はてなキーワード: 床抜けとは
いつも途中から途中までで、起きたら不満が溜まって仕方ない。
あまり詳細に思い出すと体に悪いんだっけ?
ともかく最初はお城の頂上部にいる。
男女のお城の精霊っぽい何者かに、うずらの卵みたいな物を渡されて、それを外に出て壊してくれと頼まれる。
一階ずつ降りてく。それぞれなんだかギミックがある。ずっと二人に追われる。
最初の階は、真っ暗で、最初にあったお城の精霊的な二人に、ライトで照らされないように隠れながら出口に行く。
次の階は踊る人形だらけで、仮面を被って人形のフリをしながら進んでく。着替えなかったらバレバレじゃね?とは思うけど通れたんだからしゃーない。
次の階は、扉が無茶苦茶な場所にあって、扉はランダムな場所に繋がってる。開けると普通に向こうの景色見えるから、取り敢えず開けまくって通ったらいつの間にかでれた。
最後は突然刃物持たされて戦わされる。魔物っぽい奴とやらされる。
小さい部屋がいくつもあるから、逃げ回りながら戦った。
俺の中の魔物のイメージが固まってなくて、四足歩行だったり二足歩行だったりしてた。
首を齧られて負けるわけだが、齧られた割に元気で結構動ける。もうダメだからと、室内で卵を壊してみる。
簡単に壊せて、そのままお城がぼろぼろ崩れる。
「どうせこれならわざわざ苦労しなくて良かったやつじゃん」って思ってたら床抜けて、なんか上空?みたいな所から放り出される。
帰れるのかとか思ったとこで終わり。
オチまでつく夢って案外みない気がするんだよな。
静岡県立図書館で床が抜けそうというニュースを受けて、デジタル化について触れた大田区議のツイートがプチ炎上している。
https://twitter.com/okatakashi_oota/status/886542542866595840
図書館の目的が、資料の収集、整理、保存であるならば、デジタルアーカイブにして紙は破棄してもいいのかも。
閲覧もPadで足りるし。
この議員の言い方もどうかとは思うが、リプの方も感情的な「紙の本が不要なんて許せないふじこふじこ!」みたいなのばかり。
じゃあ蔵書スペースはどうするの?床抜けていいの?って問題には何の代案も出てこない。
特に「紙の方が電子より保存性に優れてて~」なんてのは頭が痛い。
いくら保存性に優れてても置く場所がなければ棄てるしかないんだよアホか!
なので図書館のデジタル化について知っていることをまとめておく。
デジタル化が法的にOKかどうかは、ちょうど今年の2月に文化庁から中間まとめが出ている。
文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会(第6回)|文化庁
かいつまむと以下の通り。
パブコメでは図書館協会と知財協会から賛成のコメントが出ている。(41ページ)
これでもう法的にOKになったのかはよく分からんが、少なくともOKの方向であるようだ。
上にある「国会図書館からの送信」というのは既に行われているサービスで、著作権が切れていない資料でも全国の図書館のパソコンで見ることができる。
大田区立図書館はまだ参加していないが、パソコン1台あれば済むようだからハードルは低いだろう。
つまりデジタル化さえ何とかすれば、システム構築や保守、バックアップ等は国会図書館が面倒を見てくれるということだな。
現に東大図書館がデジタル化した資料が11冊入っている。
割とピンキリで、専門業者に任せれば質も値段も高いし、自炊レベルでいいなら100冊でも数万円で済む。
全部は無理。
そもそも文化庁の中間まとめに従うなら、貴重資料と絶版資料しかデジタル化できない。
国会図書館も出版業界との合意事項により刊行後5年経過したものしかデジタル化できないし、予算も大してついてないので古い資料が優先のようだ。
そのへんは今まで通り紙で買うか、別の電子書籍サービスを利用するしかないだろう。
というか現在でもスペースが足らなくなれば仕方なく破棄しているわけで、パソコン上とはいえ紙を破棄した分も読めるなら単純に改善になる。
元ツイートだと地域資料だけ紙で残してという考えのようだが、むしろ地域資料の方が電子に向いてる。気軽にペラペラめくる娯楽本、ベストセラー類は紙でないと不満が多いだろう。
もちろん「地域資料こそが地域図書館の核であり優先すべき」というのは理想論としてはそうだが、ぶっちゃけ読む人ほとんどいないんすよ…。
「利用率は関係ない!図書館の使命がうんたら」あーうんスペースが無尽蔵にあればね。でも地域資料を残すってことは、代わりに別の本を棄てるってことなんだよね。
なので地域資料はデジタル化して、極たまに現れる利用者はパソコンへご案内というのは運用として妥当じゃないかな。
「もっと図書館に金をかけろ。これだから日本は~」みたいないつもの反応もあったけどさ。
一図書館員としてはもちろん文化上の意義は訴えたいが、じゃあ医療や福祉、育児や治安よりも金をかけるべきかと言われたら口ごもらざるを得ない。
結局のところ趣味や余暇の範囲なので、生活上必需なものより優先度が1ランク下がるのは致し方ない。
その中で何とかやってくしかない。
漫画が千冊ほどあって、引越しのときに不動産屋さんに相談したら
「木造でもそうそう床抜けないから大丈夫」と言われ安心していたけど
鉄骨1K築30年で歩くとキシキシいったり風圧で部屋のドアがガタガタいったり
とにかくよく音が鳴る家で今はまだ本棚が無いから床がもっているだけで
本棚が届いて組み立てて本を全部納めたらスポーンと行くのではとか
でもこの前「床は重みで抜けるわけではなく、床がたわむだけ」というのをみて
とりあえず定期的に床にビー玉でも転がしておけばいいのかとか
あと2DKくらいの部屋の住人が死んで約6tの本やDVDでいっぱいだったというのをみて
本を筆頭に物が捨てられない
「正直言えば、これとか、これとか、あれとか、ほとんど読み返すこともないし、使うこともないだろうな」
とそう確信しているものがかなりあるが、捨てられない。
「もし後から必要になったらどうする?一度捨てたら取り返しがつかないんだ。それなら別に、少しくらい置いておいても……」
この無限ループ。
それに過去の物を捨てると過去の自分まで捨ててしまう気がする。
どう考えても高校時代の教科書やノート(!)なんていらないのだろうが、それを読んだ・書いたその過去が、その本やノートにしみこんでいる為に、捨てられない。それをきっかけに昔の事を思い出したりするのだ。それらがなかったら多分昔の事を段々思い出せなくなるだろう。思い出系は写真を撮って捨てるというが写真じゃそんなことまで撮れないし、全てやっていたら時間がかかりすぎる。
そもそも、部屋が無限に広いなら、ほとんど何も捨てたくないというのが本来の気持ちなのだ。
でも部屋は有限だし、あまりに本を持っていると床が抜けてしまうかもという恐怖心から仕方なく捨てようとしているだけで……
……部屋は有限だ。
部屋を広く使いたいし床抜けは勘弁。(どのくらいの本で床抜けするのかわからないが、ジャンプだかマガジンだかをためこんだくらいで床が抜けたニュースを見て以来恐怖が……)
結局捨てるか捨てないかしかない。
そうやって考えていくと全てが面倒になっていっそ全てを捨ててしまいたくなったりする。はあ。
物を持たない暮らしの方が精神上もおそらく良いだろうし部屋も掃除しやすくなるしいいんだろうな。絶対いいと思う。いいと思うんだが、なんともなあ……すっきり生きたいのに囚われているのは自分だ