はてなキーワード: 中川家とは
だいぶ前の中川家の漫才でネタの途中こんなくだりがあった。剛が聞こえませーん、って耳に手をあててるときに礼二に突っ込まれたと記憶してる。
正直小嶋がなんだったかとかなにしたとか、全然覚えてない、検索したらわかるけど、興味ない。けど、そのくだりはすごくよく覚えてる。その程度だけど、なんか政治とテレビの距離が、大衆との距離が近かった気がする。オールオアナッシングで、賛成か反対じゃなくて、ちょっと笑えるかんじの、風刺までいかないけど、それくらいのこと、テレビではもうやらんのかな。
ネットはたぶんもっと言いたい放題なんだけど、あけすけすぎて面白くないし、視聴者はわざわざそれを見に行くので、番組の主張ありきでつまらないと思う。
政治番組じゃなくて、政治バラエティでも無くて、なんか、もう少し肩の力を抜いて政治をネタにするってないのかしら。
ウーマンラッシュアワーみたいな汗臭いやつでも無くて。
わかるわー
ブコメにあった中川家のyoutubeのコメントによればアドリブあっての同じ芸の繰り返しってことらしいけど、
逆に言えばアドリブがないただのマンネリ化した繰り返しはやっぱダメだよって話じゃねーか
最初youtubeで見て、ほうほう、ふむふむって感じだったけど、他の動画見てもいつも同じネタばっかりで全然おもしろくもなんともない
むしろいろんな粗雑さをワイルドだろぉ~っていうネタにしてくるもんだとばかりに思ってたのに
ずーっとコーラばっかり
一個のネタをいろんな角度からアドリブ込みで毎回笑わせてくれるならまだしも、毎回まったく同じネタを繰り返しするとか芸人じゃない
面白かった^^「さらば愛しの大統領」柴田大輔氏が監督してます!
公式コメントより
独立国家宣言をした世界のナベアツが、大阪合衆国初代大統領に就任!そんな時、謎の大統領暗殺予告が届く。
大阪府警捜査一課随一のアホコンビ、早川刑事(宮川大輔)と番場刑事(ケンドーコバヤシ)が暗殺犯の捜査に乗り出すが…。
次々現れる暗殺犯!操る謎の組織とは!?二人の刑事は大統領を守ることができるのか?合衆国に未来はあるのか??
○ギネスに申請!? 関西先行公開初日 舞台挨拶ツアーダイジェスト
○爆笑未公開シーン集(取調べNG大賞、ホルモン飛ばし選手権、神埼恵のナベアツ大統領インタビュー、「3」を言う世界の子供たち)
○さらば愛しの大統領クイズ(世界のナベアツ監督/ガイル/中川家/サバンナ高橋/フットボールアワー岩尾)
○公開直前サミット(世界のナベアツ監督×宮川大輔×ケンドーコバヤシ×レイザーラモンRG)
○串かっちゃんダンス(初級編/上級編)
出演者
宮川大輔、ケンドーコバヤシ、世界のナベアツ、吹石一恵、釈 由美子、大杉漣、志賀廣太郎、前田吟、宮迫博之、仲村トオル、水野 透、剛、礼二、高橋茂雄、河本準一、小杉竜一、岩尾望、RG
Oriconより
宮川大輔×ケンドーコバヤシが大統領暗殺犯を追う二人の刑事を熱演した、お笑いギャグ・エンタテインメント。独立国家宣言をした世界のナベアツが、大阪合衆国初代大統領に就任。そんな時、謎の大統領暗殺予告が届く。大阪府警捜査一課随一のアホコンビ、早川刑事と番場刑事が暗殺犯の捜査に乗り出すが…。次々現れる暗殺犯、操る謎の組織。二人の刑事は大統領を守ることができるのか!?特典ディスク付き2枚組。
http://anond.hatelabo.jp/20100111024741
ノンスタの弁護(?)を一応しとくと、ノンスタに限らず過去の王者も決して「M-1を境に以後トントン拍子にお茶の間の人気者の座を獲得し、(東京の)TVで大活躍」という図式になっていないんじゃないかな。例外は、柴田の病欠という不可抗力要因を補正したときのアンタッチャブルくらいじゃないの。
・中川家・・・うーん
・フットボールアワー・・・活躍はしてる方だけど上昇曲線が緩い感あり
・アンタッチャブル・・・上述
・ブラックマヨネーズ・・・去年ようやくブレイクしたが、それまでは停滞気味
・チュートリアル・・・同上
という感じで。みんな活躍してるといえばしてるけど、「優勝」という称号に見合うほどだったかという話ね。
スピードワゴン、南海キャンディーズ、タカアンドトシ、オードリー、U字工事などと比べると見劣りは否めないでしょう。
だから、M-1で決めてるのはあくまで「漫才(しかも吉本風漫才)」の順位であって、その順位に過剰な意味や期待を乗せるべきではないという意見はそれはそれで肯けるけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20100108092422
誰か書いてたけど、結局彼らはインパクトを残せなかったんだよな。
ますだおかだの増田のなんちゃって評論であったM-1は初物が優勝するというジンクスを破ったんだけど、結果的にジンクスが浸透していなかったこともあり、普通の優勝をしてしまった。
とまあドラマがない。
別に視聴者は毎年何が初物なのかなんて意識しては見ていない。でもそんな人にでもわかりやすいぐらいのインパクトを残して優勝してきたのが、M-1チャンピオンだ。特に第五回からの視聴率がとれるコンテンツになってからのものは。
オードリーの敗者復活からの一位通過はサンドもやっているけど、二年連続かも?と視聴者が思った時点でそれはあまりにも巨大なインパクトだった。まあなんとなく吉本主催のレースだからサンドに続いてさらに吉本帝国に一刺ししてやれ!と思う日本人気質も乗っかったしな。笑い飯の満点のインパクトも同様。
そういうこと。
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20100105/A
たいへん読み応えのある面白いM-1評で、納得できる点も多々ありました。
そして拝読後、真っ先に感じたのは、「このM-1評に納得し大いに感心する一方で、toroneiさんが大プッシュし『過去最高のチャンピオン』とまで賞賛するノンスタに依然としてモヤモヤした気持ちが残るのは何故だろう?」という点でした。
この点について考えてみたところ、出たのはバカみたいに単純な答えです。
私にとって08年優勝時のノンスタが、面白さ<努力の痕跡に見えてしまったこと。これが問題だったわけです。
これは、想像力がよほど欠如した人でもない限り誰でも簡単に推し量れることです。
M-1には、劇場で普段やっているよりもずっと短い4分間で漫才を疲労しなければならないというルールがあります(しかも時間超過したら減点されるというシビアさ!)。予選時には更に短い2分間でのネタ披露も要求されます。この時点で、出場する芸人には「普段のネタを抜粋・再構成する」あるいは「普段より格段に短いネタを新規に作る」努力が要求されます。これだけで相当な労力だと思うのですが、勿論そのネタは抜群に面白いものでなければならず、かつ実演の際も非常に高いパフォーマンスを求められます。
近年では「4分間という非常に限られた時間の中に幾つの手数を盛り込むか」が争点となっていると語られていました。とすると、極力無駄を削りつつ、かつ話の流れや設定はは容易に伝わるようにし、その上で笑いどころを可能な限り増やしていくことが課題となるわけです。それを実現するなど一体どれほどの努力が必要か、素人の私は気が遠くなる思いです。
もっと単純なことで言えば、「4分間×2の台詞を完璧に暗記」し、「一度も噛まず言い澱まず、適切な声量で聞き取りやすく、必要であれば大小のアクションを交え、最善のテンポと間合いを崩すことなく自分のセリフを披露」し、「以上のことを、ただでさえ緊張するのにゴールデンタイムのTVで大先輩が睨みを利かすという苛烈な状況下でも確実に完遂」する――こんなことを一体どれだけの人ができるか。それを考えるだけでも、出場者たちの並々ならぬ努力は簡単に想像できるはずです。
初年度で何も解らない手探りの状態で、優勝候補というプレッシャーだけしっかり課せられて戦った(中川家)。ラストチャンスに加え、非吉本という重圧(ますだおかだ、アンタッチャブル)。コンビ暦が浅く、前コンビでは両者がボケ担当だったところから漫才を再構築した(フットボールアワー)。優勝前にすっかり売れっ子になってしまい多忙を極める中での挑戦(アンタ)。ネタの内容・構造を大きく変えた(ブラックマヨネーズ、チュートリアル)。大会も知名度を高め「強豪」が定着する中、ほぼ無名状態で優勝をさらった(ブラマヨ、サンドウィッチマン)。過去に低評価を受けたというマイナス実績を背負い、その汚名をきっちり返上した(フット、チュート)。超弱小事務所所属に加え、敗者復活戦からの出場で本番への準備もままならなかった(サンド)。
それぞれが重荷を背負った中で、M-1の大舞台で漫才をしました。そしてその漫才は、ネタ・パフォーマンスともに素晴らしい出来であった。何の努力もなしにできることではありません。
「そこそこにお笑い好き」である私は、彼らが優勝目指してその年のM-1に挑んだとき、上記の情報を既に知っていました。
しかし、少なくとも個人的には、彼らのネタ中、「彼らの努力」について思いを馳せることはありませんでした。
例えばブラマヨのネタ中、私の頭の中を占めていたのは、「ヘイヘイオーライとかやってた人たちが、よくぞこんなに面白いネタを作ったなあ。すごい進歩だなあ」「これだけの台詞量を、こんなに噛まずに滑舌よくできて凄いなあ。しかも後半に行くにつれてどんどん怒鳴り合いか、素晴らしいスタミナと集中力だなあ」というようなことでは一切なく、「おもしれえええwwwwwwwwww」「村上ファンドwwwwww鮭よりハチミツwwwwwwwwwwwwwwバカスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」というようなことであったわけです。感慨や賞賛は、ネタがすっかり終わった後にじわじわと湧いてきました。
ノンスタのことは、大ファンとかイチオシではありませんでしたが、低温ながら応援していました。やっと出られたか。良かったなああ。面白いのをやってくれるといいな。去年の敗者復活はそれまでの年よりかなり面白かったよな。でもボケの細い子、繊細そうだから緊張しそうだな、心配だな。頑張れよ。大会前、そんな風に思っていました。
そしてネタ中、私の頭の中を占めていたのは「よく出来たネタだな」「2度ボケるシステム、よく考えたな」「凄い頑張ってるな」ということでした。
私は、ノンスタを、その工夫を、ネタの出来の良さを、練習量が凄まじいものであろうことを、並外れた努力を、即時に認めて評価し、賞賛し、あまり笑えませんでした。
「何言うてんねん。俺らは楽しそうにみせてナンボやろ。真面目なとこなんか見せてどないすんねん」
これはかつて明石家さんまが、「芸人は軽く見られる。裏ではたいへんな努力をしているのに」と愚痴をこぼした品川祐に向かって言った言葉です。
「努力の痕跡」と「笑い」は食い合わせが悪い。少なくとも、努力の痕跡は笑いにとって「ノイズ」です。私たちは「一生懸命に必死で頑張っている人を笑う」ようなことを「いけないこと」だと教えられて育っているのですから。
「お笑い芸人は何の努力もせずテキトーにやって笑いを取っている」などと考える無神経な人はそうそういないでしょう。私たちの多くは、さんまさんをはじめとする芸人たちが才能のみならず不断の努力によって「私たちをコンスタントに笑わせてくれる」という状態を生み出していることを知っています。裏返せば、それでも私たちが芸人を見て笑えるということは、「努力の痕跡を見せないようにできることが(一流の)お笑い芸人の条件である」とも言えるのではないでしょうか。
08年M-1は、かつてなく優勝者に不満があがった年でした。toroneiさんは「お笑いファンは皆ノンスタ優勝という結果に納得している」と書かれていましたが、実際はやはり「ノンスタが優勝?え?」という声が非常に多かったと思います。そして私もその一人です。
しかし、私は決して、ノンスタのネタが悪かった、つまらなかったと言っているのではないのです。彼らは優れたネタとパフォーマンスを披露したが、「頑張り」がそれを上回って伝わるような出来に見えたため、残念ながら「高評価だが笑えない」という結果になってしまったと言っているのです。そして、それまでの優勝者が成し遂げてきた、公然の事実である「血の滲むような努力」を舞台上では見せない、あるいはすっかり忘れさせてしまう、という「努力」を怠った(もしくはそれを成し遂げる力が不足していた)コンビを優勝者に選んだという点においてM-1に違和感を抱いたのです。