もし欧米が同じ歌を作るなら、ステップファミリーの子も歌いやすい歌詞にする。
緋鯉一匹だっていいじゃない。
真鯉と緋鯉がそれぞれ複数匹いたっていい。
小さい鯉だけだっていい。
そもそも鯉の色や大きさを特定の属性に結び付けるのがおかしい。
何者でもない虹色の鯉、大人の鯉も子供の鯉も関係なく、たくさんの鯉が並んで泳ぐのが一番いい。
一匹だけで泳いでいたっていい。
泳ぐのをやめたっていい。
鯉であることをやめたっていい。
主人とか奥方とかな
教員をして何年かたつ。
最近気づいたのは「主要教科」という語を使う教員と、使わない教員がいるということだ。
一度気づいてから、少し意識をして会話を聞いてみると、使う教員は何度も使っているし、使わない教員は使えそうな場面でも使っていない。
そして不思議なことに、元々「人間的に信頼できるなぁ、こういうベテランになりたいなぁ」と思っていた同僚はほぼ後者で、元々「仕事はできるけどこの人と一緒に働きたい!とは思わないんだよな」という人はほぼ前者だということにも気づく。
元来色々な専門をもつ人がいる職員室で、その言葉を使ってしまう意味が、想像できるかどうか。
(小学校の教員は全教科教えるが、それぞれ専門を持っている教員は多い。持ってない人や持ってるけど強調しない人も多いけど。)
悪気がないぶん明確に、その言葉を使う瞬間に○○は主要・主流で、他の○○はそうじゃない・傍流だと、言い切ってしまっていることに気づけるかどうか。
そして言い切られる側がどう感じるかに気を配れるかどうか。
何しろコロナのこのご時世だから、積み重ねの必要な学習にリソースを傾けていくことに異論はない。
異論はないが、そういう状況だからこそ、その言葉を繰り返し使う教員と、使わない教員が意外なほどくっきりわかれてしまう。
公園で集団で騒いでるのを怒る老人とか、自粛警察マジキモいみたいなブコメ見ると逆に違和感ある
もしかするとそのお爺さんは飲食店を経営してて、この自粛のせいで店を閉めざるを得ない状況で、一刻も早い緊急事態宣言の解除を待ち望んでる人かもしれない
そんな人からしたら、自粛しないで集団で騒いでるやつらなんて感染拡大の片棒を担いでる悪者にしか見えないだろう
そこまで行かなくても、自粛で何かしらを犠牲にする生活をしていたら、自粛してない人達はフリーライダーに見えるはずで、義憤を覚えるのも致し方ないと思うんだ
私刑を容認してるわけではなく、ただ、自粛してない人達に怒りをぶつけるのを止めろってコメントに違和感があるんだけど、どうなのよ?みんなそこんとこ。綺麗事なしにさ
だ
本人は知りたくて聞いてんのに、適当にチョけた応えされると本人困るだろ。信じちゃったらどうすんだよ。同じ疑問を持った人も巻き添えになるかもしれないじゃん。
んでそういうこと言うと「嘘を嘘と見抜けない人に」とか言ってくるやつおるけど、それとうそをつく罪は別だからな。有名人がプライベートを脅かされるのを「有名税」とは言え、それをする奴は無実じゃねーからな。勘違いすんな。
出羽守(でわのかみ)ってのは、なにかにつけて「海外では~」って一面だけ比較して経緯も状況も無視して日本サゲするクソ野郎を揶揄したネットミームだよ。出羽守って言葉自体は当て字とかではなく、もともとは大和朝廷時代(西暦700年とかそのへん)にできた国の「出羽国」(いまの山形と秋田らへん)の長が「出羽守」だったらしい。今でいう「ニューヨーク州知事」みてーなもんだな。当時の「国」は今の「県」よりは「州」の方が近いんじゃねーかと勝手に思ってる。
お前がVBAになるんだよ!
自動販売機の補充は一日に何件も設置場所をまわるから、基本的にきっちりスケジュールを組んで時間通りにまわれるようにいつも急いでいる。全力で作業すると音も大きくなる。というか販売機を開けてスロットから缶を落として補充する音はダララララララララララっとそこら中に響いて、もとからうるさい。
港区のオフィスビルにあるコワーキングスペース?には毎朝10時について5分で作業を済ませるようにしている。ここはわりと落ち着いた雰囲気のスペースで、パソコンに向かって英語で会議?したり、仮想通貨だのIPOだの、ネットでしか読んだことのない単語を使って、なんか仕事ができるっぽい話をしている利用者がいる。
そこで朝から販売機を開けて缶を何本もダララララララララララっと入れると、非難がましい目で見てくる奴がいる。こちらを見て舌打ちする奴もいる。
おい、俺はお前たちがそうやって優雅に仕事している間に飲むためのコーヒーを毎日必死に補充しているのですよ。と思うがもちろん言わない。
唯一状況を理解していそうなのが受付の人で、利用者の静かな敵意が俺に向けられるたびに、済まなそうな顔をしながらこっちに笑いかけてくれる。この人は松原みきという歌手に似ている。口が大きくて、ものすごい美人かどうかはわからないが、笑うと、愛嬌という言葉はこの人のためにあるんだろうというような、変なオーラがある。利用者たちもそのことをよくわかっていてか、物欲しそうな態度でカウンター越しにこの人に話しかける。彼女は親しそうに話す。俺は通り過ぎざまに、毎朝、おつかれさまですという挨拶を交わすだけだ。
いや、一度だけ、挨拶以外の会話をしたことがある。前の設置場所であまり商品が減っていなかったのでいつもより10分ほど早くコワーキングスペースに着いたら、「今日は早いんですね」と声をかけられた。その時俺は何を話したか。「ああ、いえまあ、はは」。会話とは。
最近麻布十番の駅近くに、オメガラーメンていう黒いラーメンができて話題なんですけど、知ってますか。えー、気になる。あ、じゃあ、行きます? いやあの人はラーメンなんか食べないか。
六本木交差点のアマンドで待ち合わせて、近くのイタリアンで軽く食事してからディスコへ行くのか。いやそれはバブルか。
本当にわからない。このまま挨拶していればよいのだろうか。よいのだろうか。
コロナウイルスのせいでコワーキングスペースは休業している。もちろん自販機の補充には行っていない。再開するまでの間に答えが出ていればいいと思う。ほんとうに出ていればいいと思う。
折り畳みを常に持て