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2017-05-18

テクノミュージックに詳しい人来てくれ

誰かこの歌聞いたことある人いたら曲名教えてくれ。

さっき夢の中で流れた曲耳コピしたんだけど確実に現実で聴いたことがある。

イントロロボットっぽい声があって、サビがこれ。

MIDI自作する時間が無いかアプリで堪忍な。

https://twitter.com/NextYamada/status/864979808358236160

2013-02-18

海賊FMラジオのこと

※この話は実話を元にしていますが、あくまフィクションです。

大阪1994年の春頃。俺は15歳で高校受験の年だった。

当時は、勉強しながらよくラジオを聞いていた。友人たちがよく聴いていたのはAM放送のほうだったのだが、音質も悪くて、トーク主体番組が多い気がしてどうも性に合わず、俺はもっぱらFM放送を聴いていた。

あの頃の大阪FM放送といえば、5年前に開局した80.2MHzFM802が斬新な放送スタイルで一大ムーブメント形成しており、FMが流れている店は大体FM802チューニングされているといった風潮だったが、洋楽主体とはいえ基本的チャートインするようなメジャー楽曲ばかりを流す802は俺には物足りなかった。

なにしろその頃の俺はYMOを経て電気グルーヴを聴き始めた頃で「テクノ」と名のつく音楽に飢えていたからだ。

ネットもない時代サブカルに半分足を突っ込んだ引っ込み思案の中学生には情報もないし、それを補う行動力もない。しょうがないのでCDレンタルで、とにかくそれっぽい音楽を、BUCK-TICKカシオペア姫神、ようするにシンセが使われている音楽ならなんでもいい、といったところまでストライクゾーンを広げて、片っ端から聴いて、なんか違うよなあ、と思いつつ、飢えをしのいでいた。


そんな時、周波数75MHz付近ラジオ放送欄に存在しない局が存在することに俺は気づいた。

音質はかなり悪く、兄から受け継いだ馬鹿かいラジカセアンテナ限界まで伸ばしてようやく視聴可能というその謎のラジオ局は、だいたい19時頃から受信可能になり、深夜3時頃にぶっつりと止まる、明らかに海賊ラジオなのだが、俺はすぐさまその局に夢中になった。

なにしろ、その局は、俺が全く聞いたことも無いようなレイブテクノばかりをCMトークも無しにノンストップで延々と再生しつづけるという、まさに狂気ラジオだったからだ。


それからというもの、家に帰って飯を食うと、勉強と称してそのラジオを聞くのが日課になった。

そのうち、音楽の合間に海賊ラジオの主とおもわれる若い男のコメントが一瞬はさまれる事に気づいた。

彼は「○○MHzバンブーラジオ」とだけボソリとつぶやくとすぐに次の曲をかけた。

バンブーラジオレイブテクノの垂れ流し(いわゆる今は中古CD屋で100円以下で叩き売られているジュリアナコンピのようなノリと思ってもらえば良い)は、それほど当時の俺の嗜好に合っていたわけではなかったが、TUTAYAで借りたチックコリアよりはよっぽどテクノっぽかったし、中には心の琴線に触れるような名曲もあったのだ。

その度に俺は、この曲は何という曲なのか、どこに行けばこの曲が入ったCDを買えるのか、切実に知りたかったが、なにしろ曲名を読み上げもしないバンブーラジオなのだ。それを知ることはできなかった。

そんなある日、いつものようにバンブーラジオをかけると、珍しく人の声がした。おそらく生放送で、バンブーラジオ局の主とその友人とおもわれる若い男が二人で楽しそうに会話している。

会話は主が友人に海賊ラジオを始めるよう勧誘する内容で、

FM放送なんて簡単だって日本橋でパーツ買ってきて、ちょっと改造したらええだけやん。3万もあればできるで」

みたいなことを言っていた。俺は、個人FMラジオを開局するという、そのとんでもない発想に興奮し、乗り気でない友人に替わって、自分にその方法を教えてもらえないものか、とすら思った。


ダベリ放送は延々と続いていたが、日付が変わった頃、主が

「そうだ、リクエスト受け付けてみるか」

と言い、おそらく主の自宅の電話であろう、電話番号を読み上げた。

俺の胸は高なった。「同じテクノ好きな人間と話すチャンスかもしれない!」

電話番号をメモしたものの、しかし、実際に電話をかけるとなると、躊躇した。俺は無知なただの中学生で、しかも主のかける曲名、ましてやそのジャンルが何というのかすらまったくわからなかったからだ。(当時はディスコでかかるような曲、という程度の認識だった)

リクエストしようもないし、そもそも俺が知りたいのは、いつもかかる曲の曲名のほうなのだ

そんな質問をするために自分電話していいものか…さらに言うと、携帯もない時代に、固定電話のある真っ暗な居間に降りていって、見知らぬ、それも違法めいた事をしている男に電話をかけるというのも、何かすごく悪いことをするような感覚があった。もし電話しているところを厳しい母親に見つかったら、と想像すると、俺の興奮は急速に冷めていった。


ラジオの向こうの電話は鳴らなかった。

正確には一回だけ鳴ったが無言電話だった。もちろん犯人は俺ではない。

そのうち、主とその友人も飽きてしまって、元のノンストップ放送に切り替えた。

残念な気もするが、まあ、また機会もあるだろう、俺はそう思って納得することにした


バンブーラジオはその後も放送を続けていたが、やがて、いつもの時間でも休止していることが多くなり、放送があっても、まったく関係ない、違う個人運営ラジオ放送素人くさい女DJJ-POPトークの合間にかけるといったもの)を中継していることが多くなった。

季節は冬になろうとしていて、受験本番の日が近づきつつあった。

ある時、習慣でバンブーラジオラジオを合わせると、聞き慣れたレイブテクノが聞こえた。

ああ復活したんだな、良かった。

と俺は思い、そのまま聴き続けたが、合間にいつも主がはさむ「○○MHzバンブーラジオ」の名乗りに変化があった。

「○○MHzバンブーラジオ。今夜が最後です。」

俺は驚愕して、眠い目をこすりながら放送を聴き続けた。深夜2:00頃だろうか、音楽ふいにフェードアウトし、主のボソボソ声に切り替わった

最近忙しくて、ちゃん放送ができなくて申し訳ない。この放送は、○○(大阪地名から放送してるんですが、なんかどうも電波岸和田あたりまで届いてたらしいですね。どれぐらいの人が聴いてくれていたかは知りませんが、今までありがとうございました。」

放送を辞めるのは、神戸に引っ越すからで、そこでも放送を続けるかは正直わかりません。やりたいとは思ってますけど、設備問題もあるので。」

「ではそろそろお別れです。スイッチを切ったら、屋根アンテナ外して、これでバンブーラジオは本当に終わりです。」

そして、数秒のブザーの後、放送は止まった。ヘッドフォンからホワイトノイズが流れていた。


あの時、電話しとけば良かったなあと俺は少しさびしくなったが、実は、その時にはそれほど感慨はなかった。

なぜなら、俺は既に電気グルーヴテクノ専門学校シリーズを手に入れて、自分好きな音楽クラブテクノミュージックというものであることを知ることができており、またテクノ専門学校セールスがそれなりに良かったのか、ソニーミュージック海外インディーズレーベルを中心としたリリースラッシュAphexTwinBlack Dogデトロイトテクノアーティストなど)もあって、大きなCDショップに行けば、簡単に好きなテクノミュージックが手に入るようになりつつあった。

なので、好みの合わないレイブ系のラジオが終わっても、わりとどうでも良かったのだ。

それから1ヶ月もしないうちに、1.17 阪神・淡路大震災が起こった。

俺の家の被害はガスが止まったぐらいで大したことはなかったが、尼崎に住んでいた叔父一家被災するなどして、大混乱だった。親戚全員の無事が確認された後、俺が真っ先に思い出したのは神戸引っ越しバンブーラジオのことだ。

ラジオで読み上げられる無数の被災者の名前を聞きながら、俺はバンブーラジオの主の無事を祈ったが、もちろんそれを確かめ方法はなかった。


その後、志望校合格し、春から始まる高校生活を前に、期待と不安で宙ぶらりんになっていた俺は夢を見た。

大阪電気の街、日本橋入学祝いお金を握りしめて、FM放送のための機材を買いにいく夢だった。

何故か、ピエール瀧バンブーラジオの主が同行してくれて、俺に色々とアドバイスをくれる。

棚に並べられた、無線機の列を眺めながら、俺はこれから始めるFM放送の構想にワクワクしている。


目が覚めた。そして、朝日の中、それが夢だとわかった時、本当の寂しさが襲ってきた。

俺の好きな音楽を一緒に楽しめる友人は、本当は一人もいないのだ。

中学友達AphexTwinAmbient Worksを聞かせても曖昧な笑みを浮かべるだけなのだ。そんなわけのわからん音楽よりこれ聴けよ、と渡されたカセットテープにはボンジョビミスターBIGが90分詰まっている。trfじゃないだけマシだけど、俺にはこの良さがさっぱりわからないのだ。

同じように、誰も、誰一人、AphexTwinの初期アンビエント空気感や、カールクレイグの無機質なマシンドラムの良さなどわからない。

俺はどうしようもなく一人だった。そしてそれは、春から始まる進学校での高校生活でも同じだろう。いやもっとひどいかもしれない。

夢で訪れた日本橋無線ショップに、俺は1週間前に実際に行っていた。自分FM放送を始めればあるいは、と思ったのだ。

膨大な機材に圧倒され、マヌケにも「FM放送をしたい」と馬鹿正直に店員に告げた俺は、表情を一変させた店員に「それは犯罪からね。帰ってくれる?」と追い出されたのだった。


幸いクラブミュージックはその後、ファッション文脈を得て一大ムーブメントを巻き起こした。送信機の代わりにシンセを買って宅録するようになっていた俺にもその手の友人が何人もできて、俺は一人ではなくなった。

ブームが終わって、俺が挫折して、シンセを全部売り払った今でも、彼らとの親交は続いている。

彼らとたまに昔話をする度に、俺はバンブーラジオを思い出す。向こうは俺のことなんて知らないだろうけど、今でも俺にとってバンブーラジオの主は、音楽を好きになって最初に出来た頼もしい先輩で、そして大切な友人だからだ。


皆がオフラインになった冬の夜、決してチューニングできないどこかの周波数で、あのアッパーでどうしようもなく頭の悪いレイブテクノが、あの時のままノンストップで流れ続けている。

俺は、まだそういう夢を見ている。


追記:海賊放送と書きましたが、バンブーラジオが本当に違法だったのか、実は知りません。でも電波が飛んでる範囲からして、当時のコミュニティFMに許された範囲は超えていたように思う。あと、念の為書いておきますが、この文章違法行為を助長する意図はありません。不正電波ダメゼッタイ。いい子は各種法律守ってネットでやりましょう。

 
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