実際は丁寧に作られているのに、本人が読み取れないがゆえに苦行だ修行だというのだ。
読み取れないことは仕方がない。ただ、それを表明する必要はない。
読み取れないことは知能の問題だが、それを表明しないことは知能に加えて倫理の問題である。
そのあとで、一話の再評価の機運が高まってくるにつれ、手のひらを返してきた人もいた。
意見を替えること自体は問題ではない。人は変わるものだからだ。
しかし、酷いと言っていたにもかかわらず、手のひらを返してから絶賛するのはあまりに浅薄である。誠実でない。
正直この手の人々にうんざりしているけれど、それを止めることは困難だ。
そもそも異なる人間であり同じ見地に立っているわけではないのだから議論も成り立たない。それでも議論しようと突っかかっていく人もいるが、自分と別のやり方で楽しんでいる人々に突っかかっていくことが正しいやり方とは思えない。
善悪の区別に乏しいファンでもない雑に言及する人間に見つかってしまうことは不幸だが、それは優れた作品が広まる過程では仕方のないことのようにも思う。
いろんな人がいてそれぞれ得意なことが異なる、までは良いが、そのために生じる摩擦や不幸ないさかいは減ってほしい。それも戦争ばかりの人類には難しいのかもしれんが。