2018年06月10日の日記

2018-06-10

anond:20180610015812

お前は保守系キリスト教徒やイスラム教徒を怒らせた。反対してるかどうかわからないところじゃなく、明確に反対してるクラスタに突撃してこいよ。なんなら、イスラム教国に乗り込んでもいいぞ。殺されても自己責任だがな。

anond:20180610015934

一方的パラメータアクションゲームだって思ってしまってる男性の人は多いね

女の側だって男性を品定めしはいるのだ

騙されてあげてるとまではいわないけれど

anond:20180610015812

表現しなければ伝わらないが伝えてきた人間がアレだとホント害にしかならない典型だと思うけどね、勝間のは

anond:20180609214507

時間あるときに新着をざっと見て、なんか言いたいのにポチポチコメントいれる感じかな。

増田は運タイミングが大きいと思う。

anond:20180610015944

ぜんぜん幸せそうでもないし、相手に対して迷ってるから

僕に考えた創作実話

一人称がぼくで

空手をやってる女の子

「おじさん弱そうだね! ボコボコにされるかお金出すか選んでね!」と言われて

顔面変わるまで殴られ蹴られた上に

貯金込みで金も取られたけども

パンティーが見えて幸せでした

anond:20180610004007

勉強って楽しいかも」と思わせられればそれこそ本望です。

ただ、年に複数回定期テスト対策を週一回の授業で行ったり、「厳しく指導してください」と言った保護者からの指示の中で、それでもなお勉強を嫌いにならないよう分かりやすさや楽しさを尽くした結果として、

反抗的な態度が悪化し、わざと怠けた態度を取るような事態になるのはどうかと思うのです。

anond:20180610014022

なんかブログだこんなとこに書けば自分の主張は伝わると勘違いしてるバカが多いが

あんたのもやもや解決するのは

監督自身に聞いてみるしかいかチャレンジしてみれば

 

ネット賛同者募っても無駄

anond:20180610015648

とりあえず今回は酒と食い物までにしておけ

意外とあちらもこっちを見ている

…まあ、用意くらいはしておいてもよかろうが

コスパって言葉どや顔で言う人が嫌い

まあ、それだけ。

「それはコスパが悪いよね」とか。知らねえよ。

「当たり前」な意見をあえて世間に向かって言うことが重要

勝間和代さんのカミングアウトについて思うこと http://www.gentosha.jp/articles/-/10481 で、「『私はLGBTQを応援しています』的な誰もさほど反対しないであろう意見をあえて世間に向かって言うべきではない」という趣旨意見があったので反論したい。

「私はLGBTQを応援しています」というのは、日本において「誰もさほど反対しないであろう意見」では決してない

1990年勝間和代さんが大学卒業するくらいの年に行われたWorld Values Survey http://www.worldvaluessurvey.org によると、日本の68.5%の人が隣人に同性愛者が存在することは好ましくないと答えている(当時の29歳までの層に限っても67.8%)。すなわち、勝間和代さんくらいの年代の人が20代だったとき同性愛者はむしろ「隣人に存在することも嫌」という意見の方がマジョリティだったのである

また、直近(2010年)に行われた調査でも、「同性愛は決して正当化できない」と考える人17.6%おり、30%以上の人が同性愛に対して否定的意見を持っている。これらの意見は国政にも反映されており、国会議員には杉田水脈議員 http://blog.livedoor.jp/sugitamio/archives/8107881.html をはじめとしてLGBTQを応援することに否定的議員は数多くいる。

以上から実際問題として、「私はLGBTQを応援しています」というのは、日本において「誰もさほど反対しないであろう意見」では決してないのである

あえて「私はLGBTQを応援しています」的な発言をしない限り、当事者は誰が味方になりうるのかが分からない

先述の直近の調査によれば、70%近くの人は同性愛に対して少なくとも否定的意見を持っていない。つまり、もはやマジョリティからLGBTQの困難はなくなったのだろうか。実は、問題はそこまで簡単ではない。なぜなら、日本典型的社会において、「嘘つきはホモの始まり」、「襲われるから近寄るな」のような発言は「ネタ」として許容される一方で、「私はLGBTQを応援しています」のような発言は、どんなに正しい意見であっても政治的意見であるとみなされ、発言忌避される空気があるからである

まり日本典型的社会において、当事者の周りの人たちはこう見える。

  1. ネタ」を言う人たち
  2. ネタ」は言わないけれど、LGBTQに否定的であろう人たち
  3. ネタ」を言わないし、LGBTQを応援しているだろうけれど、特に何も言わない人たち

さて、その当事者が誰かに何かを相談したくなった場合、誰に相談すれば良いだろうか。2.と3.の人たちの見分けに100%の自信が持てず、誰にも相談できないということが起きる。特に、上の年代になればなるほど過去には実際に「隣人に存在することも嫌」と考えていた人が増えるのだから見分けは更に困難になる。つまり、このような社会において「私はLGBTQを応援しています」的な発言をすることは、当事者にとって例えば相談相手を見定める上で重要役割を果たすのである

私自身、東京レインボープライドパレードに参加するようになって初めてカミングアウトを受けるようになった。その中の1人は私をご飯に誘い、明らかに挙動不審になりながら、会話も上の空で、最後料理を食べているときにようやくカミングアウトした。私の感覚としては、パレードに参加するような人に対してカミングアウトするのにそこまでの勇気必要ないだろうとも思うのだが、その人にとっては99.99%信頼できる相手であっても残りの0.01%が怖かったということだろう。

従って、そのような当事者に対して「当たり前」な意見を届けることは重要であり、また、残りの0.01%の信頼のために、より明確に意見を届けることが重要であると私は考えている。

表立って差別を受けるくらいなら、差別がより深いところに潜ってしまった方がまだマシである

筆者はこう述べている。

マジョリティが「正しい意見」をまき散らすと、逆に、それに反対することを表立って言えなくなって、差別がより深いところに潜ってしまうと思うんだよね。

差別はどこからもなくなってしまうことが最善だが、仮にそれが無理なら、せめて深いところに潜っているべきではないか。「嘘つきはホモの始まり」、「襲われるから近寄るな」といった発言を表立って聞かされるために、「私はLGBTQを応援しています」という発言自粛しないといけないというのはあまりにも酷い。「私はLGBTQを応援しています」という発言をすることで、これらの発言が表立ってされなくなり、チラシの裏に書かれるようになったならば、それは表立って発言されるより少しは良い社会だろう。

SNSには誰もさほど反対しないであろう意見で溢れている中で、あえてLGBTQが取り上げられるところに問題がある

そもそもSNSには誰もさほど反対しないであろう意見で溢れている。例えば、この前のオリンピックでは「私は羽生選手応援しています」的な意見で溢れていたが、筆者はそのような発言SNSですることにも反対なのだろうか。筆者には、そのような意見にあふれている中で、なぜあえてLGBTQを取り上げたのか、考えてもらいたい。

まとめ

「当たり前」と思っていても、それを表現しなければ必要相手には伝わらない。どんなに当たり前な仕様だってきちんと文書に記さないととんでもないシステムが出来上がるし、当然しているパートナーへの感謝を、口にしなかったばかりにすれ違ってしま夫婦枚挙にいとまがない。「当たり前」な意見をあえて世間に向かって言って、社会もっと「当たり前」な社会にしていこう。

きな子映画に誘った

映画見終わってから居酒屋までは確定している

そこからホテルまでうまいこと持っていきたい

はてなー諸氏の知恵を借してくれ

追記:コメントありがとうございます。用意だけしてみっともなくならないよう、がっつかないようにしま

例え話って全然意味なくない???

例え話って意味なくない???って話

ネットとある話題に対してたとえ話にして解説?しようとする様子をよく見るが

それって本質からは遠くなるだけで意味なくね???っていつも思う。

また、その例え話に「その例えはちょっと違う」という本当にしょうもないツッコミが入って

さらに本題から外れていく。

今考えると、その例え話に入るツッコミも嫌いなのかも。

給油口の蓋の閉め忘れ

さっき、ガソリンスタンドで給油したんだけど、前の人のと思われる給油口の蓋が置いてあった。

開いたまま走って行ったのかと思うが大丈夫なのか?

火災にならないかな。

anond:20180606201845

私は男性だが、容姿も頭も性格もよくない。

女性側に「容姿が悪い」のをどうしたらいいだろうと聞かれたらどう答えるか。

一応資格はあるだろう。私も何も持ってないからだ。

なお、私の知ってる範囲なので、他は知らない。

女性容姿disるやつは基本存在しない。n時請けは知らないが、

 大手のいいところなら少なくとも仕事評価される。なお、美人比較した場合に見劣りがするのはしょうがない。

美人からというだけで評価されることはない。

20代前半で結婚した場合、運が良ければ、つまり相手がよければ生活が安定する可能性は高い。

 基本的容姿を気にする必要はなくなる。

私は根暗(死語?)なのもあり、いわゆるIT系だけに就職を絞った。

結局かなりダメだったが、だめなりに生活は出来てる。

ほんとにもうそれでいいじゃん。

私がどれほど怒ってるか辛いか

判らないんだから







あなたはいいひとなんでしょうし

女のお尻追っかけて生きたらいいよ

お金あるんでしょ。






良かったじゃん。

アナタは悪くなくてあなたけが辛くて

そういいたいと。

自分の好きなようにしたいし

それは我がままじゃないと。


アナタの中ではもうそれでいいんじゃない

さっさと嫁貰えば。

この部屋は蚊がいる!!

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