大昔、たしかサクラが最初にラインマーカーを出した時は蛍光色じゃなかった。
それほど彩度の高くない、目に優しいピンクかオレンジみたいな色だったと思う。
それが普及しだしてから、後発のメーカーが黄色の蛍光色のものを出して、
あっというまにマーカーといえば蛍光色が当たり前になって、
そして名前も「蛍光ペン」と呼ばれるようになった、ような気がする。
目立つのはいいんだけど、目が疲れる。自分はだんだんマーカー自体を使わなくなった。
蛍光色ではない、目に優しい色。使っていて目が疲れないし、なんかほっとする。
東京じゃ語が広いのでもう少し範囲を狭めると23区で、しかも山手線の中でも太字になってるような日本全国規模で見ても超主要駅の一つ。
そんなところに通っている。
そんなところなので、初期段階からクラスターが爆誕した。職場のめっちゃすぐそこである。
加えて先週ビル内にも陽性者が出現。
該当フロアの消毒や濃厚接触者の隔離こそ行われたものの、俺には特に影響がなく普通に出社している(今度ようやくテレワークになるらしいけど)。
一応コロナで死ぬのは宝くじみたいな確率かもしれないが、にしたって命を脅かされている事にかわりない。
良いか悪いか分からないがこの環境にもこなれてきたころ、ここにきて自分の心にこんな事が起こった。
Twitterとかしてて、まだ10人かそこいらしか感染者のいない地方の人間が、必要以上に怯えているのに腹が立ち始めたのだ。
こっちは同じビルの人間がなっているんだぞ。クラスターの出た街を歩いてるんだ。
対してお前はどうだ。県に数人w しかも里帰りした奴とその家族とかだろ?
会うの?そもそも同じ街ですらないんじゃないの?なんでもうコロナにかかって死ぬ想定して鬱になってんの?
こんな感情が沸き起こってくる。
冷静に考えて警戒するのは正しい。相手はおかしい事をしていない。
自分の危険に晒されている悲しみを他人に押し付けているのは俺の方だ。
「同じ目にあってみろよ」「俺に比べたら大したことないじゃん」と不当な比較を行ったのは俺の方だ。
だが自己解析できない人はいっぱいいる。できても踏みとどまれない人もいる。俺もそのうち踏み止まれなくなる。
「俺コロナ」って言って捕まるおじさんたちも、限界を迎えた末に倫理が壊れたんだろう。
「政府にはすべての国民を守る責任がある」ことと、「政府にもすべての国民を守る能力はない」ことは両立するわけで。
今は責任を追及するばかりじゃなく、足りない能力を我々で補っていく必要のある局面であることは確かだろう。
もちろん、それに乗じて「政府に責任なんてない!」と主張する輩は現れるだろうし、それはそれで批判されるべきではあるが。責任は後から追及することもできるし、後世には責任を追及する義務もあるだろう。
フィンランドの首相は「自分達が準備不足だったのに政府を批判している人がいる」発言をかましている
日本と同じ
けど、公務員気質で医療機関と政治家の双方に危機感は足りなかったけど
生物って優れた異性と交わって優れた子供を産むものなのにどうして病弱萌えとか病気で弱ってる姿に萌える心が生まれるんだろう。
他にも生存に役に立たない要素萌えはあるけど病弱要素はデメリットが大きすぎるような。
実際の生物ならほぼないような要素、例えばバランスボールくらいでかいおっぱいやどうみても入らなそうなでかいちんちんなどを好むようなことは
他の生物でも確認でき、超正常刺激と名付けられていて俺も納得している。病弱萌えはそれではなさそうな気がするので疑問に思う。
郵便の全戸配達は単価高い。普通にチラシ配りしている人とかを動員した方が良い。郵便局は配達原簿というものに基づいて、マンションの何号室は空いているから入れない、とかっていう細やかな対応ができるんだけど、そういうのはいらない。全戸に配達すればいい。