はてなキーワード: 僕にできることとは
のが約三年前。
年末年始および家族親族が集まるような場所に僕が一切出席しなくなった為。
理由は姪の名前を呼びたくないし、呼ばれているのも聞きたくないし、どちらをするにしても非常にいたたまれない気持ちになるから。
子供の責任じゃないという意見はまったくもって正しいのだが、正直名前を聞くたびに我が家の特徴である相手の事を考えない自己完結した独善性の象徴をみせられるようでとても気が重くなる。
なにより自分の体験から考えても子供というのは大人が自分に対して抱いている感情に非常に敏感なので、「叔父は自分に関してプラスな気持ちを持っていない」などと思われるよりは、「叔父は変わり者なので家族と会うことがない」くらいに思われていた方がよほどいい。
DQNネームというものの害悪の本質は本人や親よりもこの周囲をいたたまれない気持ちにすることにあるんじゃないかと思う。
正直兄がDQNネームをつけるまで、就職の採用なんかでDQNネームを理由にはじかれるというのをくだらない差別のように感じていたし、それは今でも変わらないのだろうけど、もし自分が仕事を一緒にする時には優秀でも一緒にいていたたまれない気持ちになる人間よりは特に優秀じゃなくてもDQNネームじゃない人間をくだらない差別であることを承知で選ぶだろう。
兄夫婦は「これからは海外に日本人がでていかなければならないのだから日本の伝統なんて無意味」との事で悪意はない。
「アメリカンスクールに通わせて国際人にしたい」「子供のころから英語を習わせたり最高の教育を受けさせたい」等とも言っている。
こういう善意に基づく神経症的な完璧主義とコントロールフリークが合体した結果、DQNネームになったのかと思うと姪の今後を考えて暗澹とした気持ちになる。
人間は良くも悪くも自分の所属する共同体から簡単に抜け出すことはできないんだし(特に子供は)その中で周囲にいたたまれなさを積み上げるような名前を与えることは親のエゴであるように感じられるし、周りのいたたまれない気持ちの積み重ねが本人にいい影響を与えるとも思えない。
そしてなによりもいたたまれなさを感じながらその人間と付き合うのは非常に感情的な労力を必要とする。
かの池波正太郎は頼まれて名付け親になることが多かったようだが、「名前は当人が意味を付与していくものだからあまり奇をてらったものは望ましくない」としてほとんどの場合~太郎といった感じのひねりのない名前をつけていたそうだ。
とりあえず僕にできることは姪には一切会わないことと、もし何年か後に姪が改名したくなった時に相談に乗り、可能な限り力になってやることぐらいしか思い浮かばない。
生まれたときは本当にうれしくて「この子をとてもかわいがろう、いい叔父になろう」と思っていたんだけどなあ・・・
名前一つで自分と家族との関係まで変わるなんてまったく想像していなかった。
こらえ性のない叔父さんでごめんよ。
追記
元増田自身の対応も「相手の事を考えない自己完結した独善性」というリアクションをいくつかいただいたので、自分では書いてたつもりなんですがそれでも独善的な対応をしていた事を本文中で明示できなかったことをお詫びします。
まあ独善的な家庭で育った独善的な人間である自分には「家族と疎遠になる」とか「子供も家族もつくらない」という選択肢があるのですが、まだ子供の姪にはそういう選択肢すらないんですよ・・・
http://anond.hatelabo.jp/20120808090421
よくあれだけで見抜けたのかってくらいすごい。僕もなんとなく親とべったりしすぎなのが
おかしいと思っていて、別に変な親御さんじゃないんだけど、甘いというかべったりというか。
女の子の家庭なんてそんなものなのかなぁとか思ったんだけど、週二で親戚付き合いに顔出してたり、
習い事もお母さんとやるとか言ってて何考えてんだと思ってた。
多分彼女の心情的には
http://anond.hatelabo.jp/20120808085321
の増田の言うとおりなんだろうと思って、やっぱり僕にできることはねーなと感じてしまったので、
あと、厳しく現実言うべき人が彼女のまわりにいないから、彼女も甘えてしまうんじゃないかと思って、
とりあえず、家族旅行も習い事するのもやめた方が良い、家族と僕以外の人に就活の相談しなさい、
こちらからはもうメールとかしないから君が僕に頼りたいときだけ頼ってくれとメールしてしまった。
返信は「ごめんなさいありがとう」とだけ。
もうどうなるかはわからない。別れたく無いんだけどなぁ。
よく2chでアナルや前立腺に手を出して人生終わった話を聞くが、ノーマルオナニーでも人生は終わる。
ノーマルとは本当にノーマルなものだ。ただシコシコするだけ。たまに亀頭ローリングオナニーもするが、基本はシコシコ。
オカズもいたって普通にエロ動画や画像だ。時間がないときは妄想でパパッとするときもある。
悶絶アクメもスカトロもたまにしか見ない。普通に熟女系で抜く。今来てるのは60代だ。
回数は平均して一日3回ほど。かける時間はまちまち。30秒もあれば、3時間もある。
これで、ノーマルオナニーがどんなものかはわかってもらえたと思う。本当に、実に普通の、中2の頃から何も変わっていないオナニーだ。
こんなオナニーライフを十数年続けて来たが、最近調子が悪くなってきた。
頭がボーっとし、倦怠感に襲われ、あらゆる意欲がなくてなってきた。
いわば、常に賢者タイムなのだ。24時間365日賢者タイムだ。
実は、僕は賢者タイムが好きだった。若き時は賢者タイムに夢想をし、夢を抱き、好きなあの子を思い、明るい未来に胸を躍らせ、ときには冷静を取り戻し、自分を客観視し、その日一日を反省し、自分の進むべき道を考えたり、昨今の政治に失望し、世界で続く紛争や虐殺に胸を痛め、世界の偉人達に思いをはせ、マックブックを見てはスティーブジョズに感嘆し、窓の外を見ては季節を感じたりしていた。
僕の人格、価値観は賢者タイムに形成されたといっても差支えないだろう。
まず、感情の起伏がなくなってしまった。感情を失ってしまったのだ。
怒ることもなければ、悲しむことも、楽しむこともできない。美味しいとも美しいとも。
もはやオナニーも楽しくなくなり、義務感でしている。
病院にいく意欲もないし、これを解決したいという思いもなくなってきた。
ただ、つまらない。退屈だ。死んでいるようだ。
お前のそのチンポとその右手でお前は死ぬんだ。
ぜひ気をつけて欲しい。気づいた時にはもう死んでいるかもしれないよ。
就職活動を成功させたいのなら、就活塾や説明会にいくよりも、エントリーシートを書くよりも、やるべきことがあります。
人助けをしたいのならば、デマツイートをドヤ顔でRTするよりも、「僕にできることはないだろうか(キリッ」とドヤ顔で呟くよりもやるべきことがあります。
それはどんな努力よりも効果的で、短期間で出来て、就職活動を成功に導く方法です。
それは地震災害ボランティアに参加することです。災害ボランティアは考えられる限り最強の就職活動対策です。
理由は三つあります。
(1)日本企業が求める「誠実さ」「協調性」「行動力」「自己犠牲の精神」「相互扶助の精神」ほぼ全てを一発でアピールできます。
今の地震は安西先生も裸足で逃げ出すレベルです。その余震リスク、放射能リスクを物ともせず、今、困っている人を助ける為に行動する人間を評価しない人間はおそらく日本企業にはひとりもいません。他人を助けたいと思う「誠実さ」「自己犠牲の精神」「相互扶助の精神」は日本の企業が喉から手が出るほど欲しい能力です。
震源地に赴く行動力は「チャレンジ精神」「行動力」として企業に高く評価されます。
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「塾講師」「サークルの副リーダー」「飲食店バイト」なんていう自己PRは、アルマゲドンのシナリオ級にありきたりです。
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インパクトがある行動は記憶されやすく、選考に通りやすくなります。
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様々な学生時代の活動は、オリジナリティがあればあるほど、周辺条件を説明するのに手間がかかります。
特別な経験であるほど、説明コストがあがるのです。また、面接官によっては「他にやるべきことがあったんじゃないの?」
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デマ情報をRTしている暇があるなら、 全国社会福祉協議会 03-3581-7851にボランティアを申し出ましょう。
中には、「そんな不純な動機でボランティアなんかするな!」と憤る方もいるでしょう。
しかし、凍える夜に配給される、飢えた胃を癒すおかゆに純も不純もありません。
乾いた喉を潤す、おいしい水に純も不純もありません。
ヘレン・ケラーですら見えない・聞こえないフリをするレベルのこの大震災の震源地に、善意だけで支援を申し出ることのできる人はほんのわずかです。
ほんのわずかな人ができる善行もほんのわずかです。ほんのわずかな行動では恐らく、今、困っている人達を救うことはできません。
偽善による善が行われないならば、善行が将来的に自分の利益になるものでないならば、世の中の善行のほとんどは死滅します。
ハリウッドスターのチャリティーなんかほとんど広報の一環ですが、多くの富を寄付しています。
純粋な善行ではなく、自分の利益の為に打算的な考えで、ボランティアを申し出る普通の人はたくさんいます。普通の人が自分の為に行動することが、今、救える命を救うことにつながるのです。
だから、今救える命を救う為なんかではなく、「一流企業に内定して、ブランド社名をチラつかせて合コンで美人OLをお持ち帰りするために」「一流企業の内定で、自分の自己顕示欲を満足させるために」「就活武勇伝を後輩に自慢するために」こそ、ボランティアをするべきです。
救助を受けている人達にとって、ボランティアの人が何を考えているのかなんてどうでもいいことです。たとえ、あなたが「このボランティア経験をアピールして、一流企業に内定して、合コン無双して、童貞を捨てるぜ!うひゃっほう!」と思っていたとしても、温かい毛布は毛布で、おいしい炊き出しは炊き出しです。