その感覚わかる。
俺は月に数回しか電車に乗らない田舎民なんだが、その数回がなかったらたぶん便利さを享受しなかったと思う。
スマホにしていっちゃん最初にスマホで便利だなぁって思うのは地図アプリ。
もちろん、都市部の人は言うまでもなく、これに関してはカーナビとして使えるから、田舎民でもスマホ便利だなぁって思うと思う。
で、次はGmailが使いやすいこと。
キャリアメールなんて連絡帳を更新するのにピコピコ面倒くさい。
パソコンでもケータイでも同じアドレスを使ったほうが絶対便利。
とはいえ、スマホユーザーでもキャリアメールを主で使ってる人が多いみたいなんで、このへんの便利さは個人差があるのかもしれんね。
で、問題はその次の段階だ。
今はまあ東京に出れないこともないベッドタウンだけども、実家があるクソド田舎じゃぁ、まあまず使うことはあるまい。
たとえばニュース。
電子書籍。
セカイカメラを起動したって、ぐるナビやホットペッパーのクーポンを出そうとしたって、なんも出ねぇ。
だって、出先ではやることがあるし。
移動時間は運転してるし。
出先で暇になったところで、公共無線LANがない。
インターネットにつないだからって、近くで行われてるイベントが見つかるわけでも、お得な情報があるわけでもない。
外出先で村の広報でもみるというのか?
ガラケーの時代まではすべてをドコモやauといったキャリアが主導権を握っていてメールにしろiモードにしろ着メロにしろすべてを管理下においていた。
スマホの時代はそれらの管理から脱却してユーザーは電話代を収めることなくスカイプ等で通話が可能になった。iPhoneが大ヒットしなければ、日本のキャリアは絶対にスマホを国内市場に許すことはなかった。
新聞記事や物語の中でよく老人が言うし、うちの親も言ってるけど、それっておかしくねえ?(AA略)
気持ちはわからなくないが、単なる引っ越しに死ぬほどのインパクトがあるとも思えない。ただのわがままだろう。
http://logsoku.com/thread/awabi.2ch.net/poverty/1326604377/
新卒薬剤師の奪い合いが止まらない。超売り手市場で内定率100% ※ただしドラッグストア
http://logsoku.com/thread/engawa.2ch.net/poverty/1332581115/
周囲でスマホにしない人はなんでしないんだろうと思ってよく見たら、そもそも機種変をしない人達だった。ガラケーとかスマホとかよくわかってないから、今度買い換える時にはスマホにするんじゃないかな
先ほど、仮免試験(AT限定)に受かったのだが、つい最近、AT厨 vs MT厨 という不毛な戦いがあるということを知った。
春から大学生活(工学部)が始まるのだが、「ぼくのかんがえた さいきょうの でんきじどうしゃ」を研究してMT厨をプギャーできるように精進したい。
元記事をよく読め。お前の書いてるソーシャルゲームの話ではない。
まぁゲームに限らず何事も、汚れ仕事をすればするほど金が儲かるようになってる
追記
リンク先読んだけど、ソーシャルゲームが批判されてるのはソーシャルだからじゃなくて金の稼ぎ方がグロいからであって、こういう単なる非コミュの戯れ言はどうでもいいし、ソーシャルゲー批判派がみんなこういう馬鹿だと思われるのは心外だなと思った。
日本では知らんが、ネトゲもかなりのボロ儲けをしたところが結構ある。
ネトゲが主流の韓国なんかではあまりに儲かりすぎて、似たり寄ったりなテンプレゲーが大量発生して、挙げ句ジャンル自体が衰退してしまった。
父は思いやりがない。86歳になった今、気にかけてくれる人はいない。
余計なことを考えなくなって、思ったことを素直に言うようになったら、他人の心配をけっこうしてた。
今更、そんなことがわかっても、人気は回復しない。
寂しい晩年を過ごすことになりそうだ。
201203301442追記
父に人徳がないせいで、母はストレスで狂っちゃったし、兄貴たちは寄りつかないし、雇った人は辞めちゃうし、唯一免疫を獲得している私だけが、介護の日々を過ごしてるわけで。思いやりはすり減って無くなりそうだけど、まだゼロじゃないんで補給したい。
みなさんのおかげで、満タンです。
ずいぶん昔、こんなスーパーマリオは嫌だ、みたいな大喜利ネタがあったんだけど、
一面ごとに金がかかる、ゲーム中のコインが一枚100円で増やせる、1,000円払うとファイアフラワーが手に入る、10,000円払うと無制限にスター(無敵)状態、みたいなネタがあったのを思い出した。
任天堂に限ってそんな事はしないと思うが、ソフトによっては一部現実化しつつあるよね。
ガラケーを持っている方はすぐにスマートフォンに変更しましょう。
ガラケーのほうが電話がしやすいという意見が一部ではあるみたいですが、ガラケーは電話に特化されたものですから当然です。
小さく折り畳んで携帯でき、物理キーによるしっかりとした押しごたえはなかなかスマートフォン(以下スマホ)で体験できるものではありません。
しかしそれはよく考えれば当たり前のことで、まずスマホは電話ではありません。
いえ、もちろん歴史的な経緯を考えれば言うまでもなく携帯電話の延長線上にあるのですが、
事実として、スマホにおいては電話機能は百あるアプリの一つでしかありません。
通話するだけならば、ガラケー(特にらくらくホンのようなモデル)がベストなのは間違いありませんが、
そもそもの問題として、我々はどれだけ通話機能に比重を置いているのでしょうか。
仕事で用いる場合を除き、一日にそう何度もするものではないのではないしょうか。
我々はスマホによって、音楽を聞きながら近場の人気店を検索し、マップに導かれながら歩を進めることができます。
電車内ではSNSによって友人たちと思考を共有しながら、RSSリーダーで最新ニュースを流し見することもできますし、
ふと気になったものがあれば、即座に写真やメモとしてクラウド上にアップロードすることができます。
こうした生活は慣れない人からすれば奇妙に映るかも知れませんが、現実をより豊かに、便利にしていく存在として普及していくのは間違いないでしょう。
これらがなくとも生きていけると主張する向きも一方ではあるのかもしれませんが、
産業革命を例に出すまでもなく、古い概念によって設計されたものはやがて淘汰されていくのが宿命です。
ガラケーにおいて一番利用頻度の高いツールに電子メールというものがありますが、これらも衰退傾向にあります。
欧米の若者の間ではすでにSNSに取って代わられているという現実がありますが、そうでなくとも電子メールはあまりにも効率がわるく、
情報交換を円滑に行うツールとしては到底最適であるとは言えません。
ちょうど2年前の春先にiPadが発売された当初は日本でも多くの懐疑的な声が聞かれました。
しかし現実はどうでしょう。iPadは代を重ねるごとにその販売数を増し、
アップル社が時価総額世界一、もしくはマイクロソフト社の2倍という記録的な数字を叩き出すなかでその主力商品にまで成長して行きました。
iPadに限らず、タブレット型端末は今後のポストPC時代を大きく牽引していく製品になっていくでしょう。
こうした劇的な変動はいままさに起きており、旧来型の発想に囚われているようでは20年前の中間管理職がPCに悪戦苦闘したように、
時代の波からは大きく取り残され浦島太郎状態になってしまう恐れが大いにあります。
ソーシャルゲームっていいよね。いまならどんなに叩いても文句言われない。何なら賛同の声をもらえることもある。
考えてみたら私の周囲はそんな老人ばっかだったからなんか納得できたわ。