「疑似科学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 疑似科学とは

2011-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20110619214950

全部が全部というわけではないけど、

再現性、予言の精度、追試の可能性という観点から見た場合

どうしても「社会科学疑似科学」という風にみてしまう。

この考え方が科学的ではないのは分かっているけど、

科学者だって人間だもの

どうしてそう思ってしまうかは、それこそ認知行動科学行動経済学の分野になると思う。

自然科学=真の科学 社会科学疑似科学 

みたいな発想って何なの?

理系文系って何か質的に違うの?

物理化学生物学の間が、それぞれ単純に応用できるわけじゃないけど、関連してるように

生物学認知行動科学経済学の間も関連してるんじゃないの?

2011-05-31

はてな馬鹿

防衛機制の概念使ってるヤツが疑似科学批判や人格攻撃批判をしてると頭弱いんだなあと思う。

2011-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20110318102516

はあ?

疑似科学意味わかってる?

「水に優しい言葉を掛けたら組成が変化する」は完全にキチガイだけど

「人に優しい言葉を掛けたら反応が変化する」は何も間違ってない。


もう一回聞くぞ。

AC広告のどこが疑似科学でどこが水伝なんだ?

キッチリ説明してみろ。


疑似科学は批判されるべきだが

上から目線で批判しやすいために

疑似科学信奉者と同レベルの知能の馬鹿まで尻馬に乗っているのが大きな問題だ。

正義面してるけどVIPPER以下の知能と心性の持ち主。

まして関係無いことまで「疑似科学だ」なんてトンチンカンを喚きだすにいたっては

その有害であること疑似科学となんら変わらん。

2011-03-04

アメリカ人は本当にタコが嫌い?/怖いという感情宗教は関係ある?

 

 「族長の初夏 : 日本人はなクトゥルーを怖がらないのか」

 http://umiurimasu.exblog.jp/12210453

 この記事のブクマhttp://b.hatena.ne.jp/entry/umiurimasu.exblog.jp/12210453/)が300を超えたので、逆張りというか、疑問に思った2点、『アメリカ人は本当にタコが嫌いなのか?』『「怖い」という感情に「一神教」と「多神教」は関係あるのか?』ということについて、考えてみる。

 ブログ主のumiurimasuさんに対する反論というよりかは、ブックマークコメントの傾向に対する反論である


 

 >>ちなみに、魚介類を食べるのがあたりまえな島国文化圏の人からすると、アメリカ人のタコ嫌いというのは、それこそ冒涜的なまでに理解を絶する感覚ですね。

 イタリアスペインポルトガルギリシャ韓国……などの国々は島国ではな半島だが、タコを食べる。中国でも食べる。

 また、アメリカには昔からイタリア系、スペイン系、ギリシャ系、中国系の移民は多かったし、ポルトガル系や韓国系も少なからずいた。彼らはアメリカでも昔からタコを食べる。

 しかも、いまでは寿司日本料理イタリア料理スペイン料理ギリシャ料理中国料理はすっかりアメリカ全土に定着した。だからイギリス系やアフリカ系のアメリカ人でもタコを食べる人は多い。

 なので、これは「アメリカ人のタコ嫌い」ではなく「ラヴクラフトのタコ嫌い」にするべきではないか

 

「昔のWASP白人アングロサクソンプロテスタント)のタコ嫌い」にしてもいいような気もするが、やはり、「食べない」からって「嫌い」には直結しない。

 タコが全面的に禁忌(「食べてはいけない」)とされているのはユダヤ教であり、キリスト教では一部の宗派のみ。

 

 そもそも、「アメリカ人(あるいは、欧米人)はタコを悪魔の使いとして忌み嫌っている(忌み嫌ってきた)」という説は日本に広く流布されているが、本当なのだろうか。

 この説の傍証は、タコは英語で「devil fish」と言われること、および、「クトゥルフ神話」や「宇宙戦争」などでタコが人間に敵対する悪役として描かれているから、ということである

 まず、「devil fishであるが、現代のアメリカでタコを示す言葉のうち、一般的に使用されるものは「octopus」である

「devil fish」でgoogle画像検索をすると、真っ先に表示されるのはエイ画像で、タコが出てくるのは10番目以降である

 さらに、「devil fish」だからといって「タコ=悪魔」だと思っているとは限らない。

 すくなくとも、エンゼルフィッシュ天使だと思っている人はいないだろう。

 クトゥルーにタコが出てくるのはラヴクラフトが(個人的に)タコが嫌いだったから。

宇宙戦争」の火星人がタコなのは原作者ウェルズがタコを怖がっているからではなく、「火星重力が少ないから頭が大きくなって手足が退化して、タコになる!」という疑似科学的な理論のため。

インデペンデンス・デイ」などの宇宙人映画でも宇宙人はタコとして描かれていることがあるが、それは「宇宙戦争」(と、もしかしたら「クトゥルー神話」)へのオマージュのためではないか

 というわけで、「アメリカ人のタコ嫌い」という言葉は、「伝統的なアメリカ人」と「最近アメリカ人」、「主流派(WASP)のアメリカ人」と「少数派のアメリカ人」のタコに対する態度の違いなどを考えたうえで使うべきであると思う。

 アメリカ人日本人に対して間違ったイメージ(「忍者ゲイシャ」「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」)を抱いていることが多いが、それと同様に、日本人アメリカ人に対して抱いているイメージも、その多くは間違っている可能性がある。

 さらに、「アメリカ人」という言葉文化論において使われるときは、WASPを指すことが多く、黒人黄色人種アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人カソリックヨーロッパアメリカ人などを無視する場合が多い。

 たしかに、一面では、アメリカの主流文化WASP文化であるが、マイノリティ文化の一部が主流になることも多いしWASP文化マイノリティ文化が影響しあってできた新しい文化が主流になることもある。

 だから、「アメリカ人」という言葉をつかうときは、その言葉はいたい何を指し示しているのか、自覚的になるべきである

 このような問題(主流文化とは何なのか?「〜人」は何なのか?)は、移民国家であるアメリカ」を論ずるときには特に注意されるべきだと思うが、日本イタリア中国ブラジル南アフリカ共和国など、どこの国を論ずるときでも、注意したほうがいいことである



  ブログの記事内では、『ともあれ、そうした文化的理由でクトゥルー神話を本来あるべきように怖く感じられないのだとしたら、やはりちょっと残念ですアメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか。それとも「いや別に、全然怖くねーよ」という感覚なのか。アメリカ人に直接聞いてみないことにはどうにも。』や『こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。』と書かれていて、慎重な姿勢が保たれている。

 しかし、ブックマークコメントでは、「キリスト教文化圏では、何を考えるにも常にキリスト教の神を超越者・絶対的存在としていちばん上に置くというものの見方が根底にある」や「日本人場合、神も仏も混ぜこぜに、かつあいまいに信じていて、絶対的な何かを世界観のよりどころにしていないからでしょうか」という文章ばかり注目されている。

  そもそも、欧米文化芸術作品・物語が紹介されるときには、「キリスト教的」「一神教世界観」などのマジックワードを持ち出し、日本の「多神教世界観」と対比させて論ずることが多い(そして、往々にして、「多神教世界観」の方が寛容で複雑で高度なもの、と優劣をつける場合が多い)。

 しかし、例えば日本の文化芸術作品・物語についても、「神道的」「仏教的」「多神教世界観」だけでは論ずることはできないだろう。

 文化芸術作品の成立には、もちろん宗教世界観も大きく関わるが、それだけではなく、自然環境経済環境歴史政治・偶然など、様々な要素が関わっているはずである

 

 また、フィクションに対して「怖がる」という反応は、宗教よりも時代と個人的な経験に左右されるものである

 ホラー小説の「人を怖がらせる」技術は年月を重ねるにつれて蓄積されるものであり、現代のホラー小説過去ホラー小説より「怖い」、ということは一般論として言える。

 スティーヴン・キングの作品は、ラヴクラフトの作品と同じくアメリカ人作家によって書かれた、キリスト教世界観の影響の強い作品であるが、日本の読者でもスティーヴン・キングの作品を「怖い」と思う人は多い。

 「雨月物語」は過去日本人作家によって書かれた作品であるが、そこに収録されている「吉備津の釜」は江戸時代日本人が読んでも「怖い」と感じたであろうし、現代の日本人が読んでも「怖い」と感じる人は多い。

 しかし、現代の日本人である鈴木光司によって書かれた「リング」は、おそらく「雨月物語」よりも多くの日本人読者を怖がらせると思う。

 だがスティーヴン・キングの「シャイニング」や「クジョー」と鈴木光司「リング」のどれが一番「怖い」か、ということは、現代の日本人でも読者によってそれぞれ違う。

 さらに、「リング」アメリカ人が読んでも「怖い」という評価を得ている。

 ここにラヴクラフトを代入すれば、ラヴクラフトが「雨月物語」よりも怖いと思う日本人もいれば、「リング」ラヴクラフトよりも怖いと思うアメリカ人もいるだろう。

 彼らの「怖い」という感情には、多少は「一神教世界観」「多神教世界観」が関与しているかもしれないが、それよりも個人的な趣味感性(「ホラーに慣れているかどうか、じわじわとくる恐怖に弱いかびっくりさせるような恐怖に弱いか」「日常的な恐怖に弱いか、非日常的な恐怖に弱いか」などなど)の方が強く関与しているだろう。

 つまり、ホラー小説の話題で、「キリスト教世界観」「多神教世界観」にばかり注目するのは、適切ではない。

 

 また、ホラー小説の話題に限らず、欧米文化芸術作品・物語について考えるときに、「キリスト教」「一神教世界観」に還元させるのは適切ではない。キリスト教の影響はあるかもしれないないかもしれない。あったとしても、強いかもしれないし、弱いかもしれない。

 「一神教世界観」というマジックワードで説明されることで、安易に「理解した」と思いこむのではなく、宗教世界観以外の、他の側面からも考えることが必要である

2011-02-20

リフレチキン

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20110220/1298191592

藻谷浩介『デフレの正体』を「疑似科学」「トンデモ」と決めつけてるけど、それってリフレ派が言ってるだけじゃね? 本当にそうなの?

http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2011/02/post-c69b.html

って意見だってあるんだからさ、本当に「疑似科学」「トンデモ」なのか、きちんと議論すべきじゃね? 本当に「疑似科学」「トンデモ」なら、それを誉めそやす大竹教授は悔い改めてもらわなきゃいけないわけで。

そもそもリフレ派って、素人の論説ばっかり叩いていて、経済学者同士での論争をほとんどしないよね。やたらと「専門知」を振りかざして「世間知」をくさしてるけどさ、だったらまず、きちんと「専門知」としての地位を確立してみろ、っての。え、アメリカではみんなそうだって? じゃあ客観的に証明してみろよ。少なくともクルーグマン何度も批判しなきゃいけないぐらいには、反対派がいるわけだけど、リフレ派ってそういうことには触れないし主観的な主張だけじゃ信頼するに足りないね

2010-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20101227100244

はてな村をひとことで言えば「長文議論が好きな人たち」でしかない。

どうも最近は「はてなサヨク」という感じに見られているが、

ネットマナーから疑似科学プログラム作法、人間関係社会問題オタク論、2ch論まで、

彼ら(俺ら)は長文議論ができる話題に食いついているだけだ。

2010-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20101110125933

「白砂糖 疑似科学」とかでググればいくらでも出てくるっしょ。

2010-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20101011120515

たぶんあなたのいう「疑似科学」は普通に使われている疑似科学とは違うと思う。

インチキとかゴマカシとかと言い換えた方がいいのではないか。

http://anond.hatelabo.jp/20101011120244

子供がいない=生物として負け

だからそれが疑似科学なんだってば。

人間として負け」ならまだしも。

生物」というもっともらしい権威を持ち出して

下劣で差別的な言説を正当化しようとするから非難される。

http://anond.hatelabo.jp/20101008154452

自分生物目的は「生存」と「自己複製」だと考えている。

(ああ、彼女たちこそ進化論的には、負け組なんだ。

そういう考え方を疑似科学という。

通常、生物学者は適応的な形質を「○○のための形質」と呼ぶ。このために、しばしば進化には意図や方向性がある、または目的論を含意していると誤解される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A9%E5%BF%9C#.E9.81.A9.E5.BF.9C.E3.81.A8.E7.9B.AE.E7.9A.84.E8.AB.96

進化という概念は、日常生活でも頻繁に使用されるためか、誤った形で理解されている事が多い。よく見られるものは、次の三点である。ひとつ進化目的を持っておこなわれている、という誤解。もうひとつ人間という種が進化の最終ゴールである、また、だから人間になれなかった他の生物よりもわれわれは立派な存在である、といったタイプの誤解。そして最後ひとつは、進化進歩を混同している誤解。この三つである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96#.E9.80.B2.E5.8C.96.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AA.A4.E3.81.A3.E3.81.9F.E7.90.86.E8.A7.A3

また、生物の究極的な運命や、生物がどうであると言う言明と、人間がどうであるべきと言う主張は全く別であるとも述べている(「である-べきである議論」も参照)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90#.E3.81.95.E3.81.BE.E3.81.96.E3.81.BE.E3.81.AA.E8.AA.A4.E8.A7.A3

2010-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20101004100511

下手に取り上げたら面倒くさいことになるからじゃね?

ほら、疑似科学の人たちがいくら「画期的な成果」を発表してもマスコミは取り上げないでしょ?

2010-09-25

ホメオパシーは確かに「正しい」

ホメオパシーだの代替医療だのといった、いわゆる疑似科学についてはあらかた意見が出されていて、もう議論の余地はないと思われるのだが、そうした問題について考えるとき、どうしてか疑似科学それ自体、もしくは推し進める当事者のことばかりクローズアップして、疑似科学を支持する利用者のことがあまり注目されないのはちょっと妙な話であり、この偏りはマズいのではないかと思う。

科学というのもつまるところ美術文学と同じであり、考案者と追実験者のコラボ、それを追いかけて信憑性や科学性を視認する研究者、そうして知識として蓄積された学問を後追いで学ぶ学生といった階層性が歴然として存在する。確からしさや権威は独創的な「表現者」が単独であれこれと試行錯誤するだけでは付随してこず、「鑑賞者」が群がってあれこれと議論することで科学体系は形成されるのだ。

とすると疑似科学もそれと同じことで、それが科学の衣をまとっていられるのは、「表現者」の誤謬だけではなく「鑑賞者」の支持も多大な要因としてあることが推測されるだろう。ところが件のホメオパシー議論では、「表現者」にばかり気を取られて「鑑賞者」側の心理を分析していくアプローチがあまり見られない。それどころか、医学と一対一対応させて医学に軍配を上げ、だからホメオパシーは誤りである、といったお決まりじみたストーリーで反駁する主張ばかりで、ホメオパシーという体系がなぜ批判されねばならないのか、という根源的な問題への解答を避けているものが少なからず多い。そうした偏向はつまるところ科学の絶対的真理性や反証可能性、さらにはアプリオリな真理の存在といった諸々の難解なテーマになんら疑問をもつことなく、権威の安楽さにフリーライドしていることの裏返しであり、彼らもまた科学という教条に絡め取られているのではないのかと危惧するに到る。

もはや焦点は「なぜそれが正しいのか」ではない。「なぜそれを信じるのか」である。「科学は正しいから美術文学とは違う」と言い張る人間がいる。そのくせ地球が丸いことを実地で確かめたこともないのだからおかしいものだ。正しさの担保が分からないなら、それは正しいのではなく信じているのである。ならば、「科学者ならそれ(=科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という反論は一見成立しそうだ。だが、それは同時に「疑似科学者ならそれ(疑似科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という主張となんら変わりないように思える。なぜなら、正しさの担保は今現在明確な形で示されていないからである。

ポパーにしろクワインにしろ、ある点で建設的な、もしくは過激な条件づけで科学の特徴を言語化しようとしたが、どれも一長一短で、条件づけした途端にそれまでれっきとした科学の一部であった知見が科学でなくなってしまう。幸い、ホメオパシーについては科学でないということはテストによって容易に示されるかもしれないが、知識の欠けた「鑑賞者」に関しては全く問題が別である。それがありがたい体系で身体の健康に役立つと感じられるなら、ホメオパシーもまた利用者にとって十分に医学でありうる。この認識論的な事情科学全般に延長できてしまうものなのだ。

今一度、問題点を問おう。科学というものは、証明能力を有する人間と利用する人間とで「正当」の意味内容が著しく異なり、しかも当の科学者であれ「正当」の普遍的な根拠が未決定の状態である。こう表現するとホメオパシー擁護論にも思われるかもしれないが、それは誤解だ。ここで言いたいことは、たとえホメオパシー支持者が科学的思考の持ち主でないとしても、ホメオパシーという体系それ自体が非科学的であることを決して意味しはしないこと、そして現代医学科学性がホメオパシー非科学性を意味しもしないことだ。後者の指摘については、免疫学が謎めいた「自然治癒能力」を反駁することが(今現在)できていないという一例でも分かるだろう。必ずしも、ある体系の正当性が別個の体系の正当性を否定するというわけではないのである。また、これが最も核心的なことだが、科学証明とは無縁のいずれの「鑑賞者」にとっても、信じることで一方を支持し、信じないことでもう一方を唾棄しているに過ぎないという深刻な背景を宿していること。

治療に関して、被治療者にはいかなる治療を受けるか選択できる権利がある。このことをしっかり認めた上で、ホメオパシーに傾倒する被治療者を理性的に説得することは、果たして可能なのだろうか。

2010-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20100921010110

子供小学校にあがるまでにまともな社会生活ができる程度の社会性も身につけさせることのできなかった親に疑似科学を批判する資格なんかないよね。

http://anond.hatelabo.jp/20100921010110

「小生が今週の生き物係としてカエルのケロッピくんならびにテナガエビのナガトちゃんの餌やりを担当することに異議を挟むつもりはない。しかし小生がA型乙女座であることを以て担当すべきとするのは明らかに不当であり、容認しがたい」

「ちょっと男子!ちゃんと占いを信じて係やりなさいよ!」

「だがちょっと待ってほしい。小生は職責を果たすに吝かでないが、A型は細かいことに気が付き乙女座は優しいから生き物係に適するとの主張はもはや疑似科学の域に踏み込んではいるのではないか。学校教育として問題があるものと考える。猛省を促したい」

「いーけないんだいけないんだ!先生男子占いを信じてませーん!男子K2メディを飲まないといけないと思います!」

反知性主義の始まりである。

2010-09-02

めも。

親が今までハマってきた・ハマってる疑似科学オカルト新興宗教民間療法その他もろもろを思いつくままに。

俺が産まれる前はさすがにわからんので省略。

アムウェイ

十字式

手かざし(なんかハンドパワーで身体がよくなるらしい)

鍼灸(なんか整体も混ざってた気が)

有機栽培

地球村

ワールドメイト

メディー(なんかホメオパシーとはちょっと違うらしい)

ホメオパシー ←New!

波動(水は人間感情がわかるとかなんとか)

EM(なんか消臭効果があるとかでスプレーにして部屋に撒いてた)

健康食品(多すぎて忘れた)

野菜スープ大根の葉っぱとかを煎じたもの。悪臭が酷い上に味も不味くてトラウマになった)

アルカリイオン浄水器(40万した)

(まだ何個かあったはず。思い出し次第追加していく)

(それにしてもはてなキーワード充実してんなー)

2010-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20100826011314

太字強調までして熱心な批判ご苦労さん。しかし何か勘違いしてるだろ。

そんな論理、ホメオの人たちの思う壺っていうかむしろホメオの人の主張を肯定してるようなもんだぞ。

相手の主張を批判・否定するなら、「相手が何を言っているか」をきちんと理解してからにしないとだめだよ。

なんでわざわざ厚労省トンデモさんにディベートで勝たないといかんの?

厚労省がやるべきことは、有効であることが科学的に立証された治療法に対して保険適用などの制度を整備することであって、しかしホメオパシーに根拠がないことは科学的には論ずるまでもないはずだ、という話だろ。

パターン情報」だかなんだか知らないが、そんな科学的現象は他のところで観察されたことがないわけで、もしそんなものの有効性が確認されるのならばそれは医学に留まらず物理学化学をも巻き込む超ノーベル賞級の大発見だからきちんとした実験・検証の手続きを取ってきちんとした形にまとめられるはず。そしてそれをやる責任は言い出した側にあるというのが科学界にとどまらず世の中のルール。それを守らない相手なんてそもそも門前払いに付すべきなのであって、むしろ厚労省はそういうことをしてはいけない。

考えてもみろ。そんな後づけの仮説もどきの土俵に乗ってやらないといけないのなら「創造説」には絶対に反証不可能だぞ。なにしろ、向こうは「地球は4000年前に、『あたかも地球が50億年前から存在したような状態で』創造された」というのが言い分なんだからな。化石を持ち出して放射線年代測定がとかやってみても、「その化石自体が4000年前に、放射性同位体の含有率が低い状態で創造されたものだ」とか無限後出しじゃんけんを続けられるんだからどうしようもない。

君に限ったことではないが、頼むからニセ科学に「これはひどいタグを付けて喜んでる半可通のはてな民は黙ってくれないか。そういうつけ込む隙を見せられるとトンデモさんが喜んでこっちが迷惑するだけなんだから。せめて高校レベル物理化学生物のうちの2つぐらいはマスターした上で伊勢田哲治科学疑似科学哲学」とかその程度の入門書ぐらいは読んでから来てくれ。だいたい「自分でも論破できる馬鹿をわざわざ探しに行って攻撃する」なんて加虐趣味は控えめに言って悪趣味なんだよ。

ホメオパシー叩くしか能のない男の人って……

結局、問題は「いかに(比較的)健全な逃げ道を用意してやるか」に尽きるんじゃねーのと思ってる。ただホメオパシー叩いてりゃいいってもんじゃない。はてな村民にはそこが足りない。

ホメオパシーとか今すぐ地球上から滅びればいいと思ってやまないんだけど、でもそういうのに縋る人の気持ちもわかんないでもないんだよね。

自分家族がそうで、タイムリーなことについ最近ホメオパシー関連の団体に入会した(ついでに入会書に勝手に俺の名前書いてたので死ねと思った)んだけど、その直接的な理由がどうも、妹のアトピー皮膚科でくれる薬を塗ってもちっともよくならない、それどころか数年来悪化する一方(であるように本人たちの目には見える)なのが原因らしい。

その話を聞いて正直アホかと思ったんだけど、同時にその心理はわからなくはないわけで。

一般化すれば末期ガン患者が拝み屋だの黒酢だのに手を出すような。

はてな村民なんかはバリバリ科学世界観に生きていて、俺も今のところはそうなんだけど、だから疑似科学ボッコボコにしてもなんともないわけですよ。新大陸行ったら現地人がわけのわからん偶像拝んでた、みたいなもんで、打ち滅ぼすべき悪と確信してやまず、あまつさえ教化の使命に身を震わせてたり。

でも日本人のほとんどはまだまだ呪術世界観に生きてるわけで(この前どっかの大学社会学先生ブログでそんなこと書いてた)、彼らが病院でもうダメだ、となったときにどうするのか。縋るものが必要なわけでしょ。

終末医療におけるホスピスのように、そういう適度な精神安定剤は当然必要なわけ(このへん、日本では宗教がうまく役目を果たしてないからよけいに悪徳宗教とか疑似科学流行るって話もあったりするわけで)。

これからのこの社会課題として、そういう「逃げ道」として(比較的)健全さを保った、(比喩としての)プラシーヴォ効果を一定程度供給してくる疑似科学なり宗教なりをいかに確保し、かつ100万円の壷買わせる拝み屋、みたいのをいかに排除していくか、について科学世界観の持ち主、社会の善導者たるエリート様におかれましては向きあう必要があるのではないでしょうか(そういう意味では、現状での温泉とか鍼灸がヒントになる気もする)。せめてもの妥協として。

少数派は批判されればされるほど、その事実こそが自らの正しさを証明しているのだと思うようになる(って心理学実験論文が出たってGIGAZINEかどっかにも書いてあった)わけだし、叩くのではなく「仕分け」た方が効率がいいはず。

もちろん同時に、義務教育課程においていかに科学的な思考法を浸透させていくかも問題になるわけだけど、まあ所詮限度があるだろうし、そもそも世代交代には時代がかかるわけだから、当面は上に書いたことを推し進めていくしかないと思う。

2010-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20100819213301

だからそれが疑似科学と同じ騙し理論なんだって。

少なくとも自分には「同じ距離を移動するとき徒歩より自転車のほうがラク」という感覚があるから

これは感覚ではなく事実自転車の方が徒歩の半分のエネルギーで同じ距離を移動できる。

そのラクなほうが消費カロリー高いっていう結果に「意外」と思った人を

ここがもう騙されてる。

なんで騙されてるのかわからない人は文章をよく読むこと。

http://anond.hatelabo.jp/20100819204625

少なくとも自分には「同じ距離を移動するとき徒歩より自転車のほうがラク」という感覚があるから

そのラクなほうが消費カロリー高いっていう結果に「意外」と思った人を「疑似科学にはまる奴と大差ない」と断ずるには早計じゃないかな?

消費カロリーの根拠までは見てないから、数字自体が歪められてたら困るけども。

http://anond.hatelabo.jp/20100819210802

元増田です。そのとおりだと思う。

ひどい未舗装路や石畳や坂道の多い街では徒歩の方が精神的に楽。

平坦で直線が多く、歩道が広い都市では自転車が楽。

自分現在札幌在住なので、北大周辺や新川通り等を自転車でよく飛ばしてる。

この時期のちょっとした遠出なら車でなく自転車で行く事もあるし。

自転車で数時間移動するけど、徒歩で数時間移動するよりもはるかに気分はいい。

ただこれは、環境にもかなり依存しているとは思う。

本当にスピードが出て爽快で、体も冷えて疲れが溜まりにくく、辛いという意識が無かったので、カロリー消費が意外とあるというように感じたのです。

元記事に懐疑心を持ったり疑似科学だと思う人は、そもそも自転車が爽快で精神的負担が少ない運動だという感想を抱いていないのでは。

http://anond.hatelabo.jp/20100819175456

これを印象操作と見れるかどうかは情報リテラシーの問題だろ。

巧妙に疑似科学っぽさを廃してうさんくさくないように作られた文章だぞ。

これで自転車って意外といいななんて思ってしまうバカは、疑似科学にはまる奴と大差ないから自分の頭の悪さを呪え。

2010-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20100816233023

疑似科学批判とかややこしい専門用語一部の人しか通じない単語続出でああいうのにだまされやすい科学リテラシーの低い人に余計に通じにくくなってるように思う。

騙される人は科学の知識も論理的思考力も平均以下ということを前提にした運動でないと机上の空論で空回りしそう。

こういうことを言うと「科学教育がたりないから増やせ」みたいな話になるんだろうけど、現状の義務教育レベル科学知識のない人も少なくないのに教育すれば解決だってのは実効性ないだろうに。

法律とか経済でも同じように「教育が足りないからだ」で済ませようとしてる人がよくいるが、現状の義務教育すら理解できない人は少なくない現実をどうするのかの具体策ないなら意味がない。理解できない人がいるというのをまず出発点にしないと。

こういう人は自然科学社会科学も全部きっちり理解した上で世の中の人はみんな自分と同様の頭のよさだと思い込んでるのか、自分ができないことを他人に要求してるのかどっちなのか気になるところ。

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