はてなキーワード: アイドル写真集とは
未婚も離婚も多く、独身男性が多く暮らす町・江戸だからこそ芽生えた文化というものがある。
自炊をしない独身男が多かったからこそ、世界のどこよりも早く17世紀には外食産業が確立した。
寿司(すし)や天婦羅(てんぷら)、蕎麦(そば)などは、当時は移動式屋台で売られ、今でいうファストフードとして栄えることになる。
食にうるさい江戸の男たちのために、今のグルメ口コミサイトやミシュランに当たる「料理茶屋番付表」なるものも配られていた。
家から一歩も外に出ることなく、必要な食材や料理は「棒手振り(ぼてふり)」という行商から買うことができた。
今でいうデリバリーフードサービスである。江戸の独身者たちは、モノを所有せず、必要な時だけ借りるという消費形態を好んだが、それはまさしく今のシェアリングエコノミーそのものだ。
現代の東京・秋葉原で隆盛を誇るアイドルビジネスやメイドカフェビジネスも、原型は江戸時代にあった。
アイドル写真集とも言うべき浮世絵(美人画)や、マンガに相当する黄表紙という本のジャンルもこの時代に生まれた。
おもしろいw
当時からゲームが大好きだった自分にしてみれば他の芸能人や有名人なんかより本当に輝いて見える存在だった。
家には昼間から飲んだくれている父親が麻雀ゲームをしたいがためだけに買ったファミコンが置いてあった。
当然他のゲームなんて買ってもらえるわけもなく自分の小遣いでも到底手が届くようなものでもなかった。
おもちゃ屋に並ぶファミコンカセットそのものでさえ宝石のように輝いて見えていて、しかもそれを自在にプレイする名人はまさに神の如きオーラをまとっているかさえのように見えていた。
テレビ自体も家では禁止されていたために、学校帰りに本屋で雑誌を立ち読みしては彼のゲーム攻略を目を皿のようにして見入っていた。
そうして妄想の世界で名人と肩を並べては、有りもしないゲーム攻略を語り合う時間がゲームの出来ない僕にとって一番に楽しい時間だった。
当時の自分にとってのゲームとは、そうして紙の上にある情報を想像だけでつなぎ合わせながら楽しむものだった。
少ない小遣いを握りしめて、かろうじて手が届いたのがその頃に連載されていた高橋名人物語のコミックだった。
親が離婚して母の親元に引き取られたのち新しい生活に馴染めない自分にとって、高橋名人物語を読んでいる間は唯一の救いだった。
今でこそ下品な内容だが、名人が幼少期にうんこをちぎっては投げるシーンを見ているだけで、何もかもを忘れて笑うことが出来た。
何をちっぽけな常識に捕らわれて悩んでいるんだ。その気になればなんでもできる。
まるで自分にそう言い聞かすかのような名人からの応援に思えていたのだろう。田舎特有の冷たい視線にされされては、僕は心の中でうんこを投げた。
中学を出て働き始めた自分にとって、ゲームは縁遠い存在になってしまった。
街に出て一人暮らしをはじめた頃、ゲーム攻略雑誌の編集部に面接にいった事もあったが、実際のゲームプレイ経験がほとんどない自分が採用されるわけはなかった。
数年前のこと、当時拾ってもらえていたパチンコ店在籍中に出向いたアミューズメント向け展示会に彼は来ていた。
とはいってもステージの上にゲストとして出演していたとかではない。
ゲームとは全く無関係なブースで、アイドル写真集の売り子をしていたのだ。
高橋名人に気づく人さえわずかで、彼の周りにはほとんどといっていいほど誰もいなかった。
そんな状況に戸惑いつつも恐る恐る近づいていくと、そこに立っているのは紛れもなく高橋名人だった。
あまりの嬉しさと緊張で声が上ずってしまったことを記憶している。
「高橋名人ですよね?子供の頃からの憧れでした。とくに高橋名人物語が大好きで、何度も何度も読んでました。」
そういって握手を求めると、彼からは全く想定していなかった反応が返ってきた。
軽く鼻で笑いながらやや面倒くさそうに握手に応じると、一言「あぁ、君もその口か。」とだけ返してきた。
正直何のことかわからなかった。
なぜ彼がここでアイドル写真集の売り子をしているのかもわからなかったし、なぜ彼がそんなことを言ったのかもわからなかった。
なんとか「応援しています。」とだけ返すのが精一杯で、言いながら何を応援すればいいのかもわからなかった。
すでに30歳を過ぎ、それなりに大人になったつもりでいたが、その一言は怒りや悲しみといった感情よりもただショックでしかなかった。
帰ってから調べると色々あったことだけはわかった。でも、だからといってあんまりだ。僕は心の中で彼に向かってうんこを投げることでこの出来事を乗り越えようとした。
それまで別格のように憧れていた存在だった彼は、一転して最も忌むべき存在になってしまった。
それから数年して、彼がしくじり先生に出るという話を耳に挟んだ。
それはどうしても見る気になれなかったが、翌日、彼のブログが各所から流れ込んできた。
番組は見ていないけど話題になるってことは何かしでかしたのだろう。
そんな程度のつもりで軽く読み飛ばすくらいなら見てもいいかと思い、開いた。
それでやっとあの時の彼の言葉の謎が解けた。
それまでは、落ちぶれた自分を見られたくない気持ちの裏返し程度に思っていた。
でも違った。彼は苦しんでいたのだ。
独り歩きする自分の姿と、独り歩きした自分にあこがれていく子供たちに嘘をつき続けなくてはならないことに。
まさに自分がそうだということに気がついた。
僕が憧れていたのは、他でもなく独り歩きしていた彼だ。
彼のあの一言は、そうして騙された子供たちを幻想から解放するための一言だったのだろう。
そして彼にしてみれば、そんな呪いから逃れるための言葉だったに違いない。
その証拠に、今や彼に対する憧れは自分の中から一切取り除かれてしまったのだから。
だからあえて言わせてほしい。
あの時を乗り越えて今の自分があるのは、高橋名人のおかげに他ならないと言うことを。
個人的には、どんなに非道徳的なエロでも規制すべきではないとおもう。
想像力の赴くままにやったらいい。
ただ、子供の生活には、絶対に入りこませてはいけない。
レンタルビデオ屋とかでも子供連れて、エロコーナーにはいる親とかいるもんな。
信じられん。
とにかくゾーニングをしっかりすること。
コミケ等における同人誌の販売は、エロ限定の会場で入場時にID確認の義務。
違反者には法的な罰則を設ける。
そして、認可を受けた小売店のみが上記の商品の販売をおこなう。
入店前に必ずID確認の義務。
性犯罪等により、法的に罰せられたものは永久に入店を禁止。
これくらいやったら、あとは何でも自由にやったらいいと思う。
本屋に行けば美しい女性の写真がたくさん載ってる本が売られていますが、ちょっと考えてみればこれってかなり危険なことです。仮に、現在いる人類が絶滅したとしましょう。行きすぎた科学技術による世界大戦が原因です。日本の高橋名人による核のスイッチ16連射が決定的な引き金となり、人類は滅亡します。そして、それから何千年・何万年たち新たな人類が誕生し、文明を築きます。彼らは私たちの痕跡に気づき、調査を始めるはずです。核の灰が降り積もった地面をチャールズ・ブロンソンばりに穴を掘って遺跡を探す彼ら。口笛は陽気です。そんな彼らが発掘した遺跡が、もし新宿紀伊國屋書店のアイドル写真集コーナーだったらどうでしょう。「昔の人たちはこんなにキレイな人ばっかりだったんだ!」って勘違いしてしまうかもしれませんよ。中学生のズリネタはもっぱら歴史の教科書となり、事実は歪められます。これは由々しき問題です。これを防ぐために、今すぐにでもブスの写真集を発売し「ブスもいたんだ」と未来のために残すべきです。そうしないとブス史は永遠に失われたままになります。この時代にはこんなブスがいたんだと見られるようになったら面白いと思いませんか。僕は彼女らを記録に残る存在にしたいのです。