はてなキーワード: エホバとは
憲法学の通説によると、信教の自由には親が子供に自分の信仰する宗教を教育する自由も含まれる、らしい。
両親が子どもに自己の好む宗教を教育し自己の好む宗教学校に進学させる自由、および宗教的教育 を受けまたは受けない自由も、信仰の自由から派生する。
第18条 4 この規約の締約国は父母及び場合により法定保護者が、自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。
つまり、親が自分の信仰する統一教会だのオウムだのエホバだのを子供に教え込んだり、集会に連れ回したりするのも憲法と国際人権規約で保障された人権の一つ、ということになってしまう。
親が家の資産を売り払ったり子供の学費を払わずに献金しまくって自己破産するのも、自分の金の遣いみちを自分で決めてるだけだから子供が教団から金を取り返すことはできない。
親が正体を偽った勧誘によって入信した場合は、親が教団を訴えれば献金を取り返すことができる判例はある。でもそれは親がカルトから目覚めて脱会した後ではじめて可能になる話で、子供がカルトを辞めたがってても親がカルトにハマり続けてる場合はどうしようもない。
具体的な暴力や育児放棄がないと児童相談所も介入できなさそうだし、親の信仰を辞めさせることはできない以上、さっさと親子の縁を切って自立していく以外の解決はなさそう。
なんでキリスト教やイスラム教はLGBTを差別してても男尊女卑でも性的虐待が起きても信教の自由、文化の自由として尊重されるのに、
オウム真理教や統一教会やエホバや幸福の科学はカルト、キチガイ扱いされて白い目で見られるんだよ。
むしろ前者だってそんなに尊重する必要ないだろと言ってるんだよ。
キリスト教やイスラム教だってそのせいで戦争が起こったり、LGBTが差別されたり、性的虐待が起きたり、碌なもんじゃないだろ。
イエス・キリストが処刑されたのだって、きっと当時の人々から見れば麻原彰晃と同じように見えていたんだと思う。
宗教なんて個人の趣味・思想と同じなんだからいちいちそんなに尊重しなくていい。キリスト教イスラム教の教えより当たり前にLGBTの権利が大事だし、女は土俵に上がってはいけないこの山に登ってはいけないとかも意味わからない。
うちも母親が熱心な会員だったけど、ここに書いてる事ちょっとライト過ぎない?
熱心に通ってたのは30年も前になるから今は変わったのか知らんけど、今回の容疑者が体験したのも当時だと思うので追記させてもらう。
あと数ヶ月に一回の大きい大会と、元朝に九段下に集まる元朝式があった。
「捨て育て」の主戦場。午前中のこれのために、子供がいても置いていく。子供が泣いて追いすがっても置いていく。でもうちの親はなんだかんだ甘い気質だったからたまに連れて行ってくれた。でも迷惑な個別訪問ピンポンしまくって「うちは宗教ではなくて社団法人の認可を頂いていて〜」って語りまくって、文字通り門前払いをくらう母親を見てるのは辛かった。でも置いてかれるよりマシだった。(村上春樹の1Q84を読んでて、あの頃の嫌な気持ちが蘇った。NHKの集金のあたりだったかな。)
朝起き会は5時からだからって5時起きみたいな感覚のブコメも多いけど、なめてもらっちゃ困る。5時に会は始まるんだから、それよりもっとずっと前から掃除と会場の準備があるから、熱心な会員の起きる時間は3時30分です。
たまにわたしも連れて行かれていたけど、退屈で外をウロウロしてたら不気味な男が10円玉を無言で差し出してきた。走って逃げたけど、まだ暗い早朝に子供が一人でウロウロしてたらまあ危ないよね。
天皇陛下です⭐︎創始者の上廣えいじって人がいた時はその人がかなり崇められてたけど、基本宗教っていうより、保守的な政治活動団体なので、壇上には日の丸と共に
「朝起きは お国を興す 第一歩」みたいな標語がババーーンと掲げられてる。本当国防婦人会みたいな。三つ指ついて夫を迎えるとかそういう教え。
保守系の政治家(市議会議員から国会議員まで)はよく来てた。大事な集票活動のひとつだったと思う。
こんな感じだったので、熱心にやる人だと会誌を毎月買いまくったり親戚縁者みんなこっそり会員にして会費自腹で負担するとか、他のトラバでもあったけど学校の先生にも勧誘するとか、結構家族はキツかったんじゃないかな。早起きが素晴らしい事ってのに対してのアレルギーは私もある。
・桜田淳子の合同結婚式(1992年)は当時年齢1桁なので記憶に無い
・オウム事件の時に『オウム以外のカルト宗教』的な扱いの番組で触れられ、(桜田淳子のかは不明だが)合同結婚式の映像も見た
・文鮮明が始めた(一応)キリスト教の影響の強い宗教であること、純潔運動をしていること、霊感商法の問はネット以前から知っていた。
・純潔キャンディも一度もらったことがある(本当にやってるんだ! 的に感心した記憶がある)。それが統一協会の運動なのは『ちゆ12歳』で知った。
・大学はプロテスタント系だったが、特に注意喚起はされなかった。たまたま事務室を見たときに『統一協会のダミーサークルについての警告』的な掲示はあったから活動はあったのだろうが、大学が厳しく取り締まっていたのだろう。
・ネットをするようになってから『勝共連合が統一協会の団体であること』『自民党議員と繋がりがあること』という通り一編の話は聞いた。が、結局のところ『勝共連合』の運動をリアルに目撃したのはその10年後だった。
・当時のネトウヨのご多分に漏れず嫌韓で、今も表現の自由戦士をしているくらいだから統一協会自体は『嫌いな団体』ではある。が、実は2022年現在でも『統一協会』として活動しているのをリアルで見たのは先述の『純潔キャンディを配っているのを一度受け取った』『勝共連合の街頭演説を見た』だけだ。
・余談だが他の宗教団体との接触経験について言うと創価の勧誘は何度かされた。エホバはたまに玄関まで来る(典型的な女性2人組だ)。幸福の科学のビラも入っていたことがある。
・嫌韓で統一協会嫌いのネトウヨなので当然ながら「統一協会が自民党と繋がりがある」という話を聞いた時には「本当だったら嫌だ」という理由で調べた。が、『集票や選挙の時の人手としての付き合いはあるだろうし、秘書がいるのも本当だろう』し、『政治家なんて票と金には弱いのだから一定の協力が得られたら感謝のメッセージくらい送るだろう』とは思ったが、『じゃあ創価より影響力あるか?』と考えた時の答えはNoという結論になった。なのでそれ以降は陰謀論は話半分程度に聞いていた。
・秋葉原で「児童ポルノ単純所持規制賛成」デモをしていたのを友人が目撃し、「統一協会の方ですか?」とストレートに聞いたらあっさりイエスと言われたらしい。
こちらを読んでうなづけるものがあった。たしかに免疫がないので手練に勧誘された時に、はたして自分がしっかり対応できるのかと不安になる。
https://togetter.com/li/1914405
今までずっと親が変な宗教にハマったりしたら怖いなくらいにしか思ってなかったけど、考えてみたらそもそも勧誘なんて全然されたこともないし(宗教絡みだと子供の頃エホバの人が家に来たことくらい)
20~30代の頃は色んなことに夢中になって充実していたのであまり隙はなかったように思う。
でもここ最近はというと人とのつながりも希薄になったし、以前より夢中になることはだいぶ減ったし、なにか趣味でも持たないとなあとぼんやり思ったりして
仕事も惰性でまあなんとかやれてるうちはいいかとか、わりと心の中は退屈だったり、一番大きいのは人に対して優しくなってきてしまったというか、
昔は他人の気持ちを推し量るとか全然できなかったのに、そして今もできてるとは言えないんだがやたら相手の気持ちになってみようとしてしまったりして、
相手を許容しようとか、なんか綺麗事のような感じで良い人でありたいという気持ちがどんどん強くなってしまっている。
恐らくだが、怪しい商売や宗教みたいなのはこういう気持ちもうまく利用して勧誘してくるとこがあるんじゃないかと思っている。
例えば興味本位で関心を持ったとしても、自分はお金はないしケチなので、最終的にお金の話が出たところで一気に冷めるはずと思ってはいるんだけど、
そこも時間をかけて人間関係とか作られていったりしたら、自分の居場所ができたような帰属意識みたいなのできてしまったら、残りの人生はそれで充実するならそれもいいかとか、思ってしまう可能性はないとは言い切れない。
自分本位に生きてきたから基本的に根っこのとこでは自分しか信じてこなかった。だから騙されてる人とかなんでわからないんだろうと思ってたけど、そういう人間こそいざ自分が弱った時にコロっと騙されてしまうのではないか。
自分としてはとにかくあの手この手でお金を取ろうとしてくるとこは全部おかしいと思っているし、お金を取らないなら別に宗教とか好きにすればいいと思っているんだけど、それも極端だろうか。
なんでキリスト教やイスラム教はLGBTを差別してても男尊女卑でも性的虐待が起きても信教の自由、文化の自由として尊重されるのに、
オウム真理教やエホバや幸福の科学はカルト、キチガイ扱いされて白い目で見られるんだよ。
むしろ前者だってそんなに尊重する必要ないだろと言ってるんだよ。
キリスト教やイスラム教だってそのせいで戦争が起こったり、LGBTが差別されたり、性的虐待が起きたり、碌なもんじゃないだろ。
イエス・キリストが処刑されたのだって、きっと当時の人々から見れば麻原彰晃と同じように見えていたんだと思う。
宗教なんて個人の趣味・思想と同じなんだからいちいちそんなに尊重しなくていい。キリスト教イスラム教の教えより当たり前にLGBTの権利が大事だし、女は土俵に上がってはいけないこの山に登ってはいけないとかも意味わからない。