はてなキーワード: コールドゲームとは
・努力不足
・他責思考
・無気力
だいたいこの辺が揃っていますね。
バブル世代、Z世代の使えない奴らも同じような傾向があります。
たとえばパソコンがずっと使えない奴はこういう特徴が強いですね。
地道にコツコツ勉強していって少しだけ昨日よりもマシな自分になろうって気持ちがない。
突然神様からチートスキルを貰っていきなり世界最強になれたらいいなの世界観で暮らしている。
もちろんんそんなことは起きないという現実に対して「じゃあ自助努力しかないね」となれる人は氷河期世代でも勝ち組になれています。
まあそれは単に若い頃に苦境に立たされても折れなかったどうかという形で篩にかけられているだけで、氷河期に立ち向かったから強くなれたというのとは違うのですが。
氷河期の負け組が他の世代の負け組よりも恵まれていなかったのは事実でしょう。
基本世の中の多数の人は負け組になるしかないような生き方をしています
たとえば小学校~高校3年間までの間の「現代日本人として最低限身についていないければおかしいはずの教養」を完璧に身につければ現代の大学受験のレベルなら早慶レベル、少なくともMARCHならアッサリ入れますし、それを受験生時代の特別な努力ではなくて人として当然の努力としていた人は卒業までストレートで辿り着くでしょう。
ですが多くの人は出来ません。
世間ではMARCH卒業している人は勉強が得意な上位5%のエリート様となってしまいます。
高校数学を理解し、まともに日本語の読み書きが出来て、外人に道を教えるぐらいは可能性、世界の歴史を新聞が理解できる程度には知っていて、ニセ科学に騙されない程度の科学知識があるだけでいいはずなのに……。
そんな努力不足な大多数の無能人間たちであっても、その結果として本当に負け組になるかは時代ごとの余力で決まります。
時代に余力があれば高校中退のボンクラであっても十二分な暮らしをして、ゆくゆくは出世の道が拓けることもあります。
というかね、今の時代って昔より技術的にはかなり発展してるから「それなりの暮らしを負け組でもする」っていうのは全然出来てるはずなんですよ。
ただその状態に対して自分の状況を冷静に分析するための知能を全く磨いてこなかった連中は「同じ小学校に通ってた奴が年収2000万円貰って高級マンションに住んでるなら同世代として俺にもその権利があっても良いんじゃないかな?それでどこまで生活が向上するのかは知らんけど」レベルのフワフワとした現状への不安を抱えてしまうんですね。
他人と自分を比較するのではなく、もっと貧しい自分ともっと豊かな自分を想像して、それに対してどれぐらいコストを払って生活を向上させる、もしくは努力を惜しんで生活レベルを下げるか、そういった損得勘定を働かせる発想さえないんですよ。
おもちゃ屋さんで子供が指を咥えて他の子供が買ってもらったものを羨ましそうに眺めているのと変わらないんですよ。
そんなんでどうやって勝ち組になろうっていうんでしょうね?
正直言ってどの世代においても多くの負け組が負け組になって当然の生き方をしている。
それは「氷河期の負け組」であっても変わらず、氷河期であってもちゃんと自分の人生に対して責任感を持って努力をした人は中間層ぐらいにはたどり着いてますよ。
それは氷河期が過ぎ去ってある程度転職市場も温まって来たあとになってからの繰り上がりかも知れませんが、そうやって繰り上がるための努力を続けている人は負け組を脱出している。
それをせずに「俺は氷河期だから」でずっとイジケている人達が口にする「氷河期だった俺たちを救うための特別な援助」というのはちょっとムシが良すぎませんか?
人生には様々な困難が怒るわけですから、自己責任論で弱者を切り捨てているようでは皆で金と労力を出し合って国家というコミュニティを作り上げ維持してきた旨味がないというのは分かります。
でも、勝手に「もう無理無理コールドゲームみたいなもんでしょ」と勝手に試合を切り上げてしまった人達が「なんか一発逆転のボーナスチャンスとかないの?」とワガママ言うのは聞く必要はないかなと。
「氷河期の負け組」が学習性無力感に打ちひしがれているのは分かるんですが、いつまでも「氷河期だから無気力になるのは仕方がない」で甘え続けるのは自分の人生対して無責任すぎるんじゃないでしょうか?
ましてやそこで「俺たちは氷河期で無気力になってしまった。俺たちの無気力の責任はその時代にあるのだから、俺たちはその分何らかの優遇をされるべきだ。それはそれとして俺たちはもうやる気がないのでやる気は出さないぞ」と言ってしまうのは……。
なんで今になってこんな事言ってるかって言うと、「氷河期世代の負け組」と「非氷河期世代(勝ち負け問わず)」が氷河期世代の負け組が無気力に寄ってダラダラすることによって発生した負債を「氷河期世代の勝ち組に払わせられないか」計算している動きがあるから。
これはマジで勘弁して欲しい。
それに対して「氷河期の負け組の問題は氷河期の負け組の問題であって、それは氷河期の勝ち組が蹴落としてきたというのとは違うんですよ」ということを皆に分かってもらい戦った。
「同じ世代で椅子を奪い合ったんだから、お前たちがそれで負かした奴らの人生も面倒見てやるべきだろ」と言われても困ってしまう。
だってそうやって椅子取りゲームしてたのはずっとずっと前だし、それで今でも駄目な人達はその後の自助努力不足は明らかなんだから。
新卒シーズンの椅子が埋まっていたと言っても、その10年後の比較的温暖な時期に転職活動で新たな椅子を手にすることは出来たはずだ。
私の周囲にも「一度は負け組に転がり落ちたが必死の努力で腕を磨き、実力によって結果を出して続けて、最初の椅子取りゲームでエネルギーを使い切ったような連中なんてとっくに抜き去り気にも留めていない」という理想的な「氷河期の元負け組」がいる。
彼らのような「腐らずに努力を続けた人達」に対して「氷河期だから……」でいつまでもイジイジしている達の面倒を見ろというのはやはり不公平なんじゃないかと思うわけだ。
結局、私が言いたいのは「氷河期だから負け組なんじゃなく、いつの時代でも負け組になっていた可能性が高い人達の面倒まで氷河期に押し付けるのはおかしくないですか?」ということに収束する。
氷河期の負け組が「氷河期だから負けただけだし……」と言ってるのは単なる当事者の供述に過ぎず、実際に他の世代に生まれていたら「バブル景気で浮かれてるし余裕だと思って……」「氷河期よりはマシっていうけどまだまだ……」と言い訳していたんじゃないかと思うわけだ。
こんな連中の負債まで氷河期だからで負わされるのは溜まったものじゃないので、日本全体で面倒を見るべき「普通の負け組」として数えてくれないだろうか?
という話だ。
コールドゲームならぬエターナルフォースブリザードゲームとして試合は幕を閉じるだろう。
自分が生きてきた過去の二十余年を振り返ってきたけど、何もない。
本当に何もない人生で、得たものなど皆無、まっさらな人生だった。
ここで焦りの一つも生まれようものならまだ救いがあると思うのだが、ただうすらぼんやりとしている実感しかないので救いようがない。
ピアノ、水泳、公文式、バスケットボール……その中で大成したものはない。
学業だって中学までは貯金があって優秀ではあったが今や専門分野においては微塵の知識も身についていない。
教科書を齧った熱心な実習生に下手をすれば負ける程度の知識量しかない自負はある。
読書と創作が趣味なのに、せいぜい電撃文庫の一次通過が関の山、書籍化なんて夢のまた夢。
ゲームでもよくて中の上、とあるゲームの世界大会予選(代表6名/参加者8名)には出こそすれ落選。
高校、大学において浮いた話の一つもなければ、表彰されることもなし、自慢のできることもなし。
就職先だって研鑽を積んだ同期がわさっといる中で、一番劣っている自身はある。
何か成し遂げられる素養も、熱意も、野心もなし。
人間三十までにリカバリをきかせないとダメ、なんていう意見がある。
だけどそれよりも早い段階で足切りを食らう人間だっているはずで。
こうやって現状を吐露しながらも一向に何もできない自分は、決着のついたコールドゲームを続けようとする阿呆な木偶に違いない。
あな悲しきかな、穀潰し。
最近、他の研究科の女性(Eさんとしておきます)と仲良くなる機会があったんですよね。年齢は、自分の一つ下。女性も大学院生です。向こうも、なんとなく好意を持ってくれたのは感じられて初対面の感触は悪くなかった。で、メアド交換。互いにやりとりしているうちに、二人で食事をすることに。ここまでは好調でした。ここまで来ると、テンションあがりますよ、ね?
でも、結果は・・・・・惨敗。もうね、0対20くらいで負けるくらい。即二軍行き。高校野球ならコールドゲーム負けレベル。
二人で食事をしたときに話が全く進まない。相手が会話をするきっかけでなげかけてくれた質問とかにも、うまく答えられない。例えば、こんな感じ↓
Eさん「漫画とかよく読むんですかー?」
これで終わってしまう。理想形態としては、「Eさんはどんなの読むんですか?」だろうけど、その質問が繰り出せない。頭でわかっているんだけど、なんか怖くて質問できない。こっちからなげかける質問も答えてくれるけど、それに対する応答ができない。結局、3時間くらい飲んだりしたけど、会話は発展せず。次のデートの誘いも無理でした。
相手を女性だ、と意識してしまうと緊張して喋れなくなっちゃう。でも、メールやtwitterでのやりとりは、それなりに冗舌にできる方。Eさんとのメールを読み返してみても、テンポの良い応答はできている。Eさん「○○というお店知っていますか?あそこ行きたいなーと思っていたんですよ」→自分「一回だけなら行ったことありますよ。美味しかったのでそこ行きましょうかー」みたいな感じ。自然ですよね。なのに、リアルで会ってみると、全然コミュニケーションできない。
これ、どうすればいいんだろう。どう挽回できるんだろう。前付き合っていた彼女と別れて2年くらい。やっと巡ってきたチャンスだった。Eさん、素敵な女性だった。でも、自分から完全に潰してしまった。本当に不快な思いをさせてしまった、と嘆きつつ一人酒。
コールドゲームという声も聞こえましたが、なんのコールドなのか。雨天?点差?まあいいけど。
さすがに疲れてきたので、端的に一つだけ書きます。
あなたがフェミ批判のベースにしたのはtwitterでしたが、プロフィールも公開されています。その人の意見を追うことは容易です。また、なんでしたら直接質問することも出来ます。twitterですから。
それをせず、あなたが批判したいフェミが実際に発言したわけでもないのに、「中高生はセックスするな」という意見があれば反発」するだろうとの印象のみで批判したことを、私は批判しています。
そして、その行為に対して私は「最低限の背景も知らず、最低限のソースもあたらない人間が、誰かに何か説くことは出来ません。」と書きました。
あなたは自分の意見をまず顧みるべきであり、顧みるツールとして背景やソースを確認すべきです。
それができないのであれば、あなたこそ主体たり得ないことを自覚すべきでしょう。
自分にとって都合の悪いことは結果論なので事前に把握不可能、都合の良いことは事前に把握可能であったと決めつけるわけですね。
もうコールドゲームじゃないですか。おっとあれと偶然の一致だとは思いますが、気のせいですよね、きのせい。