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2008-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20081217010329

なるほど。

楽天的に考えるためのお答えをいくつか返しておくと

就活ははったりで意外とのりきれる。その気になれば。「難しい研究内容にとりくんでいるため、現時点ではわかりやすい成果は見えていませんが、将来的には周りの連中なんざ、勝負にならないほど重要研究をしてますぜ」的な。あとは、研究内容とか、就活にとっては意外とどうでもいいことも多いからね。そんなに気を重くする必要はないと思われ。

・基本的に、「自分能力がない」と考え始めるのは、負のサイクルに陥って、憂鬱スパイラルなので、考え方をかえるのが無難研究というのは、研究者能力だけじゃなくて、研究課題の難易度や、研究している環境タイミングといった外部要因もかなり絡むので、あなたに能力がないかどうかは切り離して考えたほうがよい。難しい研究内容に取り組むと、どんな人でも時間もかかるし、どうしようもない。そこで、課題を「解ける課題」に設定しなおす能力研究者としての素質だったりするけれど、まあそれは修士課程なので、そこまで無くても仕方がない。修士課程ぐらいで、課題設定がさっくりすすむような研究をしている人というのは、基本的に、課題設定がしやすい枠組みがすでにできあがっている分野で勝負しているだけなので、別にそこで課題設定ができるのはそんなに偉いことではない。逆に課題設定がしにくい分野で、どう課題設定/研究計画を創るか、ということを考えることのほうが、ある意味ではよっぽど研究とは何か、ということの本質に関わる訓練をしていると言えなくはない。これは就活のときにも、おそらく重要で「すぐに答えが出るような問題に取り組んで、「作業」として研究をするのではなく、どうやってオリジナリティのある課題を、ほとんど何もないところからものにしていくことができるのか、ということに取り組みたいと思ってやってきました。そのことのほうが、よっぽどおもしろいし、よっぽど得難い試行錯誤だと思っています。もちろん、成果がでなければ、ただの若造のたわごとになってしまいますが、どうにかして、難しい分野で成果を出すための方法を模索していきたいと思っています。こうした経験は、研究だけでなく今後の多くの仕事において活かせるだろうとも思っています。」とか言えばよい。

まあ、自分が難しい分野にとりくんでいるのだ、という誇りを持てれば無問題

それが難しいのであれば、研究課題を変えて、教授の指導してくれそうなテーマとかで無難に変更したら、問題は解決すると思われ。

自分課題設定するのは大変だからね。修士一年のはじめ数ヶ月なんかで、自分能力に結論だすのははやすぎる。自分能力に関しては、もっと楽観的になっていいと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20081216181012

あまりここで書ける内容ではないのが申し訳ないのですが、やろうとしている研究は、ほぼ0からの立ち上げになります。

僕が在学している間に芽が出る保証はない。

さっきの日記はほぼ衝動的なものだから、もう少しちゃんと考えてみた…。

落ち込んでいる理由としては、

・2、3ヵ月前から、修士課程研究修論テーマ)の相談を具体的に始めることになったが、いまだにまとまらない

・それが同期全体ならいいけれど、テーマ決めで煮詰まっているのは僕だけであり、周りはどんどん先へ進んでいる。

(※同期には国際会議での発表×2とかいるし…。僕は卒論ネタで1回行くことができたのがやっと。)

・また、さすがに早いうちにちゃんとテーマ決めて、ある程度自分でちゃんと説明できなければ就職活動面接などに不利になる。

…落ち込んでいる理由は少なくともこんなところだと思う。

大学院へ行くことに決めたのは、モラトリアムが半分。

けれど、もう半分は「今やっている研究をもう2年(or 5年)続ければ、何か新しいことが分かるかもしれない。」という気持ち。

まぁ、このままじゃ、新しく分かったことは俺に能力がないということになりかねないけどね…。

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

2008-10-29

おばちゃんの男性経験

修士課程にいたころ、社会人入試で入ってきたおばちゃんがいた。

正確な年齢は尋ねてないけど、50代半ばから60前後くらいかな。

ある日、ほかの女子院生(学部からそのまま上がってきた人だから20代前半)とそのおばちゃんが雑談してたのを耳にしてたら

おばちゃん「あたしが同年代の友達に『いまの夫しか男性経験がない』って言ったら『え?』って言われたわ」

なんて話もしていたな。

太陽族より少し後の世代だから、貞操観も意外とゆるかったのかも。

2008-10-19

http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20081018/1224287687

に、

毎年5-6本ぐらいはペーパーを出し、ほぼ全て一流紙。

てすごい研究所の話が紹介されていて、私もすごいと思った。まだ修士課程なのでよく知らないんだけど、領域によってだいぶ年間の論文投稿件数は違うらしいじゃないですか。指導教員博士課程やポスドク助手の間は年3本かそれ以上書くもの、って言っていた。

神経科学、って分野だとひとりが一年間にかく論文はどのくらいなんだろうか。

物理とか化学とか実験系とか理論系とか、ってか学会レベルで平均投稿数が全然違うんじゃないかと思うんだけど、みんなどのくらい論文を書いているんだろうか。

誰か教えてくれるとうれしいな。

2008-10-09

非モテ諸君に告ぐ

この記事は非モテの10代、20代に向けです。

私は国立大学修士課程で、身長は181cm70kgで背の高い標準体型です。

趣味ゲーム読書、あるいは高校のときの友達とサッカーをすることです。

外見はよくナイナイ矢部とかミッチーに似ていると言われますが、

決してイケメンではありませんし不細工といわれたこともありません。

その証拠に、今までに告白された回数は10回程度で世の中でモテると言われている人たちには到底及びませんし、

もっと言えば、その中で私が彼女のことを知っていたのは2人だけで他の人はいきなり私の前に現れました。

さて、ここまで読んで私は生涯で付き合ったことあるいはエッチをしたことがあると思いますか?

答えは、一度も付き合ったことはなくエッチもしたことがない童貞です。

私の主張は次の2つです。

1つは、付き合うとか恋に落ちるとかということはその人のパーソナリティーよりも状況や運というものの方が重要だということです。

私は、自分で言うのもおこがましいとは思いますが有名な大学修士であり、成績優秀で見た目だって悪くはないはずです。

今まで法を犯したことは駐車違反ですらなく、健康的な大学生の典型だと自負しています。

しかし、私は研究室と家の往復をしており女性と会うのは地下鉄ぐらいのものです。飲み会合コンには消極的に参加する人間です。

つまり、非モテを自負している人はこうした「異性との関わりが極端に少ないという状況」にあるのではないでしょうか?

同じクラスに異性がいるというぐらいのことは関わりがあるとは言いません。

自問自答してみてください。

「私は今日異性と何をどこで話しただろう?」

ひょっとして非モテを自負しているあなたは一度も異性と会話を交わしていないんじゃないでしょうか?

もしこれが原因だと仮定するなら、あなたは「異性との関わりがある状況」に自分の身をおくと非モテ改善するかもしれません。

例えば、異性の多いバイトであったり、飲み会合コンがあるようなサークルやそういったイベントに積極的に参加することで、

付き合うという目標を達成できるかもしれません。

ただし、人付き合いというのは一朝一夕で変われるものではありません。服装、髪型、話し方、振舞い方を社交的にすることも大切です。


2つは、付き合うことを神聖視あるいは非常に困難なことだと「思い込んでいる」あるいは「信じている」ということです。

思い込むと信じるというのは少し意味合いが違うので分けました。

私はどちらかというと付き合うことを神聖視しています。相思相愛彼氏彼女見えざる手によって、互いに惹かれあい恋に落ちるというロマンチック妄想を抱いています。

しかし、現実はどうでしょう?

あなたの周りで付き合っている人たちは「友達の紹介で」「なんとなく」「告られたから」「かわいいから、かっこいいから」「合コンで知り合った」といった理由の人たちのほうが圧倒的に多いはずです。

あなたが醜悪な容姿で悪逆非道な性格といった決定的に魅力のない人間であれば話は別ですが、街を歩いていて「あれ?あんな可愛い子となんであんなゴリラみたいなやつが付き合ってるんだ?」と思ったことはありませんか?

あるいは「なんであんな勉強しかできないガリ勉の癖に、俺よりモテるんだ?」とか「あの子、大して可愛くないのに化粧もしてないし痩せてないのに、イケメンとばっかり付き合ってるの?」と疑問に思ったことがあるはずです。

これは彼らや彼女たちは付き合うことを神聖視などしておらず、あるいは困難なことだとも思わず、ただ「付き合うこと」が目的なのです。

もちろん彼らは、1つめの要因の「異性との関わりがある状況」にあったことは言うまでもありません。

そのような付き合い方は決して低い次元とか不純とかといったものはでなく、一般的な恋人の作り方の一つです。

しかし、非モテはそうではありません。

付き合うことは宇宙飛行士になるのと同じくらい難しいことだと思い込み、付き合うのは相手に告白されてからなどいろいろな付き合うためのルールを自分で設けます。

その結果は明らかです。

まとめとしては、非モテを自負している人はまず

1. 自分を異性と関わりのある状況におく

2. 付き合うということを難しいことだと思わず、自分でルールを決めない

の2点を改善するだけあなたの付き合うという目標は達成に近づくでしょう。

この記事を書いたのはこういった色恋沙汰の記事が多く、どうしても書きたかったからという単純な理由であって、

私の専門は経済学なのでこういった社会学はまったく知らない分野です。

なので、これは経験則に基づいているので学問的な議論はその筋の方がしてくれることを期待しています。

推敲もせず投稿しますがお許しください。

P.S 私は今後も当分彼女はできそうにありませんし、ひょっとしたら結婚もできないかもしれませんが、人生楽しいですよ。

   みなさんも非モテを悲観せずに、今しか出来ないことをやるのも一つの生き方だと思います。

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