はてなキーワード: カールトンとは
住宅街は高いフェンスで上が鉄条網が付いてて高圧電流流れてる壁に囲まれてた
住宅街入口は、もちろんマシンガンや手榴弾持ったガードマンがいて手荷物検査は金属探知機使う
家はプール付きの嘘みたいにデカイ家なんだけど、家にもガードマンの詰所があって勿論みんな銃もってるし
うちの庭を囲む壁も、やっぱり刑務所の外壁みたいに高くて、バズーカ砲の砲撃にも耐える分厚いコンクリート製
家の窓という窓は、猛獣でも大丈夫なごっつい鉄格子付きだし窓ガラスは全て防弾。
ドアは中に鉄板が入ってた
おまけに、最後の砦である寝室に行く廊下にも鉄格子が2つ付いてて
高級住宅街は、どこの家もうちと同じぐらいの備えなんだけど、
それでも毎晩のように強盗が集団で住宅街の外壁突破して来てご近所でドンパチの音が聞こえる
最初の頃こそ夜中に銃声が聴こえてきたら一晩震えて眠れなかったけど
半年もすれば、夜中の銃声で目は覚めるけど、音が遠ければその30秒後には夢の中に行けるようになる
翌日の朝、自宅外壁に弾痕があったことをご近所の人に話しても
「あ、そうなんだ」みたいな感じで「話に落ちはないの?」と言わんばかりの反応
よく行くスーパーで銃乱射事件があって10人以上死んだときとか
近くの銀行で手榴弾投げ合うような銃撃戦があってやっぱり大量に人が死んだときなんかは
さすがにご近所でも話題になったけど、一月もしたら、そんな事件なかったみたいに
みんな、またそこで普通に買い物したりするようになってた
kwskしたら即身バレなんでkwskできないけど冗談みたいな街だったよ
でも2ちゃんで言われるほどじゃないよ
日本じゃカールトンセンターは魑魅魍魎の住みかで超無法地帯みたいに言われてるけど
ま、最上階以外に誰が住んでるかなんて警察だって知らないだろうけどさ
アメフト選手みたいに体格いい男が銃も持たずに十数人程度じゃ、
まるで心許ないことはホントだし
強盗には靴まで取られるのはホントだから、強盗に財布取られた後に
また強盗に遭って服まで取られるなんてのは、全然あり得る話だけど
強盗団は基本夜来るんだけど、
ハイエナは夜行性だし、ちゃんと人間の顔覚えてくれるし、縄張り意識もあるし
耳と鼻が異常にいいから、赤外線センサーなんかよりずっと頼りになる感知器なんだって
まあ、噛まれたら指なんか全部無くなっちゃうぐらい噛む力強いから
一応現地人の名誉のために言っておくけど
善良な市民は、すごく陽気で勤勉だよ
霜月るな氏によるX(旧Twitter)へのポストが「飲み会参加セクシー女優が松本人志巡る週刊誌報道内容を否定(日刊スポーツ)」と話題になっている。
では、実際、どの程度、週刊誌の報道を否定しているのか。実際の記事と比較してみた。
霜月氏のポストは、3/3のポストと3/7のポストから引用した。週刊文春の記事は、2/15号電子版を引用した。
霜月るな氏 | J子さん(週刊文春2/15号) | |
① | たむけんさんがグラビアアイドルを飲み会に誘ったと書いてありますがあれは違います。私の友達なので私が誘いました。 | たむらと仕事を通じて面識を持った彼女は、十六年夏、「VIPと飲もう」と誘いを受けた。 |
② | 事前に松本さんとの飲み会とも聞いていました。 | - |
③ | (記述なし) | 「相手が松本さんとは知らされず」 |
④ | そして携帯を没収なんて言われてもないし携帯の利用を禁止。という発言なんてなかったです。 | 「部屋に足を踏み入れたJ子さんがスマホを手に取ったところ、田村が間髪入れずに制止する。「彼は『自撮りもあかんで!』と忠告してきました。(略)それ以降、スマホを触ってはいけない雰囲気になった」 |
⑤ | あと、たむけんタイムなんてありませんでした。笑笑 | 「そこでたむらさんが『お開きにしましょうか』と言ったので、私たちは彼女(※銀行員2人のうち1人)を置いて部屋から退散したのです」 |
⑥ | 部屋飲みと知っていたら絶対に付いていかなかった。と書いてありましたが。それも嘘です。なぜなら、私は事前にJ子さんにリッツカールトンで飲み会やけど大丈夫かな?っと事前に聞いてます。それもJ子さんからOKもらってましたし。 | 「飲み会の場所も教えてくれない。ザ・リッツ・カールトン大阪で飲むことは当日LINEで送られてきましたが、私はホテル内のレストランで会食するものだと思ってた」 |
いかがだろうか。
全体として、霜月氏は、記事に書かれていないことを否定しているように見える。
④「携帯を没収」「携帯の利用を禁止」や⑤「たむけんタイム」という発言は、週刊文春には無い。
さらに、⑥については、「事前にカールトンで飲むと連絡した」という点は一致していて、J子さんの証言の信憑性を高めている。
③の「J子さんが相手が松本人志だと知らなかった」件については、②で「霜月氏は知っていた」と言うだけで、否定できていない。(J子さんを誘ったのが霜月氏なら、霜月氏本人が告げたはずである)
唯一、明確な相違点は、①の「J子さんを誘ったのが霜月氏かたむら氏か」だけである。
この点にしても、J子さんが霜月氏をたむら氏のメッセンジャーと見なしていたなら、そういう認識になる可能性はある。
全体として、事実関係について、霜月氏の描写と週刊文春の記事に矛盾は無い。
少なくとも、橋下徹が言うような「週刊文春の取材不足、すなわち真実相当性を否定する重要な証拠になる」ものではないだろう。
つーか連合は壺やん
はよ手を切れよ
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202208200000084.html
ここで松下正寿なる人物に触れておこう。松下はキリスト教家系に生まれ1922年に立教大学を卒業。コロンビア大学でPh.Dを取得。カールトン大、ミネソタ大、ジョンズ・ホプキンズ大でも学ぶ。29年、28歳で母校・立教大教授に。67年には自民、民社党推薦で都知事選に出馬。翌68年に民社党から参院東京選挙区で当選。1期務めている。議員時代の73年、統一教会の文鮮明に面会し心酔。74年に統一教会が主導する世界平和教授アカデミー初代会長に就任。世界日報論説委員なども歴任した。アカデミズムと反共保守野党化していく民社党、それを支える同盟系民間労組。松下の役割は大きい。
松下は民社・同盟系の富士社会教育センターの2代目理事長も務めた。現在の理事長は元連合事務局長・逢見直人。芳野が反共思想を習得した富士政治大学は同センターの教育部門だ。今も旧同盟系労組幹部や国民民主党議員らはここで研修を受けている。
ほとんどの場合、大学院を持たず、教授は学部学生の教育に専念する。
著名なリベラル・アーツ・カレッジ出身者
宋美齢 (中華民国の指導者、蒋介石の妻) (ウェルズリー大学)
ジェームズ・ガーフィールド(第20代アメリカ合衆国大統領) (ウィリアムズ大学)
カルビン・クーリッジ(第30代アメリカ合衆国大統領) (アマースト大学)
ゴー・チョク・トン(シンガポール第2代首相) (ウィリアムズ大学)
スティーヴン・ソンドハイム(作曲・作詞家) (ウィリアムズ大学)
ウイリアム・スミス・クラーク(札幌農学校初代教頭・"Boys be ambitious!") (アマースト大学)
マイケル・ヘイデン・アマコスト(アメリカの元駐日大使) (カールトン・カレッジ)
ジェフ・バーグランド (帝塚山学院大学教授) (カールトン・カレッジ)
ウォルター・モンデール (アメリカの元駐日大使) (マカレスター大学)
ヒラリー・クリントン(元上院議員・国務長官) (ウェルズリー大学)
マデレーン・オルブライト(アメリカ初の女性国務長官) (ウェルズリー大学)
コフィ・アナン (元国際連合事務総長) (マカレスター大学)
バラク・オバマ (第44代アメリカ合衆国大統領) (オクシデンタル・カレッジに最初の2年間。その後コロンビア大学に転学)
32 名前: 社長(catv?)[] 投稿日:2007/09/17(月) 20:51:06 ID:+RIFXdgD0
年代別ヨハネの治安変遷。
??89年 初ヨハネ。 危ないとは聞いていたが主にテロによるものと聞いていた。
到着初日に投宿していたホリデーイン・ダウンタウン(今はもちろんない)から
町をくまなく散策するがやばそうな奴らがチラホラと散見されるほかは特に危ない
とは感じなかった。アメリカの大都市のような雰囲気。普通に多種多様の人種が
働いている。しかし夜九時ごろ外出しようとしたらホテルのガードに止められた。
??93年 夜のヒルブロウにドイツ系移民の友人に連れられてヒルブロウを歩く。
夜の10時過ぎだったが結構ヤバイ雰囲気。ガキが道端で焚き火してる。喧嘩してる黒人
やシンナー吸ってるガキをドイツ君がどやしつけると一気に萎縮する。まだ白人の威厳
が残ってる頃。89年に比べれば治安は悪くなっていそうだが昼間ならまだ歩ける。
34 名前: 社長(catv?)[] 投稿日:2007/09/17(月) 20:54:15 ID:+RIFXdgD0
??94年 ヨハネのヒルブロウに住んでるドイツ系移民の友人宅に休暇で3日ほど泊めてもらう。
本人は仕事で日中いないので暇なので一日中ヨハネス市内を散策。外出前に護身ナイフを渡される。
中央駅に近くなるにしたがって黒人密度が増すがやばいというほどではない。駅付近では黒一色に
なり唯一の非黒人が俺だけという状況になる。旧白人専用ホームは凄くきれい。黒人用は怖くて見
に行かなかった。夜は暇なのでまた市内を散策する。表通りはOKだが裏通りはもうやばい感じ。
ごみだと思って道端の毛布を踏んだらグニャっという感覚が。開けてみたら黒人の餓鬼だった。
夜は散発的に銃声が聞こえてきて目が覚める。
??97年 もう昼間でも満足に歩ける状態にはない。市西部のビジネス機能
が残ってるあたりはまだ白人もいるし歩けないわけではない。夜に郊外から
日本人の友人と車で市内進入を試みるがもう肝試し状態になってお互いウワ
の空。中華街で飯食うが窓の外に黒人がぴったりと顔をくっつけてこちらを
うかがっている。飯を味わう状態にない。帰りヒルブロウ地区を通過中に数回
短機関銃のような発射音が聞こえ、歩行者が道に伏せている。どこで発砲されてるか
確かめる余裕もなく猛スピードで通過。女性の夜闇を切り裂くような悲鳴を耳にする。
すっかり動転し、人通りの少ない裏道の信号で信号待ちの度に恐怖で足が震えエンスト
を起こしまくる友人を狂乱状態で怒鳴りつけるくらい俺も節度を失う。
コレがヨハネの見納め。また行こうとは思わない。
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こんなんでワールドカップできんのかね・・・