2012-12-05

そこで富国を守るための強兵というより、強兵を創設、活動せしめるための富国という傾向を生じ、侵略主義に落ち込んだのであるしかし、そのため平和憲法今日意識から日本軍隊は一般的には優秀であったという事実まで否定しては歴史的ではない。後進国では軍は国民もっと進歩的な部分をなすが、日本でもメートル法薬局法をおしすすめ、また寺田寅彦の賛美してやまぬ参謀本部地形図作成せしめたのは軍であった。海軍の開発した優秀な造船技術が、今日の造船世界一を支えるもととなっていることは言うまでもない。

同時に知らねばらならぬことは、日本生産力が上がり、近代化成功したのは、徳川時代の二百数十年におよぶ平和のうちに用意された国民の高い知的水準技術のおかげなのであって、ここで私たちはふたたび平和価値認識するのである。一八六八年に大日本帝国崩壊したが、一人一人の国民はその達成を体内に蓄積しつつ新しい時代を生きてゆく。そこに民族歴史が実感される。

朝日新聞昭和42年1月4日 桑原武夫

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