http://anond.hatelabo.jp/20150119012824
そんなの、男に理由を聞けば一発で解決する
私だけが、ではない
解決方法はベタだが服の露出を避ける、体や年齢のわかる体型が出る服をきない、ズボンにする、マスクをつける、伊達眼鏡をかけるなど。
とりあえず男からおっ、と思われないようにすればいいけど。でも無理だろうな
マルチタスクの核は、それぞれのタスクを可能な限り細切りにし、何か一個細切りタスクを片付けるたびに意識を切り替えて別の・・・という手法に尽きる。
しかし世の中には、このやり方でマルチタスク化できない仕事がいくつかある。
ちなみに同じITでも構築・保守・運用といった業務は、案件によっては確かにやることは山ほどあったりするのだが、上述の「細切り化」が十二分に効くため、担当がADHDとかでもない限り、大して泥沼化せずに済む。
開発はこうは行かない。
いざ取り掛かったら、一度に一つのことしか考えられないのは当たり前、更にまとまった時間を確保して取り組まないと、効率やアウトプットの品質が著しく低下する。
しかも「まとまった時間」というのは必ずしも数十分とか数時間程度で終わることを意味せず、数日に及ぶことも珍しくない。
これは開発者の有能・無能関係なく、全てのスタッフに当てはまる。
なまじ難しいことをやっているせいでメンバーの替えも中々利かない。
お陰でその他のIT系業務と比較して、システムの規模や複雑さの度合いに応じたコストの上昇具合がハンパない。
じゃあその分金額で納得すればいいかと思いきや、仕様とコストを妥当に紐付ける定性的・定量的手法が未だに存在しないため、掛かったコストの分だけ客からキッチリお金を貰うことも難しいと来ている。
というわけで、一言で言い表すなら全く以て「割に合わない」のだ。
気がつけば十数年、ITの世界で開発を中心にその他の仕事も時々含めつつやってきたけど、年々この開発の「シングルタスク強要」を余儀なくされる性質に、怒りと苛立ちを感じるようになってきた。
個人的には開発は、欠点だらけの自分の中でも「そんなに好きじゃないけど得意(家では殆どコードをいじらない程度だけど、大した手間をかけずに作ったものが想像以上に驚かれ、喜ばれることが今まで多々あった)」な数少ない能力だったりする。
だから出来れば今後も何らかの形でコードに関係する仕事を続けたいのだが、現実には開発に入った途端、帰る時間が有意に遅くなるし、やってる内容が込み入りすぎて誰かに相談に乗ってもらうのも一苦労だし、何より生産性という観点だけで「落第」扱いの評価になってしまう。
最も得意なことをやっている時のほうが、そうじゃないことをやっている時よりキツい上に評価が落ちるとか、何もかもバカバカしくなってくる話である。
どうして開発だけが、こうも突出して面倒なんだろう。
このSACのことを思い出すとすぐにOrigaが出てくるんだよ
訃報を聞いて、オリジナルがもういなくなっちゃったんだなって自分の頭の中が溢れてくる
好きな歌手が亡くなったとかすごいショックだ
15年前のことが未だにフラッシュバックする
フェミが実際にどう言っているかというよりは、セクハラはするなエスコートはしろみたいな女性の要求(男性は消極的かつ積極的であれという表面的な矛盾)が非モテ時代には意味不明過ぎてキツかったな(今になってみれば意味不明でも何でもないんだが)。
お金は生きるために重要だけど、生きるための手段の一つであって、生きる目的にはなり得ない。
だから、お金を失ったからといって、借金を背負ったからといって、自殺はするな。
俺は皮の中に貯めてトイレで出してる
嫌なことがあったときにみんなってどのくらいで忘れられる?
程度にも依るんだけど、普通に嫌だなって記憶は1週間ぐらいずっとフラッシュバックして、その後定期的にいやーな気持ちになるんだけど。
これって長いの?短いの?
早く忘れたい。何も手がつかなくて、辛すぎるんだけど、みんなどうしてる?
ちょっとしたことをその上司に話すと、翌日には職場中にその話した内容が広まってしまうということが多々あった
あの上司に話すとすぐ広まっちゃって嫌だなって思ってたんだけど
私は北海道に生まれ育っているのだがSNSとかで「今日は15度だったか、流石に寒かった」とか言う輩が多い。本当に多い。わざとマイナスをつけない。それで「え? 15度もあったの? あったかいね」という本州人(特にあったかい地域の)の突っ込みを待ってる。クソボケな道民のお国自虐風自慢だ。道民同士の自然な会話ではこういう表現はあってもいいし実際語られることも多いのだが、道民以外も居る不特定多数の空間でのドヤリングに使用される場合もまた多い。これが「10度だったわ、寒くなってきた」とかだと余計にたちが悪い。プラスの10度でも寒いと感ずる人もいるからだ。ドヤリングする道民にとってはチャンスな温度である。 「いやいやwマイナスですよ」ドヤァ 的な。
この温度にわざとマイナスつけないドヤリングは割と年配の人間がやるイメージだったが、最近は結構若い人がやっているの見かける。なんというか、どっちかというとサブカルクソ野郎andサブカルクソ女がドヤる。これで。そしてわたしはイライラする。その心性がムカつくのだ。道民の、いかにも田舎な、悪い意味での田舎な感覚。田中義剛がテレビでおどけて見せるような道民性。こうした田中の姿勢は道民にとって厳しい批判の対象になる。しかし一方で、実はその道民も田中の心性に通ずるものを持っている。悪い意味で。「おらが村」的な心性をだ。
マイナスをつけないドヤリングはその表出に思える。サブカルに傾倒しているはずの人間がそうした心性を露呈するのは、見ていて甚だしく滑稽だし、所詮道民だったか、と悲しくもなる。そして私も北海道で生まれ育ったからにはこの軛から逃れられないだろう。これも悲しいことだ。