勝間和代さんのカミングアウトについて思うこと http://www.gentosha.jp/articles/-/10481 で、「『私はLGBTQを応援しています』的な誰もさほど反対しないであろう意見をあえて世間に向かって言うべきではない」という趣旨の意見があったので反論したい。
1990年、勝間和代さんが大学を卒業するくらいの年に行われたWorld Values Survey http://www.worldvaluessurvey.org によると、日本の68.5%の人が隣人に同性愛者が存在することは好ましくないと答えている(当時の29歳までの層に限っても67.8%)。すなわち、勝間和代さんくらいの年代の人が20代だったとき、同性愛者はむしろ「隣人に存在することも嫌」という意見の方がマジョリティだったのである。
また、直近(2010年)に行われた調査でも、「同性愛は決して正当化できない」と考える人は17.6%おり、30%以上の人が同性愛に対して否定的な意見を持っている。これらの意見は国政にも反映されており、国会議員には杉田水脈議員 http://blog.livedoor.jp/sugitamio/archives/8107881.html をはじめとしてLGBTQを応援することに否定的な議員は数多くいる。
以上から、実際問題として、「私はLGBTQを応援しています」というのは、日本において「誰もさほど反対しないであろう意見」では決してないのである。
先述の直近の調査によれば、70%近くの人は同性愛に対して少なくとも否定的な意見を持っていない。つまり、もはやマジョリティだからLGBTQの困難はなくなったのだろうか。実は、問題はそこまで簡単ではない。なぜなら、日本の典型的な社会において、「嘘つきはホモの始まり」、「襲われるから近寄るな」のような発言は「ネタ」として許容される一方で、「私はLGBTQを応援しています」のような発言は、どんなに正しい意見であっても政治的な意見であるとみなされ、発言が忌避される空気があるからである。
つまり、日本の典型的な社会において、当事者の周りの人たちはこう見える。
さて、その当事者が誰かに何かを相談したくなった場合、誰に相談すれば良いだろうか。2.と3.の人たちの見分けに100%の自信が持てず、誰にも相談できないということが起きる。特に、上の年代になればなるほど過去には実際に「隣人に存在することも嫌」と考えていた人が増えるのだから見分けは更に困難になる。つまり、このような社会において「私はLGBTQを応援しています」的な発言をすることは、当事者にとって例えば相談相手を見定める上で重要な役割を果たすのである。
私自身、東京レインボープライドのパレードに参加するようになって初めてカミングアウトを受けるようになった。その中の1人は私をご飯に誘い、明らかに挙動不審になりながら、会話も上の空で、最後の料理を食べているときにようやくカミングアウトした。私の感覚としては、パレードに参加するような人に対してカミングアウトするのにそこまでの勇気は必要ないだろうとも思うのだが、その人にとっては99.99%信頼できる相手であっても残りの0.01%が怖かったということだろう。
従って、そのような当事者に対して「当たり前」な意見を届けることは重要であり、また、残りの0.01%の信頼のために、より明確に意見を届けることが重要であると私は考えている。
筆者はこう述べている。
マジョリティが「正しい意見」をまき散らすと、逆に、それに反対することを表立って言えなくなって、差別がより深いところに潜ってしまうと思うんだよね。
差別はどこからもなくなってしまうことが最善だが、仮にそれが無理なら、せめて深いところに潜っているべきではないか。「嘘つきはホモの始まり」、「襲われるから近寄るな」といった発言を表立って聞かされるために、「私はLGBTQを応援しています」という発言を自粛しないといけないというのはあまりにも酷い。「私はLGBTQを応援しています」という発言をすることで、これらの発言が表立ってされなくなり、チラシの裏に書かれるようになったならば、それは表立って発言されるより少しは良い社会だろう。
そもそもSNSには誰もさほど反対しないであろう意見で溢れている。例えば、この前のオリンピックでは「私は羽生選手を応援しています」的な意見で溢れていたが、筆者はそのような発言をSNSですることにも反対なのだろうか。筆者には、そのような意見にあふれている中で、なぜあえてLGBTQを取り上げたのか、考えてもらいたい。
「当たり前」と思っていても、それを表現しなければ必要な相手には伝わらない。どんなに当たり前な仕様だってきちんと文書に記さないととんでもないシステムが出来上がるし、当然しているパートナーへの感謝を、口にしなかったばかりにすれ違ってしまう夫婦は枚挙にいとまがない。「当たり前」な意見をあえて世間に向かって言って、社会をもっと「当たり前」な社会にしていこう。
表現しなければ伝わらないが伝えてきた人間がアレだとホント害にしかならない典型だと思うけどね、勝間のは
シスヘテロの中にアレな人間がいるのと同様、LGBTの中にももちろんアレな人間はいるってことを周知させるのも重要なんじゃないかな。 私たちは当たり前の隣人にすぎない。
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それはそうかもしれないですね。 いずれにしても「仮に関心があったとしても、声に出さないと関心を持っているのかが分かりづらいので声に出すことには意味がある」ということです...
ほんとLGBTがーって大騒ぎしてるのは押し付けがましいのばっかだよな
「私はLGBTQを応援しています」的なことを誰かが発言するだけで「押し付けがましい」と感じるのはなぜかを考えましょう。
考えた結果、「押しつけがましくない」と感じる人間の認知が歪んでいるからという結論に達した
最近の若い人はLGBTを差別しないなんて空気と同じくらい当たり前のものだと思ってるから、そんなもんだよ。 もはや食べ物アレルギーで人を差別しないのと同じくらい当たり前の感覚
そういうとこに「私は!アレルギーなんです!認めて!!」ってやったらそらドン引きだよなあ
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