元々が300円なのが半額になって150円。
俺的にうずら卵フライは1玉40円が相場(一串3玉が120円ぐらいで売られているから)。
なので一玉25円は破格だったんだが・・・既に別のお惣菜を買っていたので諦めた。
でも勿体なかったなあ。
揚げ物だし冷蔵庫に突っ込んで明日の朝にでも食べればよかったかなあ。
お惣菜って正直2割引ぐらいからが適正価格みたいな所さえあるから、半額でもそんなお得には感じないんやが、今回のはガッツリ安く感じたわ。
うーむ。
朝からハイボールは国民の祝日とはいえ俺的にアウトやし、かといって次の日の晩酌まで放置してたら悪くなるよね。
他の惣菜を明日の朝にしろって話かもだけど、今日一日野菜食べてないのを補うためのサラダや野菜炒めだから明日の朝食べるってのもね。
ってわけでそもそもノーチャンだったと思うわけ。
うーん後ろ髪を引かれるね―。
昔、楚の国に珥(みみわ・みみかざり)の暇*1、に骰(サイコロ)を投げ込み、骰が耳輪に嵌まり込むことを楽しむ者がいた。
噂を聞きつけた楚の荘王は配下の伍挙を遣わせ、その者になぜそれが楽しいのか? 何かのまじないなのか? と問うた。
その者が答えていわく「まじないでもなんでもない。ただ耳輪の合間に骰が嵌るのが楽しいのであり、その理由こそが理由だ」と。
伍挙は呆れて帰りこのことを荘王に告げ、王はそれ以上その者について問うことはなかった。
ここから、価値のないものに価値をひたすらに見出すことを「珥暇に骰を禎す(禎珥暇骰)」と呼ぶようになった。
注1
従来この「暇」字を解釈し、耳輪の円環のうち、耳に掛ける隙間の部分を指すと考えられてきた(高誘『淮南鴻烈解』など)。
金谷治氏は、古来よりのこの解釈を肯定しながらも、「暇」字で耳輪の間隙を示すことにはやや不自然さがあると指摘した。
また当時の耳輪とサイコロとの実際の形態を考慮に加え、「暇」字は何か他の文字、例えば「瑕」や「緞」など他の字の誤字である可能性について自説を論じた。
近年『淮南子』の古い写本が前漢代の墳墓から発見された。そこでは「暇」字は「緞」とあり、金谷氏の推測を裏付ける結果が出ている。
この場合、耳輪の下に絹布が敷かれた状態が、例えば擲銭のような易のまじないをする際のしつらいに似て、いかにも呪術的な様相を持つといったニュアンスになる。
こうしたしつらいをしているにもかかわらず、問われた男はそこになんの意味を見出さず、ただ投げて楽しんでいるのだ、と答える。
時々、行動を起こすことが重要だと思うことがある。
私は障害者であり、ハロワの職員に勧められて自立訓練施設で訓練していたことがあった。そこでの人間関係は楽しいものだったが、訓練が役立ったことはない。
教えられなくとも料理はできるし、裁縫を学んでも実生活で役立つことはないし、OfficeSuiteの使い方なんてものは教わるまでもない。
訓練の一環と言って、無賃で工場勤務をしたこともある。たまに巨大組織に金をむしり取られる夢を見る。これは自立訓練で金と時間を奪われたトラウマと思っている。
「足るを知る」がその組織の哲学だったが、個人の哲学として優れているとしても、企業がそれをやれば「低賃金?障害者のお前たちが働けるだけありがたく思え」という態度になるだろう。
それで...行動を起こすとはどういうことか。例えばそれは自立訓練を抜け出して自分の力で転職活動をするということだ。そして結果的にフルリモートで働くプログラマーになれたわけである。
さてこの先、収入を高めるために転職活動をするべきだろうか。私は箴言の一句を思い出す。
フルリモートで自由度が大きいのに、仕事に対する態度がかなり真面目になってしまい、精神的にもストレスは溜まっている。
真面目に働こうと思うわけである。GWも火曜日からは仕事がある。
ところで、仕事と余暇が同じ部屋であるからか、寝ているときにコードを脳内で走らせるような悪夢も見る。
おそらく代わり映えのない部屋の風景に浸り続けるのがいけないのだろう。今日は散歩でモスバーガーまで行ったが、こういう気晴らしが必要だ。
連投してる人がいるよ
嫌味を前提とした返信くれたのが1/7なの結構衝撃。俺の感覚だと「普通は長さの単位はヤード」で完全にYouTubeの動画への嫌味だと認識してくれるものだと思って書いたんだわ。
人々の理解力に期待しすぎなのかもしれないな。
具体性なくて草