分を削除しています。
編集時刻: 2010/03/03 10:45:08 編集者: ucnow 編集内容: 6,26d5 -**教祖 -教祖は戦前、朝鮮を日本からの独立させる抗日活動をしていた[文鮮明]。 - 文鮮明はこれまでに6度投獄されたことがあり、また女性関係では女性信者を清めるという名目で性関係を持つ“[血分け]”をして来たという根強い噂があるが、教団はそのような事実は一切ないと否定している。朝鮮戦争以前に韓国の興南(フンナム)収容所に投獄されたのはその現行犯で逮捕されたという説もある。 -1980年代にはアメリカで脱税の罪で懲役刑を受けて以来、1年 以上の懲役あるいは禁固刑を受けた外国人は入国できないとした入国管理法の規定により、日本への入国ができなくなっている。 -**教団の特色 -★独自の聖書解釈 - この教団は、聖書に再び来ると預言された[キリスト]とはイエスそのものではなく、文鮮明であると教えている。統一教会では、文鮮明を「真のお父様」、その妻の[韓鶴子]を「真のお母様」と呼び、夫妻を「真の父母」(真のご父母様)と呼ばせている。 -教団は独自の聖書解釈をしているために、一般のキリスト教会からは[異端]もしくは「異端ですらない」とみなされており、[エキュメニカル](教会一致促進運動)の対象にもなっていない。 -★独自の活動 - キリスト教でいう[原罪]を清算できる唯一の道だとされる「[合同結婚式]」を数年毎に行ってきた。また独自の経済活動として、偽霊能者を使って、壷や多宝塔、[高麗人参]エキスなどを法外な値段で売る「[霊感商法]」や福祉などの名目で行うニセの募金活動、さらに日本人女性に日韓関係の問題を韓国側の立場から説き伏せて罪悪感を持たせることで洗脳し、韓国の農村部の男性と結婚させていることなどに対し、社会的批判が強い。 - このような霊感商法による被害や、教会名や宗教であることをひた隠しにして、サークルや関連団体を通しての伝道(「[青春を返せ裁判]」)や、合同結婚式による婚姻の無効性などに関して、被害者や元信者らによって多くの訴訟が提訴されてきており、統一教会自体に信者の不法行為に対する「[使用者責任]」があるとされた判決が多数出ている。 -また、多数の関連企業(武器製造、高麗人参の販売など)を世界各地に持っており、『ワシントンタイムズ』(米国)や『世界日報』(韓国・日本)を通じたメディア活動および政治工作なども行っている。自由民主党との癒着も指摘されている((安倍晋三前総理大臣ら自民党議員が統一教会関連組織へ祝電を送った事実からも推測される。))。 - 彼らは様々な団体を隠れ蓑にして様々な活動を行っていり。宗教団体が学校や病院、企業をもつケースは珍しくないが、統一教会の場合は一見すると“まったくの無関係”を装って世間の目を欺いている(ただし実際は、その独特の名称センスのために非常にわかりやすい)ところが他の教団ともっとも異なる。 -霊感商法等の経済行為や政治的工作等に加え、近年は北朝鮮に対する莫大な経済援助をしていることなどによって、公安警察の監視対象になっている。
内容の書き換えが明らかに協会の都合のよいものとなっています。ところで「一部のキリスト教関係者や左翼的思想を持った者に「カルト」と認識され、」と書き直していますが、この認識は正しいのでしょうか。カルトと思っている人はほかにも多数見られますが、何か?
編集時刻: 2010/03/03 10:41:28 編集者: ucnow 編集内容: edit -「[[世界基督教統一神霊協会]]」の一般的な略称。統一協会側は「統一協会」ではなく「統一教会」を正式な略称として主張しているが、統一協会の対策にあたる人々や統一協会に反対する人々の多くは「統一協会」の略称を用いる。 + 「宗教法人世界基督教統一神霊協会」の一般的な略称。統一教会側は「神と人間の理想である地上天国を実現するために、神からそのみ旨を託された創始者・文鮮明師によって、1954年5月1日韓国・ソウルで創立された」と説明する。日本統一教会は、1959年10月2日に創立され、1964年7月15日に宗教法人として認可。2009年に創立50周年を迎えた。 -統一協会とその関連団体による霊感商法などで知られており、手口や被害の多さから、カルトと認識する者が多い(([http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/index-j.htm:title]など。))。 +伝統的なキリスト教との教義の違い、平和運動・勝共運動の社会的影響力などから、一部のキリスト教関係者や左翼的思想を持った者に「カルト」と認識され、様々な批判を受け、呼称も「統一協会」を使用されている。
朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー。
http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D
概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。
時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。
朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。
略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。
1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。
主な事件一覧
朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
参考文献
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
コピー終わり。
またもν速大勝利、スネークが小沢マンションの中国人女子留学生入れ替わり制を突き止める。朱朱季季
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1263475685/651
651 : 硯(西日本):2010/01/15(金) 05:59:20.52 ID:bUC2ikHi
295:名無しさん:2010/01/11(月) 08:54:02
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB
来歴・人物 [編集]
鹿児島県生まれ。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を経て、1955年鹿児島大学工学部を卒業、がいしメーカーの
松風(しょうふう)工業を経て、1959年、社員8人で京都セラミツク(現・京セラ)を設立し、10年後、株式上場。
ファインセラミックスの技術で世界的な企業に成長させた。1984年には第二電電(DDI、現・KDDI)を設立した。
グループ全体で売上高が1兆2000億円と成長を遂げた。1984年、財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を
創設した。また、若手経営者向けの経営塾「盛和塾」を非営利にて主宰し、若手経営者の育成も行っている。
独特な経営管理手法「アメーバ経営」が有名である。1997年には臨済宗妙心寺派円福寺で得度を受けた。
また民主党幹事長小沢一郎と旧知の仲であり、大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として
知られている。とりわけ京都市を地盤とする前原誠司の有力な後援者である。小沢一郎が2008年9月21日に
民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている。 2005年、立命館小学校こども顧
問委員に就任。母校の鹿児島大学に寄附し、稲盛会館を寄贈した他、稲盛アカデミーへの援助を行なうなど、
朝子夫人は、「韓国農業の父」として知られる禹長春の四女である。 実弟の稲盛実氏は、鹿児島県で
横だけど戦前のことは「岩波講座 世界歴史19 移動と移民 水野直樹・他 1999年 岩波書店」に
「1930 年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船に乗り込んだたため摘発された者もいる。」
戦後のことは
朝日新聞 1955年8月18日 (「世界」 2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹より)
65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった。全国ではこのざっと10倍になり、捕まらないのはそのまた数倍に上るだろうという。
朝日新聞 1959年6月16日 (「世界」 2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹より)
密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ。
韓国から日本に逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。昭和二十一年から昨年末までに密入国でつかまった者が五万二千人、未逮捕一万五千人で、密入国の実数はその数倍とみられる。
「逃げ場は日本しかなかった。命がけの選択の結果が日本への密航だった。彼ら密航者たちは『潜水艦組』と称され、近年の中国からの不法入国船と同様の小舟や漁船で、着の身着のまま日本に辿りついている。『潜水艦組の1人』という50代のある男性は、日本人の『常識』とは逆のことを私に告げた。
『済州島(出身者)だけじゃなく、在日の半分以上は、密航で来たんだと思うんですよ』」
「在日韓国朝鮮人 -若者からみた意見と思いと考え-」 金容権・李宗良編 1985年 三一書房
「日帝時代の生活苦という鬼神が解放後なお跋扈し済州島の人間をして「金儲け(トンボリ)」するべく日本にかりたてている。たいがいは大阪市(とりわけ生野区)を中心に偏在する縁故を頼っての密入国だ。」
↑この辺に書いてあるみたいよ。図書館へゴー。
淀川長治がキネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画のリスト
1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ)
1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ)
1961年 素晴らしい風船旅行(アルベール・ラモリス)
1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ)
1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ)
1968年 2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック)
1974年 フェリーニのアマルコルド(フェデリコ・フェリーニ)
1975年 ザッツ・エンターテインメント(ジャック・ヘイリー・Jr)
1976年 トリュフォーの思春期(フランソワ・トリュフォー)
1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ)
1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏(ルキノ・ヴィスコンティ)
1987年 グッドモーニング・バビロン!(タヴィアーニ兄弟)
1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン)
1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ)
1990年 フィールド・オブ・ドリームス(フィル・アルデン・ロビンソン)
1991年 シェルタリング・スカイ(ベルナルド・ベルトルッチ)
1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ)