はてなキーワード: トートロジーとは
全ての行いに対応する様々な種類の知能があると考えれば、全ての行いは知能の高低だけで説明できる、ってなんかトートロジーじゃね
でも性格の破綻度合いとデブ度合いはかなり比例傾向にあるように思う。
確かにデブで滅茶苦茶いい人はいるんだが、そういう人は自分から見ていい人に感じる方向に人格が破綻している感じがする。
ガリにも似たような傾向はあるにはある。
ガリはせいぜい標準体重-40kgぐらいで生命の危機を迎えてしまうが、デブは+100kgでも糖尿病の薬を飲みながら普通に生きていたりする。
おおむね標準体重から±30kgぐらいから人格のブレが個性で片付けられない領域に突入しだすので、結果としてデブには無数の異常者が存在し、ガリの異常者は極めて貴重となる。
デブによくある特徴として自分に対しての客観的視点のなさがある。
ブーメランを平気で投げまくるし、自分は別に何もおかしい人間でないと信じがちだ。
そもそもそうじゃない人間は異常なデブになりだした所で、これはマズいと動き出すわけで、デブであることが自身に対しての客観性のなさを証明していると言って良い。
つまり、デブは自分を客観視出来ないとは、自分を客観視出来ないからデブになった人は自分を客観視出来ないというトートロジーなのだ。
もちろんこれはガリにも言えるが、先程も言ったようにガリは自分を客観視できなくなり始めると急激に命が危うくなるので、病院送りになって世間から消えるか、現代医学の力で体重のドーピングが開始される。
デブだって体重が標準+30kgとかになれば医者から痩せろと釘を刺されるが、命の危機を感じるわけではないため「は?医者の感覚がおかしいだけだが?」でスルーする。
というか、ここでスルー出来るデブだけがデブであり続けるというトートロジーだ。
医者よりも俺が正しいと言えば反ワクチンなどのニセ科学にかかる連中だが、デブはおおむねこういった人種と同じ思考回路を持つ。
カルトに引っかかりやすく、かつ自分自身の認識に対してカルト的な信仰心を持つ自分教の信者が多い。
自分教の信者たちは自分こそを絶対神だと信じているので、自分が他人を裁くのは正義であり、他人が自分を批判するのは冒涜だという確信の中で暮らしている。
もしもその自分が偶然にも善性を帯びていれば、それを批判しない限りはその恩恵に預かれる善なる神となるが、もしも本質が悪であれば紛れもない邪神となる。
善良なる神であってもその存在に触らぬ神に祟りなしと言わせるほどの厄介さがあるのは多くの物語で語られる通りであり、デブというものは得てして普通の人間にとって厄介な隣人であるのだ。
ブコメがトートロジーであることを指摘することと、ブコメに対して分布がどうとか見当違いの難癖つけることは別だからな~
お前のその例なら、1は2より小さい、って書いてる増田に「8は9より小さいか考慮されてないだろ!!!これがはてな大衆知性の限界!!」とか言ってるアホにアホって言いたかっただけだから俺は・・・
そもそも元ブコメが言ってるのって全然定量的な話じゃなくて、もっと感覚的な話でしょ
「中央値があのくらいのレベルで、下位10%があのくらいのレベルだな」って、みんななんとなくの感覚を持っている前提でトートロジーを述べているだけじゃん
トートロジーなので本質的に意味をなさないと言えばそうのだけど、現状を再認識させるレトリックなので、個人的には別に違和感は無い
一方で、増田はそれを定量的議論と捉えたのだと思うが、指摘してる内容がおかしいと思う
分布はテストの内容に依存するので、分布を見たところでわかるのは人間の能力の分布ではなくて、「能力の分布に対してテストの性質がどうであったか」でしかない