新海誠がエロゲのオープニングを作っていた事実を知っている割合がどんどん減っていくことに深い感慨を覚える。
かつては幼女が傘開くシーン見て皆で感動してたんだぜ。
もう仕事終わらせても文句言ってくるんじゃないかとか褒められないんじゃないかとか満足されないんじゃないかとか思って
モチベがどうやっても上がらない
とっとと契約切りたい
東京出身の某氏が炎上しているが、果たして『東京目線』だけが悪いのだろうか。
擁護したいわけではないが、彼女があのように言い切るにあたって京都人に非は無かったのか?というと
もしかするとあったんじゃないかな? いや多分あったんだろうな、と思う。
もちろん彼女のように口に出すことはあまりないかもしれないが、ふか~~~~いところで日本人全体を馬鹿にしているのが奴らだ。
奴らにとって京都以外のモノは取るに足らない、辺境から来た、未開なサムシングであり、隙あらばマウントを取ろうとする。
ほとんどの『日本人』が心の何処かで憧れている帝都東京であろうがその対象に含まれているのは言うまでもない。
地方出身、あるいは地方在住の方があの記事の『東京目線』に怒り、京都は『こちら側目線』の代表であると認識しているなら、
それは大きな勘違いと言わざるを得ない。
彼らの目線は『東京目線』と大して変わりない、どころかもっと酷いものであると記しておく必要がある。
そもそも純粋京都人は京都のことを『地方都市』などとは1ミクロンも考えていない(この事実に気付くのに私は7年掛かりました)。
東京の権威はどこでも通じる(京都を除けば概ね正しいが)と信じ『地方都市』へやってきたのに、奴らはそれを評価しないどころか
逆にただの一地方のお上りさん扱いで上から目線が透けて見える。こちらにもプライドがあるのにそれを鼻で笑いやがって。
私のバックボーンにはこれだけのものがあるというのに。我が東京と較べて大してメディアも人も集まらないくせに。
というようなことがあってもおかしくないのが京都であり、仮に彼女があの傲慢さにあてられていたとしたら、私は同情を禁じ得ない。
ああいった、後ろ足で砂をかけるような言葉が出てくるのも心情としては理解できる。
とは言え、もしそのような状況であったとしても言葉は選ぶべきであろう。
そして素晴らしい秋の晴天。
明日は雨予報。
そして3連休は夫はたぶん持病の通院、子供を遊ばせるのは今日だけ?と思って。
私「どこ行きたい?」
息子「登る!!レアが出たって話も聞いたし!」
って話になり。
15年ぶりの、登山だ
こんなにきつかったっけ
片道30分くらい?もう本当に死ぬかと思った。
何度か本気で、貧血起こしそうになりました。アラフォーのBBA死にます。
息子は本当に元気で、疲れたーって言いながら、息も切れてない。
私は、動けない・・・・まって・・・と、立ち止まること10回くらい?
なんとか一緒に頂上に行けた!
登山ってのは、この爽快感を味わうためのものだったよね。忘れてたよ。
そして下山後。
これまた5年ぶりの、山の下にある動物園で、まったりとポケモン集めてから帰りました。
もう、男子5年生なので!!母と一緒に遊んでくれるのも残り数えるくらいだと思う。正直去年くらいから、公園遊びもそれほどねーってノリだったし。
こんな機会がなければ、○山なんて、もう一生私は登らなかったと思う。
動物園も来なかったと思う。
でも、出かけてみたら、山の緑は素晴らしかったし、リスにも会えたし、頂上の眺めは素晴らしかった。
息子と一緒に頂上で食べた、冷めたケンタッキーは素晴らしくおいしかった。
違います。苦しいです。小中に限って言えば、学校に事務が1人しかいない単数配置が通常の状態であるといってもいい。
20クラスや30クラスにもなると複数配置が許される。しかしながら、ほとんどが、初任で、単数配置。味方などいない。四面楚歌状態である。
保護者に挟まれ、教員にはさまれ、市にはさまれ、母体である県には見放され。
誰が私たちの世話をしてくれるのだろうか。
みな学校事務には様々な要求をだすのに。教員、管理職、PTA、その他もろもろの世話をして当たり前という慣習を作り出しているくせに。
もし私たちが倒れた時、だれが責任の主体となって守ってくれるのだろうか。
近隣の事務同型とて、所詮他校の物事。責任の主体とはなりえない。
教員の多忙を叫ばれる。救済措置を求められている。もっともだ。
その中で、私たち事務職員は、教員の多忙の一端をかつがされる。
まてよ?
そういう文法?
それじゃあ、あなたたちは、学校事務はこれまで給料相当の仕事をしてないとおっしゃるのしょうか。
教員には教職手当なるものがついている。それがついているのはもっともだ。それだけの仕事を、それ以上の労働をしているからだ。
でもまてよ