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2021-01-22

神様信仰することのアホらしさ

タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人神様信仰していない。私は神様ではなく自分幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人信仰している。

私の家系日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家仏壇を拝むときだけだ。クリスマス初詣もするし、お守りを持つこともある。

このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如である批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。

しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。

日本人宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教儒家思想キリスト教などが入ってきても変わらなかった。

このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系災害の多さに求めた。日本人古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国植物動物の息吹があまねく見受けられるのである

こうした環境日本人精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米中東のような一神教的な絶対神日本征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教神の国の一部として取り込まれるのだから

遠藤周作小説沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本根付かず改変されていることを元宣教師フェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなである

一方でキリスト教イスラム教などの一神教誕生したのは、砂漠の国中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。

それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパ民族合理的従順だったかであるヨーロッパ生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャローマ代表される科学合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。

ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本一神教が人々を統べる欧米中東差異が分かる。そして、これが日本無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。

一神教宗教観は日本無宗教非難するが、それは無宗教神様信仰しないからだ。一神教の神は世界創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教非人間的な態度であり、シリアルキラー同類存在なのだ。先の私の小学校先生無宗教人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由無宗教に求めたのだ。

その上で私は一神教宗教家の方々の私の宗教観への批判反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。

先ほど私は日本宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである

私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。

沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしま申し訳なさで死んでしまいそうだ。

何か危機に陥ったときにかつては祭祀加持祈祷に頼っていたであろうが、科学時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。

今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。

では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなとき世界沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。

だが、それは私が世界とのコンタクト放棄しているかである世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである

私は長々とここまで語ったが、私は他人宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。

私の記事は以上だ。

2020-11-09

anond:20201109140520

日本にはあらゆる思想宗教根付かない、日本は泥だ」

と書いた遠藤周作の慧眼に脱帽するわ

2020-07-30

anond:20200730201430

川端康成 や (一部)坂口安吾遠藤周作海外古典SF ディック とかは好きだし

古典ラノベ 吉岡平とか神坂一 や なろう は面白みを感じるので

単純に好みやろな

2020-02-25

anond:20200225104746

普通にエンタメ的に面白い

坂口安吾とか川端康成とか三島由紀夫とかフツーに映画化されとりますやん

遠藤周作は純文でいいのかな?『月光のドミナ』と『沈黙』がオススメ

子どもの頃、日本現代作家の本を読んだけど(星新一新井素子)全然合わなかった。大人になっても芥川賞とったり流行ってるのパラ見したけど合わなかった

海外児童文学のが読み応えがあるし感性が合う

2019-11-05

anond:20191105141249

2019-10-21

anond:20191021234456

俺は遠藤周作の「沈黙」を読んで神を信じられなくなったよ。

2018-10-03

沈黙という映画

遠藤周作原作マーティンスコセッシが監督して作ったもの。窪塚とか出てる。

ポルトガル語を話しているはずの神父英語を話していたり、村人が結構英語を解するあたり違和感があったが

まぁそれはいいとして

途中で踏み絵をすることになったらどうすればいいと悩む村人に、一人の神父がtrembleといった。

一人はそれに対しYou can't と血相を変えた。

どうやらtrembleは字幕では「踏むのだ」と訳されているが、英英辞典でも震えるとかそういったニュアンスしか載っていない。

するとこれは意訳なわけだが、踏み絵をする→震える というあたりの感覚イマイチからないと同時に新鮮だった。

踏むのだ、(さすれば恐らく神の怒りを震えて待て)くらいの文脈解釈できる。

あとパライゾといった村人にパラダイスと訂正するシーンがあったがポルトガル語ではパライゾで音的にはそんなに間違ってないのでは?と思ったりもした。

そもそも棄教踏み絵ではなく、棄教したら二度とキリスト教回帰しないことを神の名の下誓わせるという日本頭脳プレー

功を奏しているらしいので「踏む」「踏まない」で序盤逡巡しているあたりが謎だった。まぁ原作がそう描いていたら仕方ないかもだが。

2018-07-29

https://anond.hatelabo.jp/20180729143005

メスも求愛行動するよ。

遠藤周作動物園チンパンジー自分に向かって唇をブルブル震わせてるから、何かと思って飼育員に尋ねたら、求愛行動だったという話を本に書いてる。

まあ、チンパンジー人間に対して求愛行動をするのは、抑圧された環境下のストレスによる物らしいが、あんまり微笑ましい話じゃないんだけどね。

っつーか、檻に閉じ込めたり首かっ切って食肉にするのは良くて、結婚ダメ、というのもそれはそれで根拠を示さなきゃならん話ではあるが。

2018-01-11

anond:20180111110957

バイブルヘッセの「車輪の下

自分に大きな影響を与えた(いろんな意味で)本は他にもいくつかある

人間失格」/太宰治

沈黙」/遠藤周作

「集合位相入門」/松坂和夫

2017-08-30

作家呼び捨て名字名前

筆名に名字というくくりはふさわしくないかもしれないがあくまでも遊びということで。
批評も愛憎も好き嫌いも含めて呼び捨てにされる作家たちがいる。名字だけで、名前だけで、その作家が思い起こされる作家がいる。そこに何かつながりめいたものはないか自分の印象をちょっと羅列してみる。

呼び捨てにしたい名字

大江、石牟礼川端、塩野、志賀、司馬、城山、太宰、三島、谷崎、つか、筒井、星、津本、中上、ねじめ、野坂、灰谷、埴谷、百田、舞条、町田、丸谷、向田、安岡、横溝、横光、池波、伊坂、井伏

呼び捨てにしたい名前

乱歩、独歩、安吾、花袋、蘆花、荷風、らも、昌也、芙美子、一葉、四迷、万太郎、清張、朱門、実篤、春樹、鴎外、漱石、登見彦、ナオコーラ詠美風太郎、一力、周五郎、獏、淳之介、ばなな、鏡花

フルネームで呼びたい

安部公房遠藤周作大藪春彦佐野洋田中芳樹陳舜臣小松左京中村文則恩田陸南條範夫西村健太、馳星周長谷川伸北杜夫東野圭吾平野啓一郎福井晴敏堀田善衛海野十三宇能鴻一郎柳美里夢野久作

特殊

織田作、寂聴(瀬戸内寂聴は無論名前で想起するのだけど、瀬戸内晴美時代作品もあるから

2017-08-24

https://anond.hatelabo.jp/20170824024345

遠藤周作かだれかが三島由紀夫若者名前ではあるが、老人にはなれない名前だったから、短い人生を送ったというようなことを言っていた気がする。

それを踏まえて、自分の子供にはその名前幼児がいても、その名前の老人がいてもおかしくないような名前にした。

自分名前はまず性別から間違えられるので、子供にはそういう苦労をさせなような名前にしたつもり。

2017-07-05

短編小説書き出し考

僕は小説を読むのは好きなのだ文章を読むのはあまり好きではないという、どうしようもない性質を持っている。

酷いとき最初の一行を読んだだけで本を放り出すこともある。なにか事件が起こる前にだらだらとまえがきのようなものが続くともう読む気が失せてしまうのだ。

なので冒頭ではさっさと本題に入って、その世界に引きずり込んでほしいと常々思っている。

特に気合を入れて臨む長編と違い、軽い気持ちで読み始める短編ではその傾向が強い。

そこでちょっと気になったので短編小説の書き出しをまとめてみた。

【日時型】

これは、れい飲食店閉鎖の命令が、未だ発せられない前のお話である

太宰治 眉山

それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。

江戸川乱歩 D坂の殺人事件

それは新婚二年目の夏のことでした。

筒井康隆 傷ついたのは誰の心

【情景描写型】

フロントグラスがいつの間にかまた薄く曇り始めた。

石原慎太郎 完全な遊戯

風があるわけでもないのに、空気の中には埃が混じっている。

中沢けい 入江を超えて

それは、人間の誤った趣味とか定説によって半分腐らせたような肉とは違い、歯ごたえも、血が混じった肉汁も、すんだうまみを持つ牛の肉だった。

宮本輝 暑い

女の髪は緋色でも金髪でもなかった。

中上健次 赫髪

【行動描写型】

少年は重い砂袋のような、この泣きやまない少女を引きずって、雨のなかを歩くのにくたびれた。

三島由紀夫 雨のなかの噴水

僕はくらがりの石段をのぼってきて何か堅いかまりに躓き向脛を打ってよろけた。

小島信夫 馬

ブザーが鳴った時、す速い反応を示したのは男の方だった。

瀬戸内晴美 ふたりとひとり

セザンヌの部屋の男の子は、うらの崖の石垣に蟹がいるのを見つけた。

庄野潤三 蟹

【状況描写型】

よく考えてみると、私はこの二年ばかり、革命にも参加せず、国家家族のために働きもせず、ただたんに少数の女たちと飲食を共にするために、金を儲け、夜をむかえ、朝を待っていたような気がします。

武田泰淳 もの喰う女

Bの家には、もう何代も、あるいは何十代にもなっているかもしれない昔の祖先が死なずにそのまま生きつづけている。

安部公房 家

このところ、やや下火になっているが、先般、戦争中の従軍慰安婦のことが、大騒ぎに騒がれた。

古山高麗雄 セミの追憶

私の姉は、夏休みだというのに実家にも戻らず、両親を心配させています

山田詠美 花火

そういうのは世の中にはよくある例なのかもしれないけれど、僕は妹の婚約者そもそも最初からまり好きになれなかった。

村上春樹 ファミリー・アフェア

【会話型】

「俺はここで死ぬのかな……」

夢野久作 童貞

スプリットタンって知ってる?」

金原ひとみ 蛇にピアス

あなたがたの生活は、人間生活じゃない。天使生活だわ」

中村真一郎 天使生活

「暗いとこですなあ。それにここには四つしか病室がないのですか。寂しいですなあ」

遠藤周作 男と九官鳥

概念型】

暗黒の深淵がこの現実世界のそこかしこにひらいて沈黙をたたえており、現実世界は、そのところどころの深淵にむかって漏斗状に傾斜しているので、この傾斜に敏感なものたちは、知らず知らずのうちにか、あるいは意識してこの傾斜をすべりおち、深淵の暗黒の沈黙のなかへ入りこんでゆく、そして現実世界における地獄体験するわけである

大江健三郎 後退青年研究所

貧乏というものが、ある欠乏と云ったものではないことはたしかだ。

安岡章太郎 愛玩

世の中でいちばん馬鹿ばかしいものは、二つあって、一つは兵隊、もう一つは恋愛だと思うな。

丸谷才一 贈り物

他にもタイプはあるのだが主だったところはこんなもんだろう。

こうしてまとめてみると僕は【状況描写型】が好きなようだ。

この小説は明るい話なのか、暗い話なのか、どういったテーマなのか、いったいどこへ向かっているのかを早々と提示してくれるのはものぐさにとってはありがたい。

みなさんはどのタイプの幕開けがお好きでしょうか?

2017-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20170222092540

①多くの人にとって切実な主題テーマメッセージ)があって、②それを物語という形でうまく表現できていて、③何かしらの新しさ・斬新さがあると「名作」と言われることが多い。

逆に言えば、①’そんなこと悩んでるのはお前だけだとか、②’「あなたの言うことはもっともだけど、別に物語表現する必然性はないよね、論文でいいよね」と言われちゃうものとか、③’それ昔○○先生がやったよね?、みたいなのは名作とされづらい。

いま本棚を見ててこれに当てはまるので分かりやすい例は、遠藤周作の『沈黙』。最近映画化された。

これは、①執筆当時問題になっていた、カトリックプロテスタントの歩み寄り運動エキュメニズム運動)の争点を、キリスト教不毛の地日本舞台表現した。

物語としてのエンタメ性も高く、③そこでのキリスト教観も新しかったために、大ヒットした。

ちなみに①について、時代を超えた悩みについて書かれたものは、歴史的な名作になる。

[追記]

「『名作』と言われることが”多い”」と書いているのに、上の3つの要素が名作の絶対条件であるかのように誤解して、叩いてる人が多すぎる。

2017-02-02

遠藤周作の「沈黙

あれを政治的に読むっていう感覚自分には全くないな。

2016-12-26

遠藤周作原作でスコセッシ監督の「沈黙」という映画

日本隠れキリシタン弾圧を題材にした映画らしい

是非観たいな

日本人キリスト教徒に本当に一方的に酷いことをしたと思う

廃仏毀釈とかハンセン病隔離とか小笠原事件重慶爆撃や花岡事件とかこの国は本当に滅茶苦茶な国だった

ハンセン病患者を題材にした河瀬直美監督映画もすごく良かった

映画界にすごく良い流れが来ていると思う

袴田冤罪事件花岡事件とかも映画化して欲しい

2016-12-13

君が代の不起立のニュースを見る度に、心では反抗したままでポーズだけとればよくね?って思ってしまう。

遠藤周作の「沈黙」も、こんな辛い思いしなくても心の信仰不可侵なんだからさっさと踏み絵すりゃいいやんって思う。

SMAPにしても、頑張ってビジネス仲良しなよって感じ。特にこっちは信念とか信仰かい自己満足じゃなくて金がもらえるんだぜ?何故やらない?

こういう意見って全く見たことないから多分自分人間として欠落してるんだろうな。

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