名前を隠して楽しく日記。
一般的に言うと漫画という創作形態の高尚度合いは低くなりがちだ
ハイコンテクストで多方面の専門的な分野の知識があったほうがより楽しめる作りにする点で、やはり作家個人が創作の主体となる漫画よりは、プロの脚本家チームが作るオリジナルアニメやドラマ、さらに大規模な製作チームを組んで作るゲームや映画の方が有利だ
中でもアニメ系の文化背景を持つゲーム作品は、大作であればとりわけ高い文化的教養度が求められ、長期にわたって考察に興じるファンが現れやすい/複雑な世界設定を作り込みやすいジャンルでもある
アニメや映画系のサブカルチャーの歴史にどっぷり浸かった人が作るものなので過去の名作やミームのオマージュが散りばめられることが多い上に、サイエンスやテクノロジーが世界観に組み込まれていることも多く、更にメジャーな神話(北欧ギリシャインドケルトエジプト中国日本)やマイナーな概念、クトゥルフやグノーシス主義などのテイストを加えつつ、現代社会を反映したシニシズムが込められることも多々あり、一人ですべての元ネタを理解するのは困難という状況が起こりやすい
このような広範な教養が求められるものほど高尚であると感じられるはずだ
もちろん教養がなくとも、思想の強い漫画であって人間的崇高さをキャラクターに仮託している作品であれば崇高「っぽい」作品を作ることは個人制作系の漫画やインディーゲームのシナリオでも可能だろう
が人間一人の脳が掌握できる視野は限られており、洗練度や完成度という面では高尚さを出すにも限度がある
そのため結果として小規模な創作形態では思想性や作家性に寄りすぎると安っぽくなることが多く、熱心なファンは受け取った感動に従順になるがゆえにその安っぽさが目に入っていないパターンが多いと予想される
もういいだろ。いつまで騒いでるんだ?
頼むからもう斎藤知事に本来の仕事をさせてあげて欲しい。このままオールドメディアの煽動に乗ってくだらない誹謗中傷や憶測や陰謀論で県政の妨害を続けたところで県民が不幸になるだけだぞ。
斎藤知事への誹謗中傷がやむのであれば、代わりに弱者男性が死んでも構わない。ユンボででかい穴掘って弱男をバンバン蹴り落としてコンクリ流せばいい。むしろ斎藤とかどうだっていいから弱男を殺して遊ばないか?
スポーツ選手に対して上から評論するダサさみたいなのはだいぶ浸透してきた気がするんだけど
政治家を上から評価するのもダサいって価値観がもっと浸透してほしいわ
増田はきかんしゃいやえもんというタイトルの童話を知っているかな?
昔々、静かな田舎町にやってきた蒸気機関車、やえもんがいました。やえもんは長い間駅で働いていて、そのぶっとい煙突からはいつも煙をもくもくと出しながら、町の人々や子どもたちを乗せて、楽しく旅行に連れて行っていました。しかし、時代が進むにつれ、新しい電気機関車たちが導入されるようになり、その速さと静けさに町の人々はすっかり魅了されてしまいます。
やえもんは古くてのんびりとしていましたが、昔馴染みの乗客たちとの思い出がたくさんありました。その思い出がやえもんの心をほっと温めてくれます。しかし、ある日、駅長から知らせが届きました。やえもんの代わりに新しい電気機関車がその路線を担当することになったのです。
落胆したやえもんは、もう働けないと思いましたが、町の子どもたちはやえもんのために何かできないかと考えました。そして、学校でやえもんとの思い出を折り紙の絵本にして、やえもんに贈ったのです。
その絵本を見て、やえもんは元気を取り戻し、重要な役目があることに気付くのです。それは、旅行に行けない人々や子どもたちを心の旅に連れて行くこと。そして、町の記憶を新しい世代に伝えていくことでした。やえもんは物静かだけれど、一番温かい汽笛を鳴らし続けました。
とはいえ、それが当たり前、ってわけではないだろ
「それ、なんなん?」(それは何なのですか?)
「なんなんなん?」(何なのですか?ナンですか?)
「なんなんなんなん?」(ナンなのですか?何なのですか?)
「そやな」(でしょうね)
「宝石の国を読んでずっと独り身だったらシェアハウスしようと言ったのに周りは結婚して独り身なのは私だけなの思い出した」→「"結婚した側"を裏切り者として激しく批判する人いるけど、それは自分都合で考えすぎでは…と思ってしまう。他人には他人の人生があり、自分と孤独を分かち合い続ける舞台装置ではない」→ 「ただどう転んでもフワッと悲しくなる作りの約束をしたのにそれを愚痴らないでほしいまでいくといいご身分だなと思う。」 https://togetter.com/li/2470800
ライフステージが変わると、辛さの原因が変わるんだよな。
そもそも困窮して死ぬしか無い人はほとんどいないわけで、辛さの根幹はメンタルなものだけど、新しい辛さが出てくるとそれまでのメインな辛さは相対的に薄れるので、わりと乗り切れちゃうんだよな。
結局、若い頃は「人間関係つれーわ」とか言ってた人間が、最期は「孤独死つれーわ」とか言って死ぬことになりそうな気もしてる。