無駄金遣うの本当にやめてほしい。
外交行うのは素晴らしいことだと思う。
でもさ、遣いすぎじゃない?
19人も付き添い必要?
なんにもできない赤ちゃんでもあるまいし。
食費とかさ。会食でもないときは自腹で食べてほしい。
折角税金払っててもこんな遣われ方されてたら税金払いたくないよ。
税金払ってもあなたたちの遊ぶお金になってると思うと腹立たしいだけだし。
都条例に一泊約四万って決まってるんでしょ?
スイート泊まりたいから金額増額しろって言われてさ、それを許しちゃう会計も会計だよね。
日本死ねも、そうだけどさ。
5億もあったら何ができると思ってるんだろう。
被災地で苦しんでる人達に手をもっと差し伸べられるはずなのに。
あー……ほんとに日本は腐ってる。
女性は茶髪にしたり、化粧を少しギャル風したり、露出を多めにするだけでナンパやキャッチされる回数が増える。
キャッチすらされたことなくて悲しいという人もいるだろうから、そういう人は髪を染めて新宿駅東南口前のエスカレーターに乗ってみてほしい。
そして「見た目をちょっと変えただけなのに、、単純だな〜」と実感できる。
人生の敗者は、敗者なりの楽しみ方を見つけたら良いんだよ。
平たくいうと
私のいうことに共感できないのは、あなたの未熟で愚かな頭脳では理解が追いつかないからでしょう
ということですね?
「この人は『△△』(その文章で解説してるのとは別の映画)に出てましたね」と言うことがあってそのたびに「知らねえよ」と思う。
淀川長治の時代ならいざしらず、今は「この俳優さん、他にどんな作品に出てるのか気になるな」ってんならググれば wikipedia なり IMdb なり allcinema なりで一発でわかる。なのになんで貴重な紙面を費やしてまで「この役者はこんな作品にも出ています」情報を出したがるのだろう。
似たような役柄をやってたとかならまだわかるけど、たまに役者の名前のあとでカッコつきで(『△△』の◯◯!)とビックリマークだけつけてるやつに至っては wikipedia 時代以前から何をしたいのかわからない。
評論や解説もテクノロジーの進化に合わせてアップデートしていただきたいものである。
あ、あと「知らねえよ」度でいえば文芸本のレビューで「この作品読んでこんな作品を思い出しました」とつらつら作品名ならべるやつ。
読んだ後につく解説ならまだしも、紹介目的のレビューでそんなんやられたところで「おまえが連想した作品も読んでないし……」ってなる。
ネタにマジレスしてしまうが、本当に重要なデータならどこかのデータセンタがぶっ飛んだとしてもどうにかなるシステム作ってるだろ。その原因がじゃんけんハリケーンかどうかは本質ではない。
そしてそこまで考えられたシステムを作ってる人間は、地球が吹き飛んだとしたらどうしようもない、というところまで考えていると思うぞ。
幾ら能力があっても、社会のルールから逸脱をしてしまうと、不祥事で社会的に復帰することが難しいケースもある。
社会人の場合は、なかなか、決定的な失敗を何回もすると、信用・信頼がなくなるものな。
実生活・実社会でも、似たところがあるが、具体的な事柄は、組織ごとにことなる。
暗黙のルールみたいなのを掴んだり、企業文化が自分になじみやすいかが、仕事を継続する上では大切だな。
確かに、専門性も大切だけど。
大学生のサークルやゼミや研究室と違って、1年ぐらいでハイサヨナラとは、いかないよね。
極論は必ずしもありえないことではないよ、ということを元増田は言っているわけで。
そこで『ありえない極論』と思考が固まってるのはよくないよー。
で、「なにか食べたいものある?」と聞いても
『なんでも大丈夫っす。』というので、
そこは夜なら、万札を握りしめないと肉にありつけないが、
お昼なら3,800円でステーキにありつけるありがたい店だ。
で、店に入ろうとしたら
『え、こんないいお店ですか?いいんですか?いいんですか?』
とこうおっしゃる。
正直、何を遠慮しているのか理解できなかったので、
と答え、二人でお肉を堪能し、別々に精算した。