はてなキーワード: マザーテレサとは
政治に無関心なら黒帯バイリンガルマザーテレサになれるとは言ってない
そうやって相手の言ってることをわざと悪くとらえるのやめなさい
一日中ネットに張り付いてるような人はその熱量と時間を他に使えば、もっと自分や他人の役にたてるって話だよ
それに無関心たれなんて言ってないからな
マザーテレサみたいなことするとか
例えば特撮は自分にとってはありえない映像、どうやって作ったの?!と思ってしまう映像であって、
例えばウルトラマンだって、今から見れば稚拙に見えるところが増えてるかもしれないけれど、
虚構が現実に見えるようなシーンが一瞬だけあるだけでもワクワクしたのが自分の子供時代だったと思う
だから、「八岐之大蛇の逆襲」はやっぱり当時としては凄かったわけで、
庵野氏や樋口氏のような大阪芸大の学生が作った映像でありながら、
少なくとも瞬間瞬間では円谷どころか当時のレベルでの下手なハリウッドは超えてたと思うわけで、
自主制作による特撮やアニメのブームを起こしたといっても過言ではないと思う
といっても、当時の自分は小学生とかなのでリアルタイムでどうだったかはよく知らない
知らないけど、田舎で特撮の雑誌とかファンゴリアの日本語版とかそんなのばかり読んでたのでな、
ところで、現実ってのは本当にクソだと思うのだけど、何がクソかって色々あるのだけど、
現実というのはクソだとしても自分の思い通りに変えづらいというのもクソであって、
社会とか他人とか、自分がクソだと思ってもそれは変えられない、簡単には変えられない
だから、小説とか漫画とか映画とか、そういうフィクションなら当たり前だけどいくらでも変えられるわけで、
現実の世界で何かをなし得る、マザーテレサじゃないが、そういうのは難しいわけだけど、
フィクションはいくらでも変えられるわけだから、どんどん手が込んでくるというのがある
要は努力と結果が比例しやすいわけで、フィクションを作り込むことにのめり込んでいく
でも、それがモーションコントロールカメラみたいな時代だったらまだ牧歌的というか、
特撮に関しては特に技術自体で差別化ができてたりもしたわけだけど、
今の時代はCGがもうメインであって、パッと見では実写かCGかは区別がつかないぐらいで、
ディープフェイクみたいなのだって眼球の光の反射がどうこう言われてるみたいだけど、
というか、自分的にはCGを全面に押し出した作品に飽きていて、
まあ、初代ジュラシック・パークも途中で寝てたんだけど…
でも、物語の内容がまったくない、それこそ「八岐之大蛇の逆襲」みたいな作品が面白く思えるのは、
やっぱり技術というか、当時の若者たちの執念が込められているからだと思う
かといって、自分はトランスフォーマーやパシフィック・リムみたいなのに飽きてる
シン・ゴジラも特に後半はそういう感じがして食傷気味とでもいうかつまらなさを感じた
といっても、後半に庵野氏が試みてたiPhoneによる撮影のようなカメラワークや臨場感が活躍する場はなかっただろうし、
やったらやったで完全にクローバーフィールドみたいになってしまうだろうし、
自分としてはそっちの方が面白いとさえ思うのだけど、それをやるとゴジラではなくなってしまう
そうするとストーリーはともかく、打算としてもああいう映像になるのは仕方がないのだと思う
話が脱線したが、今日に至るまでフィクションを作り込むことに精力を注いできた面があったわけで、
そのためにモーションコントロールカメラもそうだがコンピュータは非常に活躍してきた
そして、今はコンピュータで映像を作り出し、コンピュータ「が」勝手に映像を作るところまで来てるとも言える
一方、商売として考えるときに差別化は必須なわけで、その差別化が特撮技術だったりした時代があったと思うのだけど、
最近は比較的安価にCGによる特撮が可能になってきていることもあり、それがYouTubeを賑わせたりしてる
こうなるとフィクションだのCGだのは完全なレッドオーシャンとも言える
仮にその辺を歩いているオバサンや子供でさえ簡単に無償で高度な特撮映像が作れるような時代になったとしたら、
となると、技術でないところで勝負しなければならないわけだが、
それは物語とか内容とかレイアウトやカメラワークだとかになるわけだけど、
それはそれでまた溢れてるように思う
その上、震災や津波のようなリアルの映像にとても特撮は勝てない
リアルの映像の圧倒的なリアルさに、当たり前だが、圧倒されるだけで、破壊されるビルの模型をちまちま作ったり、
CGでシミュレーションしたりすることさえ、リアルで人が死ぬという現実には敵わない
そうすると、最後のフロンティアとして残るのが現実と考えるのも変ではないのかもしれない
フィクションを突き詰めて虚構を現実に極限まで近付ける努力をしてきたが、結局はリアルには勝てなかった
その虚構を現実に近付ける技術も高度に発達はしたものの陳腐化し一般化してしまった
となると、最後にクリエイティブな領域として残るのはリアルしかない
私ばっかりって思うことが多い。たぶんそんなことないだろうに。
私ってなんでこんなに人のことばっかり考えてるんだろうとか。
相手の気持ちばっかり考えて自分が今こうしたいとか言う感情にそのままで動くとかほとんどない。
例えば彼氏相手に拗ねたり、咄嗟にさみしいと言ったり怒ったりとか。
私はそれも自分の頭の中で入念にシミュレーションしてこう来たらたぶんこうなるから、、、って考えてからでないと動けない
今まで人に本当の意味で好かれていたことなんて多分一度もない。
結局私のことなんてたぶんどうでもいいんだろうなって思うことばかり。
でもそれも、相手に求めるなら自分からすればいいって話になるんだよね。
好かれたことがないなんて言うけどあなたは彼に愛を与えられていましたか?とかさ、うっせーよバーカ。
欲しいならまず与えましょうとか聞き飽きました。
いつも私からいつも私だけ私ばっかり。
いつだか彼氏に思っていることを言った時に
「きみのしたいことはしてほしいことなんだね」って言われたこと、ずっと傷ついてる。
それの何が悪いんだろう。
相手のこと考えていっぱい我慢したり気遣ってるつもりでもまだ足りないみたい。
見返りを求めたら私の気持ちって噓になるの?
してほしいことをしてあげるのは悪ですか?
いっつもうんうん言って、優しくて、怒らなくて、落ち着いていて、否定しなくて、
でも、クソだと思ってもそれと付き合ってる自分が同レベルなんだと言うもんね。
逃げ場なんてないし慰めも救いもないね。
やっぱり一人で生きてくしかないんだな。
ムカつくこと沢山あっても自分の落ち度を探すのが大得意だから、
もっとああいえば違ったなとか、もっとこういえば良かったんだろうなとか反省点はいっぱい見つかって、
でもそれって何で反省してるんだろ?もっとこう言えば相手の機嫌損ねなかったから?その方が良かったの?
じゃあ私の思ってることはいつでも相手の機嫌の為に飲み込むのが正解なの?とか
でも自分の思ってること言うといつも受け止めてもらえなくて逃げられて話もできなくて嫌な気持ちになって、
それなら何も言わないで飲みこんで争い避けてた方が自分の体力的にも楽なのは確かだからそれも一つの生き方だね。
おわり。
それはもちろん、実はろくに医療してなっかったとか、ヒンドゥー教徒を勝手にキリスト教に改宗させたとか、そういう理由もあるけど、
インド人は自立できない憐れな民族で、白人の援助がなければ何もできない、というイメージをインド人や世界に植え付けたから
「非白人が社会変革に取り組んでいても、メディアは白人の支援者や指導者を見つけようとします。言うなれば、非白人の俳優に舞台の袖から指示を飛ばしている白人を探そうとします。」以下のwikiより
アフガン人はどうなんだろう。感謝してた人もいるけど、自立してアフガン人として誇りと持ちたかった。
それをクールジャパンに持ってかれたって悔しい気持ちの人もいたんじゃないのかな。
共依存的だったのかな?
https://www.huffingtonpost.jp/krithika-varagur/mother-teresa-was-no-saint_b_9658658.html
中国にいる聖人で聖女、ゴミ捨て場に捨てられる赤ちゃんを40人以上拾って育て上げた人の記事を偶然読んだり、ナントカのマザーテレサと呼ばれるような人の記事を見たりして精神的に癒されて助かった。
病気などでもう死ぬからと思い、あの世の渡し賃にハトとかスズメに餌でも撒くと救われることもある。
勝手な宗教観で、人間全部この地獄で煉獄に落とされてきた罪人で、ほかの罪人助けても許されない。
でも畜生道とかに落ちてる生き物に食い物をやるとか助けると、罪が許されることもある、らしい。
お施餓鬼だの施餓鬼恵だの、紙切れに念仏書いて、何の徳もない生臭坊主が念仏唱えても寝言以外の何でもないが、飢えた鬼に現物支給で食い物をやると結構効いた、かも知れない。
親の死亡保険金とか身に付かないお金が入ると、急に親戚面してくるクズとか友人とか、金を取り上げようとするクズばかりだから、全部鳥のえさとしてクズ米とかニワトリのエサとか撒いて、カラスにもハトを食いに来る野良猫にも食い物をやり続けると、罪人の印でも取れるのか助かるときもある、らしい。
病気で苦しんで苦しんで、その治療をすると別の病気だの椎間板ヘルニアだのうつ病や糖尿病だの一生さいなまれ続ける運命の奴でも、真冬の食い物のないスズメが数千羽単位で感謝の歌を歌ったり聞かされると、前世でどんな悪行を行ったとしても差し引きされて病原だけでもなくなったりする。
NNN(ネコネコネットワーク?)にも通報されるのか、物置に猫が入り込んで、その雌が子供を産む場所にして毎年5匹づつ子猫が見られたり、そいつらを追い出さずに食い物でもやっていると、ネコと和解したことになるのかネコ的なスピリチュアルステージが上がって、56憶8千万年後には来世で未来仏MIROKUとしてクンダリーニ覚醒して、一切衆生が救済されたりする、かも知れない。