そう言いながら、全く関係ないネットユーザーやら一般人を殴りにかかってお気持ち規制を行ってくるからな、こいつら。
どいつもこいつも自身の権利や自由は主張する癖に全く関係ない一般人を殴り、平然と規制してこようとしてくるから嫌われるのだよ。
こんな奴らばっかり。
数年前で解決済みの話なんだけど。
当時仲良くしてた女友達がそこそこ長く付き合ってた彼と結婚するかって時になって、彼女が一度実家で両親に挨拶をしてほしいとお願いした。
彼女の実家には彼は何度か遊びに行ったことがあるそうで、そんな仲良くはないもののそれなりに顔は知ってもらってるという関係だった。
で、結婚の挨拶をお願いした時の反応がものすごく渋くて「今時『娘さんをください』とか必要?」みたいなことを遠回しに言われていきたくなさそうな感じだったそうな。
獣をやめる。
ひっきりなしに押し寄せてくる客一人一人に対してこれ聞くの、長いしめんどくない?
頑張って縮めても
「じゃあ温かいので。。」
一応言い終わるまで待ってあげない悪いし。これではテンポが良くない。
やはりカフェの区分を取り入れるのが最良のソリューションではないだろうか。
一瞬だ。これは良い。
逆でもいいぞ。
どんどん広めてほしい。
変えるくらいなら書くなよ
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私はスキが多く、人に付入られやすい性格だと自分がいちばん分かっている。
ただそれを、自分が「演じている」、「まだ御せる」と思ってしまったのが今回の敗因にいちばん近い。
気がつけば私に付け行ってきた奴らに聞きだされた情報が勝手に立ち歩き始め、尾が付きヒレがついて私は孤立してしまった。
いや、孤立したと感じた時点で負けへの道をひた走っていた。
強くあろうと決めた自分の心に背を向け、守りに入ったところですでに勝負が終わっていた。
ぎたぎたにしてやれば良かったのに。
失うものなど何もなく、人間関係は勝手に雑草みたく生えてくるものだと信じていた強さが私にはもう無かった。
ぎたぎたにしてやれば良かったのに。
孤立したことがこれほど心に痛みを与えるのなら、私はもっと早い段階で誰かに助けを求めるべきだったし、
それでも今も「じゃあ誰が助けてくれるっていうんだよ?」という猜疑が消えない。
実際。ただの内輪もめだよ、そこに猜疑なんて表現を使うのもおこがましいけれど。
ただコトがデカくなりすぎて私の手には負えなくなってしまった。
喧嘩を売ったのは確かに自分だったんだけど、見境がなさすぎた。
今になればもう少し受け流して耐えるべきだったのに、私の辞書には「耐える」項目が無い。いつだってすぐ逃げるし、目をそらす。それでも瞬間的に逃げてる自分がイヤで、目をそらしている自分がイヤで立ち向かってしまう。それがいけない。
逃げるなら時速150キロぐらいで逃げ続ければいいし、受け流す方法もそろそろ学んだほうが良いと、わかっては居るんだけどねぇ。
なんか人間性を否定してくる女とは全くうまくいかない。アドバイスおじさん、おしゃべりクソ女、井戸端会議。
黙って仕事しとけ、ボケが…お前らにそれぞれ悩みがあるように私にも深い闇があるんだよ。障害者は免罪符ではないが障害者の気持ちが誰にわかる?
夜の明かりのない雨の高速道路をひたすらかっ飛ばしてるような気持ちで3ヶ月ぐらい過ごした。障害物やカーブに気をつけて運転するだで精一杯だった。
だったのになあ。
あの女、終生忘れることはないだろう。
「私は悪くないし何も知りませーん!」そういう最終奥義みたいな自己防衛が出来る態度、どっから出てくるの?
愛されて育つと自己肯定感が爆発するの?承認欲求とのカクテルで須らくメンヘラになるの?
メンヘラは社会に出てこないで欲しい。褒めるためにもリソースがいるし。
正直わかりません。
「誰かは見ててくれると思うよ」
はい。
向上心を持たず、言われた仕事しかやらずできず、成長するモチベーションがない。
努力しても何も変わらないのでそのうち努力自体しなくなる。目先の欲望だけを追うようになる。
そして、社会全体では「労働なんて奴隷のすること」という価値観が蔓延り、社会のモラルが低下する。
そして、奴隷はそのうち体を壊してメンテナンス費用だけがかかるお荷物になる。それは奴隷による一種のサボタージュであり復讐なのだ。
一方自由労働者を使う社会は、生産性が高くない社員はそもそも雇われなくなってしまうので、
みんな必死に価値を生み出そうとし、そして生み出した価値が高く評価されることから更に一所懸命働くようになる。
自然と、社会全体でも「労働し価値を生産することは素晴らしいこと」という前向きな価値観が醸成される。
そして、誰もが自分の体が資本なので、メンテナンスの意識も高まり自分で自分を大事にする。それは隣人や他人を大事にする精神にも繋がる。
雇用主も常に健康な意欲に満ちた労働者を雇うことができ、労働者の自主性を尊重して評価する。労働者を使い潰す雇用主は市場から退場させられる。
このことから、奴隷制度を利用する社会は自由労働者を使う社会に比べて生産性が低く、社会全体が成長しなくなる、と言えるのだ。