はてなキーワード: 論理学とは
俺はむしろタイトル見た時点では「まあどちらかと言えば女性にそういう傾向があると言われればわからなくもない」くらいに思ったけど、本文読んで論理学の悪用に心底腹が立ったよ。
これはフェミにも言いたいんだけど、学問を悪用するのはいい加減やめないか?
【追記】
「女はそうだ」と「女ならばそうだ」は違う命題だけど、
元の文はどっちとも取れるので、
仮に「女ならばそうだ」という命題が真だと言ってるとすると、
(A→Bの真偽値表から)「男(女でない)ならばそうでない」も真になってしまうわけで、
でもそれはさすがに偽だから、
推定はどこまで行っても推定なのに、勝手に自分がすごくそう思う!だけを根拠に事実化しているし
論理学の初歩が通じないし、Wikipediaに書いてあるような詭弁での反論ばかりだし、書いてないこと読み取ってドヤってるし、事実を丁寧に扱わないしなんか根本的なルールが違いすぎる
原始人の生活が好きなら山奥にでもこもってれば?
まあ、日常生活で「論理学」をやたら持ち出す人間は形式科学の何たるかを理解してない馬鹿だという自己紹介だと思って生暖かい目で見守っていればよろしい。
こちらの文章を一言一言ゆっくり噛み砕いて何度も読み返していただければ、ご自分が何をどのように勘違いしていたのかご理解いただけるかと存じます。
読み飛ばしがないか。勝手に行間を補完していないか。目の前の私ではない別の誰かを背後に透視していないか。答えを急ぐ必要はありませんので、ご自分の頭で考え直してみてください。
原始人の生活が好きなら山奥にでもこもってれば?
まあ、日常生活で「論理学」をやたら持ち出す人間は形式科学の何たるかを理解してない馬鹿だという自己紹介だと思って生暖かい目で見守っていればよろしい。
1.数秒で思いつける安直なコメントで「はい論破」と片付けられるのが嫌だったから
2.「バリアはったから無敵な」の理不尽さが面白いと思ったから
3.文章だけ読むとたしかに「命題の否定」という意味の「反論」にはならないから(ただしこれは論理学上の正しさを悪用したズルであり、ある種の釣り)
4.男が悪役を好きなことはあるのは当然そうだけど、それは女が悪役を好きになる様態と質と量が異なるのに「好き」の一言で片付けるのはあまりにも大雑把だから(「偏愛」の語に含意した)
5.↑に上げたことを事細かに話すのが面倒くさいし、上記のことをいうような人は恐らく「オタク界隈に余り触れてきてなくて肌感を持ってない、いっちょかみのインスタントな人たち」で説得するのは無益だから
実際のところ私は「(男と比較して)」という前提をおいていました
そのため「男も女と比較して同程度にそうだ」というのは実は反論になっています
こんな記事を読んだ。なんとなく嫌な予感がしてブクマコメントを読んでみたのだが…
案の定、「男もそうだ」が連呼されていた。いわく、反論になってるだろ、らしい。
「男もそう」かも知れないし「男はそうでない」のかも知れない。筆者は男性について何ら主張していないんだよ。
「女はそう」の否定は「女はそうでない」だ。これを直接証明できないなら対偶「そうでないなら女でない」の否定「そうでないなら女だ」を言わなくちゃならない。何にせよ「男もそう」は無関係の主張ですよ。
こうした知識は理系の大学なら論理学の講義で最初に習う。興味のある人は調べてみてほしい。図書館でよい入門書が借りられるはずだ。
私は常々、論理学を義務教育の授業に追加したほうがいいんじゃないかと思っている。
現代は、ネットで赤の他人同士が出会い頭に議論をはじめる、ソクラテスが生きてたら感動するのは間違いなしの、知的交流が盛んな時代だ。会話をスムーズにするためにも皆んなが論理学を知っておいたほうがいいのではないか。
追記・
・・・一部には閉口してしまったのだが、まさしくシンプルにこれでいい。
人は死ぬ
あんたは一体、なんなんだ
論理構造が保持するのは前提となる命題の確らしさを基にした説明力であって、説得力を増やしたり減らしたりするものではない。
例えば三段論法は(論理学的な意味で)トートロジーなので、その帰結の確らしさ、健全性(説明力)は、前提となる各命題の確らしさ、健全性をそのまま保持する。
トートロジーな推論規則に基づいて演繹した帰結は、前提となる命題の確らしさをそのまま受け継ぐ。
トートロジーな議論が確らしさを増やしたり減らしたりすることはない。前提が真なら、トートロジーな推論規則によって得られる帰結も真である。
しかし前提が真の命題からなるトートロジーな推論が、説得力をも持つかはまた別の話だ。
つまり、最も厳密な論理構造はトートロジーだが、トートロジーな議論そのものは説明力を増やさない。トートロジーな議論は前提となる命題の確らしさ、説明力を保持する。
一方、説得力は言葉遣いによって増やしたり減らしたりすることができる。
論理構造に問題がない(または、問題としないと決めた)のならば、ある議論をより良くするためには、言葉尻を修正して説得力を増やすなどの改善を考えるべきである。
自分が女性である→「女性の意見はこうである」を否定することはできる
自分が女性である→「女性の意見はこうである」を肯定することができる
自分が女性である→「男性の意見はこうである」を否定することはできる
自分が女性である→「男性の意見はこうである」を肯定することができる
これらのうち、本当にできるのって一番上しかないじゃん
なのに全部できるなんて言ってるのはただの分かった気になっている思い上がりに激しい人
あの漫画、そう言う意味でも結構恥ずかしいしそれを分からずに「自分の価値観と照らし合わせて」なんて「私はこう思う!!だから男性の考えは私の思っている藁人形の男性が正しくて、お前ら男性の意見なんて間違っている!!」と言ってるだけなんだって