「自分の話がすごい面白いと思い込んでる奴」は「話がつまらん奴」の中では少数派で、
多数派は「そもそも相手が退屈してないか気にするような思考が無い奴」だよ
自分の話を聞いて欲しいだけー
って奴
インターネット草創期はネットなんて物にでかい可能性があると見抜けてる人間はほんの一部で、
昔の記憶をたぐり寄せて思い返してみれば周囲が年上かあるいは年下ばかりの環境のなかであの女は俺と同い年で誕生日も近くそれがキッカケで話をするようになり終電まで一緒に食事をしてだんだんと親密になっていき他人にはあまり話さないようなこと例えばその女の親が首を吊って自殺したことや胸がジーカップであることやいままで大学職員を含む10人ほどの男と付き合ったことがあるがいまだ処女であるといったことなどなどを俺は当時服用していたSSRIのすばらしい効果によって生み出された人生史上で最高の傾聴スキルをもってして時折やってくる耳鳴りや視界の歪みに負けそうになりつつもただひたすらにあの女を受容しながら話を聞いているうちにだんだんとムラムラしてきたために告白を決行したのだがその根拠はけっして俺の一人よがりな妄想などではなくあの女が俺に寄ってきて「えり曲がってるよ? ちゃんとかっこよくしなくちゃ。」とか「いやな感じがしないか確かめてみたい。ちょっと頭をなでてみてくださいよ。」などと言ってきたからであって大事なことなので二度言うが妄想や過度な深読みではなく間違いなく両想いだとの推論結果が導き出されたから告白したし実際に成功してすぐに手をつないでいいかと聞いて実際に手をつないだのだが場所はモスバーガーでその次に会ったのもモスバーガーで理由はドトールが混んでたからであり一緒にふたりで横並びに座ってあの女の右手と俺の左手をつないでいたらあの女はつないだ手をひざ掛けの下にもぐして太ももの肉の上に導いていったので俺は手をゆっくりと離しそのあと1時間ぐらいモスが閉店するまでずっとあの女のひざ小僧をまさぐったりヒザの裏をまさぐったりしていたし次のデートのときもずっとヒザをまさぐっていたし次の次のデートのときもヒザをまさぐっていたら「むね触りたいですか? 触ってもいいですよ。」と言われて俺はこんなことは生まれて初めてだと思うと同時にあせってはいけないクールになれと自分に言い聞かせてやはり物事には順序というものがあるのでまず胸の前にさわるべきなのは腹であろうとの常識的な結論に達し20分ぐらいずっと触っていたらあの女が「おなかさわっても赤ちゃんは入ってませんからね?」などと言うので5分ほど逡巡してから俺は胸を触ることを決意したし実際に触ったがそれはもちろんブラッジャーの上からでじかに触ったのはその次に会ったときだったのだが何故かそのあと数日たってあの女が「わたしは怒っている」という旨のメールをよこしてきて俺はわけがわからなかったしこれは理不尽なことだと思ったので「俺もおまえをぜったいにゆるさない」旨のメールを返信して以降は電子的なやりとりはしなくなりあの場所で実際に会ってもお互い無関心な風を装ったり「じゃあわたしかえるから!」とあの女が誰に言うでもなく宣言するかのようにして立ち去っていき俺も面接もなく採用されたパート・アルバイトが週7日ほどあったので完全に音信不通となっていってもはやすべては終わったのだがしかし……という記憶の悪循環から抜け出すために実際に文章として書き出してはみたもののところどころ記憶があやふやだったり自己の一貫性を保つためにありもしないストーリーに当てはめているのだけなのではという疑念がいつまでも消えずもはやこれは俺の宿命なのではないかという想念が沸き起こりたとえ虚構と現実の区別がつかなくて真実が何なのかわからなくとも結局はあれが恋愛だったのかたんなる性欲の産物なのかはわからないしあの女の気持ちもわからないし俺の気持ちもわからないしどうすればよかったのかも結局わからずにメールも連絡先もすべて消去してしまったので本当にあの女がああいう女だったのかあの時の俺ももああいう男だったのかも確かめようがなくそもそもあの関係があったのかあの女が存在したのかすら根拠が失われてただひたすらに不透明なモヤの中で宙ぶらりんのまま時間だけが過ぎてゆく焦燥感に駆られながらああやっぱり俺は自分のことしか考えていないのかもしれないという自己を直視しているようでいて実は厳しい答えを先取りしたぬるい安心感にひたりながら結局は何者にもなれない人生を俺は生きる。
山登りを始めようと思い立った人間が、いきなり重装備が必要な山に挑むな。
言語仕様としてはとても褒められたもんじゃないけど、HSPをやりなさい。
(やりたいことが少ない命令で出来るようになってるから)
とりあえず、見下ろしRPG風の画面でキャラクタを歩かせなさい。
次はブロックを1個を置いて、キャラクタがブロックにぶつかったら止まるようにしなさい。
次はブロックを迷路状に置いて、ゴール地点についたらゲームクリアと表示できるようにしなさい。
ここまでやって(もしくは途中で諦めて)みてから、
昔の「真面目なのは格好悪い」は「不真面目なのが格好良い」とイコールだったけど、今の「真面目なのは格好悪い」は「生きること自体が格好悪い」とイコールになりつつある気がする。
その中間段階として、生きることがバーチャルになってる感があるのは非常に普通のこと。
生きることが格好悪いのは、生きる意味が無く、意味のないことに精一杯なのが格好悪いという考え方。
以下元増田に向けて。
本当に真面目に行きたいなら「現代版真面目に生きる」の解法を考えること。
あと、今の元増田の考え方でストレス無く生きるのは無理だと思うから
「諦める」とは智恵の眼(ちけいのまなこ)で真実を識ることだ
ikiro
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
なんか、日本もビザの発給をっていうひとがいるけど、そういう人は日本とほかの外国の関係をどうおもっているんだろう。
政治的な問題で、簡単にビザの発給を取りやめる国 という印象を 諸外国が持つ方がまずいだろ。ジャパンリスクといわれかねない。
死刑制度においては、欧米先進国では現在廃止に向かってるのが一般的だけど、それは死刑代替刑罰が既にあるためであって、
日本のように閉鎖的で保守的な国においては代替案がないため、現状死刑を執行されなければならない。
これに社民や民主、自民の左派系の議員たちが死刑制度撤廃を訴えてるが、彼らの言い分には確かに一理ある。
しかしながら、死刑はそれに代わる量刑、例えば、アメリカでは死刑に代わって「仮釈放なし終身刑」や「禁固500年」といった刑罰を科してるといったケースが多い。
わが国においても同じように終身刑の制度化や厳罰化を基本とした刑法の強化をすることで死刑は撤廃させられるんじゃないかと思う。
なので、そうした量刑が制定されない限り、また代替案を提唱もしないで死刑制度に反対することはナンセンスだと言える。
先に挙がった欧米各国ですら、死刑制度撤廃には慎重であって、現在の代替案が施行されたため撤廃に至ったわけであり、日本の議員らはこの部分が抜けてる。
ただ、感情論になってるとしか思えない死刑反対論議を見ていると、では倫理的に見て死刑制度が撤廃されたことによる被害者感情は尊重されないのか、という点においても彼らは投げっ放しだ。
現在国民感情が右傾化してる中で死刑反対している人達は彼らを納得させ得る程の死刑代替刑罰を提唱し、施行する準備が出来ているのか問いたい。
とりあえず
A・ラミレス(DeNA) 通算2000本安打まで、あと 7本 中村紀洋(DeNA) 日米通算2000本安打まで、あと 27本 通算2000本安打まで、あと 32本 谷繁元信(中日) 通算2000本安打まで、あと 31本 谷佳知(巨人) 通算2000本安打まで、あと 86本
といって光使うのも何だかなあ…
元々ジェイコムは日本では真っ先に率先してケーブル移行を推進してて
今はそこに胡坐を掻いてる状態だから、電話しても上から目線なのはそのため。解約が妥当だよね。
売り文句である「地域密着型」も実際は関西なら人口密集地が主要な大阪を拠点としてその周囲に数十件フランチャイズ店もどきを出店してるだけ。