はてなキーワード: 漁業者とは
欧州では、漁獲制限の枠組みが発展しており、共通漁業政策(CFP)に従って、
推定される魚の全体量から獲ってよい魚の量を決めた上で、それを各国の漁業者に割り当てている。
乱獲によって漁獲量が減りつつあったんだ。
そして最初に漁獲制限を導入した時は、漁業者が猛反対したのだけど、政府が無理やり推し進めた結果、
漁獲量が自然回復したので、漁業者も賛同するようになったという経緯がある。
日本国内でも、何度も漁獲量制限の話しがいろんな魚種で話題に上がるけれど、
それが何をしているか、という産業形態ではなく、どの文明段階でそれが行われるか、という歴史的段階で別れてるから仕方ない。
仮に漁業が運送業だとするとたぶんサービス業で三次産業だということになるんだろうけど、そうすると漁業は先進国でしか行われていない産業だということになってしまう。
第一次産業、第二次産業、第三次産業は、それぞれ文明の発達段階によってこういう産業が行われるようになります、というのであって、どういう事業をしている仕事をこういう産業に分類しましょう、ではないのだから、仕事のタイプと産業分類への振り分けが一致しないのは仕方ない。
(養殖を除けば)確かに漁業者は魚を作っちゃいないわけだし、そういう着眼点は無かったから素直になるほどと思ったけど、最低限彼らが林業農業と並んで「第一次産業」であるのは上記のような理由がある。
でも、例えば、まあ仮にだが、友達が梨狩りに行ってきてそのおすそ分けを貰う時に「○○の梨は今年は天候が良くてとても甘いから、是非楽しんでくれ」と言われるのは、確かにおすそ分けしてくれる友人は生産者ではないがこの一言はあっても良いように思う。とすると、生産者しかモノを紹介しちゃいけないってのはやっぱり変な話のようにも感じられる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20140109/k10014362801000.html
専門分野と言っても語弊がないですが,漁業管理に取り組んでいる人ではありません.
これは至極まっとうで,おそらく水産庁もそうしたいはず.ただ,実際に「禁漁+罰則」にするのは事実上不可能.一番大きな問題は混獲.例を出して考えてみよう.資源が比較的余裕のあるカツオ漁をしていて,そのなかにクロマグロが混ざって採れた場合,罰則規定があるとどうなるか.間違いなく,漁師はクロマグロを海に捨てる.海に捨てても生き返らないし,弱っているクロマグロが生きていけるほど軟な環境ではないから,一度捕ったものを捨てるのは資源保護の観点からほとんど意味が無い.なので罰則規定を作っても非常に効果は薄い.禁漁についてもほとんど一緒.クロマグロとほとんど同期・同所的に採れるけど,資源量が多いメバチ・キハダマグロも捕れなくなるのは当然漁師側からの抵抗が大きいし,費用対効果が薄い.だから,これはの政策は事実上不可能.これからも分かるように漁業管理システムの構築と維持は実に大変.漁業者にも高いモラルが求められる.
水産業会はかなり特殊で,近代法の成立以前から慣例法が存在し,現状でも守られているから,末端まで水産庁の管理が行き渡るわけではない,むしろ,水産庁は新参者.それに加えて,都道府県の力も結構大きい.例えば,各都道県に水産試験場があって,発言力はかなり大きい.ここで共通の理解が得られないと,浸透していかない.
水産資源管理は,クジラもそうだけど,守るだけではだめで,それをどうお金に変えていくかが目標.(究極的に言えば,守る役割は水産庁の仕事ではない).だから,捕れるところではきちんと捕るというのが極めて重要視されている.ただ,残念ながら,クロマグロはそこまで生態が分かっていない.いつどこで卵を産むかはわかっているけど,そいつらがどこでどう育つかは全然分かっていない.多産卵魚なので,初期減耗が大きいわけなのだが,その初期減耗がどういう要因かまで全然分かっていないから,ここのマグロは獲ったら致命的とか,そうではないとかという判断が全くできない状態にある.というわけで,ここはきちんとした管理体制を敷こうとするなら必要なところではないかと考えている.
これはクロマグロはなるだけ食べないようにするしかない.メバチ・キハダも美味しい.あと,クロマグロを無闇矢鱈に重宝がらないような姿勢も大事.その意味では,築地の初競りで大間のクロマグロが…という報道は,個人的には資源保護の観点ではよろしいとは思わない.
「なぜ沖縄だけ」 地元、県内2案に反発 普天間移設最終調整
有権者を侮辱/公約違反だ/断固阻止する
【北部・中部】米軍普天間飛行場の移設問題で、衆院選前に「最低でも県外」とした鳩山由紀夫首相が、関係閣僚とともに、県内2案を軸に最終調整することが明らかになった。移設先に浮上している名護市、うるま市の住民らは一斉に反発。公約違反を厳しく指摘する声も上がった。
辺野古区の普天間代替施設等対策特別委員会の古波蔵廣委員長は「政府は地元の現状も知らずに頭の中だけで案を作っているのではないか。陸上案は自然を破壊する。断固阻止する」と声を荒げた。
ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「首相がどんな言い訳しようが、公約違反に変わりはない。期待した有権者を侮辱する行為。衆院を解散し、民意を問い直すべきだ」と批判した。
25日に市民総決起大会の開催を予定している、与勝海上基地建設計画反対うるま市民協議会の兼城賢次共同代表は「辺野古沖がだめなら与勝海上にというふざけた話はない。他県が受け入れられないのに、なぜ沖縄だけが押しつけられるか」と反発。
1999年、津堅島東海岸への移設に反対する住民団体「ヘリ基地に反対し、島を守るチキンチュの会」の会長を務めた宮城貞雄さん(77)は「東海岸の漁業者に相当の影響を及ぼす。政府は移設をやめるべきだ」と訴えた。
日本政府の捕鯨の一番の目的は何ですか?オーストラリア政府、グリーンピース他か...
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110803096
本当の目的は…水産資源を守り、日本の食糧資源を確保することにあります。
食糧自給率の低い日本ですが、幸い漁場には恵まれていまして、海からの食糧供給はある程度望みが持てます。
科学的でも論理的でもない捕鯨禁止を看過すれば、他の水産資源も捕鯨問題と同様の事態になりかねず、
今でも自給率で問題がある日本の食糧資源は、さらに他国に頼らざるを得ないことになります。
つまり有事の際、食糧を日本に販売しないという政策を他国に取られれば、内容に関わらず言いなりにならざるを得なくなるわけです。
# 本音で言うと、関係者は捕鯨再開で日本の文化を守る云々という非現実的な夢など見ていません。
外交上、著しく不利になりかねない食糧問題の象徴が捕鯨で、日本政府として絶対に譲れない問題なのです。
国際外交をモラルを持った賢人が集まって決めているような幻想を持たないで頂きたい!(当然、経験者です)
捕鯨問題は日本の高度経済成長を疎ましく思った勢力が、人種差別的な反日キャンペーンを張ったことから持ち上がりました。
別に日本人が野蛮な人種であることを世界にアピールできれば、捕鯨でも何でも良かったわけです。
さらに水産の資源問題で圧力を掛けて畳みかければ、世界トップレベルの技術力を持ち、世界最大の日本の水産市場に大打撃を与えることができるかもしれません。
日本の貿易黒字の増大を憎む人々が、日本経済を脅かそうと放ってきた問題だったわけです。
当然国内の大反発が予想されたのですが…工業製品の輸出で利益を受けている人々が問題を大きくしたがらなかったため、
国内世論が割れ、水産庁は国家が一枚岩となっての効率的な手を打てず、漁業者は一方的に損害を受けました。
200海里経済水域なんて、今では当たり前に思われているかもしれませんが、これも日本を標的とした世界の国家間の取り決めです。
それでなくても、捕鯨問題を持ち出されるだけで、日本としては諸国にODAをばらまかざるを得ないのです。
もし今まで看過すればどうなったでしょう?10年以上前にマグロが制限を掛けられていたはずです。
英語で魚のことをプアミートと呼びます。
他国では、魚が食べられなくても肉を食べればいいや…程度の扱いなのです。
魚を食べる社会の底辺の人々のことなど知ったことではありません…と。
文化的な側面も考えてみて下さい。
ペリーが黒船で来航し、日本に開港を迫った理由は捕鯨基地が欲しかったからですよ。
当時の女性のスカートに鯨の髭が使われていたのです。肉は海に捨てていました。
これにより鯨資源は減少しました。
また、敗戦直後の日本人にタンパク質を提供するために、漁師さん達が命懸けで捕鯨を行ったのです。
歌のサビの一部にもありますが「生きて帰らん、望みは持たじ」です。
ちなみに、捕鯨問題で国内がごたついた際、漁師さん達からは「裏切られた」と水産庁は責められました。
捕鯨問題の最先鋒であるアメリカでは、絶滅の危機にある北極鯨を捕鯨問題から外し、現在でも捕鯨しています。
一方で、資源として増えすぎ、他の水産資源を減らす原因となっているミンク鯨などは、捕鯨が許されていません。
あまりにも不公平で異常である状況にお気付き願います。
捕鯨問題が持ち上がった時点で、減少している鯨資源に関しては、日本政府としては保護の立場を取らざるを得ませんでした。
減少している種類は、保護すべきという立場ですし、領土問題が中国,韓国,ロシアとの間にあるため、
EEZ(経済水域)が事実上設定できない(相互乗り入れ海域)と、資源保護に関して頭を抱えています。
でもですね、こと水産問題に関しては、この国は本気で取り組んでいますよ?ODAの内訳でも見てみればよいです。
さしあたってはマグロですし、次は中国を叩くために、サメのキャンペーンが張られますよ。
FAOも国連も一切活動していない海域、しかも私達が水産資源管理庁の頂点にいる、そういう国で、のうのうとサメの漁獲量が減っているグラフなどが発表されるのです。
日本を支持した大臣の首がすげ替えられ、協力者が失踪する…外交戦の裏側です。
盲目的に他国の宣伝を信じ、自分自身の首を絞めることに荷担しますか?
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090525/1243237413
核攻撃を口にしたのは現地司令官のマッカーサー、大統領はマッカーサーをそのことで更迭したので
北朝鮮の一般人が大統領と司令官を一緒に考えるのは、まあ仕方がないかもしれないけど、
映画を見ていないというわりには内容を熟知していたので、私はちょっと驚いた。
映画を見ていなくても内容を熟知していることに驚くなんて、こいつニートか?
いや、今の日本に住んでいるのなら、ニートだってネットから情報を得て
ネット環境がおそらく乏しいだろう北朝鮮であっても噂で内容が広まっていたって少しもおかしくない。
むしろ映画を見ていなくても知ったふうに内容を批判する行為に反発しないのは、
日本の卑怯な連中の感性そのまま。だからこんな駄文を書くのだろうけど。
ひとりの女子学生が、私たちにこんな質問をした。
きちんと公平に返答するのなら、俺なら
「儒教文化の「仲良くしよう」と、近代文化の「仲良くしよう」とでは、込められた意味が全然違うのです」
だな。
続けて朝鮮新報(朝鮮総聯機関紙)の平壌支局を訪問した。そこで初めて支局長から「今日、核実験に成功したそうですよ」と聞かされた。昼のラジオと夕方のテレビで、短いニュースが流れたという。
1998年のミサイル/人工衛星発射騒動のとき、北朝鮮内で日本のマスコミを招待して、拉致事件の説明会を行っていた。会見が休憩しているときに記者たちが日本の本社から騒動の連絡を受け、担当者に
「ミサイルが発射されたようですが、どういうことなんでしょう?」
と詰め寄ったが、あいにく担当者は外交部の人間であり、軍部から発射についての連絡が何も来ていなかったので、全く答えることが出来なかった。
日本の記者団から教えられるまで外交部だって平穏だったことを考えれば、もっと知らされていない平壌の街が平穏だってなんらおかしくない。
「北朝鮮の核実験に反対する」と口で言うのはたやすいが、日本がアメリカの核の傘の下にある現実を省みれば、その声はうつろに響く。彼らは言うだろう。朝鮮人以外の誰が朝鮮の安全を守ってくれるのか、と。
アメリカの核の傘に守られているのは外国からの直接攻撃についてであり、拉致や暴行、領海侵犯のような嫌がらせレベルには全く守られていない。
あと、日本が強硬手段に出られないのはアメリカよりも経済・貿易事情を考えているからであり、
対北朝鮮どころか韓国占領下の竹島に行動が移せなかったり、韓国が日本人漁業者を拿捕暴行働いたときに直接行動出来なかったのも、
「費用対効果を考えると割に合わない、交渉でなんとか解決しろ!」
という世論が幅を効かせているからだ。
日本政府だって実力行使が頭をかすめたことは、当然あるだろう。しかしそうなったら株価がどれだけ暴落するかを考えて実力行使を放棄するのが自然。
「正論だけ言っても誰も動いてくれない。主張しなければ認めたことになる」
という意見にも口を噤まざるを得ない。日本という国は「舌戦であっても揉め事を嫌う」連中に拘束されている。
が、この駄文書きの主張している「朝鮮人以外の誰が朝鮮の安全を~」というメンタリティは、
おそらく本当のことであろう。
http://anond.hatelabo.jp/20080828130937
外務省の安全情報は役に立たないという風に捉えた人もいたようです。
私が言いたかったのは、リスクの高い土地で暮らし働く人にとっては、
海外安全情報「だけではなくて」非常に複雑な要素が絡んでいるということです。
ま、ほとんどの人にそう理解してもらえたと思っていますが。
ところで、今回の一件で「自己責任論」なるものを目にしました。
伊藤さん救出のために税金が使われた。その税金は俺が払ったんだ、という話です。
リスクを承知だったのだから騒ぎすぎるなと。ほっとけと。そういう話も目にしました。
(確かにテレビは騒ぎすぎかもしれませんが、「報道すべき内容」には変わりません)
この論理展開の仕方、なんだかいろいろなところで耳にします。
そうそう、そういえばこーゆーのと同じです。
「将来は年金もらえなそうだから俺は払わないよ。いいでしょ?どうせ俺の金だし」
「私NHK見ないから受信料は払わないよ、いいでしょ?どうせ見ないし」
「原油高で漁業者が困ってる?支援なんていらないよ。俺は魚なんて食べないからね」
この手の論理は自分と対象という二点でしか物事を判断していません。
その二点だけをクローズアップすれば確かに正論かもしれませんが。
もうちょっとトータル的に見て、多面的に考えてメリットを判断するべきだと思うのです。
(上記の例に異論や物言いがある人も多いと思いますが、あくまで「論理展開」の話ですのであしからず)
ペシャワール会のようなNGOは政府を「頼み」にしていたわけではないと思います。
ちょっと見た限りでは、援助金も受け取らずに活動をしていたようですし。
ただ、本当に一大事になったときに、日本国政府が邦人の安全確保に全力をあげないで、
果たして誰が安全確保に乗り出すのでしょうか?ペシャワール会ですか?
彼らは決してアフガンのため「だけ」に働いていたのではないでしょう (少なくとも結果的に)。
彼らの働きは、日本という国の評価、信頼、名誉にも繋がる活動です。
海外へ行ったときに日本人と言うだけで信頼してもらえたり良い待遇を受けたことがある人も多いでしょう。
今までに多くの日本人(や日本の製品や文化)が海外で高い評価を受け続けていることも理由のひとつだと思います。