はてなキーワード: 死ねとは
子の人生の責任取れないなら、取れないなりに尽力するしかないと思うね
自分は子供の人生の責任取れないと思うので子供は作らないが、もし子供がいてもう死ぬしか解決方法がないくらい辛いと言われて手を尽くすすべも無いんだったらせめて楽に死ねるように準備をすると思う
身障ナマポの兄が利用しているヘルパーが中国人とベトナム人のヘルパーが大量離職したことで、
週2回入ってたヘルパーが隔週1しか入れなくなったとのことで、私に応援要請が来た。
お前散々外国人排斥思想を陳列してきたネトウヨじゃん。お前の望む通り外国人がいなくなってよかったじゃん。
そもそも代々共産党員として活動してきた我が家を裏切ってネトウヨに走ったお前を助ける訳ないじゃん。
それでも身障でナマポを使わないと生きていけないお前がろくな審査もなしにナマポを受けられたのは、
共産党のおかげで生きていけるのにネトウヨするようなクズを助ける理由なんか何も無いじゃん。
私:ゆとり世代
夫:氷河期世代
うちには1歳の息子がいて、さっき町内会の用事で5分ぐらい家空けるから夫に「ちょっと外出てくる」つって家を出たのさ。んで帰ってきたらビッくらポン。息子がテレビ台に乗って棚からペンケースをとって、色つきサインペンを食っててさ、口の中がカラフルになってたんよ。そいで「見ててって言ったじゃん!何これ」って叫んだら、夫「は?見ててって意味だったの?」つってポカーンみたいなさ。めんどくせえなと思ったから「そうだね。そこまで言ってなかったね」つってもうそれはそれでフィニッシュよ。こういうのがうちの夫婦多くてさ、なんかだんだん会話とかそういうの面倒くさくなってきてさ、どうしたらいいんだろう。なんかゆとりって空気読みの世代とか言うじゃん。言わない?いや、言うとしてさ。だからゆとりはわざわざそこまで言わなくても男女関係なく大概は話通じるんよ。なあ、ゆとり。そうだろ?1歳を置いて「ちょっと外に出てくる」言ったらそれってつまり「みててちょうだい」ってことになるだろ?え、ならないの?実際みんなどうなの?私ももちろん言葉が足りないところはあるよ。これ察してちゃんなの?死ねばいいの?
私:ゆとり世代
夫:氷河期世代
うちには1歳の息子がいて、さっき町内会の用事で5分ぐらい家空けるから夫に「ちょっと外出てくる」つって家を出たのさ。んで帰ってきたらビッくらポン。息子がテレビ台に乗って棚からペンケースをとって、色つきサインペンを食っててさ、口の中がカラフルになってたんよ。そいで「見ててって言ったじゃん!何これ」って叫んだら、夫「は?見ててって意味だったの?」つってポカーンみたいなさ。めんどくせえなと思ったから「そうだね。そこまで言ってなかったね」つってもうそれはそれでフィニッシュよ。こういうのがうちの夫婦多くてさ、なんかだんだん会話とかそういうの面倒くさくなってきてさ、どうしたらいいんだろう。なんかゆとりって空気読みの世代とか言うじゃん。言わない?いや、言うとしてさ。だからゆとりはわざわざそこまで言わなくても男女関係なく大概は話通じるんよ。なあ、ゆとり。そうだろ?1歳を置いて「ちょっと外に出てくる」言ったらそれってつまり「みててちょうだい」ってことになるだろ?え、ならないの?実際みんなどうなの?私ももちろん言葉が足りないところはあるよ。これ察してちゃんなの?死ねばいいの?
「円安より円高のほうがいい。何故なら~」みたいなブコメはわかるんだが
「円安より円高のほうがいい。円安で喜んでる無知は死ね!」みたいなクソコメなんなん?対立煽りならカスだし無自覚なら馬鹿すぎ
毎日死ぬことばかり考えてて、週末は当たり前のように家に引きこもって風呂キャンセルする典型的ミドルエイジクライシスです。
さらっと書いてますが、とにかく何をするにも「死ねば無意味」という言葉が邪魔をして、やる気が全く湧いてきません。
そこに来て身体的なガタがきて、スポーツはもちろん、ウォーキングもままならない状態。いわゆるよくある八方塞がりですね。
テレビを見てもネットを見ても近しい世代の訃報が毎日のように流れてきて、見ないほうがいいとわかっていながら、速報とかで不意打ちをくらっては鬱に落ちる。
見る夢全部自分が追い込まれる夢で、夢だとわかっていながら現実にも悪いイメージを引きずってしまう。
考えること全てが悪い方向に転がり、その先に待っているものは死。虚無。
それが全ての今を否定する。
あぁ、こうやって人間は鬱になっていくのかと実感するような毎日。
ただ、やっぱりこのままじゃいかんなと思って、なんでそういうふうに考えてしまうのか自分なりに向き合うことにしてみました。
そうすると、どうもなんだか死というものを色々な言い訳にしているような自分が見えてきました。
今抱えている不安というものを色々と並べてみたら、全部がなにかの言い訳みたいに思えてきて、それが何の言い訳なのかを考えたら、要するに今生きるための覚悟に対する言い訳だっていうことに気が付きました。
どうせ死んでしまうことを、ずっと何かの免罪符のようにしているように思えました。
それはたしかにそうかも知れないけど、今生きている事実も現実です。
それであれば、生きている限りは生きる覚悟が必要なのではないか。そんな感じでこの言葉に連想がつながっていきました。
これが面白くて、それまで死という虚無が襲いかかってくるとやんわりと丸め込まれてモチベーションがなくなっていたものが、「死ぬまでは生きる覚悟」を決めたという気持ちがあると、とりあえず一瞬ではねのけられるようになりました。
負の連想ゲームを、一言でキャンセルできるようになったというとわかりやすいかも知れません。
夜、布団に入ってふと不安に襲われた時、夢うつつの段階で急に死を意識してしまう時、飛び込んできた訃報に悲しみより先に虚無感に襲われた時、自分が「死ぬまでは生きる覚悟」を決めたのだと思うようにすると、それ以上不安なことを考えなくなりました。
そんなに単純ではないかも知れませんが、でも、いつ死ぬかわからないことをずっと不安に思い続けるより、どうせいつか死ぬのだから生きている限りは生きるのだというように覚悟を決めてしまえば、あとは全てを受け入れるだけになったような気がしました。
まだそう思うようになって時間が短いのでこれからまた別の不安に襲われるかもわかりませんが、他にもこんな方法があるよーなんてアドバイスが欲しいです。
突然鬱な展開でごめんね。