はてなキーワード: 戒律とは
まぁ宗教ってのは人類史と共にあるようなもんだから宗教を否定するのは人類を否定するに等しい愚行
宗教を良い悪いの問題で語れると思ってる時点でお前らみんなバカで黙った方が良い。
ちゃんと歴史と社会を学んでれば、宗教は「社会規範を作る」ことそのものに意味があるとわかる。
規範となる様式を「良い」とか「悪い」と評価する以前に、そもそも「規範を作って守らせること」自体、宗教がなければ難しいという想像力がない奴は常識がない。
歴史を学べばわかる話だが、宗教がなければそもそも0から国は作れない。国家から宗教色が薄れるのは国自体が長い年月を経て既成事実化した結果だ。
宗教が「戒律」を持つというのはそういうこと。規範を作ってコミュニティを均一化すること自体が宗教の機能なんだ。
それくらいわかれ。
私も元増田に負けず劣らず無知だけど、アブラハムの宗教について言及してるのに、冒頭の以下については、ノアの7戒とモーセの10戒とを混同している模様で、間のアブラハムのことも無視していてひどいと思う
※消えてるから元記事のアーカイブ→https://web.archive.org/web/20240505110254/https://anond.hatelabo.jp/20240505030127
アブラハムの宗教について語るなら、「賢者ナータン」の「三つの指輪の譬喩」についても言及しておきたい。
https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/1158
https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/1187
元増田の個々の記述についてはレスであれこれついてるからいいけど、ムハンマドとイスラムについては特にもっとよく知りたい
イスラム教がキリストをどう捉えているのかなどの教義的なことはさておき、ムハンマドがガブリエルから啓示を受けて預言者となり、地域の多神教コミュニティと衝突を始めたって辺りの経緯というか動機が良く分からない。
キリストの場合は当時のユダヤ教の教義とコミュニティに対する宗教改革者としての位置づけが明確だと思うんだけど。
キリスト教の信仰の中心地から離れたところでキリスト教を説いて回ってるうちに地域の多神教コミュニティと衝突し、追い出されてメディナで一派を作って体制と規則を固めていってるうちに元のキリスト教とはだいぶ変質して宗教として確立した、みたいなものなんだろうか。
ここにぶら下げようかな。
なので、それを都合良く利用してきた部分はあるけれど、聖職者は特別なのでそれなりの厳しさも求められる。
他方、一般信徒からすると「坊さんから文句を言われなけりゃ、まあええやろ」の精神にもなる。
プロテスタントはそうした聖職者の特別性を批判してきた流れから、一般信者にも自覚的な行動を求める。
時系列めちゃくちゃじゃねーか
イスラム教の成立は7世紀。だから中世に十字軍をやってたんだよ。そしてイスラムの成立・発展の理由はキリスト教の腐敗ではない。その時期はキリスト教がそれまでの国教化と勢力拡大に伴う解釈の分岐を統合する教義論争が盛んで、三位一体説などの複雑怪奇な教義が正統として定められていった。異端審問・魔女狩りの時期はもう少し先だが、それに向かっていく厳格化の時期だ。だからこそ、教義が単純明快なイスラムが広まったんだよ。
プロテスタントは16世紀だ。そしてプロテスタントが自由だ退廃的だなんてのは真逆で、プロテスタントの方が戒律に厳しく、腐敗していたのがカトリックだ。だいたい免罪符を引っ張ってくるならそれを批判するプロテスタントが自由で気楽で退廃的なわけがないと分かるだろう。単純な知識だけでなく論理的な思考すら欠けてるぞ。
2500年ほど前に生まれた宗教。「生きることは苦しみであり、その苦しみから逃れるにはどうすればよいか」という問題に、開祖は「思索を深めて悟りを開くことで苦しみから解脱する」ことを説いた。僧侶となり厳しい戒律を守ることで悟りを開くことができるとする派閥と、過去に悟りを開いた人たちが神のような存在となって僧侶でない人でも助けてくれるとする派閥がある。
2000年ほど前に生まれた宗教。神と開祖は同一の存在であるとする。世界が終わるときに神による裁判が行われるが、開祖が全ての人の罪を背負って死んだので、開祖の言うことを信じて生きれば救われる、と説く。当初から国家によって保護されたので、キリスト教の指導者と世俗の君主との棲み分けがなされ、そのため倫理・道徳としての側面が強くなった。
1500年ほど前に生まれた宗教。神と開祖は異なる存在であり、人ならざる神の気持ちを推し量ることはできないので、ただひたすら神が命じたとおりに行動するしかない、と説く。また、開祖自身が国を打ち立てた指導者だったことから、イスラム教は国家・政治と一体化しており、その教義がそのまま法律として運用されている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2339319
「おれたちニホン教に改宗しろ」と迫る日本人が多いからではなかろうか。個人的には創価学会(教団組織)は嫌いだけど、学会員の鳥居をくぐれない禁忌はしばしば嘲笑の対象になるが、禁忌を守る態度としては尊敬する
こういう素朴な人たちの思想は完全に間違っているけど不満は本物だから何らかの対処は必要なんだろうな。正しくないからと言って無視し続けると米国のような分断を生む。
中韓には勝てないと分かって、女性を押さえつけることもできず、アイヌ沖縄も相手にしてもらえないので、今度はムスリム差別を始めるのか。
攻撃的差別的なツイ多いね。全部合わせろじゃなく配慮可能な範囲で対応し無理な所は無理なので受け手に対処してねってものでしょ。アレルギーに置き換えたらどうなの?ここは日本とか来てなんて頼んでないとかイタい
将来的には全国に広げるとして、まずは一つの市町村単位で、誰でも安心して過ごせる特区を創る。
「不寛容には不寛容」ということで日本国籍のネトウヨだけは最初に排除する。
心理的安全性が確保されたところで、リベラル系の新聞社や政党からお金を出して、特区内ではどのマイノリティも安心して過ごせる環境を整える。
・レインボーパレードや政治デモも定期的に開催できるようにする
・自分たちの身内の不祥事は自分たちの戒律でさばけるルールも確保する
すぐに思いつくのは、イスラム教国。イスラム法を適用している国では自殺は違法で罰せられるね。
自殺した人間は火葬になる。火葬にされることはイスラム教で死者に対する罰として強烈なやつ。犯罪者扱いなので有形無形の遺族に対する罰もあるね。
自殺者数は宗教的に自殺禁止とされている国で少ないと言われているんだが、これは、宗教戒律で自殺を思いとどまらせている、と言うわけではなく、宗教的にタブーだから自殺であっても事故として処理されているのではないかと言う指摘もある。
また、安楽死を合法としたいというのも、こういった宗教的タブーが関わっているから。自殺は駄目だと言われていたが安楽死はOKとなったことで、潜在的な自殺願望者が一気に自殺に走ったのではと言う話もある。何しろ安楽死を合法化した一部の国では日本の自殺率なんて目じゃないくらい安楽死が行われているとかかなりキツい状況。
常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナのユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。
そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?
現代ユダヤ人のほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。
では何なのか。
一言でいえば、欧州のマジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教の信者になったように、ただ正統派のユダヤ教徒に改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。
日本人はキリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。
・ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国のユダヤ地方で起こった新宗教である。
・紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州の統一宗教になった。
特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。
我々はユダヤ教コミュニティがヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?
実は私たちは(ユダヤ人のイメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。
その事実をひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。
ユダヤ教のディアスポラの歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家の解体よりも前から始まる。
もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域に進出して、近世のヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手の商売をしていたのだ。
ユダヤ人の戒律は、異教徒相手に商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。
当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。
こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである。
本来はユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。
キリスト教の本来の教義には、人種を越えた人類の平等などというものは書かれていない。
政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものがキリスト教だ。
欧州にはまず「ユダヤ人のコミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤの新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。
皇帝ネロによる「キリスト教の弾圧」は、イエスの活動と死の、たった20年ほど後のことだ。
それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。
これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。
イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人のモーゼやイエス・キリストも預言者と認められている。
イスラム教はあくまで中東地域におけるユダヤ教の新解釈、新興宗教という立ち位置に過ぎない。
これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。
「ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ。
その「欧州で生まれた自称ユダヤ人」が今、中東を侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。
欧州はパレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。
semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語やヘブライ語を話す人という意味だ。
アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実。
1984のニュースピークの世界は、欧州に既に完成していたのだ。
常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナのユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。
そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?
現代ユダヤ人のほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。
では何なのか。
一言でいえば、欧州のマジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教の信者になったように、ただ正統派のユダヤ教徒に改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。
日本人はキリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。
・ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国のユダヤ地方で起こった新宗教である。
・紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州の統一宗教になった。
特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。
我々はユダヤ教コミュニティがヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?
実は私たちは(ユダヤ人のイメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。
その事実をひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。
ユダヤ教のディアスポラの歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家の解体よりも前から始まる。
もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域に進出して、近世のヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手の商売をしていたのだ。
ユダヤ人の戒律は、異教徒相手に商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。
当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。
こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである。
本来はユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。
キリスト教の本来の教義には、人種を越えた人類の平等などというものは書かれていない。
政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものがキリスト教だ。
欧州にはまず「ユダヤ人のコミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤの新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。
皇帝ネロによる「キリスト教の弾圧」は、イエスの活動と死の、たった20年ほど後のことだ。
それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。
これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。
イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人のモーゼやイエス・キリストも預言者と認められている。
イスラム教はあくまで中東地域におけるユダヤ教の新解釈、新興宗教という立ち位置に過ぎない。
これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。
「ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ。
その「欧州で生まれた自称ユダヤ人」が今、中東を侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。
欧州はパレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。
semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語やヘブライ語を話す人という意味だ。
アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実。
1984のニュースピークの世界は、欧州に既に完成していたのだ。
特定の宗教の教えには深いことも書かれているから好きなんだけど、ハリーポッターはなんとなくそれを批判しているような気がするんだよね