「一郎・二郎・三郎」は廃れた。最近は名前に漢数字が入らない。
もっと前は、「五右衛門」や「八兵衛」が居たけれど、今そんな名前をつける人は居ない。
平安は意外と現代でも違和感の無い名前が多い。坂上田村麻呂みたいなのもいるけど。
しかし「○○麻呂」の流行は奈良時代のほうだ。奈良時代まで遡ると、現代の漢字読みでは到底読めないような名前がゴロゴロ出てくる。
それより前になるともうキラキラネームと見分けつかない。
国によって発音が違うというのはあるけれど、ヨハネ(ジョン)、パウロ(ピーター)、ヤコブ(ジェイコブ)は現役だし、ゆうたの代名詞アレックスも、アレクサンダー大王時代には既にあったし、もっと前から存在してるのだろう。
それ以外にも、父と子で同じ名前とかわけの分からないことをする。
どうやって呼び分けるのか。
三代続いたらどうなるんだ?
最近何をやっても楽しめなくなってつらいです
些細なことに喜びや幸せを見出だせる人達は本当にすごいと思いました
世の中には空に浮かぶ雲を見ても楽しめる人がいる
客との関係作りは注意しなくちゃならん
要件定義は「両者で合意して責任を持つもの」「変えたら費用がかかる」ってことは最初にはっきりさせなきゃならん
はー
アバウトな要件定義で始め、作ったものをろくに確認せず、しかも稼働間際になって「思っていたのと違う」。。。
こんなんで出た言葉が「俺はシステムに妥協を許さない」だってよ
可笑しすぎてヘソで茶が湧くよ
はてブ見てると「ポリティカルコレクトネスの主目的は、多様性を守ること。」と「増殖する外来生物と在来生物の「交雑種」 放置し続けてもいい問題なのか?」が同じページに並んでいて、一人でなるほどと納得してしまった。
ただブコメに並んでいる「これ言ってる時点で守れてねーじゃん」というのも、まあせやな、とも思う。
外来生物や交雑種など、特定の環境・時代に対して「強い種」も「多様性」だと言ってしまうと、本来そこに住んでいた種が駆逐され、結局多様性が失われる。
そこに制限をかけようとする(この場合特定環境から外来生物・交雑種を滅ばす)のは、多様性の否定なのかどうか。
見ようによっては否定とも言えるわな。
干し椎茸で前日から大鍋で出汁とって気合いれてめちゃくちゃ美味くできました。
で、アレって作ったことある人はわかると思うんですけど、鍋自体は出汁だけで味がついてないので自分の器に取って各自で塩と一味唐辛子で味を調節するんですよ。
家族にはそれをしつこいほど説明したにも関わらず、一口食って「味がしない」と言って桃○のキムチの素とかポン酢とかめんつゆをドバドバと器に入れ始めるからビビった。
いや塩で調節するんだよと言うと「塩入れても味がしない」
いやそれはほんのひとつまみしか入れてないからでしょもう少し入れて自分好みに調節してみてと言うと「こんなに塩を入れると体に悪い」と逆ギレ。
いやあんたらがドバドバいれてるキムチの素とかポン酢とかにも塩が入ってんだけど…。
なるほど…目に見えない塩分は気にしないけど自分で塩を足すと目に見えるから気にするんだな…しかし普段刺身に醤油ドバドバかけてるような人らがこの程度の塩でビビるか?
もうそれ以上突っ込まずに好きにさせたけど、なんか一つ屋根の下に住む家族相手にも関わらずカルチャーショックみたいなもんを受けました。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死
そもそも集団行動が苦手なのがオタクだから、いざ誰かが「ストしよーぜ」とか言い出したらそれをニヒル(笑)な冷笑(笑)で他人事扱いしそう。
近所のイカしたヤミーな定食屋!
この店人気のハセサン汁はとっても美味しくて、
まさに馳せ参じる!って感じよ。
今日もご機嫌!
あのさ、
グラフを見ていると
急激に伸びているのよ21時台あたりから。
頑張って書いた増田より、
どうでもいい増田の方が案外伸びることもあるのよね。
しかし、
300の大台は俄然高いわ。
超えられない。
今日も日々鍛錬頑張るわね!
久しぶりにおにぎりしてきたわ。
水分が夜中足りなくなるみたいで、
頭痛で頭が痛かったのよね。
だから寝る前にちょっと見ず飲んでみたら全然快調だったのよ~。
朝とかは結構水分摂ってるつもりだけど、
要はつもれてなかったのよね。
結局またスィーティーやり忘れちゃったので、
梅昆布茶とかも買ってきて常備しておくと、
そのホッツウォーターがまた美味しいのよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・玩具の販促のためにライダー同士を戦わせる展開が流石に雑すぎて感情移入しづらい
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20161213-00000042-nnn-soci
部屋が広く見える効果を狙ってたりはしないだろうか