なにビクビクしてるんだよ
私が23歳になったのは、新型コロナウイルスの感染が日本国内でも確認されてから少し経って、やっとマスクをして歩くことが定着し始めた頃だった。4月の自粛期間も家に引きこもっていたし、一年もすれば落ち着くんじゃないかと思っていた。だけど結局、2度目の緊急事態宣言が出されて、また自粛を要請されている。そんな中で、私は24歳になる。
23歳は私にとって、大事な一年だった。高校生や大学生ほどではないけれど、それでも自分の若さにはまだそこそこ価値があるはずだ。女の賞味期限は短い。短いスカートを履けるのも、ミュウミュウのマトラッセのバッグが持てるのも、"おばさん"になったらできない。女にはそんなことが沢山ある。17~85歳を対象に行われたイギリスの調査結果によると、「一生のうちで一番心が満たされる時は、23歳と69歳」だそうだ。そんな貴重な期間がほぼ1年間無駄にされて、それなのにまだ自粛を求められている。
わたしはまた、24歳を無駄にするんだろうか。"いつかまた"いつもの日常に戻るために、と言われ続けてきた。いつか、と言い続けているうちにわたしはおばさんになってしまうんだろうか。
おばさんになるのは構わない。人は全員歳をとるし、歳をとっても美しい人も沢山いる。でも彼女たちは、若さを十分謳歌したうえでそう在るのだろう。
私は若くて、顔もそこそこ可愛くて、友達も沢山いて、お金も同世代より稼いできた。私だけじゃない。他の全ての若い女性は今が一番若くて、体力もあって、美しい。彼女たちもまた、自分が輝けるはずの時期を、ドブに捨てている。捨てた時間は二度と戻らない。
自粛をしたところで感染者がゼロになるわけではないし、500人程度に抑えると言ってもまた人の活動が再開したらそこから元に戻るのだって時間の問題だと思う。わたしはバカだから詳しいことはわからないけど、そうなったらまた自粛を要請するのではないか。そうして自粛を繰り返して、きっといつかわたしはおばあちゃんになってしまうかも。ワクチンができたら大丈夫ということでもないみたいだし。
「自分の命を守るために」「自分の大切な人が感染しないために」「医療崩壊を起こさないために」、それらの理由は勿論私の一年なんかよりも大事だと思う。だから自粛をやめようとは思わない。医療従事者の人にも感謝をしている。自粛をやめた人のことも、特に怒ってもいない。
ただ、毎日、家の中で少しずつ寿命と若さを消費していくのが怖い。それならいっそ、死んだ方がマシかもな、とぼんやり思うだけ。
0円とかのやっつけキャンペーンやめて多人数は諦めて防音しっかりしてるから安心リモートワークルームとかSkype英会話ルームとかの一人利用を促進して欲しい
主に俺が喜ぶ
トランプの大統領としてのアカウントは緊急措置として止められてもいいけど
トランプ個人としての権利は明確に切り分けて、そっちは原則として恣意的に奪われるべきではないと思う。
最近のWebサービスは役職アカウントを認めず、業務でも個人名アカウントを強制される弊害でもあるんだけど。
トランプが悪政をしたり暴動の煽動をしたとしても、トランプがFacebookで孫から受け取ったビデオメッセージを見たり、
亡くなった両親が(亡くなったか知らんけど)健在だったときの記録を見たりする権利まで奪うのはやりすぎだし
コロナ禍のいま通販サービスを使えなくするのも人道的にどうかと思う。
(ニュースの詳細を追っていないのでどのサービスが止まってどのサービスが使えるのか知らないけどGmailとかも止まってるの?)
昔(小学生の頃だけど)精神科・心療内科の病院通ってたからあまり怖いイメージはない
風邪でも症状出始めてから3,4日ほっといて、重くなってから病院行ってやんわり怒られたこともあるので、そういう性格なんだと思う(笑)
不安なのは、本当に悩んでる人の予約枠を埋めてしまうんじゃないかってことと、雑に薬で解決させられること、それと矛盾するようだけど病院でできることは特にないって言われることかな
けど、行ったほうがいいかなと思った時点で受診する意味はあるんだろうね。今度時間見つけて行ってみようと思う。重ね重ねありがとう。
「人生ってきっとあっという間だよね」と言った私に返した言葉です。
祖父は東京医科大学を卒業して医学の道を歩みましたが、その生涯のうちに幾度となく入院生活を余儀なくされた身体の弱い、でも辛くても喚かずに黙って耐えているような人でした。
「授業を抜けて、何処そこを通ってレコード屋に行きクラシックを聴いた。そこはお茶も飲めて…」数年前、病室で聞いた祖父の大学時代の話は、まるで陽に焼けた冊子の中に旧漢字で綴られた、場所も時間も遠い物語のようでした。その頃私は訳あって、大学に行くなんて思ってもいなかったから。
でも私の大学時代もいま思い返せば、ふらっとコーヒーショップに入ったり、たまに授業サボったり、思いついたようにCDを見てみたりしていた。好きなレコード屋を見つけ、授業をサボってレコード聴いてた祖父の話はもはや旧漢字の物語には思えない。
なぜあんなに楽しそうに当時の話をしたのかが分かる。たまに新宿に来て医科大学病院を見る度に、今の私と同じぐらいの20代然とした白黒写真の祖父を思い出す。
生前、泣いて祖父になだめて貰った記憶は思い出せないのだけれど、夜のわずかに街灯が点いている薄暗い街を眺めながら安っぽく流れる涙に対して、例えそれが世間一般と比べてどんなにくだらなく思える理由だったとしても、大丈夫だよと勇気づけられたような気になる時、ああ、祖父がいたんだなと思うのです。
祖父の最期のとき、弱り切った肉体で命を燃やす姿を今も思い出します。
苦しみながら、与えられたものを全部使い切る、そんな感じでした。
与えられた長い人生に対する誠意に見えました。
立派な人生を送りたい。
あの世で、もしも会えた時は誇れるように。
私のスーパースターとも言える。
好きと言えば好きなんだけどなー