気が小さくて酒を飲まないと運転できないとか
私は某大学経済学部のKゼミに所属している。数ヶ月前、ゼミでスピーチをするという話になり、私はゼミの指導教員であるK先生のことについて喋ろうと思った。口下手なので原稿を書くことにした。しかし、スピーチは結局無くなってしまい、そして今日まで原稿を書いたこともすっかり忘れていた。
今日、そのK先生を学食で見かけた時に、原稿の存在をふと思い出した。これを書いた時の気分がよみがえってきたので、その原稿をここで供養した次第である。
普段、何かを書くときは時間をあけて冷静になった目で推敲を重ねるのだが、これだけはどうしても書いた時の気分を残したかったので、このまま載せることにした。そんなわけで読んでくれるひと、読みづらかったらごめんなさい。
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K先生のこと
みなさんはKゼミに入ってK先生に何か教えてもらったことはありますか。
僕が思い当たるのは、レポート発表の後のコメントばかりです。あるいは中間報告での指導とかも。正直、僕はこれといって何かを教えてもらったことはない気がします。K先生はあまり教育に熱心な先生ではなかったと思います。しかし、K先生から学んだことはたくさんあります。今日はその中のひとつのエピソードを紹介します。
僕は学食で晩ご飯を食べることが多いのですが、たまにそこでK先生を見かけることがあります。四年間の学生生活で五十回は見かけたと思います。
K先生を見かけるうちに、あることに気付きました。先生はいつ見かけても本を読みながらご飯を食べているのです。本を読まずにご飯を食べているところは、僕の知る四年間でただの一度も見たことがありません。一度も、です。十回見かけたくらいまではすごいなあ、とだけ思っていたのですが、二十、三十を超えると軽く感動を覚えました。
こんにち、ご飯を食べながら本を読むような学生や先生を見かけますか。いつ見ても片手に本を携えているのはK先生以外見たことがありません。
行儀が悪い、といえばそれまでですが、学問や教養に対する向き合いかた、ご飯を食べているときでも本を読んでなにかを吸収しようとする知的純粋さのある姿勢を見て、心底尊敬しましたし、僕もそうなりたいなあ、と思ったものでした。おそらく当の先生はそんなことは露も知らなかったと思いますが。
最初の教えてもらうことと学ぶことの話に戻るのですが、教えてもらったことというのは案外すぐ忘れる気がします。僕は毎回のK先生のコメントはあまり覚えていません。みんなもきっとそうだと思います。でも、自分で学んだことというのは自分の中で深く根差している気がします。僕が暇さえあれば本を読んで何かを吸収しようという姿勢になれたのは、K先生のその姿勢を間近で見ることができたという幸運のおかげでもあります。
最後になりますが、僕の好きな哲学者にウィトゲンシュタインというひとがいて、彼が「語りえぬものは存在する。それはただ示される」というようなことを言っています。本来の文脈とは異なる解釈になるのですが、教養の意義を説いては本をたくさん読めと言われるよりも、黙ってただ本を読む背中を示す先生を一度見る方が、本を読むとはどういうことかを学べるのではないでしょうか。そのような、ただ示される姿勢――大げさに言えば生き方は、誰かの語りから教えてもらえるものではなく、自分で勝手に学びとるしかないものだと思います。そして僕はK先生の学問や教養に対する姿勢を見て学ぶ機会があっただけ、この大学に来てよかったなあと思えます。
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もしもこのスピーチが実現したとしたら、何しろ口下手な私のことだから、それはきっとつまらなく冗長なものになっているだろう。実のところ、私はK先生を本当に尊敬しているということを、誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。
K先生はあまり目立つ先生ではないのだが、学部の先生の中では一番すごい先生だと思っているし、そのすごさにみんなが気付いていないことがなかなかもどかしく、これを書いたのかもしれない。とすれば、その想いはここで達せられたことになり、そして、いつかほとぼりが冷めたころ、K先生には何も言わないままこの記事を消すのだろう。
昔、大好きだった女の子が居て、なんとか付き合うところまでは辿り着けた。もちろん初めての彼女だった。
彼女はセックスが嫌いだった。「あなたの事は好きだけど、エッチな事をするのが嫌だから、付き合いますと即答できない」と言われたので、そっちがその気になるまではそういう事しなくていいから付き合ってくださいって言った。もちろん男としてセックス出来ないのは残念という気持ちもあったが、当時の俺は処女厨だったので「むしろこれくらい堅い子の方がいい」なんて馬鹿な事を考えていた。
とはいえハグやキスくらいはさせてくれた。ハグは向こうからしてきてくれた。大好きな女の子の呼吸を身体全体で感じられたのは幸せだった。キスは恥ずかしすぎてよく覚えていないが、特に何もしてないのに舌を入れようとしていると勘違いされたのは相当恥ずかしかった。
しかしそんな幸せな日々も終わりを告げる。彼女が自分に内緒でデリヘルで働いていたのだ。処女厨だった俺の発狂ぶりは想像が付くだろう。今思うとわざわざデリヘルで働くなんてなにかあったのか?と彼女に寄り添うところなのかもしれないけれど、当時の精神状態でそれは無理だった。彼女は別のバイトを頑張っていて高校生ながら月10万くらい稼いでいたし、家庭に金を入れてる感じでも無いし、ジャニーズのコンサートに全通するような子でも無かったから、何のためにデリヘルでバイトをしていたのかは今でも見当がつかない。
それから俺は何も信じられなくなった。一応自殺をせずに生きているが、ずっと空っぽで生きてる気がしない。あれから六年くらい経つが、未だに誰かを好きになる事が怖くて、彼女を作ろうという積極的な行動が出来ないし、大学では四年間で誰も好きにならずに卒業した。もちろん未だに童貞である。
デリヘルや風俗にも強いトラウマがあって、歓楽街なんかで看板を見るだけだしんどくなる。というかそれ以前にラブホの看板を見るだけで身体を売る彼女を想像して吐き気がする。
童貞はソープに行けとよく言われるが、気持ち悪すぎてソープに行けない。トラウマを解消するきっかけも何もない。時間はなかなか解決してくれない。俺は一生童貞なんだな、と思う。そして増田のような人間に馬鹿にされる。辛い。
挨拶、しないと同僚が病んだりする
点数条件満たしてるだけだろ
父が150万の支払いをしなければいけないらしくてたいへん困っている
事の始まりは8月、人が少ない職場で困っていた時に、ある1人の従業員を雇った
まだその時は"仕事が軽くなって助かる"程度にしか考えてなかったが
9月に飲酒運転による事故、10月に"車を買う"と言って保証人に父をつけて車を買い、翌月以降、会社に来なくなった。
飲酒運転による事故について。この従業員、必ずお酒を飲んで運転しているらしい。事故は幸いにも、田舎の片隅で首の骨を折っただけでよかったのだが、これからはどうなるかわからない。注意しといたが治らないよなぁ...。
例えば、お水の女の子に給料すべて貢いだり、"結婚する"と周りに言いふらしてるのに女の子は(そんなこと聞かされてない)と言っていて、女の子の方が正しかったり。
今回もお金の関係なのだが、150万も払えず、延滞に延滞を重ねて、現状だ。これ以上伸ばしたら裁判沙汰になると車会社から脅されている。
もうお金の貸し借りの問題は嫌だ。そのことで苦しんでる家族はもっと嫌だ。わたしにはどうもしてあげられない。
どうしたらいいの、くるしいよ
びっとこインwwwww
とある介護の会社で総務の仕事をしているのだけどここ10年くらい介護士の職員が子供を保育所に預けたいから在職証明書を発行してほしいと依頼してきて、
だから保育所落ちたタヒねと言ってる意味が最初分からなかった。
介護職もかなりの人手不足だから子供を預けられないから働けませんとかなると余計に介護士不足になるから他の職種より優先しているんじゃないかと思うようになってきた。
>自分は何も悪いことをしていないって悪い人達はみんな言うよね
に対しての話だよ
それにしてもお前は無茶苦茶な話の持っていきかたする奴だな
そんなんで周りの人とちゃんとコミュニケーションとれてんのか?