はてなキーワード: 非コミュとは
増田は良い。立場を背負わないし、立場を利用することもできないが、書いたものを立場でフィルタかけて見られることもない。だから俺は増田で書く。
ブログはどんなにやり直してみても、自分のキャラクタが出来てしまって、その日の気分や書きたいこととそのキャラが違うと段々面倒になってだめだ。
自分が増田で書いたものを見直すと、別人が書いたのではと思えるほど色々ある。よく見るとめちゃくちゃなようで、何種類かの増田が自分の中にいて、書きたいことによって使い分けてるのがわかる。
大体このパターンのうちどれかだ。でも嘘や空想で書いたものはない。どれも自分にとっては本音、経験、望んでいることを元にして書いている。
増田は良い。
http://anond.hatelabo.jp/20110226105942
虐待が問題になるのは子供が死んだ時くらい。なぜだろうか?答えは簡単だ。虐待を受けた人はそれを周りに話さないし、話せない。話したらふるぼっこにされて、まわりからも縁を切られて奇異な目で見られ孤立してしまうのではないかと常に怯えているからだ。理論的におかしいとわかっていても、虐待を受けた人は怯えるのをやめられないんだ。
表に上がってこないレイプ事件が多いと話題になる。それを保護するような団体もあるだろう。PTSDになったと裁判になったりもする。
しかし虐待を受けて育った人が、子供時代になんとか生き延び大人になった場合、親を訴えることにはまずならない。社会的立場への不安や親への恐怖、なにより、仕返ししたい恨んでいるという感情さえ恐怖に押しつぶされて失われてしまっているからだ。虐待を受けた人は怒るということが苦手だ。他者に敵意を向けることが出来ない。すべて、おしつぶしてしまうんだ。
虐待を受けた人がそれを客観的に振り返られる年齢になった時には、親は高齢だ。そういう親を無碍にできないという世間体も強い。
今、それなりにいい環境にいるのならなおさらだ。彼女がいたり結婚したりしていればなおさらだ。虐待されていた過去を他人に知られることを恐れている。知られて今の生活を壊してしまわないかと恐れている。
ただ子供時代に空白ができてしまったという虚無感、理屈では制御できない恐怖、コミュニケーションの不完全さ、感情の不完全さ、そういったものを背負いながら、子供時代は空白だったとして、押し殺して生きていくしかない。大人になってからケアを受ける人も少ない。非コミュいうレッテル貼られて大抵は終わりだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110212205657
コミュニケーション能力が卓越してる人との会話って、絶望的につまらないんだよな
たぶん、相手も同じことを思ってるんだろうけど、
なんというか、コミュ力の高い人の会話がつまらくて付いていくのが嫌になる
なんでだろう?全体的な嘘っぽさ?虚飾がにじみ出てる感じ?
元増田も分かっていると思うが、「コミュ力が高い人」がつまらないわけではなく、「高いコミュ力を要する会話」がつまらないのだ。
つまり、少なくともビジネスコミュニケーションとは違ってそのものが目的であるようなコミュニケーションでは、「つまらない会話でも回していける能力」こそが「コミュ力」ということになる。当然、ここから導かれる答えは「つまらないコミュニケーションに挫ける奴は、非コミュ」ということである。
元増田は最期に
と訴えるが、これでは「つまらない会話でも回していける能力」、つまり「高いコミュ力」は身につかない。
そもそも、元増田にとって「楽しい会話」というのが与えられるもので創りだしていくものだという意識がない時点で非コミュ脱出など無理だ。
http://anond.hatelabo.jp/20110212000738
こういうの読んでて思ったんだけど、男の非モテってのはつまり非コミュってことだよな
いわゆるコミュニケーション能力が足りない、といわざるをえない
コミュニケーション能力が卓越してる人との会話って、絶望的につまらないんだよな
たぶん、相手も同じことを思ってるんだろうけど、
なんというか、コミュ力の高い人の会話がつまらくて付いていくのが嫌になる
なんでだろう?全体的な嘘っぽさ?虚飾がにじみ出てる感じ?
会話も楽しい、話題も噛みあう
まとめのやつは男女関係っぽいが
空気読めないやつはどんな状況でも読まないから状況かんけいないぞ
空気読みませんは「私にはデリカシーがありませんし、気を使う気もありません。突然あなたを怒らせるかもしれませんが、我慢してください。」
と言ってるのに等しい
そう言われたらアホか?と思うだろ、なめてるのかと
それは人に迎合しすぎるからじゃないだろうか。
もともとは親に対して、いい子でいなければ愛してもらえない、機嫌を損ねるような行動をしてはいけないと思いながら生きていく。そのため、親の機嫌にものすごく敏感になる。外の状況を読み取って、他人の機嫌がよくなるよう動くことばかりに自分のエネルギーを使い、やがて自分で何がしたいかを考えることができなくなる。
子供のうちはこの行動原理はすごく有利だ。なんせ周りの大人が求めることをこなすのだ。評価されないわけがない。しかし大人に近づくにつれて、ご機嫌取りに求められることが難しくなり、うまく動くことができなくなる。そして自信を失い、自己評価を著しく下げることになる。
また周囲の状況に迎合することに疲れているため無気力になり、人生経験が乏しくなる。そのため人との会話の内容についていけなくなる。会話を避けるようになり、さらに会話をしないことで雑談程度の会話もできなくなる。
ろくに会話ができないのでやがて友達もいなくなり孤独になる。そんな自分を正当化するために、周りの人間は敵だと認識するようになる。殻に閉じこもるようになり人と関わらないのでいっそうコミュ力は落ち、自己評価も修正されることなく下がり続ける。いつもおどおどして自信がなく挙動不審になり、さらに人が近寄らなくなる。
こんな感じのことを最近思った。
この負のスパイラルとでもいうような生き方にはまると、本当に身動きが取れなくなる。胸をえぐるような孤独に耐えかねて人と関わろうとしてもコミュ力がないからうまくいかずさらに落ち込む。ここから脱出するには、根元にある「人に迎合しようとする」ところから矯正していく必要があると思う。要は好かれようとするな、嫌われていいから自由に生きろ、ということだ。
事実上、個人レベルで男女が出会うのは、友人の紹介とか、サークルで一緒とか、第三者が介在した繋がりでしか男女はマッチングしない。
元増田が出会いがないと言ってたのは、文字通りの意味ではなくて、あちら側へのアクセス権がないということ。
そのマッチングネットワークに参加してる人間をリア充といい、ネットワークへのアクセス権がない人間を非モテ、非コミュというんだ。
実際そうなんだよな。三十代目前にして一人か二人だけリア充の友人ができて「あちら側」を垣間見られるようになって、リア充ってのは十代の頃からこれだけチャンスあったんだろうな、それなら下手な鉄砲数撃ちゃ誰でも当たるわなと最近得心がいったのよ。
ちなみに地方出身者だとせっかくそうやって築いたネットワークが大学卒業後に就職で都会に出て断ち切られてしまうというおまけも付く。
実際、学生時代後半にようやくそういうネットワークに入れたのに上京でご破算になって同僚も友人も全員男という「振り出しに戻る」を経験したのよ。
匿名で、傷つかない場所で、遠くから言いたいことを言うだけで、相手を受け入れる気概も、相手に飛び込む勇気もないからだ。
俺を含めてね。
単純な男女のマッチングサービスだけだったら、すごく安上がりだ。
自分のスペックと相手に望むスペックと連絡先を書く場所さえ提供すればいい。
なのに、個人情報保護とか未成年保護とかなにやらかにやらでもの凄くコストがかかる商売になってる。
連絡先と所在地をHP上に載せてる企業がそれで大きな弊害がないみたいに、別に個人がウェブ上で個人情報を公開したってたいした問題もないはずなんだ。
実名ではいえない告発をしようってわけじゃないし、実名だろうと匿名だろうと住所はわれるしね。
犯罪がじゃなくて、他人が怖いんだ。
エキサイトとかヤフーのやってる出会い系でさえ、「仲良くなるまでは連絡先を教えないように」という方針だし。
事実上、個人レベルで男女が出会うのは、友人の紹介とか、サークルで一緒とか、第三者が介在した繋がりでしか男女はマッチングしない。
元増田が出会いがないと言ってたのは、文字通りの意味ではなくて、あちら側へのアクセス権がないということ。
そのマッチングネットワークに参加してる人間をリア充といい、ネットワークへのアクセス権がない人間を非モテ、非コミュというんだ。
非コミュこじらせると酷いよ。
7人ぐらい。
内、2人血縁、残りのうち4人が既婚者。
残った一人にも彼氏がいる。
そもそも上記の構成だし、女性に興味が無いと思われてるので0人。
上記の状況だし、月に残業200時間弱なのでデートの時間が取れん。
完全敗北は目に見えてるな。
金も無い、女も無いでは何のために男として生きているんだろう?
もう、今の業界で生き残っていければ十分。
諦めるのはまだ早い。
ってな感じだけど、どうなんだろ?やっぱ非モテには理解できんのかな?
理解は出来るが、共感は出来ん。
そっちの言ってる事が一般論に近いとは思うが、俺はかけ離れすぎてて実行できんよ。
こんなエントリ書いて絡んでる時点でリテラシが低くてキモいオッサンなんだけどな。
基本的に見守るだけで、話を振られたときだけ行動するっていう、いいオッサンのスタンスがなんでとれないかねぇ。
そういうのが自分から話題に首を突っ込む鬱陶しくてキモいオッサンだって言われてんのに、身の程を弁えないと、今度は根底が非コミュだとかって話も出てくる。
ネットで発信・発言することの意味、ネットの理念なんてものはどうでもいいんだよ。
近しい人間、共感してくれる人間に対する発言や愚痴でしかないグループが存在するんだから住み分けろというのは随分前から言われているのに、お前のように「リテラシが高いつもりでいるリテラシの低い人間が首を突っ込んで気持ち悪がられる」ケースが後を絶たないんだってことをいい加減理解しろよ。
お前が以前名前を出して質問状を叩きつけ、増田の回答に何も返せず逃げ出したエントリーを張ってやろう。
ブラック企業勤めで精神と肉体が限界に達したので退職、実家に帰ってきた。
残業時間は平均して90時間程度、通勤往復3時間半、腰を壊し、不眠症を患った。血便や血尿も出た。
それだけなら死ぬ気で頑張れば耐えられる。けど、ブラック企業に勤めても未来はない。
正社員でも派遣社員でもなく、個人請負だったから、基本的に全部自己責任。体壊したら一巻の終わり。
メシを食う時間もなかったから基本的に一日一食。栄養剤やプロテインでフォローしていたけど、みるみる痩せた。
かつて、この会社には「ある日突然発狂して精神病院送りになった人」がいたらしい。
その話を教えてくれた先輩も、徐々におかしくなって、幽霊が見えると騒ぐようになって、辞めた。
そういう人が出ても、社長は「弱いのが悪い」と一蹴して、なんら反省する様子はなかった。
死ぬ気で頑張っても報われない。
死ぬまで搾り取られるだけ。
だから辞めた。
地元に帰ると、見事に過疎っていた。
コンビニが潰れていた。スーパーが潰れていた。葬儀場が増えていた。
以前は地元で買い物すれば済んだのに、いつの間にか車がないと生活できないような土地になっていた。
でも、ハローワークの求人情報を見ると、量は少ないけど、質は良かった。
東京の求人は、足元を見るような気配が紙面越しに伝わってくるようなものばかりだった。
こっちで就職できれば、以前のような「死んだように生きることが肝要」なんて生活とオサラバできるかもしれない。
地元に友達はいない。音信不通。非リア、非モテ、非コミュ、ぼっち。
でも、東京の友達と連絡は取れるし、その気になれば東京に遊びにいくことだって出来る。
静岡~東京は新幹線なら二時間程度。車だと何時間くらいだろう。もう何年も運転していないから車は不安だけど。
けど、本もDVDもネットで買える。居酒屋も探せばいい。カラオケも少ないけど安い。ゲーセンは……これだけは、我慢。
なにより、実家だと、家賃はいらない。東京だと家賃や食費で十万以上飛んでいたから、えらい違いだ。
実家にお金を入れても、まだ余裕はある。たとえば旅行に行ったり、高い店に行ったり、そういうこともできるかもしれない。
人生に対して、前向きに考えることができる。こんなこと、何年降りだろう。
今、俺は無職だけど、ブラック企業で働いていたころよりも生き生きとしています。
……あと、全然関係ないんだけど。
未だにコミュ力が戻らない。
一回行ったらスナックに連れてかれて
そういうのに対してどうにもこうにも対処ができず
しどろもどろして
いてもたってもいられず
勝手に店を出て家に帰ったことがある。
同期とはできるだけしゃべらない、あいさつも軽い会釈で
できるだけ交わりたくないと思ってしまっている、
いや、同期に関わらず万人に対してできるだけ
いつもどもって「あはは、どーも」的な上っ面の
非コミュな会話で終わらす。
気の利いたジョーク的会話もしどろもどろでぐだぐだになってしまい
たぶん傷つきたくないから
暗い部屋の中は神経をきっと研ぎ澄ます、社会生活に不必要なくらいに。
関係ないけどこの人生が報われるためにはきっと何かを
創って創って創って創りまくらなければいけないと思う。
神経を研ぎ澄まして他人とは違う何かの体験と経験とクリエイティビティで
僕だけができることをやり遂げなければいけないと思う。
うだうだぐだぐだ述べてきたが
生かさなければ魂が僕が全国100万のニートが浮かばれないってことだ。
ニート経験は想像以上に人を変えてしまうし、想像以上に後先まで苦しむことになるだろう。
だから今日もプログラミングをする。僕なりの表現手段として会社でも自宅でも
作品を創る。
まぁ、こいつも同程度に非コミュだけどなw
気になるなら突っつけよ、何回かメールしろよ。
「相手が」自分が望む対応をしないことを非コミュと呼ぶ馬鹿のほうが、よほど始末に悪い。
自分は非コミュじゃないというのなら、その素晴しいコミュニケーション能力でコミュニケーションしてくださいよww
周りも、仲のいい友達はメールの返信が遅いタイプなんでまあ気楽。
今は元気だけど最近体調崩しやすいし、行くと言っておいてドタキャンも失礼だし・・・。
②面子によっては行きたいけど・・・。
苦手な人が来るかもしれないし、あまり大人数だと疲れてしまう。
だからといって誰が来るのかを聞いて「なら行かない」というのも失礼だし、うーん。
次にご機嫌伺いのメールに返信できない理由。
①「元気!」と応えたいけどぶっちゃけ元気じゃない。でも嘘をつくのも・・・。
②何か気の利いた事を書かなきゃ何か気の利いた事を書かなきゃ何か気の利いた事を書かな(以下略。
対処法としては、飲み会の幹事をやる際は、「何日までに返信がない場合は欠席扱いになります」的な一文を添える。
ご機嫌伺いのメールは初めから返信をあまり期待しない。または、返信しやすい内容を心がける。
なんてどうでしょう?
苦労して付き合うのが面倒ならあまり付き合わなくてもいいけれど、ばっさり切るのも角が立つと思うので。
呼んだか?
そういった誘いをメールごときで済ませるのがそもそも非常識じゃね?
「しばらく会ってないけど元気?」ってメールをスルーするやつ、コイツも悪質。
こっちは友達だと思ってるけど違うのか?
暫く会って無い奴からのメールは大概宗教の勧誘とか金がらみじゃねーか。
スパム多いと友達からのメールに返信できないっていう理論は成立するのかよ、ってつっこみそうになる。
何万通の中から選り分けるんだよ、と。
3アカウントで計、一日約600通。
500通ぐらいはSpamAssasinが弾くけど、自己調教なので一応ヘッダは見てる。
100通も6割SPAMで2割は広告だわな。6割はThunderbirdのフィルタで仕分けてSpamAssasinの学習ボックス行。
そういうやつってわりと非コミュっぽくて、飲み会来ても黙々と飲んでる時間が長い。
こういうのもどっちかって言うと非コミュ系。
飲み会のお知らせメールとかご機嫌伺いのメールとかスルーするやつってどうなの?
周りに男一人女二人ぐらいいるな。
「誘ってくれてありがとう」まで言えとは言わないけど、明らかに幹事的な役割で声かけてるのに無視されると「もうコイツ誘わない」と思う。
けど、実際にみんなで会った時に「あの時の飲み会でさぁ」なんて話になって、そいつが「へ?飲み会あったの?知らないけど?」みたいになるとこっちが怨まれそうだし。
そういうやつってわりと非コミュっぽくて、飲み会来ても黙々と飲んでる時間が長い。
自分からは絶対に企画しないくせに何ヶ月かたつと「飲み会しないのー?」とか聞いてくる。
「しばらく会ってないけど元気?」ってメールをスルーするやつ、コイツも悪質。
こっちは友達だと思ってるけど違うのか?
だけどこれも、実際に会う機会があったりすると平気で「メール返さなくてごめーん」とか言うからムカつく。
挙句の果てに「いやー、なんかスパム多くてさ」って、言い訳になってない。
スパム多いと友達からのメールに返信できないっていう論理は成立するのかよ、ってつっこみそうになる。
何万通の中から選り分けるんだよ、と。
こういうのもどっちかって言うと非コミュ系。
前者はぶった切れないけど後者はぶった切っていいな。
http://anond.hatelabo.jp/20071219225747
と書いてしまうとあちらこちらから異論がくるであろうことはネットでさんざん見てきて承知してはいるけれど、
少なくともこう仮定することで様々な疑問があっけなく氷解することは確かだと思う。
それに「恋人ができないなんて奴は自己責任」と見知らぬ他人に叩かれるのもうんざりしてきたし、
ちょっと反論させていただきたい。
僕は小学校高学年の頃にNHKで再放送されていたとある青春ドラマに感化されて以来、青春や恋に強く憧れてきた。
高校では野球部で汗を流す傍ら、バンドや宅録等の音楽活動、短歌を中心とした文芸などにも打ち込んできた。
学外での実績もあるし、
文化祭や体育祭といった学内の行事についてもできるだけのことはやってきたつもり。
友達もたくさんできたし、そのうち恋人だって当然のようにできるだろう、
これだけのことをやっておけば間違いなく輝かしい青春を送ることができる。
そう信じていた。
ところが、結局恋人はできなかった。
ミュージシャンが歌い、小説家や漫画家が描くような素敵な恋に憧れていた僕はひどく落ち込んだ。
こう書いているいまも順調に「彼女いない歴=年齢」のいばらの道を進んでいて、
このことを思うとなにもかもやる気が失せるし、食欲もなくなるし、夜も眠れない。
しかも僕のように学校生活に積極的に参加してもなにも起きない人間がいる一方で、
なにをするでもなくへらへら笑って生きているだけの帰宅部の連中に恋人がいたりすることを思うと、
腹立たしいことこの上ない。
ニュース・サイトの恋愛に関するニュースや2ちゃんのスレをあれこれ開くようになった。
1. 日々の努力や生活ぶりは顔に現れてくる。がんばって生きている奴は顔立ちがよくなくてもかっこよく見える
→先述の通り、野球部という、いやでも生活習慣に気を遣わなきゃいけないし努力もしなきゃいけない環境にいたけれど、
恋人はできなかった。
一方で帰宅部でも恋人がいる奴はいる。本当に「がんばって生きている奴は顔立ちがよくなくてもかっこよく見える」ならこういうことは起きないはず。
2.ネガティブ/ひねくれた性格をしてる奴に恋人ができないのは当然
むしろポジティブで素直だったからこそ目標を達成するために学校生活に積極参加していたわけだし、
ポジティブで素直だったからこそ目標を達成できなかったことに傷ついて反動が一気にきている。
3. 学生時代なんて普通に生きていれば恋人くらいできるだろう
→「普通」ってなに?
4. 恋人がいない奴なんて友達も作れないようなコミュニケーション不全の人間ばかりだろう
生徒会や野球部、バンドといったコミュニケーション能力を要求される環境に身を置いてきた以上、
といった具合に、彼らの振りかざす理屈は僕の経験とまったく噛み合ない。
「顔なんてさして重要じゃない、むしろ性格と暮らしぶりのほうが大事だ」という彼らの主張は耳に心地よいし、
ところが、実際にはむしろ彼らが否定したがっている「世の中は顔だ」論のほうがよっぽど破綻が少なく、真実に近いように思える。
「中身がすべてだ」と仮定すると先ほど指摘したような矛盾点が湧き出てくるが、
「顔がすべてだ」と仮定すれば「顔がいいからなにもしなくても恋人ができる/顔がよくないからなにをしても恋人ができない」の一言ですべてが片づくし、
こっちも「そっかー、顔が悪いんじゃ仕方ないな」と納得がいく。
しかも顔がいい人間はますます自分の外見に誇りを持てるだろうし、
お互いいいこと尽くめだ。
というわけで、改めて提案させていただきたい。
いい加減「世の中は顔だ」と認めてはいかがでしょうか?