2009-06-04

修士課程で挫折した人のお話

大学院生チラシの裏 長文ごめんなさい

「した」と言うより「している」が正しい。

修士課程、まったくうまくいっていない。

原因は全て自分にある。

家族尊敬している先生方、同期、先輩方に迷惑をかけてしまっていて

正直、そろそろ楽になりたい。

これから修士に進む or 修士に進んでいる人達
何かしらの参考になればと思い、2年間の体験談を残してみる。

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自己紹介

Fラン文理系大学修士2年生

私の大学では学部3年次に研究室配属、3,4年次は大学生活の中心が研究室での過ごすことになる。

  

大学院に進んだきっかけは学部研究室時代にいた修士の先輩方に憧れて。

教授との議論、後輩への指導、自分も「ああなりたい」と思った。

先輩たちと過ごした夜~朝にかけての研究時間はとても楽しかった。

  

けど、話は簡単には進まなかった。

学部時代にお世話になったA教授は他大に引っこ抜かれる事になり、

修士に進むには他の研究室を選択しなければいけなくなった。

A教授を追っかけて他大を受験してみたが、撃沈。

様々な縁があり、学部と同じ大学で、A教授学生時代先生のB教授の所で引き取ってもらう事になった。

  

  

修士1年

新しいB研究室に所属になり心機一転

まずは、B教授、B研の学生の信頼を得ようと努力した。

でも、何もかもが空回りだった。

失敗1.スケジューリング

まずスケジューリングから失敗した。

私の修士課程1年生の一週間のスケジュールはこんな感じ

授業:週9

ゼミ:週6

バイト:不定期

私の大学では1年が前期と後期に分かれており、

修士1年前期中に修了単位分を取ろうと思った私は授業を多く取った。

しかし、修士の授業は専門性が高く、ほぼ毎回、発表資料を作らないといけない為、

私はだんだんと、授業に追われるようになっていった。

  

また勉強会ゼミが週6つあり、(ひとつ大体1~3時間

その中の1つ「3年生の勉強会」は私の担当

毎週毎週のテキスト作りのお陰で徹夜連続だった。

元のAゼミに出なければいいじゃないか。と他研究室の同期に言われたが

自分研究をA教授に見ていただいている事もあり、

そんな事はできなかった。

  

そんなこんなで自分研究が疎かになった。

情けない話だ...

だけど、「自分なんかより努力している、苦労している大学院生はいる。」と自分に言い聞かせ

徹夜根性、土日、休日返上アタックで何とか前期は持ちこたえていた。

  

  

失敗2.新しく入った研究室での人間関係

新しく入ったB研究室にはC先輩がいた。

B教授からとても信頼されている先輩だった。

何時の頃からか、そのC先輩に嫌われている事に気づいた。

嫌われているといっても、仲が良かった期間があったわけではない。

私の思い込みかもしれないが、業務連絡以外で私に話しかけることはなかった。

話しかけても、「ええぇ、そうですか」の二言で会話が終わってしまう。

しかし、他の後輩とは楽しく喋っている。

  

所属しているB研究室で浮いているのが自分でわかった。

今までそういう経験がなかった私は非常に動揺した。

そしてB研究室学生よりも、前のA研究室学生達と交流する様になっていた。

元々、A研究室の後輩達は学部生の頃に共に勉強した事もあり、親しい間柄にあった。

  

今さら考えてみれば大失敗だった。

どんどんB研究室で浮いていった。

  

  

失敗3.報連相の欠如

夏に入り、後期が始まった。

後輩の卒論も本格的に始動し、更に忙しさを増した。

そんな中、自分研究がまったく進んでいない事に気づいた。

テーマすら形になっていない。何とも情けない。

そして、報連相が欠けていると注意された。

    

自分としては驚きだった、自身の休みを削ってでも後輩を指導できる様に努力していたつもりだった、

しかし、報連相、特に「相談」が欠けていたのは確かだった。

自分の力で何とか乗り越えようとしていた。

自分研究室で浮いているという気持ちから報連相が疎かになっていたかもしれない。

  

ここら辺から徐々に大学にいるのが辛くなってきた。

  

11月に入って、研究室全体でOB,OG研究発表する機会があった。

いそいそと発表資料を作っていた私だったが、前日になって、その企画を運営している後輩から

大学院生はA0のパネルを作って発表よろしくお願いします」と言われた。

詳しく聞いてみると私以外の先輩方は既に用意しているらしい。

正直、唖然とした。

ここら辺で何かが切れた。

「私って何の為に大学院に進学したんだっけ」と自問し、

結局その会にはバックれた。

それから大学に行かなくなった。

何もかもがどうでもよくなった。

その後は引きこもり

  

修士2年

修士1年前期に大量に授業取っていた事と

B教授のご配慮があり、修士2年生に上がれることになった。

恥ずかしい話だが、「私は心を入れ替え頑張ります」と言い努力していたが、

すぐ鬱になってしまった。

  

そしてそんなこんなで6月になり、

思い返せば修士2年間、何もしていない。

修士だから何かをしなくてはならない」と思い込んでいるわけではないが

本当に何もしていない自分に嫌気がさす。

努力すらしていない自分にとてもイライラする。

鬱という言葉を利用して逃げているだけかもしれない。

  

そんなこんなで私のくだらない人生はお終い。



最後に

これから修士過程に進む学生さん、進んでいる学生さん

私が偉そうに言える言葉ではありませんが、

是非、自分の将来のスケジュールをしっかりと作ってがんばってください。

こんな所で言うのもおかしな話ですが

id:next49さんのblogには何かと心の支えになりました。

ありがとうございました。

  • この程度で人生は終わらない。 前の研究室ではうまく行っていたんだから、運もあるんだろうな。

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