なんでお前が勝手に決めてんの?
っていうのは語弊あるな。
でも街行く人のファッションをみては「あの着方おかしい」「服装に対して靴の選択ミスってる」ってコメントする友人が、
「私は人を評価しない」って言ってたのには呆れた。
この手の被害者(?)に共通してることは人間性に血管があるということ
もちろん君との接点がないから具体的にはわからないけど、得てして周りの態度は
本人の鏡だと思ったほうがいいということ
当初の聞く態度、聞いたあとの行動も含めて周りをイラつかせる要因があるんだよ
OTJは言い訳にはならないよ。他人の生い立ちなんて誰が気にすると思う?逆に君は周りのことをどれだけ知ってる?
まず、ここに書いて愚痴っている時点でその程度だということを自覚したほうがいい
今、君が抱えている問題点や考えを上司に相談して対応してもらうことが重要であって
あーだこーだ周りのせいにしても何も変わらない
教えてもらったことは走り書きでもいいから書いておいて、それを家でまとめる
怒られることを恥ずかしがらずに堂々としていればいい
見て分からない人間に言って分からせるのは難しい。こんな言葉がある。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。」。五十六ちゃんの名言だ。
見ても分からない人間に教えるのはかくも難しい。「見て分かるでしょ?」で済む「見て分かる人材」がいかに貴重なことか。
「1を聞いて10を知る」なんてまだまだ有能じゃない。「聞かなくても知る」のが真に有能だ。
人生には無数のシチュエーションがある。本で読んだ知識が通用しない時、頭で考えていた通りにいかない時も沢山ある。「言われなくても知る」には知識や思考だけではダメなんだ。
「見て分かる力」が大事なんだ。そんな「見て分かる力」を持った人こそ「地頭がよい」とみるべきだ。
ところで、程度の差はあれ見て知るのは誰でもやっていることである。私たち人間は頭で考えなくても見てある程度学習できる。
いちいち全てを頭で考えていたら頭がパンクする。時間もかかる。忙しい世の中にもついていけない。だから多くの知識は見て学ばねばならぬ。見て分かる力は超重要。
重要な力だが個人差は激しい。見ても中々覚えられない人から一発で覚えられる人までいる。見て一発で多くのことが分かる人は極めて少ない。そんな人材を我が国は育てるべきだ。
知識だけで役に立たない人間はいくらでもいる。そこで「生きた知識」って言葉が叫ばれる。臨機応変に使える知識。
そんな知識をつけるにはどうすればいいか?とにかく実践?そうじゃない。沢山実践しても要領をつかめないと意味がない。その要領をつかむために見て分かる力が重要なのだ。
「身体で覚える」という言葉は窓から投げ捨てよう。馬車馬のように働くのは御免だ。無駄な努力大好きなドMでもない限り。
日本は美徳の勤労を「無駄のない勤労」にアップデートすべき。国際競争に勝つためにも、そうすべき時代に来ている。今すぐにも見て分かる力を養成せねば。
見て分かる力は従来の学校教育では育たない。知識偏重は駄目ってことで思考を育てる教育が推進されてる。でも、思考偏重もダメなんだよ。
確かに論理的思考力は情報の真偽や矛盾を判断するのに重要だ。また、思考力があれば知識の少なさをかなりカバーできる。だから、思考力は育てたほうがよい。
だけど、思考力だけでは臨機応変にはほど遠い。いくら論理を構築しても現実に即していないと意味がない。論理性と実用性の間には解決しがたい隔たりがあるのだ。
なのに思考力ばかりが重視されてしまっている。それも本の知識をもとにした思考が想定されており、現場の知識はほとんど想定されない。
そんなことだから、それに反発して「とにかく実践」を連呼する実践至上主義が出てくる。結果、頭でっかちな人間と体育会系人間を育てているだけで、本当に必要な人材を育てていないのである。
そもそもの原因は思考への誤解である。思考など人間の情報処理の氷山の一角なのである。それがよく分かってないから思考偏重になる。
人間はいちいち考えずとも見て沢山の情報を処理している。思考はその一部をピックアップして制限された処理をしてるだけ。
具体的には、使用言語、論理性、興味、好み、道徳性、常識、先入観といった制限を受けるということだ。
そうした制限とは引き替えに良質な情報が得られるかはともかく、とにかくかなり制限される。仮に良質でも微量では役に立たない恐れがある。
そんな思考ばかりを推進せず、まず現場の実物や実態をよく見たほうが良い。そのほうが現実に即した情報が大量に入る。
この手段を世間では「観察」や「直観」と呼ぶ。「観察」だと得られるのは生データであり規則性を認識するニュアンスが弱い。よって、ここでは「直観」という言葉を用いる。
教育学において直観は古くから重視されてきた。しかし、教育制度や教育現場ではあまり重視されてこなかった。
思考への過剰な信頼が原因である。今こそ我が国はデカルトに象徴される西洋近代合理主義を振り払う時なのだ。
スローガンは「見りゃ分かる」だ。この言葉をどんどん使っていこう。「ググレカス」(調べれば分かる)や「頭使え」(考えれば分かる)は抑え目にしていこう。
俗に言われる「空気読め」という言葉や、世の会社で言われる「周り見ろ」という言葉もこの亜種だ。じつに妥当な言葉である。
ただ、「見ようとしないこと」を非難してはいけない。部下が言うことを聞かないのはあなたが部下を「見ていない」からである。
また、「見ても分からないこと」も非難してはいけない。誰でもステップバイステップで成長していくのであり例外はない。適切なステップを与えるのは教育者の役目である。
詐欺ね。詐欺って嘘ついてなにか騙し取ったり、誰かに損害を与えたりするもんだと思ってたけど、なるほどそう言う考えもあるのか。共犯者って言うよりか太鼓持ち装ってるだけなんだけど、考えてみると自分の方がよっぽど詐欺師。
カミソリ使って切っちゃったりしたことってありますか?頑張ってみたんですけど、自分で見えないし怖くて・・・
こうお尻をパカーって開いて剃るんですか?
偽物の人脈をアピールすることで人目をひこうとしてるんだろ。人気があるものにひかれてしまうのが人間の習性だからな。詐欺マーケティングの基本じゃん。それに乗っかってるお前は詐欺の共犯者じゃん。
現状では、取引量に応じて 運送会社が通販業者に対して値引きを仕掛けるので、
個人商店規模なら、そういう値引きもないので
自由選択可能にできる可能性はあると思う。
それは頼むほうが間違ってると思うよ。
「いやいや、女の人はおっぱいがついてるじゃないですか。」
いろいろ理由が出てくる。
どうも、自分のやりたいことを通せてなんぼだと思ってる節がある。
こっちの損失どうしてくれんだよ。
ほんといい加減にしろよ。
■決済方法を選択してください
■配送業者を選択してください
・○○運輸 (送料200円 日付指定不可・再配送なし・配送事故補償なし)
※取りに来ていただくことも可能です。
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配送に関しては配送方法を選べない。
客はとにかく安全に安く運んでもらうことを願うしかなく、結果、送り届けるまでが店側の責任になってしまう。
客のためを思ってコストを抑えた安いメール便をつかったことが裏目に出て大きく信用を落とすことになりかねない。
上記のように配送方法を選べるようにすれば、安全をとるか安さをとるかは自分で選べる。
日本人は安全に対してお金を払うのはそれほど苦ではない。(無茶苦茶安い海外産より安心の国産を選ぶ人は多い)
実際に配送事故が起きたとしても、その配送方法を選んだのは自分なので、店を責める気持ちもなくなる。
この方法によって、運送業界は正当な競争にさらされることになるので、自然に高クオリティで安くするための努力をしなければならなくなる。
だが、店からの無茶な値切りをどうかわすかなんてことに頭をつかわず、本来の運送業内での競争に注力できるようになる。