下は七条くらいだよな
https://togetter.com/li/1585469
結局また代理したいだけでまもりたいものに誤射しまくるいつもの表現の自由の戦士だったじゃん
ワイはそんな漫画しらんやで
冒頭に「未成年は閲覧禁止」という一文が入ってるのでゾーニングへの配慮はされていたと思う。
問題となった「実在の幼児に手を出す前に」という文言だが、ここの認識がまずズレているのではないだろうか。
とりあえず理解を深めるために、ツイッターではない場所の幼児ラブドール愛好者のコミュニティをいくつか覗いてみた。
まず、そのようなコミュニティでは人形性愛者と小児性愛者のふたつのタイプがいて、人形性愛者はリアルの代替にしている者をあまり好んではいなそうだったが、同じものを愛好している情報交換の場のなかで多少の軋轢はありながらも共存していた。
そして、小児性愛者はラブドールがあることで自分たちは欲望を抑制することが出来て救われたと考えている人たちが多かった。
実際の子供への性犯罪が起きたニュースに対しても、この犯人がラブドールの○○ちゃんと出会っていれば犯罪者にはならなかった可能性が高いと語られていて、性犯罪の再犯を心配し、出所するときにはこのようなものがあるという情報を教えた方が社会の為にも子供の為にも本人のためにもなるという会話がなされていた。
「治療」という言葉が出てくるコミュニティもあり、そこでは治療は役に立たなかったことやホルモン投与で性欲減退させるだけであるなどが語られていた。治療は無駄だったが自分を社会から逸脱させないでいさせてくれたラブドールに出会えて良かったと。
そのような前提のなかでひとりの小児性愛者が「実在の幼児に手を出す前に」とラブドールを推奨するのは、同じ性嗜好の者に対して100パーセント善意のプレゼンなのではないかと思う。
犯罪の一歩手前でギリギリ立ってる人がラブドールによって実在児童への加害を抑制することが出来ている。だから「ラブドールを買おう」と同じく犯罪に一歩手前でギリギリ立ってる人に呼びかけることは、十分に責任ある行動であったのではないかと思う。
冒頭の「未成年は閲覧禁止」は「禁止」でなく「注意」であるとブコメで指摘があったので訂正する。
ゾーニングがなされていなかったというのは同意するのと、ツイッターの規約違反であるというのも同意する。
そのうえであの漫画そのものは<合法で販売されている物によって自分が体感した欲望の救済方法を、同好の者にプレゼンした>漫画でしかないと思っている。それを外部の者の目にも触れさせたのは迂闊であったというだけだ。
私が怖いと思ったのは、問題がある思った人がRTで拡散に加担していたことの方である。
規約違反であると認識したらそのままツイッター社に通報すれば良い、それだけの話しじゃないんだろうか。
あの日に日本のツイッターで「ラブドール」と「小児性愛」をトレンド入りさせたのはあの作者ではない。ゾーニングを求めるならばなぜ拡散に加担したのかと疑問でしかない。
当事者に「異性愛者である」と言わせたことも暴力であると思う。それが本当でも嘘でもだ。
一人の人間に受け止めきれないほどの誹謗中傷と批判を浴びさせて、SNSや創作の界隈で本人が培ってきたであろう人間関係を全て捨てさせるほど追いつめたのはただの暴力であり私刑だ。
「正しい」は私刑の免罪符にはならないのと、正当な批判であると考えたとしても既に同じ趣旨の発言をしている人が何人かいるのならば、控えることも自制心のひとつだ。数は暴力だ。
私達はSNSが人を殺せることを学んでいるし、攻撃はいつだって「正しい」と思っている側が行っていることも学んでいる。
それなのに迂闊であっただけの人を殴り続けることを正しいと思っている人が大勢いた。そのことの方がよっぽど怖い。
そういった社会の年齢構成が大きな影響力があるんだったら、リーマンショックで落ち込んだところからの回復期でもあった民主党政権の時代にだって就業者は増えていただろ
こうやってすぐに人の目を気にするから舐められるんだぞ
20歳の知力を過信している。
昔、ツイキャスしてたら出会い厨のおっさんに絡まれたんだよな。
「私デブですよ」って言ったら「大丈夫、○○(芸能人の名前)でも抱ける」って言ってて無理だった。
相手のこと軽視しすぎ。
チー牛がでたから、例で言えば
ふーん チー牛かぁって 各社の牛丼買ってきてチーズのせて食ってみる まずは最初
これをどれだけのやつがやるか?
まずここだよな。
で、じゃぁ、どうしていくか?
ねぎすくなめだったら?
おおめだったら?
他店だったら?