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2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090929202120

そんな(オバカな)女もいるよねー、って感じで、ふーん、としか思わない。

分野が書いてないけど、まぁ文系学部の博士課程-修士課程なら、ありがちな話だと思う。

今週、旦那と離婚します

よい子のみなさん、メシウマ時間ですよ

旦那は博士課程、私は修士課程院生。本来ならちゃんと社会人になってから結婚するべきだったけれど、彼の父の病気が発覚し、早く安心させてあげたいと言うので、急遽結婚することになった。

もちろん、あらかじめ将来のことは話していたつもりだった。彼は優しいし気が利くし、恋人としては魅力的な人だ。でも、研究に関しては要領が悪く、この道で食っていくのは無理だろうとはうすうす感じていた。ただ、本人の希望が強いこと、彼の実家就職するまでの学費と家賃を援助してくれるとのことだったので、今すぐ中退して就職を迫る理由もなく、やれるところまでやってみれば?と言っていた。

私のほうはなんとか修論の構想も固まり、専攻の分野と関係なくもない会社内定した。ところが、旦那のほうは「今年こそは書く」と言っていた博論を結局一文字も書いてないことが判明した。つーかあなた、「論文を書くから」ってバイトもしないで部屋で何してたの? は? ゲーム

問いつめると出てきたのは、驚きの人生設計だった。今年はとりあえず「充電期間」として何もしない。何もしないと来年度末には満期退学になっちゃうからとりあえず1年半くらい休学しつつ研究室にはたまに顔を出して論文の準備する。論文の準備が出来たころに復学して、満を持して卒業してからもポスドクとして研究を続けていきたい、と。

確かに「やれるところまでやってみれば」とは言ったものの、それはせいぜい満期退学になるまで頑張って、その後は就職するんだとばっかり思っていた。思ってたっつーか、私はずっとそれを前提に「あと2年で就職だよね」って話をしていたのだから、認識のズレを訂正する機会はいくらでもあったはずだ。それなのに、「だって、やれるところまでやっていいって言ってたじゃん」の一点張り

私は基本的には共働き派だけど、将来子どもも欲しいし、いざ子どもが生まれたら本当に仕事と両立できるのかどうか分からないから、旦那には定職について欲しい。と言ったら(これも初めて言ったわけではなく、前から何度も話していた)、金目当てで結婚したのかよ!と逆切れ。俺はそもそも子どもは嫌いだからいらない、とも。

今まで2人で話していた将来設計を全部なかったことにされて、愕然とした。あとはもう、口を開けば喧嘩にしかならない状態が続いた。そして、結婚するきっかけでもあった彼のお父さんが亡くなったことが、今度は離婚のきっかけになった。

今まで出してきた金を返せ、とかほざいているけれど、それ君の金じゃないから。君の親の金だから。むしろこっちが、バイトして旦那を食わせていた金を返して欲しいくらいだ。

不幸中の幸いだったのは、彼のお母さんがまともな人だったこと。事情を話すと、残念だけど仕方ないね、と理解を示してくれた。今まで良くしてくれたのに、こんなことになってしまって本当に申し訳なく思う。

こうして、結婚生活は10ヶ月で破綻した。

今回の教訓。悪い予感は当たる。口約束は信用できない。将来の話は信用できない。将来○○するから、という約束は反故にされる。将来○○するかどうかじゃなくて、今現在○○しているかどうかで判断せよ。

今、結婚式に来てくれた友人達1人1人に電話して謝罪しているところだ。高い授業料だった。

2009-09-28

技術者恋愛結婚をするには?

エンジニア普通の人と同じように恋愛し、結婚するにはどうすればいいのだろうか?

自分は28才で、誰でも名前を知っている家電メーカーで回路設計職をしている。

思えば中学生のとき、皆が普通高校に進学するなか自分高専に進んだ。高校と大学が半分になったような学生生活は面白かったし、専門の勉強ができることに充実感もあった。

高専卒業地方国立大大学院まで進学し、修士には発表に海外まで行くことができた。

修士課程修了後、就職仕事にも慣れてきたころ、まったく女っ気のない自分母親が心配するようになった。

ずっと彼女はいなかった。大学時代は男ばかりなので出会いはない。

会社で優秀で尊敬できる先輩でも30後半で独身の人も珍しくない。それが私の将来なのだろうか?

中学時代の友人たちは、大学時代彼女がいる人も多かったし、現在では大卒の友人もかなりの人数が結婚しはじめている。

自分ももうすぐ30だ。現在でも結婚していない人は恋愛百戦錬磨とでもいうべき人たちである。

自分はといえば異性へのコミュニケーション能力中学時代から進歩していない気さえしてくる。

私の場合が極端なのかもしれない。

だが、大学大学院と進学し、気がついたころにはよい年になっているのが私、そして会社の先輩をみて気づくことだ。

そして今日も、田舎工場横の開発センター独身寮の往復だ。

2009-07-23

佐野元春の「ザ・ソングライターズ」Vol.1 「小田和正・1」(1/3)

こんにちは佐野元春です。

毎回、音楽文学に興味がある学生達が参加します。

テーマは歌詞。つまり、音楽における言葉一体どのように産み出され多くの人に届いていくのか、学生達と探求していきます。

ぼくは、ポピュラー音楽のソングラーターこそが現代の詩人なんだと思っています。

記念すべき第一回のゲストは、シンガーソングライター小田和正さんです。

(始業のチャイムの音)

ポップソングは時代の表現である。時代を超えたポエトリー。ぼくはそう思っています。

佐野元春の「ザ・ソングライターズ」、それでは開講です。

(生徒達の拍手の音。ジングル

佐野:こんばんは。「ザ・ソングライターズ」、今日は第一回目ですけれども、一回目に相応しいゲスト今日は呼んでいます。紹介します。小田和正さんです。

学生達から拍手

小田:こんばんはあ(と言いながら登場)

佐野:こんばんは。どうですか、大学の雰囲気は?

小田:いやあ、緊張しましたね。

佐野:そうですか。

小田:はい。

小田和正の曲をバックに、プロフィール紹介)

ナレーション:…小田和正さんのソングライティングの世界に、佐野元春さんが迫ります。

佐野今日は集まってきてくれたのは大学生ですので、小田さんを紹介するのにまずここからぼくは紹介したいなと思ったのですが、神奈川県横浜市出身、東北大学工学部、その後早稲田大学理工学部建築修士課程卒業、なんですね。ということは、若かりし頃は建築勉強をなさっていた?

小田:そうですね。ぼくは建築科になる予定でしたね。

佐野:そうですか。

小田:うん。

佐野:ぼくちょっと単純に思うんだけれども、建築デザインっていうのは、音楽デザインと共通するところがあるんでしょうか?

小田:まあ何もないところから作るっていうのは、まあ一応共通しているけれど、やっぱ最終的にディテールを決めていかなくちゃいけないいっていうところ、具体的に言うと、ぼくは、音楽は、たとえばサビへむかっていくときはこう盛り上げてってサビにはいるみたいのが、そこは最後に決めばいいじゃんみたいにほっとくことが多かったんだけど、その、建築課題で、トイレ階段を必ずつくらなくっちゃいけないって。

佐野:ああ。

小田:で、階段とか面倒くさいじゃん? で、そこを最後に描いて、で二階に繋がっていく感じとか、そこがずごく「トイレ階段」に似てるなと思って(笑)それで、最終的にそういう規格に入れてやるとき(?)「ああ、後はトイレ階段だ」って自分に言い聞かせてやったりしてたけど、だんだん、もう30年もやってくるとそういう感じもなんかなくなってきたね。

佐野:うん。ぼくと小田さん関係は、だいたい小田さんがぼくの10歳くらい年上、そうすると、60年代末から70年代、そのころの時代背景はよく言われるところの団塊の世代、ですよね。そうすると、政治の季節、世代はその中でもスチューデント・パワーなんて言ってずいぶんと荒れていて授業なんかできる状態じゃなかった、と。学生達が理想を強くアピールした、まれな時期だったと思うんだけど。そう考えると、歌の、取るべきテーマがたくさんあるような時期だったと。

小田ストライキとかやってた時期だったからね。大学立法もあったり。でもそれは歌にならなかったね。

佐野:そもそもぼくたちが詩をかく、曲をかくっていうのはきっかけがあると思うんだけど、最初に曲を作る、詩をかく、作曲をなさるのは、いろいろと苦労しました?

小田;しましたねー。

佐野:ぼくも。

小田:しましたか。

佐野;はい。

小田:ぼくらは、その、オリジナルを書く、ということを、ようやくまわりがスタートしだした時期だったから、まあ拓郎さんが出てきて、なかなかこう神秘的なね…。それでね、実はぼくは早稲田に行ってるころ、そこのすぐ近くに千歳橋、っていう交差点があるでしょ、あの近くのアパート借りて、そしてそっから早稲田に通ってたんだけど。で、学生しながらそんな仕事をやってたり。で、バンドで部屋に集まってオリジナルを書こうって話になって。

佐野バンドっていうのは初期のオフコースメンバー

小田:はい。で、曲なんて書いたことないからどうかいていいかわかんない。でも作ろうって言って。でね、まだ覚えてるんだけどね、「いーつでもー♪」って、いうの、作って、「おうできたじゃん」って。で、その後なんにもできないで一日終りました(笑)

佐野:あー(笑)

小田:どうにもにっちもさっち(笑)コピーすることと作ることは全然違うじゃない? 

佐野:はい。

小田:全然違うんだよね。アマチュアのときはうまくコピーできればできただけウケる、みたいな。まあ、プロっぽくなったときに、どんなに洋楽をうまく演っても全然ウケないんだよね。

佐野:初期は、小田さんが独占的につくるというよりは、4人による共同作業?

小田:けっきょくね、同級生がひとりいたんだけど、そいつと二人で手分けして作っていくっていうのが最初のスタイルで。で、基本的には、歌いたいことないから、

佐野:そうだったんですか?

小田:全然なかったですね。で、コピーしてきた曲は、まあ、たわいのない愛の歌か、それからまあ当時の反戦フォークみたいな。で、戦う相手みたいなのがはっきり見つかる時代じゃなかったから、戦争もないし、だからなかなかメッセージソングっていうのは…。それでもまあ泉谷にしても拓郎にしても、青春ののたうちまわっている感じを歌にして。でもなかなか無理があって…。で、そのときいつも意識にあったのは同級生のことで。

佐野:あー。

小田:同級生が聞いたらどう思うだろうって。あいつ、建築やめてまで何やってるんだろう、って思われるんじゃないかってね、脅迫観念みたいのがあるから、それも書けない。じゃあ何を書いたらいんだろう、みたいな。それで…。今は聞いてくれる人がいるじゃん? その人たちに対して書くっていう、なんかその横暴性みたいなのが。当時は聞いてくれるやつなんていないわけだから。だから、同級生がどう聞くんだろうみたいなことが大きなテーマだったね。

(続く)

2009-06-06

この国の科学を崩壊させる最も簡単な方法:学振DC1の結果が今頃返ってくるようにする

この国の科学を崩壊させる最も簡単な方法を教えよう。それは、学振DC1の結果が今、5月下旬~6月頭ごろに帰ってくるようにすることだ。大多数の人には何を言っているのかわからないと思うので、ちゃんと説明する。

まず、大学4年間の後に進む大学院というのは、修士課程2年間と博士課程3年間に分かれている。理系だと、基本的には修士課程2年間まで出て企業就職するのが一般的だ。修士課程学生博士課程に進学したい人は、博士課程3年間の学費&生活費を、どうやって捻出するかが、当然、悩みどころになる。学振DC1というのは、その3年間、毎年、200万円の給料と50万円程度の研究費がもらえる制度で、要するに、「お前は学費や生活費の心配はしなくていいようにしてやるから好きに研究しろ」という制度である。毎年、申請者の10%~20%程度しか学振DC1は取れない。

さて、そうなると、修士課程学生としては「学振DC1にとりあえず出して、だめだったら就職」というのが出来ると一番嬉しい。ところが、実は、これが事実上できないようになっているのだ。なぜか?学振DC1の結果が返ってくるのは修士課程2年生の11月修士課程2年生の11月から就職活動なんか出来るわけがない上に、博士課程進学のための入試はほとんど修士課程2年生の8月に行われるので、11月には、もう進学するか就職するかが完全に決まっている状態になっている。「だめだったら就職」というのは無理で、学振DC1に申請する5月下旬の時点で、博士課程に進学するのは事実上決定、という制度になっているのだ。

もし、学振DC1がずっと早くに申請して、今頃(5月下旬~6月ごろ)に結果が返ってくる制度だったらどうか?つまり、「学振に通らなかったら就職」することが出来たらどうなるか?毎年、学振に通らない申請者の8~9割のうち、大半は、「通らなかったら就職」を実際に行って、博士課程に進学しないだろう。博士課程進学者が半減してもおかしくない。

博士課程進学者が半減する」というのは、博士課程の悪い就職率を考えると、一見プラスに見えるかもしれないが、実際にそういう事態になった場合、人員不足で研究活動が継続できなくなる大学研究室が多数出てくるのは確かだ。それは、日本科学カバーできる分野を狭め、多くの分野で日本出遅れることを意味する。日本大学価値も下がり、優秀な人は、大学卒業後にアメリカ大学に行って研究するようになる。頭脳流出の始まりだ。

学振DC1の結果がいつ返ってくるか~そんな一見些細に見えることが、事実上、この国の科学を支えている。

大学院進学の話:東大京大に行かなくても別にいいんじゃね,と思うんだけど.

ネット界隈は恐ろしいもので,日本大学院のほとんどは屑,みたいな意見がわりと多く見られる.

で,それを真に受けてかどうか知らないけど,ちょっとデキる奴は,すぐ東大院とかに進出しちゃうんだ.でも,オレは別の道もあると思うんだよね.

ここでオレが対象にしたいのは,ちょっとデキる奴であって,超天才とかは知りませんよ.

なんでこんなことを書こうと思ったかというと,今日晴れて奨学金返還の全額免除が決まったからである(内々定,みたいなものだけど).

でも,これ,オレが地方大学にいるから免除されたんであって,東大とか京大とかだったら絶対ムリだったと思うんだよね.

一応,学振も通ったけど,これも,オレの実力というよりは,指導教員の実力で,指導教員だって,もしここが東大だったら,オレなんかに目をかけるはずはなかっただろうと思う.

もちろん,何がなんでもアカポスに就く,じゃないと死ぬ,みたいな奴は,東大じゃなければ(東大でも)厳しいと思うけど,

アカポスに就くことを目的にしなければ,身の丈に合ったところに進学しておいたほうが,何かといいと思うんだよね.寧ろ鶏口となるも牛後になるなかれ,って言うじゃない.

生涯収入がうんぬん,という奴も,ちょっと関係ない話かな.

もっと対象を明確に書くと,一般就職はしようと思っている,でも,学部時代の研究はそれなりに面白くて,もうちょっと研究というものをしてみたい.

あと,社会の荒波に揉まれるのはちょっと怖いので,もう少しモラトリアムに浸っていたい.これはすげーネットでは責められると思うけど,事実上,こういう奴はいると思うんだよね.

まあ,オレがそうだ,という話なんだけど.

生活は案外できる.オレは修士課程では奨学金をもらっていて,これがおおむね年間100万円.学費は半額免除だったけど,これはオレに妻がいて,妻に定収入があったからで,単純に世帯分離をすれば,

全額免除も可能だろう(もちろん,その場合は,扶養手当はもらえないし,年金自分で払うので,結果的には大して変わらないだろうけど).

TAは時給が1300円で,書類上は週に10コマあったけど,実働時間はとても短くて済んだ.これも教員の厚意によるもの.

ただ,大学夏休み冬休み春休みも長いので,実質働けるのは年間30週くらい.それでも,年に大体40万くらいはもらえる.

あとは多少バイトをしても良いし,つましくくらせばバイトしないでも充分暮らせる.

書籍論文は読み放題だし,機材も使い放題である.学会参加の旅費も少しは補助が出る(年1回なら,交通費は全額出た).まあ,これは大学なら当たり前の話だろうけど,就職と比較すると,全然違うでしょう.

今年は学振に無事通ったので(なお,今のDC1は,3割くらい通るので,指導教員が書類書きに慣れていてかつ連絡を密にとっていれば,まあなんとかなる,と思う),年間収入は240万.

3年間は研究だけして暮らしていられる.ブラボーである.

でもこれは,もう一回言うけど,オレが地方大学にいるからできたことである.オレは自分を良く知っている.オレは地方大学なら,わりと,「あいつはデキるな」なんて言ってもらえるけど,

東大京大に行ったら,「アイツはほんと使えねーなw」扱いだろう.

だから,東大京大に進学しないと,ダメなんだ,みたいに凝り固まらないほうがいんじゃねーかと思うんだよね.楽しいぜ,鶏口.みんなでやろうぜ.

追記

id:list1569 うちのTAは一コマ(90分)で4000円超えてたけど。 2009/06/08

id:Kenta_K TAの時給安くね? うちの大学院は時給2000円超えてるんだけど? 2009/06/07

この二つのブコメがやたらカチンときたので追記する.(他のブコメは,なんか勘違いしているな,からお褒めいただきありがとう,までありますけど,別に腹は立たなかった)

お前ら二人,「けど」なんだよ.越えてるけどなんなんだよ.

きみらのとこは,時給が高くてよかったね,オレも時給2000円とか,1コマ4000円とかもらえたら良かったなあ,と思うよ.

「オレは地方大学に行ったけど別に後悔はしてないよ.だってTAとか奨学金で生活はできるし(これは東大ではできなかったかも),色々目をかけてもらえたからね」

ってオレが言ったとして,

「ふうん,うちのTAは一コマ4000円超えてたけどね」

とか返事されたと思うと,心底アホかと思うわ.お前の自慢話に移行ですか.

言っとくけど,お前の大学が偉いというかすごいんであって,お前がすごくて高額の給与をもらっているだけだかんね,それに関しては.

けどなんだよ,けどの後を言えよ!

こういうことを書くと,「結局自慢したかっただけで,水さされて切れてんのかよw」と思われるかもしれないけど,いやまあいいじゃんちょっとは自慢してーよ.

(多少は学歴コンプとやらもあるのかもな)

でもそれに加えて,オレは東大院に行けなかったから糞だ,とか思わないで頑張ろうぜ,というメッセージも一応込めたつもりだ.

それなのに「TAの時給はもっと高かったけど?」,これが異常にムカつくんだよな.

2009-06-04

修士課程で挫折した人のお話

大学院生チラシの裏 長文ごめんなさい

「した」と言うより「している」が正しい。

修士課程、まったくうまくいっていない。

原因は全て自分にある。

家族尊敬している先生方、同期、先輩方に迷惑をかけてしまっていて

正直、そろそろ楽になりたい。

これから修士に進む or 修士に進んでいる人達
何かしらの参考になればと思い、2年間の体験談を残してみる。

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自己紹介

Fラン文理系大学修士2年生

私の大学では学部3年次に研究室配属、3,4年次は大学生活の中心が研究室での過ごすことになる。

  

大学院に進んだきっかけは学部研究室時代にいた修士の先輩方に憧れて。

教授との議論、後輩への指導、自分も「ああなりたい」と思った。

先輩たちと過ごした夜~朝にかけての研究時間はとても楽しかった。

  

けど、話は簡単には進まなかった。

学部時代にお世話になったA教授は他大に引っこ抜かれる事になり、

修士に進むには他の研究室を選択しなければいけなくなった。

A教授を追っかけて他大を受験してみたが、撃沈。

様々な縁があり、学部と同じ大学で、A教授学生時代先生のB教授の所で引き取ってもらう事になった。

  

  

修士1年

新しいB研究室に所属になり心機一転

まずは、B教授、B研の学生の信頼を得ようと努力した。

でも、何もかもが空回りだった。

失敗1.スケジューリング

まずスケジューリングから失敗した。

私の修士課程1年生の一週間のスケジュールはこんな感じ

授業:週9

ゼミ:週6

バイト:不定期

私の大学では1年が前期と後期に分かれており、

修士1年前期中に修了単位分を取ろうと思った私は授業を多く取った。

しかし、修士の授業は専門性が高く、ほぼ毎回、発表資料を作らないといけない為、

私はだんだんと、授業に追われるようになっていった。

  

また勉強会ゼミが週6つあり、(ひとつ大体1~3時間

その中の1つ「3年生の勉強会」は私の担当

毎週毎週のテキスト作りのお陰で徹夜連続だった。

元のAゼミに出なければいいじゃないか。と他研究室の同期に言われたが

自分研究をA教授に見ていただいている事もあり、

そんな事はできなかった。

  

そんなこんなで自分研究が疎かになった。

情けない話だ...

だけど、「自分なんかより努力している、苦労している大学院生はいる。」と自分に言い聞かせ

徹夜根性、土日、休日返上アタックで何とか前期は持ちこたえていた。

  

  

失敗2.新しく入った研究室での人間関係

新しく入ったB研究室にはC先輩がいた。

B教授からとても信頼されている先輩だった。

何時の頃からか、そのC先輩に嫌われている事に気づいた。

嫌われているといっても、仲が良かった期間があったわけではない。

私の思い込みかもしれないが、業務連絡以外で私に話しかけることはなかった。

話しかけても、「ええぇ、そうですか」の二言で会話が終わってしまう。

しかし、他の後輩とは楽しく喋っている。

  

所属しているB研究室で浮いているのが自分でわかった。

今までそういう経験がなかった私は非常に動揺した。

そしてB研究室学生よりも、前のA研究室学生達と交流する様になっていた。

元々、A研究室の後輩達は学部生の頃に共に勉強した事もあり、親しい間柄にあった。

  

今さら考えてみれば大失敗だった。

どんどんB研究室で浮いていった。

  

  

失敗3.報連相の欠如

夏に入り、後期が始まった。

後輩の卒論も本格的に始動し、更に忙しさを増した。

そんな中、自分研究がまったく進んでいない事に気づいた。

テーマすら形になっていない。何とも情けない。

そして、報連相が欠けていると注意された。

    

自分としては驚きだった、自身の休みを削ってでも後輩を指導できる様に努力していたつもりだった、

しかし、報連相、特に「相談」が欠けていたのは確かだった。

自分の力で何とか乗り越えようとしていた。

自分研究室で浮いているという気持ちから報連相が疎かになっていたかもしれない。

  

ここら辺から徐々に大学にいるのが辛くなってきた。

  

11月に入って、研究室全体でOB,OG研究発表する機会があった。

いそいそと発表資料を作っていた私だったが、前日になって、その企画を運営している後輩から

大学院生はA0のパネルを作って発表よろしくお願いします」と言われた。

詳しく聞いてみると私以外の先輩方は既に用意しているらしい。

正直、唖然とした。

ここら辺で何かが切れた。

「私って何の為に大学院に進学したんだっけ」と自問し、

結局その会にはバックれた。

それから大学に行かなくなった。

何もかもがどうでもよくなった。

その後は引きこもり

  

修士2年

修士1年前期に大量に授業取っていた事と

B教授のご配慮があり、修士2年生に上がれることになった。

恥ずかしい話だが、「私は心を入れ替え頑張ります」と言い努力していたが、

すぐ鬱になってしまった。

  

そしてそんなこんなで6月になり、

思い返せば修士2年間、何もしていない。

修士だから何かをしなくてはならない」と思い込んでいるわけではないが

本当に何もしていない自分に嫌気がさす。

努力すらしていない自分にとてもイライラする。

鬱という言葉を利用して逃げているだけかもしれない。

  

そんなこんなで私のくだらない人生はお終い。



最後に

これから修士過程に進む学生さん、進んでいる学生さん

私が偉そうに言える言葉ではありませんが、

是非、自分の将来のスケジュールをしっかりと作ってがんばってください。

こんな所で言うのもおかしな話ですが

id:next49さんのblogには何かと心の支えになりました。

ありがとうございました。

2009-05-15

子を殴ってでも博士課程には行かせるな

「息子(娘)の博士課程進学で親ができること」

http://anond.hatelabo.jp/20090117074753

を書いた増田。証拠に、リンク先の記事の1行目に「証拠」って書いておいた。

とうとう、恐れていたことが起こってしまった。東北大の大学院生自殺。この事件の示唆するところを、結論から言おう。

「死にたくなければ進学するな」

子を殴ってでも博士課程には行かせるな。子や兄弟姉妹が博士課程に進学したいと言い出したら、まず殴って止めろ。それで諦めるぐらいなら、博士課程に行かなくてよかったということだ。言葉でも、親子の縁を切る、勘当する、ぐらいの脅しはしていいと思う。これを見ているのが学部・修士課程学生なら、博士課程には絶対進学するな、と警告しておく。

もう、博士課程進学っていうのは、子を自衛隊にやるのと同じぐらい危険なことだと思ったほうがいい。それも、遺族年金のない自衛隊に行かせるのと同じぐらい危険なことだと思ったほうがいい。自衛隊員でも実際に戦闘地域で戦闘を行うのは一部のはずなので、そういう危険な例外を除けば、自殺を含めた死亡率は博士課程進学と自衛隊入隊とで、同程度であってもおかしくない。

自衛隊危険職業であることは、広く知られているが、それでも行く人は行く。金が出るし、何より「国のために命をささげる」という大義があるからだ。博士課程は、金はでないが、やはり、「学問のために命をささげる」という大義があるはずだ。

博士課程は、「博士学位に、一遍の論文に、自分の命以上の重みを感じられる人間だけが進んでいいところ」という位置づけで、もういいと思う。それでも、大義がある限り、行く人はいるのだ。どんなに止められても、たとえ殴られても行く人は行くのだ。博士課程は、そういう危険を省みず大義のために身を投げ出せる人間だけが行くところ、という位置づけで、もういいではないのだろうか。そういう位置づけの場は、博士課程以外にも、自衛官警官消防隊員・海上保安官などなど、社会にはいくらでもある。博士課程も、「お金が出ない」という一点を除いて、その仲間だと思えばいい。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090513-OYT1T00525.htm

東北大は13日、大学院理学研究科教員の指導に過失があり、担当していた大学院生自殺につながったとする内部調査結果を公表した。

 大学院生は2年続けての教員による博士論文の受け取り拒否などで修了できなかった。同大懲戒委員会で処分を検討しているが、この教員は今月に入り辞職した。

 同大によると、自殺したのは理学研究科生物関係研究をしていた博士課程の男性大学院生(当時29歳)。大学院生は昨年8月、研究データ集めをした滋賀県内で自殺した。遺書には指導法への不満などはなかったが、翌月、両親から男性准教授(52)の指導に問題があったのではとの指摘を受け、内部調査委員会を設置していた。

 大学院生は2007年12月、博士論文の草稿を事前提出したが、准教授大学院生と十分に議論せず受け取りを拒否。准教授は06年11月ごろにも、論文提出を延期するように指示しており、大学院生は2年連続博士号の取得に失敗した。

 調査は、残された論文草稿やデータを見る限り、大学院生研究博士論文審査水準に到達していたと判断。准教授が、具体的な指示を与えず、適切な指導を行わなかった結果、大学院生学位取得や将来に希望を抱けなくなり、自殺に至ったと結論づけた。准教授は、08年1月に科学誌から大学院生論文が掲載を拒否され、書き直しが必要になった際も、適切な指導を行わなかった。准教授は調査に「論文提出の直前までデータ整理に追われており、時間がかかると判断したが、指導に不適切な点があった」と話したという。

2009年5月13日12時38分 読売新聞

2009-03-23

無責任アドバイス、と思ってもらえれば(あまり深刻に受け止めないでね)

http://anond.hatelabo.jp/20090322094924

でも、俺、自分論文は締め切りギリギリに持っていくから、同じようにプライド高い病だと誤解されているのだろうなぁ、と思うと辛い。俺、プライド高い病じゃないのに。何とか、みんなに、「俺はプライド高い病じゃないよー」とわかってもらいたい。

自分でも納得がいかないものを見せると、自分が納得がいかない部分に関して突っ込まれる。自分が気がつかない欠点を指摘してもらうために人に見せているのに、自分が既に気がついている欠点を指摘してもらうことになると、俺にも見せた人にも悪い。だから、直前まで直すのさ。そうすると、「指摘されるのが怖いから直前まで持ってこないんだな」と思われて、プライド高い病と誤解される。

プライド高い病と誤解されたくない」という目的に照らせば、相手に悪いだろう、という気遣いは二の次になるわけで、ガンガン見せたほうがいい。そして実は、おそらく多くの場合、あなたが見せている相手が、「自分が既に気がついている欠点を指摘」する労力に比べると、「締め切りギリギリに持って」こられるのを待つ、または、そんな「ギリギリに」読んで指摘しなきゃいけないことに関する心理的負担は、極端に大きい。つまり、ガンガン見せることは、相手にとって悪いことですらない。

したがって、

だんだん自分の納得具合と、持って行くべきタイミングがわかるようになってきたよ。

とあなたは言うけど、それは、「前に比べりゃマシ」程度であって、まだ多分「わかるようになって」ない。さすがに、誤字脱字も直さない、とか、空欄が死ぬほどある、というものを見せられても、俺はおめーのママじゃねーから、としか言いようがないわけだけど、あなたの文章からは、あなたの論文なり申請書を「読む立場」の人の気持ちを顧みている様子がなくて、そこが実は問題だと俺は思う。

一通り形になった段階で、少なくとも、「今一応フォームは全部埋めました/論文だったら、方法と結果はとにかく書きました」ということを、あなたを指導してくれている人に報告すべき。それで、その相手が、「じゃ、一回見せて」と言ったら、納得の有無にかかわらず持っていく。「わかった、じゃあ、もう少し推敲してから持ってきてね」と言われたときにはじめて、「タイミング」を計る必要があるわけで、決定権は本当はあなたにはない。

ということを、本来は修士課程くらいのうちに学んでおいた方が良かったと思うよ。それで、何度も何度も当然とも思える指摘を受けて、それからリテイクを繰り返して、「自分が既に気がついている欠点を指摘してもらうことになる」ような書類をそもそも書かない、というスキルはようやく身につくもので、一人で悶々としているとそういうスキルはなかなか身につかないものだ。

で、あなたは今博士課程にいるんだろうと思うので、もうそこまで来た人に上記のことを言える人がいなくなるんすよね。それが最大の問題だと思うので、老婆心を発揮して書いてみた。

ウザいと思ったら、あるいは、何か俺が勘違いしているのなら無視していいけど、将来的なことを考えれば、「自分は今まで、自分論文等を他の人に見てもらう、という経験をあまり積んでいなくて、そのせいか、締め切りぎりぎりになってしまうことが多い。なので、いまさらだけど、これからガンガン論文とか持ってきてもいいですかね」と指導教員に頼んだり、同期や先輩(いれば)にお願いしてみるのもいいかもしれない。

2009-03-15

僕の知り合いに天才がいます

自分ブログに書いても誰もたどり着かないので、ここにも書く。

僕の知り合いに天才がいます今日、ばったりとその人に会ったので、その人の話しをします。

頭がいいな、賢いな、と思う人はたくさん知っていますし、とても性格が良い人は少し数が減りますが知りあいに何人かいますですが「この人は天才なんだ」と思わせる人はその人だけです。彼だけは他の誰とも違うのです

彼は大学の先輩で、3年生の春休み出会いました。そのとき彼は5メートルくらい離れたところに立って、とても難しそうな話しをしていました。連続体仮説がどうの、とか、そういう話し。話しの内容はよく聞きとれませんでしたが、ぎょろっとした大きな目と、視線がまっすぐ前を向いたまま微動だにしなかったことがやけに印象に残っています

僕は4年生から研究室の後輩として彼の指導を受けました。彼が天才であることと、教育者に全く向いていないことは指導を受けるようになって3日でわかりました。彼は、研究室の誰もが答えの糸口すら見いだせない問題に、ものの10分足らずで解を与えることができました。10分のうち、8分は問題がなんであるかを彼に説明することに費やされました。それを聞いた彼は、20秒ほど黙り、そして解を述べました。そして、1分ほどまた黙り、なぜその解が正しいのかを30秒で説明しました。問題によって10分が5分だったり、たまに数日かかったりしましたが、おおよそこんなものでした。

要するに、問題を理解した瞬間、彼には答えがわかってしまうのです。彼によると「答えが降ってくる」のだそうです

彼は修士課程の2年生でした。4月中旬ごろに、システム開発をやっている会社内定を取ったということを彼から聞いたとき、「よく○○さんに内定をだす企業がありましたね」と軽口をいいました。てっきり彼が冷やかしで就職活動をしているのだと思っていたのです。彼が博士課程に行くのだと決めつけていたのですしかし彼は真面目な顔で「本当だな。なんとか死なずにすんだよ。」と答えました。彼はよく真顔で冗談を言うので、そのときの僕は笑って受け流したのですが、後から助手先生に「彼は××社にいくらしいね。」という話しを聞いたときには、少し混乱しました。本当に就職するということを理解するのにおそらく10秒ほどかかりました。そのあと、彼でも混乱することがあるのだろうか、という疑問が浮かび、きっと無いだろうな、という結論を1秒もかからずに出しました。

彼はとても順調に研究成果を出し、最後の数ヶ月に同級生たちが苦しむのを尻目にあっという間に論文を書いて卒業していきました。その年は、学部卒業式大学院卒業式が合同で行われましたが、彼の姿はありませんでした。風邪をひいて休んだのだと彼の同級生は言っていました。

その年の初冬、僕は彼に再会しました。彼に声をかけられたとき、僕は彼が彼だと確信を持てませんでした。彼の顔から表情は失われ、頬が少しこけ、彼が天才であるというただ一点のために発せられていた存在感がすっかり消え失せていました。僕は驚きました。人が10ヶ月もしないうちにこうも変わるのかと。

彼と僕は、明治通りから少し奥に入ったところにある喫茶店で30分ばかり話しをしました。日曜日原宿だったので喫茶店は人でいっぱいだったのですが、僕たちが入っていったときに、たまたま学生とおぼしきカップルが席を立ったので僕たちは運良く座ることができました。なぜかBGMモーツァルト作曲オペラがかかっていて、それがひどく間の抜けた空気をあたりにまき散らしていました。

はじめの10分間、彼は黙ってコーヒーを飲んでいました。僕は本当に彼が彼なのか、まだ信じられずにいました。学生時代の彼はとにかくよく喋りました。話題の90%が研究の話しで、残りの10%が最近寝た女の子の話しでした。その90%の部分で僕は彼に嫉妬を感じ、残りの10%でもっと嫉妬を感じました。

一度僕は「なぜそんなに色々な女の子と寝られるのか」と彼に聞いたことがあります。そのとき彼は「女のほうが数が多いからじゃないか。」と真顔で答えました。ぶん殴ってやろうかと思いました。

・・・きっかり10分して彼は深いため息をつき、そして口を開きました。

ーーーーーーーーーー

彼はやっと絞り出すといった風で口を開いた。

「とてもシンボリックな話しがあるんだ。」

間の抜けたモーツァルトを聞きながら、僕は何も言わずに次の言葉を待った。

「俺の会社は昼寝をしたら怒られるんだ。」

「僕の中学もそうでしたよ。高校は放任主義だったけど。」

僕の言うことを無視して彼は続けた。間の抜けたことや間違ったことを僕が言ったと感じると、学生時代からはいつもそれを無視した。

「自慢じゃないが、俺は生まれてから大学卒業するまでの22年間毎日欠かさずに昼寝をしてきた。それも、毎日午後4時ぴったりに寝て、15分後に目が覚めるんだ。まあ、たまに3時45分に寝て4時10分に目覚めることもあれば、4時30分に寝て4時40分に起きることもあるんだが、それでも昼寝していることには変わりない。とにかく俺がいいたいことは22年間毎日昼寝をしてきたということだ。」

壮大なんだか、アホらしいのかよくわからない前フリだと僕は感じていた。たぶん両方だろう。

「俺が一番他人に誇れるのは集中力なんだ。俺はその集中力を6時間完璧に維持することができる。逆に考えると、6時間しかもたないんだよ。きっかり6時間たつと、俺は猛烈に眠くなるんだ。そこで、15分間だけ眠るんだ。すると、また頭が冴えて6時間集中できるんだ。集中している間は、食事をとろうが、テレビがついていようが、100%の能力を発揮できているんだ。それは俺にとってとても幸せ時間だし、親も教師も研究室助手だって悪い気はしなかったと思う。俺は1日に2回あるその6時間で、テストで良い点をとり、研究成果をあげ、そして女を口説いていた。」

彼が集中力の途切れる夜10時までにセックスを済ますのか、それともセックスにはその集中力が必要ないのかを考えながら僕はうなずいた。

「そして、その22年間の幸福な習慣が終わりを迎えたんですね。」

「そう。そうなんだ。この話しを聞くとたいていの理系の男はこういうんだ。半分の時間が失われたんだねって。昼寝した後の6時間が集中できなくなったと考えるわけだ。でもそれは違う。習慣が崩れるというのはそういう簡単な話しじゃないんだ。1たす1が2という計算ばかりやってきた連中がそういう発想しかできないことには憐憫の情を感じないわけではないが、違うものは違う。答えはな、ゼロなんだよ。全てが失われてしまうんだ。」

彼は淡々とそう言って、言い終わると小さくため息をついた。学生時代、彼は最もため息から遠いところに存在していた。だが今は違っていた。ため息で作った洋服があったら、今の彼にはとても似合うだろうなと僕は考えた。

「昼寝をしなくなってから、何かが狂い始めたんだ。俺が言うことに誰も耳を貸さないんだ。集中力が失われてしまっていても、いままでと同じように正しい答えを出しているはずなんだ。問題が何なのかを理解し、そして解が閃く。解が正しいことを確認するためにしばらく考えて、解が正しい理由を言う。何も変えちゃいない。自分で言うのもなんだが、解が間違ってるわけじゃないはずなんだ。周りの連中が俺の言うことを無視するもんだから、さすがに不安になって後で何度も考えたよ。間違えてるんじゃないかって時間をかけてとても慎重に考えた。でも、やっぱり正しいんだ。俺は混乱した。」

そのときの僕は、彼の話しが安っぽいミステリー小説のようになってきたとだけ感じた。そうじゃない。今の僕にはわかる。彼が言っていたことはとても本質的なことだったんだ。

「俺はイライラしたよ。俺を無視して1時間ときには3時間もかけて無駄なおしゃべりをして、そのあげくに出す答えがなんとも唾棄すべきものなんだから。そして、俺はその唾棄すべき答えに従って仕事をし、唾棄すべきものを世の中に排泄するんだ。」

話している彼も、とてもイライラしていた。とても無表情だったし、異常なほど淡々と話していたが僕にはわかった。彼のイライラの原因は、間の抜けたBGMのせいでも僕のせいでもなかった。たぶん。

ーーーーーーーーーー

そして、今日、彼にまたしても原宿駅のそばでばったりと出会いました。前回出会ったときは昼下がりでしたが、今日は夜の10時をまわっていたと思います

彼に声をかけられたとき、僕は彼が彼だと確信を持てませんでした。彼は宗教家のようなとても穏やかな表情をしており、すこし肉付きがよくなっていました。

筋トレを始めたんだ。」

がっしりしましたね、という僕の質問に彼はそう答えました。

「この間会ったときはすまなかったな。俺の愚痴ばかり聞かせてしまったな。」

「いえ。」

「本当にあのときの俺は幼かったよ。まあ、あの状況は遅れてきた五月病だったんだな。」

彼は頭を掻きながらそう言いました。

五月病が結局のところなんなのか、いまだによくわからない僕は曖昧にうなずきました。

「久しぶりに会ったんだ。お前さえよかったらちょっと飲んでいかいか?」

まり気乗りしなかったので、とても丁寧にお断りをしました。ちょっと疲れて胃の調子が悪かったことと、次の日の仕事の量を無意識計算したんだと思います

「なんで、○○さんは就職されたんですか?てっきり僕は研究の道に進むんだと思ってました。」

別れ際に、ずっと疑問だったことを思わず聞いてしまいました。聞いてから自分デリカシーの無さに少し辟易しましたが。でも彼は特に嫌そうなそぶりは見せず、思慮深くしばらく考えてから

「うん。まあ、そうすべきだったんだよ。いま振り返れば正しい選択だったと思ってるよ。」

と答えてくれました。彼は薬指に指輪をしていました。

彼と別れてから花粉症対策でいつも着けているマスクを外して僕は深呼吸しました。もう3月も中旬。春の匂いがとても濃密だったことに驚きました。いつもそうであるように、とても間の抜けた春の匂いでした。

2009-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20090228021224

元増田です。

ようやく何を聞かれてるのか理解出来ました。明示されてませんでしたが、文章を読む限り横増田さん(この呼び方が適切かよくわからないのですが)は、修士学生に対して教育をするような立場の人なんですね。指導に当たる際に参考になる視点が欲しいのだと言うことが、ようやく今わかりました。それなら確かに私の文章は答えになってませんね。

結論から書くと、たぶん私は、横増田さんと同じようなことを違う立場で書いているだけだと思います。

まず、

元増田の場合は時間が解決した

とありますが、これはある程度一般化しても良いのではないかと思っています。さまざまな機会においてディスカッションをする環境に、それなりの時間身を置くことでしか得られないものだと思っているからです。

次に、

分からないことに対して、何が分かって何が分かっていないか整理をして、その時点の知見の範囲内で発言するための、分野によらない普遍的な科学的態度のようなもの

について。多数派か少数派かという議論は不毛な気もしますが、私の知る限り、はじめから科学的思考力をキチンと持っている人はいません。というか、それは永遠に完璧にはなりません。教授が書いた論文でも、査読者からコメントは必ず付きます。単に程度の差だと思います。だから、まして修士課程学生となれば、なんらかの科学的思考過程をするための訓練が必要だと思っています。

その訓練に対して、

対話して誘導するというのは、上記のことを短い時間経験させるよい方法だと思っているが、万能ではないといったところだろうか。

いえ、万能だと思います。というか、それ(対話・議論をすること)しか方法はないと思います。

そして、私がここまで先のエントリでしつこく「研究の意義を説明すること」を書いてきたのは、それ以前の問題で、科学的思考を得る訓練そのものの手法の話ではありません。議論が出来ないのは対話、ディスカッションをするという方法が悪いのではなく、それ以前に先生学生の間のコミュニケーションが崩壊していることにあると思うからです。教育が成立するためには、先生学生の間の信頼関係とそれぞれのモチベーションが必要です。たいていの場合、議論が出来ないのは学生側で信頼関係モチベーションも放棄しかけているわけで、その解決策として、「研究の意義を説明すること」を提案しました。

増田さんのご指摘のおかげで、いろいろと自分の考え方を整理することが出来ました。ありがとうございます。

http://anond.hatelabo.jp/20090225041708

回答有難う。返答遅れてしまって申し訳ない。

先に結論を言ってしまうと、部分的には分かるものの、全体としてはしっくり来なかった。

ディスカッションが出来るための条件として2つあげます。

1. 議論のテーマについての基礎的な知識があること。

2. 自分意見を発言することに対して自信が持てること。

一つ目は、極端な例としては、四則演算も理解してない小学生量子力学を論じろと言ってもそりゃ無茶だろ、という話です。基礎知識が足りないとディスカッションは出来ません。二つ目は、気持ちの問題です。自分の発言に自信が持てない、話したくない、という人とはディスカッションは成り立ちません。

そして、1と2はリンクしながら悪循環に陥ります。議論が理解できないことでますます自信がなくなっていく、ということです。結果として自分研究ダメだ、と研究の意義までも見失うこととなります。だから、もう一度スタート地点に立ち返ってみよう、ということです。

ディスカッションが成立するための条件1、2は分かる(実際には条件1は、ディカッションの結果が実践に役立つような"有効な"ディスカッションが成立するための条件であって、教育目的の場合はそのようになる過程であるのだから、出発点では殆ど不要か非常に低いレベルで足りると考えているが、ここでは余計な話である)。分からないのはその先で、条件1、2がディスカッションに必要な要素であるとすると、なんらかの形でこの条件の取得に寄与するようなことでなければ「ディスカッションが出来るようになる」という目的には役立たないわけだが、その後の文章では、また別のことが書いてあるような気がした。

ここまで考えて、こちらの問いが悪かったのかと思った。元増田の言いたいことは、

ではなく、

ということではないだろうか。そして、先のエントリと合わせて考えると、ディスカッションが出来るようになるコツのようなものは結局明かされておらず、元増田の場合は時間が解決したので、その間自信を失わないようにフォローしながら研究継続させる(継続していれば知識もつくし、自信もつく)手段として、意義を説明するという行為が位置付けられているのではないだろうか。どうだろうか。

質問(2)は、自分経験上、ディスカッションが出来るかどうかは優秀さとは関係ないと思うので、しっくり来なかった。成績が悪く、知識がすっぽり抜け落ちていても、もの怖じせずストレートに答えられる学生も多い。多いというよりは、そちらが多数派だ。ただ、多数だ少数だと言っても仕方ない話で、違うことを前提にしないといけないのだろうとは思った。

ディスカッションが出来る学生だと、対話によって自分の頭で考える訓練を行うことが出来る(まず考えさせて、その結果をもとに質問等で誘導して、足りない条件や抜け落ちた視点に気づいたり、自分で答えに到達するという経験をさせる。必ず答えを学生本人の口から言わせ、それを肯定するという段階を経由するようにしている。)ので成長が早いのだが、それが出来ないのは勿体ないことだと思う。

また修士課程までは職業訓練意味合いが大きいので、職場に出た後のことを意識すると(自分が民間出身なので特にこの意識が強いのだが)、そこでは専門的な知識の無い課題に対して、異なる専門家を交えて技術的な意見交換をする場面が頻繁にある。そういった場合に自信がつくまでだんまりを決め込むわけにはいかないので、分からないことに対して、何が分かって何が分かっていないか整理をして、その時点の知見の範囲内で発言するための、分野によらない普遍的な科学的態度のようなものを身に付けて欲しいとは思っている。

対話して誘導するというのは、上記のことを短い時間経験させるよい方法だと思っているが、万能ではないといったところだろうか。話がそれたが、またなにか気がついたことがあれば教えて欲しい。

2009-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20090223034908

元増田です。予想以上に反響があったのでびっくりしています。

普段だったらスター付けてお礼代わりにしてたのですが、増田だとそれが出来ないので、かなり蛇足になりますがちょっと書きます。

批判的な意見ばかりとりあげますが、別に反論したいわけじゃないので、そこんとこよろしく。

まず、id:next49さん。

「黙っているしかないじゃん」をどうにかしたい - 発声練習

http://d.hatena.ne.jp/next49/20090223/p2

と、そのリンク先も拝見いたしました。特に、

卒業研究修士研究時の悪循環を防ごう - 発声練習

http://d.hatena.ne.jp/next49/20081019/p2

は、もう自分のこととしか思えませんでした。つか、別に私が言及することもなかったみたいですね。

b:id:he-na-he-na この人は何のために院までいったんだろうか?

b:id:chnpk なんか全然知らない世界なので余計なことはいいたくないが、なにしに大学院なんて行ったんだろうというのが気になった。

はてブを見た後で自分の文章を読み直して、あ、これじゃ確かになんで博士課程に進んだのかさっぱり分からんと思いました。本題とは関係ないと思って書きませんでしたが、博士過程に進んだときのことも書いておいたほうがよかったですね。いろいろと複雑な事情もありますが、端的に言うと博士課程進学時に研究室を変更したからです。やっぱり変なプライドもあって研究から逃げたと思われるのもいやだったし、研究に対する興味自体がなくなったわけではありませんでした。単に教授とうまくいかなかっただけです。

研究室を変更したときは、

「やっぱり前のボスは、今のボスに比べるとやっぱ嫌なやつだったなぁ。」

とか、

「まぁでも人間関係なんだから人と合う合わないもあるよな。たまたまボスと私の相性が悪かったんだ。」

とか思ってましたが、今考えると単に私が未熟だっただけですね。たぶんどこの研究室でも同じことになってたような気がします。ただ、悪循環の中でうまくいかなったボスとちょっと距離を置いて、研究環境を変えてみたというのは結果的にはよかったと思っています。

たぶんどこでも、卒業研究は1年、修士が2年、博士が3年なので、それぞれの過程の途中で研究室を変わるのはなかなか難しいのは分かります。でも、それぞれの過程が終わった段階で研究室を変わることは、もう少し積極的な理由として、研究に対する視野を広めるという観点からも、もっと推奨されてもいいと感じています。私の場合、大学院進学時も所謂「学歴ロンダリング」をしているし、博士号取得後も同じ研究室に留まらず居場所をコロコロ変えてます。ちょっと乱暴な議論だけど、学振PDなんかは明示的に研究室を変更することを推奨しているし、最近転職流行ってるのも同じような理由だと思っています。

b:id:puchiban なぜやる意味のわからないことをずっとやり続けられるのかが不思議。なんのためにお金時間を使って大学院にいるのだろう?意味なんて見けるか、教授に聞けばいいんじゃないの?と思ってしまう。

b:id:haru666 研究目的が理解できてないって、空気嫁よ…。それが出来ないと何も物にならないんじゃないかね。僕の周りにもいるが、居ても邪魔になる。判断基準が育たない奴っている、でもそれを伝える事もまたアレだしな。

b:id:kkobayashi 研究が面白いかどうか、少なくとも面白そうかどうかも分からずに研究室に入る理由が理解できない。「単位取りやすいから」的な理由で入ったのだとしたら、いくら説明しても時間無駄な気がする

b:id:y-kawaz そんなもん大学で教わるものじゃないだろう?それが分からないような人は院なんていかずにとっとと就職でもしてればよいと思うよ、自分の為にも周りの為にも。

b:id:minoru-n ”間違ってることが分かっている”ならその部分を直して再度教授に問いかければいい/自分勉強するってそういうことでしょ?やることやってないで何を言っているの?

b:id:lestrrat 言われたからやってるんだ、って人はなんで大学院言ってるんだろう。大学院って義務教育だっけ。見切りをつけるのも自分責任なんじゃないかなー。

b:id:iflancy その教育お金を払う、ね…与えられたものでしかないとかいう人が博士に行くんだ…がっかり

もうほんとその通りだと思います。でも、ちょっと言い訳を。

分野によると思うのですが、私の分野だと、科学が発展しすぎちゃって最先端にたどり着くまでに大学教育だけでは間に合わない、ということがあります。修士課程入ったばかりだと研究会出ても宇宙語にしか聞こえない人がほとんどだったりします。ぶっちゃけると、大学卒業時で分野の研究の意義が本来の意味で理解できる人は皆無です。たまに超優秀な東大生にそうゆう人がいますが、数年に1人のレベル。それじゃ人が足りなくて、私みたいに無自覚でよくわからんけどなんか面白そうって理由で研究始めた人、もうちょっとモラトリアムでいたい、という人がある程度人数いるから日本最先端科学は保たれてるという側面があります。

研究の意義の理解」も先の「背骨」の話もいろいろ段階があって、単純に分かってる・分かってないの○×問題じゃないので、ちゃんと議論すると長くなりそうだし言い訳はこれくらいにしておきます。

b:id:lisagasu 自分でものを考えることを教えるって、大学先生仕事じゃないよ。

b:id:rajendra 大学院先生ならボクに自立心をインストールして下さい的な話。

b:id:takeshiketa 「背骨を与えきれない貴方教職として能力不足」ってこと?なんかおかしい気がするなぁ。商品を買うんじゃないんだからお金出して通ってるだけじゃ駄目だろうし、在学中に完璧になる必要もない。ていうか大学だぜ?

b:id:RM233 背骨を形成するパーツを与える、くらいじゃないかな大学先生に要求されるのは。それができてない先生もたくさんいるのは事実。でも背骨を丸ごとくれっていうのは酷だよ。

b:id:mitsuki_engawa 学部生ならまだ暖かい目で見られるけど、院生でこれはないわ。

すみません。書き方が悪かった。あれじゃ誤解されても仕方ない。

ブコメで補足してくださった方もいるけど、大学教育ってのは「背骨」を与えることなんだから、教育者としてはそれが達成されなかった理由を学生責任に転化しないで欲しい、というのが私が言いたかったことです。たくさんの学生を教えれば中には理解できない子がいる。それは仕方ない。でも、そこで先生が「わからないのは本人のせい」、とは表立って言わないで欲しかっただけです。だから、辛抱強く、と書きました。

b:id:metamix お金払えばなんでも身に付くというわけでもあるまい/教授なんて元記事の人くらいのドSでちょうどいいと思う、個人的には。人が育つには適度なプレッシャーは必要。

プレッシャーはあってもいいけど、フォローは大切だよね。筋トレと同じ。

b:id:yoshiyoc 教授学生弟子を取るのは、新しいアディアを「盗む」ため。一方、学生弟子教授権威などの恩恵にあずかっている。ただし、教授は寝首をかかれないように、弟子自分研究能力を見せつけないといけない。

これは明確に反対しておきます。学生にとって教授は、いつかこえなきゃならない壁です。幸いにも私の周りには弟子アイディアを盗もうとしている教授はいません。そもそも教授なんてほとんどが終身雇用保証されてるんだから、本人が成果なんて出す必要ないと思うんです。すくなくとも私がいる分野では、教授学生が出した論文数を含めて自分教育成果として評価されます。だから、教授は、人の成果盗んで自分論文書くくらいなら、アイディアをどんどん提供して学生にどんどん論文書かせた方がみんな幸せになるようになってます。そうでない分野もあるらしいと聞きますが、それがよいとは思えません。

b:id:nekora 教授実名なのにAnonymousときたら…

すまんね。自分ブログで書くと全然アクセスないのでスルーされるから。あと、こうゆう発言するとそれが付いて回るのがいやです。だって博士号持った人だと分かると、おっぱいおっぱい(AA略)、とか書けなくなるじゃん。書いてるわけじゃないけど。

b:id:carrion-crow 自分には教授が皆その研究重要で素晴らしいと思っているかどうかについて、増田氏ほど確信は持てないけど

自分研究がいかに素晴らしいかを説明できない人は、教授としても研究者としても失格だと思う。本当に素晴らしいと思ってるかどうかは知らんけど、少なくともそれを人に伝えられないようだと、現実的に研究費や研究室ポストを取って来れなくなるから困るんじゃないかな。

あと最後に、

http://anond.hatelabo.jp/20090223115758

b:id:kanose

ありがとうございます。

編集ページに「はてな記法が一部使えます」って書いてあったのですが、[URL:title]記法だとリンクにならないし、そもそも「一部」ってどれのことなんだよ、と思ってました。ちゃんと伝わったようで安心しました。

2009-02-18

修士研究ってうらやましい

http://anond.hatelabo.jp/20090218015853

卒論も提出して、あとは引越しの準備とかしないといけないのだけど、なぜか、研究室(とうか先生)の手伝いをすることになって、学会発表会で発表することになっちゃったんですよね。

研究内容は結構面白は面白いんだけど、なんというか、時間が足りない・・・。

卒業とか成績にまったくかかわらないことをやるってのもなんだかなーとか思わないこともない。でも、大学生活で一番大学らしいこと(?)だから、やり遂げたいとも思ってる。


、、これって修士課程の人がやったほうがいい気がするんだよな・・・(研究室修士課程の人いません・・・

http://anond.hatelabo.jp/20090218015853

具体的すぎてすまない。

私が思い出したのは、あるフォーマットに則って、化学物質の特性を記述していくという某研究室の噂。

何十種類の試薬と反応させてその記録をとるだけ。

ノルマで毎週論文を書くのだが、書くことは決まっている。

ここにはオリジナリティ研究目的存在しない。

もちろん物質化学特性を調べることに意味はある。

しかし研究者自我存在しない。

修士課程の段階は技術を磨く時期でもある。自分で考える機会を奪われるような研究しかできないならやめた方がいい。

2009-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20090215141559

修士課程も廃止。日本修士課程世界の中でもかなり独特で無意味制度博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。

修士形骸化しているのは認めるが

何故博士課程が5年から4年に減るんだ?

2009-02-03

卒論を書き上げた後、研究者を志す学生が初めにすべきこと

今まさに卒論の追い込み中って人、多いですよね? ラストスパート、頑張ってください。

さて、研究者を志してこれから修士課程博士課程への進学を考えている人はぜひ、卒業論文を徹底的に評価して貰ってください

論文は、書き上げただけでは意味がありません。必ず信頼できる人に評価して貰ってフィードバックを貰いましょう。 指導教官多忙ですし、沢山の卒業論文修士論文を受け取っているわけですから、自分からアクションを起こしていかないと、最悪の場合読んですら貰えません。

論文を評価して貰う時には『この論文を学術雑誌に投稿するためには何が足りないか』について意見を聞きましょう。 分野によっては非現実的かもしれませんが、研究者を志す学部4年生には卒論改善したものを一度投稿してみることをお勧めします。 無料自分研究について検討して貰えて、場合によっては大学院における研究方針まで示唆して貰える訳ですから、チャレンジするべきだと思いませんか?

指導教官は「この内容で論文投稿?まだ早いよ」などとあなたを門前払いするかもしれませんが、必ず『どこが悪いのか、何が足りないのか』を全て聞き出しましょう。 このとき、指導教官の力量や指導にかける熱意について見極めることを忘れずに。 全く取り合ってくれない指導教官ならば、将来的に研究室を移ることも考えていかなければいけないでしょう。

さぁ、明確になった課題を一つ一つこなしていき、すべてクリアしたならば思い切って論文投稿に挑戦しましょう! 研究に学年は関係ありません。 必要以上に学術雑誌を神聖化せず、ガンガン論文を書いていきましょう!

2009-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20090118064701

横から補足。

アメリカの理工系大学院Ph.Dコース(修士博士課程5年間)を合格すると、学費全額免除+TARAをやるってことで生活費支給がつきます。人文系はちょっとわかりません。地域によって違うんだけど、TA/RA物価が高い地域の場合、えーと、私のいる大学だと月に1900ドルぐらい出ます。そこから家賃光熱費を引いても手元に毎月700、800ドルぐらいは残るので、贅沢しないで地味に暮らすことはできます。

修士課程だけで出願した場合、良くて2年間学費半額免除、TAが2年間。全く何も免除がつかない場合もあります。ただ、入学してから成績がよかったり、RAのツテがみつかれば2年間のうち、1年間だけ学費全額免除、生活費支給になったりします。どっちにしても、誰か※がサポートしてくれるもので、学費は全額払うものじゃないって感覚

アメリカ大学院にいるとネックなのはキャリアフォーラムとか、結構就職活動の手段が限られること、インターネット情報集めても、日本の雰囲気がわからなくなること、さすがに2年間とかこっちにいると、やっぱり合理的すぎるアメリカ人感覚がはいってしまうこと。

私はアメリカにきてよかったと思ってるし、自分より優秀な日本にいる学生はいっぱいいるし、彼らはもっとアメリカ大学院に行ったらいいんじゃないかなあとも思うので、あえてこちらでの待遇について丁寧に書いてみました。

※誤解があるといけないので追記。ここで言う「誰か」に親、親族は入りません。誰か、というのは返済義務がない奨学金だったり、RAをくれる研究資金を持った教授のことです。アメリカでは、学費は自分で確保するもの、という思想日本よりも強いので、「将来有望な自分投資してください」と自分から奨学金をどんどんとりにいきます。ただ、アメリカ国籍がない場合、応募できるアメリカ国内の奨学金がすごく限られます。留学生である日本人の場合はRAを探すか、ごく限られた奨学金に応募するのが一般的です。

博士課程に進学する子供の素質を見極める、たった一つの冴えたやり方

『あんた、学振に通る見込みあるの?』と聞けば良いです。

まず、学振とは日本学術振興会特別研究員のことを指します。

特別研究員制度は、我が国トップクラスの優れた若手研究者に対して、自由な発想のもとに主体的に研究課題等を選びながら研究に専念する機会を与え、研究者養成・確保を図る制度です。 (特別研究員−日本学術振興会

採用者には年間100万程度の研究費と月額20万の「研究奨励金」という名の給与が与えられます。もし、博士課程1年から採用される特別研究員DC1)になれたなら3年間で約1,000万円が国から支給される、学生に取っては素晴らしい制度です。

ちなみに、平成20年度のDC1採用者数は698人です。つまり、最初の問いは以下のものと同義です。

『あんたは全国で700人の中に入る自信があるの?』

それでは息子(娘)の危険な反応について整理していきます。

  • え、学振ってなに?
    • 修士課程1年の終りになっても学振について知らないのなら、子供には進学を諦めて貰うべきです。環境が諦めろと言っている。
  • あれは学生の優秀さとは無関係だから。全ては指導教官政治力とかコネで決まるの。
    • 全力で博士課程進学を阻止しましょう。全く向いていません。子供には『いつまでも人のせいにしてろ、クズ』と言って目を覚ませてあげましょう。学生が本当に優秀なら採用されます。また、優秀な指導教官の下に付くことも立派な能力です。
  • ムリムリ。面倒だから応募もしないよ。
    • 確かに学振は難しいです。でも初めから諦めて採用されるための努力ができない人は研究者に向いていないので、やっぱり止めましょう。
  • ヨユーヨユー。楽勝だよ。あの先輩でも取れたんだし。
    • 日本全国全分野で700人ということは、自らの専門分野における自分指導教官能力が全国トップクラスでないと貰えません。『人生はそんなに甘くないぞ、バカ』と諭すべきです。いくら優秀でも、落ちるときは落ちます。

さて、勘違いして欲しくないのは、学振の結果が全てじゃないことです。「学振採用される=研究者として合格」でもないし、「学振に落ちる=研究者として不合格」でもありません。学生にとって一番大切な能力は、学振の結果に関わらず「研究一生懸命続けること」であって、今回の問いはその覚悟を少しでも見極めるためのものです。 子供が、

  • 学振には通らないかもしれないけど、どうしても研究を続けたいんだ。

と言ったなら、スネをしゃぶり尽くされることを覚悟して、子供才能に賭けてみませんか?

 

参考:息子(娘)の博士課程進学で親ができること (ちなみに自分は親ができる限りの仕送りをすることは反対です。研究時間の確保は大事だけど、子供ダメになると思う)

2009-01-17

読んでてフーン思って、

http://anond.hatelabo.jp/20090117074753

読んでてフーン思って、

どれぐらいの人数が博士課程へ進学するのか、

自分出身大学最近の数字を調べてみた。

私立の理系

 ・修士課程(博士前期って言ってたかもしれない)進学/学部卒業 = 約65 %

 ・博士課程(博士後期って言ってたかもしれない)進学/修士課程修了 = 約6 %

博士課程の進学者は思ってたより多かった。

学部卒の約4 %が博士課程に行くなんて。

ちなみに私は修士で、

いまは民間企業就職してます。

 

私が知っている(年齢の近い)博士は、

 ・学校研究室の先輩が、博士課程へ進学して1,2年で博士論文を仕上げた。

  今は独立行政法人研究職(もう管理職かも)で(博士論文の内容とは関係のない)仕事をしてる。

  学生の頃から自分でかなり稼いでて、おそらく親からの仕送りはもらってなかったと思う。

  私から見たら特殊な能力を持っている人で、

  学生の頃からアルバイトベンチャー企業研究開発みたいな事を任されていて、

  (アルバイト情報誌に出るようなものではなく、教授の人脈などによるもの。)

  そこで得た知見で無理やり(?)博士論文でっち上げることができるような人だった。

  テーマなんかなんであっても博士になってしまうような感じで、

  (良い意味で)博士号は単なる道具と捉えていたんではなかろうか。

 ・同期の修士が、公務員(今は独立行政法人かも)の研究職に就いてから、

  そこで仕事と密着した博士論文を仕上げた。

  おそらく仕事の一環として、ペーパー書けと言われるんだと思う。

 ・会社にいる修士が、1年休職して、

  ほとんど仕事とは関係ない博士論文を仕上げた。

 

経済学部博士まで行こうとした人がいるけど、

理系とはかなり様子が違うみたいだった。

 

修士まで行かせてもらって、

親には感謝してます。

2009-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20090116000210

文系理系

文系→進学するな.就職しろ

理系勉強する気があるなら,旧帝大とか東工大修士課程行け.東大の新領域とか狙い目.院試は有名大学でも難しくないから,今から準備すれば十分間に合う.

勉強する気がないなら,学部卒で文系就職だな.

2009-01-06

大学院修士課程人生ゲーム

大学院修士課程人生ゲーム」をつくって来年度入学してくる新一年生にプレゼントしようと思ってます。なにかアドバイスをいただけたらいいなと思い、こちらに書き込みさせていただきました。

基本的には、本業パラメータとして「論文+成績+教授の評価」を、一方社会的な評価として「生涯期待年収」「モテ」などのパラメータを導入し、「進学か就職か」のあのトレードオフ感がうまいことでるようなものにしたいと考えています。

当方経済学専攻のため、他専攻のアイディアの場合直接は使えないかもしれませんが、「先に就職した元同級生に『それやってなんか意味あるの?』といわれて凹んだ」など大学院特有のイベントに関するネタ、そのほかゲームの基本設計に関するアイディアなどいただければさいわいです。

よろしくお願いいたします。

2008-12-22

ちょうど、はてな村修士課程のみなさんは、修士論文で苦しい時期なのですよね。

研究者の道を諦めた方々にお聞きします。

自分は小さい時から生き物が好きで、自他共に認めるマニアです。そんな自分自然研究者を目指していました。大学に入り、目的とする研究室にも入れ、卒業研究を行うことになりました。小さい時からの夢が叶ったわけです。ただ卒業研究で少し躓きました。ありふれた躓きと今なら言えます。しかし好きなことで、いや好きであるからこそ、研究の苦悩は他人より大きく私に圧し掛かりました。実際に診断を受けたわけではありませんが、ほとんど鬱病と同様の症状になっていました。

私は心にしこりを抱えたまま修士課程に進むことになりました。そのしこりは大きな不安となり、自分の適性を疑い、将来もずっと研究を行っていく自信を失いました。博士課程に進めばその先が非常に厳しいのは、研究室の先輩方を見ていても明らかで、また夢見ていた職業だからこそ、自分のこのような迷いのある状態でやっていくのは難しいと判断しました。

なので突如やってきた不況の中で就職をしなければいけません。しかし未練を残し、他の選択肢という考えも余裕もなかった私には明確な就職先が見えません。それでも今現在、考えている先が少しづつ出てきてはいるのですが、出来ることなら悔いのない就活を行いたいと思いました。ホッテントリなどを見ている限り、はてなには参考となるような経験をもった先輩ユーザが少なくない数居るように思います。

そこでお聞きしたいのですが、研究者の道を途中まで歩んだ後、別の道を歩き始めた方の"その道"を教えていただけないでしょうか。はてブで100文字で簡潔にでも構いません。トラックバックで長文でも構いません。また、研究者の道をそのまま突き進んだ、という道でも構いません。色々な方の"道"をお聞かせください。

迷える軟弱後輩ユーザのためにお願いします。

2008-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20081218015243

>「そのために何が問題か」、「何をどのように改良すればOKか」というところはまだどうすればいいかわからない…です。

それを学ぶための期間こそが修士課程だからね。

そこを真剣に悩まずに、修士課程を過ごせてしまっている人よりも、

あなたのように、その問題をきちんと悩めていることのほうが修士課程の過ごし方としてすばらしいかもしれないよ。

単にがむしゃらにやってどうこう、というよりも、

「どうやればきちんと研究ができるのだろうか」「自分研究計画を作り込むためには、どういうものが参考になりそうでしょうか」

ということを、指導教官や、外部で自分と近い分野 もしくは手法を用いている研究者の人に相談してみるといいよ。

あと、研究計画を立てるためにはどうすればいいか、とか研究手法についてアドバイスしている本を読むとかね。

研究計画の練り込みに時間はかかっちゃうかもしれないけれども、

研究計画の練り込みにあなたが時間をかけることは決してむだじゃないだろうから。

それはたぶん、一生の財産になるよ。

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