でもモリカケには興味ないんですよね?
安心して使える女子トイレや女子更衣室が消えたり、性犯罪者が女子刑務所にはいって更にレイプしたり、男が女子更衣室に入れなかったって莫大な損害請求裁判したり、男が女子スポーツ踏みにじりまくったり、トランス女性の犯罪を女としてカウントし始めたせいで女の性犯罪が98%も一気に増えたりなわけで、女弾圧にしかならんよこんなん。
”風景は人の都合でどんどん移ろうものだし、どのように変わってもそれは基本的に「いいもの」だ。人間の暮らしがそこにある限りは。鳥の巣やアリの巣がどっかおもしろいように人の巣はおもしろいし、正しい風景とか間違った風景なんかないんだよ。”
ベッドタウンも50年60年さらにもっと時間が経っていくわけだものね
新しく人間の都合によって作られた町なんて伝統や歴史になってしまった古い時代にもあったわけだし今だって歴史の途中にいるってだけに思える
コメント元の”そういう街を良いと思ってのっぺりした住宅地にマイホーム買う人の心性をつまらないと思うわけです。”
すごいびっくりドストレート見下しだなーってなってたので洗われた
建築家の「風景学」みたいな論ってぜんぶこけおどしのハッタリやねん。ただのクソポエム。
香山リカの「社会を対象とした心理学」みたいなエセ学問やな。学問的な体系も方法論もなにもない。
建築意匠屋さんはそんな都市とか歴史、政治みたいな大きなものを相手にした勉強しとらん。建物一個の見栄えをオシャレにするプロでしかない。そしてもっと広範囲、街全体任せてくれたらもっと混じりっ気なくオシャレになるのにと素朴に思ってるだけ。
(内藤先生が手掛けた鳥羽の海の博物館でも見に行ってみればいい。と〜ってもオシャレで何もない誰もいない、THE田舎のハコモノ)
そういう人が素人ならではの大風呂敷を広げて「いくじなしの光景」みたいなスカスカのコピーをいろいろ考え、ド素人が口真似するわけや。
妄想もここまでくると、もう、、、
土地ごとの伝統や個性を大事にしようとかいって京都ではローソンのカラーをシブくしたり倉敷では公共建築をやたらなまこ壁柄にしたりする。そんなの単なるハリボテだよね。
ウクライナ侵攻の理由のナチス云々がロシアのでっち上げだと言ってることとか、全部ロシアでは報道されてないの?
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB2535S0V20C23A6000000/
ワグネル部隊が移動中、ロシア軍のヘリコプター7機と軍用機1機を撃墜したもようだと指摘。13人の乗組員を殺害
https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-russia-prigozhin-lie-idJPKBN2Y91CN
ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン氏は23日、ロシアがウクライナ侵攻に踏み切った根拠について、軍上層部が「でっち上げたうそ」によるものと主張した。
ウクライナでの戦争を巡り、プリゴジン氏は軍や国防省を繰り返し批判してきているが、ロシアの「特別軍事作戦」をウクライナの「非武装化、非ナチ化」が目標という政権の説明を今回初めて否定。テレグラムに投稿した動画で、ロシアがウクライナ侵攻を始めた「2月24日に起きたことは日常茶飯事にすぎない。国防省は国民と大統領を欺こうとし、ウクライナからとんでもない侵攻があり、北大西洋条約機構(NATO)全体でロシアを攻撃することを計画していると説明していた」と述べた。
HP 92474/92474 HP 9200/9200
😛「クンニせい!」
HP 92474/92474 HP 9200/9200
😛「クンニせい!」
HP 92474/92474 HP 9200/9200
👩「踏み込みが足りん!」
HP 92474/92474 HP 9200/9200
👩「殺人潮吹きで射殺」
HP 92474/92474 HP 0000/9200
👩「殺人潮吹きで射殺」
HP 92474/92474 HP 0000/9200
😛「うわっ!や、やられた!」
離島とか山陰あたりの漁村とか行くと風景が根本から違うよな。誰かが賢しらにデザインしたのではない、生活上の要請から出来上がった建築様式。カッコつけた言い方だと「ヴァナキュラーな意匠」とか言ったりする。
基本的に第一次産業しかなく、つまりみんな同じ暮し方で、同じ材料と技術で作られることによる統一感。美しい。
そういう辺境に残るヴァナキュラは、ほんの少し前までは日本中にあった。
それがメーカーハウスやロードサイドの吉牛やブッコフの看板の「ファスト風土」に塗りつぶされてしまった。けしからん。残念だ。……みたいなことをいう「専門家」がいて、その浅薄な論をさらに単純化した俗論に行政や一部一般ピープルが踊る昨今だ。
土地ごとの伝統や個性を大事にしようとかいって京都ではローソンのカラーをシブくしたり倉敷では公共建築をやたらなまこ壁柄にしたりする。そんなの単なるハリボテだよね。
「生活上の要請による様式」を、生活が変わったのに形だけ保存することには意味がない。
ベッドタウンやロードサイドの光景だってリアルな人々の暮らしの反映であって、見方によれば美しいとすら言える。
さらに言えばベッドタウンや団地自体がいまや高度成長時代の歴史遺産になりつつある。
消えつつあるものだ。
風景は人の都合でどんどん移ろうものだし、どのように変わってもそれは基本的に「いいもの」だ。人間の暮らしがそこにある限りは。鳥の巣やアリの巣がどっかおもしろいように人の巣はおもしろいし、正しい風景とか間違った風景なんかないんだよ。