「いちど感染者が増えたけどきっちり抑え込んだ」とか「感染者が多いけど死者は少ない」やったら仕事しとる感があるけど、なんか「対策もしないうちから何故か感染者が少なくてずっとそのまま来とる」やと政府を褒めるのもなって感じやん。
もう死んだからな
知恵袋みたいにアンサーが欲しいわけでもなく、でも自分の思いを誰にも知られないのが寂しくて誰か一人でも自分の気持ちを知ってもらえたら楽になれるかもしれないと思ってここに書く。
2歳6カ月のバハムートが死んだ。
バハムートの平均寿命は2歳〜2歳半だといわれているので寿命を全うしたといわれればそうだし、良くこれまで生きてくれたと思う。
でもやっぱり1日でも長く生きて欲しかった。
もちろん、ゆったりとした変化は感じ取っていて、例えば回し車で遊ぶ時間は前よりも少なくなったし、起きている時間も前よりは少なくなった。
バハムートは別荘を所有していて、時々放してやった、飼ったことがある人は分かると思うのだが一度放すと中々出てきたがらない。
お家に戻すときにエサを囮にして別荘から呼び出すのだが、前は一直線にエサに飛びついていたのに、最近は時々エサとは別の方向に向かうこともあって、目が悪くなったか、もしくは脳の病気になっているのかもしれないな、と思うこともあった。
でもそれでも、食欲はモリモリだし、下痢をしたこともあったけど今はそれも治って、歳の割には元気でその日もいつものように別荘出せコール(ケージをガジガジ)をしていた。
それで時間が経っていつものようにエサを囮に呼び出しても全然出てこなくて、探ってみたら、別荘に行き着く寸前のところで固まっていた。
生きている間はあまりじっくりと触れることはしなかったけれど、それをよくよく触ってみると背中の右側が明らかに左側よりぼこっとしていて、腫瘍ができていたのかもしれないな、と思った。
しかし、知恵袋に書いてあるような、くるくる回ったり、歩きづらそうにしていたり、食欲がなかったり、そんなことは一切なく、元気なじじバハムートだった。
2歳6ヶ月まで生きたことは、普通に考えれば、長生きしたね、と言ってもらえる歳だと思う。
直前まで本当に元気で、いやもしかしたら元気じゃなかったのかもしれないけど、でもケージをかじる余裕はあって、今日もいつも通りの日常がバハムートにも私にもあると信じていたと思う。
もっと分かりやすく何か症状が出ていたら、それなりに身構えることができたのかもしれない。余命宣告でもされていたら、もっと、何かができていたのかもしれない。
そんなこともなく、コロッと逝ってしまった。別荘の前で倒れていたから、ケージから放してすぐのことだったと思う。食いしばったような歯で片目は半開きで横たわっていたから、恐らく苦しんで死んでしまったのだと思うけれど、死ぬ間際までそれなりに元気でいてくれたことは良かったとは思う。
そんな風に、予兆なく逝ってしまうのと、別れを予期しながら徐々に逝ってしまうのとどっちがいいんだろうね。
バハムートにとってはいつ死んでもおかしくない年齢とはいえ、やっぱり1日でも長く生かしてあげたかった。
もし、その日その時間にケージから出さなかったら死ななかったのかもしれない、その日は寒かったから、ちょっと早いけど暖房でもつけていれば死ななかったのかもしれない、1週間前に掃除をしなかったら今日死ぬことはなかったのかもしれない、考えたくないけれど、その日のおやつにははが鮭をあげなかったら死ななかったのかもしれない (でも最後の晩餐が美味しそうに食べていた鮭で良かった) 。
それ以前に、病が原因で死んだとしても、何が分岐点で今日死んだのか、分からないから辛い。
まだ、ケージは片付けていない。いつでも戻ってきていいんだよ、居場所はここにあるよ、寂しくないよ、って思っていることを伝えたいから。親から何か言われない限りは四十九日まではそのままにしておきたい。
でも、知恵袋によると、遺品をそのままにしておくとバハムートは成仏できないらしい。そしてバハムートの魂は遺品に宿るわけではなく私たちの心の中に宿っているらしい。
そういう、成仏とか魂の話は、尖った言い方をすると生きている側のエゴであって、死んだ側には魂もクソもなく、死骸が腐敗して土に還るだけだと思うのだが、実際自分が大切にしていた人や動物が死んでしまうと、しっかり成仏して天国に行ってずっと美味しいものを食べてくれたらいいなと思うし、天国に飽きたら輪廻転生してこいよ、と願ってしまう。
残念ながら、成仏しようが魂が生まれ変わろうが、私の家にバハムートが戻ってくることはもう二度とないわけで、それはとても悲しい。しかし、バハムートに限らずそれは犬にも鳥にも親にも私にも必ずいつかはやってくることで、死は何も特別なことではない。そう分かってはいても、やはり死は悲しい。
私は今でもケージに向かってバハムートの名を呼ぶし、バハムートの匂いを嗅ぎに別荘を覗くこともある。私とバハムートの日常は変化し続けながらも、まだそこにある。
なんで「割り切る」ってことができないんだろう?と、こういう人を見ると思う。
例えばだが、少女漫画にでてくるメインどころの男性キャラは、男性にとっては違和感しかないものも多い(家族がよく読んでいたため、読んだことは多少はある。古い物だが)
が、それは女性にとってはいいんだろうなーと思って流して読んでいる。
確かにロリ小喬とかへの違和感はわからなくはない。が、メインターゲットが男性という作品で、かつ、主な購入者層に受けがいいのだとしたらそれは仕方ないじゃない。
FFのお腹がどうこうも、なんで、なんでもかんでも私には納得いかない。不快だから平等に腹出すか隠すかしろと思うんだろうかと。
こういう意見を見るたびに、最近も、なんだかの映画とかでイケメンが裸で股間隠しながら逃げるようなシーンがCMで流れていたが、ああいうのにも平等に文句を言うんだろうか?と思ってしまう。
あれは男からみてて、なんだこれ?以外のなにものでもなかったが、メインターゲットには受けがいいってことなのかなとスルーして見ていた。
自分が不快だ・理解できないと思うのは仕方ないし自由だ。けれど、そんな「不快で理解できない自分」に、周り(この場合FFや無双)が合わせるべきだ。というような思考はまったく理解できない。
もちろん意見として持つことを否定はしないい。けれど、多少は割り切るってことを覚えた方が、色々気楽に楽しめるんじゃないかとおれは思う。特に、メインターゲットが男性であろうコンテンツを愉しむ場合は。
ま、三國無双とか、美青年武将も多くて女子のファン層を狙ってるところもあるにはあるからねー。言いたくなる気持ちは理解しないでもないけれど。
はてなでは無職中年男の自分語りが大バズを記録し、Twitterでは中年童貞によるイケメン中学生との思い出話が大盛り上がりだ
実は、こうした現象がそのうち発生するであろうことは俺は予想していた
年々パートナーがいない孤独な中年男性が増加していることは、統計上明らかになっていた
一方で、メディア上では中年童貞男性に対しては、嘲笑混じりの侮蔑的な切り取り方がちらほらと見られるぐらいだった
当事者の悲惨な、身を焦がすような痛みに寄り添ったメディア表現は、ここ日本ではほとんど皆無だったと言っても良い
明らかにマイノリティとは言えないほどの潜在勢力を持ちながら、当事者同士は世間からの迫害と嘲笑に怯えて、ひっそりと暮らしている
誰かが声を上げるのをみんなが待ち望んでいる状態だったのだ
今回のネット記事のバズりだけでなく、今後も中年童貞男性の声はメディア上でどんどん勢力をましていくだろう
ちなみに、この点で言うとやはり欧米人は偉くて、日本人はアホなのだ
フランスのミシェルウエルベックなど既に10年以上前から中年童貞男性の苦境を扱っているし、
近年大ヒットしたアメリカのジョーカーも同様の点に目をつけている。
日本のメディア作家は頭が鈍くて目が曇っているので、現実が見えておらず、だからくだらない作品しか作れないのだという確信をますます強くした。
イギリス 2.6万人/日
フランス 4.1万人/日
ドイツ 1.1万人/日
イタリア 1.6万人/日
ベルギー 1.3万人/日
オランダ 0.8万人/日
スイス 0.8万人/日
チェコ 1.4万人/日
ポーランド 1.2万人/日
参考
アメリカ 7.5万人/日