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はてなキーワード: アフリカ系アメリカ人とは

2016-10-21

マイノリティに対する侮辱発言が許されないのは"その場にいるかもしれない"からではない

ある人が発した同性愛者に対する侮辱発言を指摘したら

「たしかにそうですね.ここにいるかもしれませんもんね.配慮が足りなかったです」

と言われたんだけど,マイノリティに対するあからさまな侮辱発言が許されないのは,

その場にマイノリティが"いるかもしれないから"ですか?

その論理だと,例えばゲイがその場にいないことが明白であれば,

ゲイ侮辱する発言は OK ということになりますよね?

一方であなたは,アフリカ系アメリカ人がその場にいなかったとしても,

アフリカ系アメリカ人意味する言葉として,

ニガー,ニグロ,クロンボ

を使いませんよね?なぜですか?

世間的に使ってはいけないとされているからですか?

ではなぜ使ってはいけないとされているんでしょうか?

どうして使われなくなったのでしょうか?

なぜだと思いますか?

2015-12-24

[] 2015年増田現代ローザ・パークスを見た

博識な増田諸氏には改めて説明するまでもないが、ローザ・パークスバス運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み

人種分離法違反の容疑で逮捕され、アフリカ系アメリカ人黒人)による公民権運動の導火線となった女性だ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

今年の12月ローザ・パークス逮捕から60年が過ぎ、増田のある人物を思い出した。

[京都ゴミ大学]でカテゴライズされている彼だ。

まれている者、妊婦に席を譲らないと宣言し、ホッテントリを叩き出す。

状況や周囲の人物関係は1:1に当て嵌まりはしないが、当たり前のように差別されていることに対して不満を表明し

人々の注目を浴びたという点に於いて両者は等しい。

ローザの言葉を借りれば、京都の彼もまた「屈服することに疲れていた」に違いない。

ローザの逮捕黒人によるバスボイコット運動から人種差別禁止する公民権法成立につながった。

京都の彼の宣言は何処につながっていくだろうか?

バス電車ボイコット

それとも恋愛市場ボイコット

いや、恋愛市場から排斥されているのは容姿の良くない者のほうだ。

どうすれば容姿差別禁止する法の成立に結びつくのか?

彼にそれを成し遂げてもらいたいところだが。

ローザが逮捕時に乗っていたバスは大切に保存され、ヘンリー・フォードミュージアムに展示されている。

何時か容姿差別を禁ずる世の中が実現した日には彼のエントリー

妊婦に優しくされない人間妊婦に優しくする筋合いなどない : http://anond.hatelabo.jp/20151018215156

web上に永久保存されるであろう。

2013-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20130907005618

本当の意味でのブラック企業? 

それはさて置き、友人のアフリカ系アメリカ人日本では従業員を奴隷のように扱う企業会社ブラック企業っていうんだけど、

どう思う? って聞いたら、

ナニ?! フザケンナ ファッキンジャップ、 その企業ホワイト企業だろうが!

俺らブラックホワイトから奴隷扱いされてたんだぞ このクソ野郎!

から、そこで働いてるのがマイ・ブラザー ブラック社員だろyo

ブラックは虐げられてきたのに、いつの間にか悪いイメージすり替えやがって クソビッチめ!

って言ってた。

2013-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20130729120956

在日朝鮮人っていう超面倒くさい代物は、どっちかというとアフリカ系アメリカ人の問題に近いでしょ。

2013-03-15

とりあえずよく読め

xevra 単にネアンデルタール人遺伝子の名残だろう。白人ネアンデルタール人との混血。白人歴史リードできたのもこの遺伝子のおかげだろう。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20130314/p1

カリフォルリア在住のアフリカ系アメリカ人Albert Perry氏の場合にはそうではなった。

http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20130314/p1

2011-05-16

[]公共施設特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらない。

プレッシー対ファーガソン裁判 - Wikipedia

「分離すれど平等」の主義のもと、公共施設特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらないとし、これを合憲としたアメリカ合衆国裁判

法学上、画期的アメリカ合衆国最高裁判所判決となった。

最高裁判決1896年5月18日に下された。

7対1の賛成多数によって判決は下された。

アメリカ市民になることを可能としない、私たちと非常に異なる人種がいる。

それに属する人は、わずかの例外をのぞけば、我が国から絶対に締め出される。

私はそれを、中国人黄色人種)と示唆する



Electronic Journal: ●人種差別を容認するプレッシー判決(EJ第2194号)

アフリカ系アメリカ人公民権運動 - Wikipedia

2011-03-04

アメリカ人は本当にタコが嫌い?/怖いという感情宗教は関係ある?

 

 「族長の初夏 : 日本人はなクトゥルーを怖がらないのか」

 http://umiurimasu.exblog.jp/12210453

 この記事のブクマhttp://b.hatena.ne.jp/entry/umiurimasu.exblog.jp/12210453/)が300を超えたので、逆張りというか、疑問に思った2点、『アメリカ人は本当にタコが嫌いなのか?』『「怖い」という感情に「一神教」と「多神教」は関係あるのか?』ということについて、考えてみる。

 ブログ主のumiurimasuさんに対する反論というよりかは、ブックマークコメントの傾向に対する反論である


 

 >>ちなみに、魚介類を食べるのがあたりまえな島国文化圏の人からすると、アメリカ人のタコ嫌いというのは、それこそ冒涜的なまでに理解を絶する感覚ですね。

 イタリアスペインポルトガルギリシャ韓国……などの国々は島国ではな半島だが、タコを食べる。中国でも食べる。

 また、アメリカには昔からイタリア系、スペイン系、ギリシャ系、中国系の移民は多かったし、ポルトガル系や韓国系も少なからずいた。彼らはアメリカでも昔からタコを食べる。

 しかも、いまでは寿司日本料理イタリア料理スペイン料理ギリシャ料理中国料理はすっかりアメリカ全土に定着した。だからイギリス系やアフリカ系のアメリカ人でもタコを食べる人は多い。

 なので、これは「アメリカ人のタコ嫌い」ではなく「ラヴクラフトのタコ嫌い」にするべきではないか

 

「昔のWASP白人アングロサクソンプロテスタント)のタコ嫌い」にしてもいいような気もするが、やはり、「食べない」からって「嫌い」には直結しない。

 タコが全面的に禁忌(「食べてはいけない」)とされているのはユダヤ教であり、キリスト教では一部の宗派のみ。

 

 そもそも、「アメリカ人(あるいは、欧米人)はタコを悪魔の使いとして忌み嫌っている(忌み嫌ってきた)」という説は日本に広く流布されているが、本当なのだろうか。

 この説の傍証は、タコは英語で「devil fish」と言われること、および、「クトゥルフ神話」や「宇宙戦争」などでタコが人間に敵対する悪役として描かれているから、ということである

 まず、「devil fishであるが、現代のアメリカでタコを示す言葉のうち、一般的に使用されるものは「octopus」である

「devil fish」でgoogle画像検索をすると、真っ先に表示されるのはエイ画像で、タコが出てくるのは10番目以降である

 さらに、「devil fish」だからといって「タコ=悪魔」だと思っているとは限らない。

 すくなくとも、エンゼルフィッシュ天使だと思っている人はいないだろう。

 クトゥルーにタコが出てくるのはラヴクラフトが(個人的に)タコが嫌いだったから。

宇宙戦争」の火星人がタコなのは原作者ウェルズがタコを怖がっているからではなく、「火星重力が少ないから頭が大きくなって手足が退化して、タコになる!」という疑似科学的な理論のため。

インデペンデンス・デイ」などの宇宙人映画でも宇宙人はタコとして描かれていることがあるが、それは「宇宙戦争」(と、もしかしたら「クトゥルー神話」)へのオマージュのためではないか

 というわけで、「アメリカ人のタコ嫌い」という言葉は、「伝統的なアメリカ人」と「最近アメリカ人」、「主流派(WASP)のアメリカ人」と「少数派のアメリカ人」のタコに対する態度の違いなどを考えたうえで使うべきであると思う。

 アメリカ人日本人に対して間違ったイメージ(「忍者ゲイシャ」「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」)を抱いていることが多いが、それと同様に、日本人アメリカ人に対して抱いているイメージも、その多くは間違っている可能性がある。

 さらに、「アメリカ人」という言葉文化論において使われるときは、WASPを指すことが多く、黒人黄色人種アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人カソリックヨーロッパアメリカ人などを無視する場合が多い。

 たしかに、一面では、アメリカの主流文化WASP文化であるが、マイノリティ文化の一部が主流になることも多いしWASP文化マイノリティ文化が影響しあってできた新しい文化が主流になることもある。

 だから、「アメリカ人」という言葉をつかうときは、その言葉はいたい何を指し示しているのか、自覚的になるべきである

 このような問題(主流文化とは何なのか?「〜人」は何なのか?)は、移民国家であるアメリカ」を論ずるときには特に注意されるべきだと思うが、日本イタリア中国ブラジル南アフリカ共和国など、どこの国を論ずるときでも、注意したほうがいいことである



  ブログの記事内では、『ともあれ、そうした文化的理由でクトゥルー神話を本来あるべきように怖く感じられないのだとしたら、やはりちょっと残念ですアメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか。それとも「いや別に、全然怖くねーよ」という感覚なのか。アメリカ人に直接聞いてみないことにはどうにも。』や『こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。』と書かれていて、慎重な姿勢が保たれている。

 しかし、ブックマークコメントでは、「キリスト教文化圏では、何を考えるにも常にキリスト教の神を超越者・絶対的存在としていちばん上に置くというものの見方が根底にある」や「日本人場合、神も仏も混ぜこぜに、かつあいまいに信じていて、絶対的な何かを世界観のよりどころにしていないからでしょうか」という文章ばかり注目されている。

  そもそも、欧米文化芸術作品・物語が紹介されるときには、「キリスト教的」「一神教世界観」などのマジックワードを持ち出し、日本の「多神教世界観」と対比させて論ずることが多い(そして、往々にして、「多神教世界観」の方が寛容で複雑で高度なもの、と優劣をつける場合が多い)。

 しかし、例えば日本の文化芸術作品・物語についても、「神道的」「仏教的」「多神教世界観」だけでは論ずることはできないだろう。

 文化芸術作品の成立には、もちろん宗教世界観も大きく関わるが、それだけではなく、自然環境経済環境歴史政治・偶然など、様々な要素が関わっているはずである

 

 また、フィクションに対して「怖がる」という反応は、宗教よりも時代と個人的な経験に左右されるものである

 ホラー小説の「人を怖がらせる」技術は年月を重ねるにつれて蓄積されるものであり、現代のホラー小説過去ホラー小説より「怖い」、ということは一般論として言える。

 スティーヴン・キングの作品は、ラヴクラフトの作品と同じくアメリカ人作家によって書かれた、キリスト教世界観の影響の強い作品であるが、日本の読者でもスティーヴン・キングの作品を「怖い」と思う人は多い。

 「雨月物語」は過去日本人作家によって書かれた作品であるが、そこに収録されている「吉備津の釜」は江戸時代日本人が読んでも「怖い」と感じたであろうし、現代の日本人が読んでも「怖い」と感じる人は多い。

 しかし、現代の日本人である鈴木光司によって書かれた「リング」は、おそらく「雨月物語」よりも多くの日本人読者を怖がらせると思う。

 だがスティーヴン・キングの「シャイニング」や「クジョー」と鈴木光司「リング」のどれが一番「怖い」か、ということは、現代の日本人でも読者によってそれぞれ違う。

 さらに、「リング」アメリカ人が読んでも「怖い」という評価を得ている。

 ここにラヴクラフトを代入すれば、ラヴクラフトが「雨月物語」よりも怖いと思う日本人もいれば、「リング」ラヴクラフトよりも怖いと思うアメリカ人もいるだろう。

 彼らの「怖い」という感情には、多少は「一神教世界観」「多神教世界観」が関与しているかもしれないが、それよりも個人的な趣味感性(「ホラーに慣れているかどうか、じわじわとくる恐怖に弱いかびっくりさせるような恐怖に弱いか」「日常的な恐怖に弱いか、非日常的な恐怖に弱いか」などなど)の方が強く関与しているだろう。

 つまり、ホラー小説の話題で、「キリスト教世界観」「多神教世界観」にばかり注目するのは、適切ではない。

 

 また、ホラー小説の話題に限らず、欧米文化芸術作品・物語について考えるときに、「キリスト教」「一神教世界観」に還元させるのは適切ではない。キリスト教の影響はあるかもしれないないかもしれない。あったとしても、強いかもしれないし、弱いかもしれない。

 「一神教世界観」というマジックワードで説明されることで、安易に「理解した」と思いこむのではなく、宗教世界観以外の、他の側面からも考えることが必要である

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