東出と俺とで、100倍も差がついたか?
おれだって飯食う時はそりゃハフッハフよ。
体だって鍛える心づもりはあるんだよ。
なあ。
なんぼなんでも100倍ってことはなくないか?
選挙シーズンですね。毎度のことだけど各地で選挙行く?行かない?なぜ行かない?的問答を見るので、折角だから私の意見も書いてみます。ちなみに20代会社員です。
まず最初に、私は選挙に行きません。行ったことがないです。理由としては3つ。
みんなが行って選んだ人が代表になるのなら、私は候補者の中でもベストな選択になっているのだと思うし、その結果を受け入れる以外に取れる選択は無いと思っている。つまり、この時点で私が投票する意味は特に無いということになるわけです。
例えば明日から消費税が100%とかになったとしても、それはみんなの意見で選ばれた人間がやったことなのだら、文句はあれど逆らうことはない(できない)。私ができることは消費税100%の世界でどう生きていくかを考えることだけです。
私は政治に興味が無い上に、学もない。考えるのは今日明日の仕事と飯のことくらい。こういう人間は政治に関わらない方が安泰だと思っています。思っているだけで、バカから選挙権を剥奪しろ!みたいな強火の話ではないです。結局、その日をどう生きるか程度しか考えていない人間が、国がどうこうという問題に対してまともな意見を持てるわけが無いんですから、上の、周りの決定に従っていればいいじゃない、という話。
ありえないことですけど、選挙権の売買が可能になったら(相場にもよるけど)そこそこ数の人間が売るんじゃないかなと思うんです。国がどうこうなんてどうでも良くて、その日にちょっといいご飯を食べたいとか、パチ屋に行きたいとか、そういう人は結構いるんじゃないかと。私も多分売ります。
ちょっと強めの言い方で締めますが、クソな環境をどう改善するか?より、与えられたクソな環境でどう生きていくか?を考えてしまうタイプの人間には、選挙とか、そういうものの意義を考える力はないんじゃないかなと思います。
VPNを悪用して爆破予告を行った場合、問われる可能性のある罪は、以下のものが考えられます。
威力業務妨害罪: 爆破予告によって、対象となる施設や組織の業務が妨害される恐れがある場合に成立する罪です。
脅迫罪: 爆破予告によって、相手方に恐怖感を与え、その行動を制限しようとする場合に成立する罪です。
偽計業務妨害罪: 虚偽の情報(爆破予告)によって、業務を妨害する場合に成立する罪です。
その他: 予告の内容や状況によっては、器物損壊罪、公務執行妨害罪などが適用される可能性もあります。
VPNの利用自体は違法ではありませんが、犯罪に利用した場合には、その行為自体が処罰の対象となります。VPNを利用して身元を隠しても、捜査機関はIPアドレスの割り出しや通信記録の解析などを通じて、犯人を特定することが可能です。
これらの罪に問われた場合、懲役や罰金などの刑罰が科される可能性があります。また、爆破予告は社会的な混乱を引き起こす可能性が高く、実刑判決が下されるケースも少なくありません。
違法な目的での利用は厳禁: VPNは、プライバシー保護やネット検閲回避などの正当な目的で利用するべきです。
匿名性を過信しない: VPNを利用しても、完全に匿名になるわけではありません。
利用規約を守る: VPNサービスの利用規約には、違法行為への利用を禁止している場合がほとんどです。
弁護士に相談: 弁護士に相談することで、法的アドバイスを受けることができます。
自首: 自首することで、刑の軽減が期待できる場合があります。
真摯な反省: 自分の行為がいかに社会に大きな影響を与えるかを深く反省し、二度とこのようなことを繰り返さないようにすることが重要です。
話が噛みあわないからもういい
増田あのにさんの配信を聞いていると、世代交代の波をつよく感じる。
たぶん、これからの増田は、増田あのにさんや、だいだらぼっちさんみたいな、若手が文化を継承・発展させてゆくのでしょう。
老兵は去りゆくのみですよ。。。
すごく情景が浮かぶ話だった
東出が熊のモツ煮を無心に食べてる姿、そしてそれを見て感動するあなたの気持ちが伝わってきた
東出の一心不乱に食べる様子が、ただの「食事」を超えて、もっと根源的な「生きる」ということの姿を見せてたんだろうね
確かに、普通の食レポとか美食家が見せる「味の感想」だけじゃなくて、ただただ食ってるだけってのが逆に強烈に「生」を感じさせる
東出はきっと今、色んなことから解き放たれてて、だからこそ素直に、ただ生きてるだけって感じなんだろうね
増田が「俺は東出みたいに、あんなふうに一心不乱にメシを食えているか?」って自問自答したってのも、まさにその通りで、我々が普段忘れがちな、ただシンプルに生きることのエネルギーを見せつけられたんだと思う
カイジみたいにキンキンに冷えたビールで「キンキンに冷えてやがる!」ってなる瞬間も、あれもまた、生きてる実感のひとつなんやけど、東出のあの熊のモツ煮の食べ方とはまた違うんだろうね
なんだかんだで、東出がそこに映し出した「生物としてのパワー」に惹かれたんだろうな
普通やったら照れくさくてできへんことも、あんな風に無心でやってるの見ると、むしろかっこいいと思わせる力がある。羨ましいって気持ちも、きっとその「生」を感じさせてくれるからなんだろうね