はてなキーワード: 駄菓子とは
とは言っても、
親が気まぐれに買うスクラッチくじに便乗して300円が当たったり
なにかの催し物で行われるガラポンで中の下あたりの賞を貰ったり
とにかく
そういった『ちょっと』の積み重ねではあるが
小雨の降り注ぐ日は登下校時に雲が切れ
冗談半分に
「神様に愛されてるなあ」なんて思っていた。
サンプルは少ないが
てるてる坊主を作って渡すと
「どうしてもこのコンサートに行きたい」と嘆いていたジャニオタの隣席の子に
「クジ運良いからさ!」なんて笑いながら、ノートに『当選祈願』と蛍光ペンで書いてあげた
まあそういう偶然もあるよな、と驚きつつも
喜んでもらえたのでこちらも嬉しく感じていた。
そんな『運』が薄れてきたと感じたのは高校2年あたり
大きな怪我をする事もないため、
落とした定期入れは見つからず
登下校で小雨がやまず
文化祭で雨が降る、といった程度の
そんな『ごくありふれた小さな不運』であった。
自転車通学だったし
当然ながら日頃濡れる事もないので
それはそれで楽しかった。
そして更に認識を改める事になるのは
薄れてきた『運』を補完するような
当然、頻繁に起こる事でもないし
事象同士の期間はずいぶん開く。
しかし『災害の回避』と表現する以外の言葉が見つからないのである。
細かくは覚えていないのだが
少なくともこの15年
1度も揺れに出会っていない。
数度あった豪雨の際も
周囲が水に浸かるなか
住んでいる町は無被害だった。
何もできないし
経験値もないし
受け止める強さもないし
共感する力もないし
ただTwitterでTLを眺め
ニュースばっかでつまんねぇな、と零し
現実を
ほんとうに、「無」なのだ。
何も起こらない、ただひたすらに平穏な
こんな人間もいるんだと
思ってもらうだけでいい。
余談ではあるが
きっと運が良いから
すぐ還っていってしまうんだな、なんて
柄にもなく思ったりしている。
今はとりあえず
何もなかったかのように
あえて無視して
普段通りに
何事にも気を揉まず
というか、フリトレーから出てると思っていたら発売元がカルビーだった(商品パッケージ左上にはフリトレーのロゴあるけど)
調べてみたらフリトレーは2009年という大層昔にカルビーの子会社になっていた
全然知らんかった
ところで、たこやき亭の類似商品に「キャベツ太郎」があるが味も食感も全く違うよな
入った店にたこやき亭が無い場合やむを得ずキャベツ太郎を買うことがあるが、やっぱり全然違う。しょっぱすぎる
キャベツ太郎は小袋に入って駄菓子コーナーで売られているイメージなので、あんな尖った味を子供が食べるというのが不思議な感じだ
(自分は幼い頃からキャベツ太郎は食べなかった。たこやきくん派だった。そして駄菓子は主にマルカワのガムやうまい棒を買っていた
大きくなってからハートチップルとかコーンポタージュとかポテトフライとかが好きになった。あと、パチパチパニックは偶に買う。ビッグカツやおやつカルパスは何故か人から貰う)
関係ないがド田舎の大学に通っていた際、近くにとても古い駄菓子屋があった
自分の地元では見たことのないタイプの陳列ケースに沢山お菓子が入っており、興奮して色々買った
https://www.rafuju.jp/products/detail.php?product_id=793202
↑みたいなケースに変なクリームが入ったミニシューとかが詰まっていて量り売りだった
しぶい
子供のころ、絵本を読んで「大人の歯はとてもかたい」という事から大人はきっと虫歯にならないんだなぁ…はやく大人になりたい
と思っていた
しかし、そんなことがあるわけない
現にいまも私は虫歯(⃔ . ̫ . )⃕↝と戦い続けている
歯周病のバイキンはいつの間にか口に住んでいて、このピンクの土台攻撃したら楽しそう…みたいなノリで歯茎を攻撃するたぶん
あと、大人になればお菓子離れができると思ってたりもしたが、それもなかった
スーパーの駄菓子コーナーを通ればいつの間にかグミやらチョコやら買っているし、夏はアイスが食べたいしたまにはケーキだって食べたいし
せめてもの救いとして、私はジュースよりはお茶が好きだ。夏には2Lを2本飲み干すこともある。
飲みすぎて歯医者で「着色がひどい」と怒られるぐらいだ。お茶にはバイキンをやっつける効果があるとか噂される。美味しくてバイキンと戦えるならこれ以上ない
おれが「お金」と認識してるのは100円玉までで、10円50円は100円の減りを遅らせられるやつ、それ以下はお釣りのジャラジャラを減らせるやつと思っている節がある。
金に余裕があるかと言ったらむしろ逆で、カツカツだったからこそ100円の壁に敏感だった。
小学校は月500円、中学までは1500円の小遣いで買い食いや娯楽に興じてた。まあ小遣いの額は普通くらいだったろうけど、文庫本やCD1冊選ぶにも吟味が必要な時期だ。
お年玉もあるけどそれはゲームとか楽器とか数万以上のデカい買い物をするためのもんで、チマチマ切り崩して良いものではない。
100円あればACゲームが出来る。スーパーならジュースが買える。菓子パンも買える。緊急時に文具も買える。今は食えなくなったがハンバーガーも食えた。ブッコフの100円コーナーもいい。
100円と50円とでは可能性の幅が段違いに変わる。50円以下じゃせいぜい駄菓子を1〜2個買えるくらい。駄菓子そんなに食わんし。
それはせいぜい10年くらい前のことで、大学上がってバイトして数万の靴買えるようになっても、今に至っても変わらず色濃く残ってる。
じゃあケチなのかといったらそういう訳でもないと思う。数万の靴買うし。
好きな事には糸目をつけないけど、変なとこでケチりがちかもしれない。典型的なオタク気質。
流石に自販機やコンビニを贅沢とは思わなくなった気がする。スーパーまで行くダルさを知ったし。
50円以下でも寄せ集めれば100円になる。それを理解はしてた。でもいくらコマモノ集めた所で100円の輝きは生まれないんだよなあ。
ガキの頃は口座なんか持ってないから、100円玉が崩れる事があっても小銭がまとまる事はない。一方通行の不可逆的なものだったから。
行った。
見た目のレベルは本当に高かった。胸の谷間が見える服装をしてる人が多かった。見せてない人はそこまで胸が大きくないのかと思われる。
一人だけ通りからでも青い血管が見えるくらい超でかい人がいて二度見した。
また、一人だけ化粧気も薄く、笑顔がない子もいた。ある意味で清純派()的な印象を受けたが同時にサービスが悪そう、という印象も受けた。
この子が1番優しいよ
いいから見ていき
戻っておいで
(行っちゃうと)後悔するよ
など。人情の街。
ぐるっと青春通りとメイン通りを1周したのちに選んだ人は最初の方に見かけた、若い頃のギャル曽根似の人だった。
が、ちょっと後悔した。声が酒焼けというか、ガラガラした感じだった。客引きはおばちゃんがするので嬢の声までは分からない。しかし靴を脱いだ後にやっぱりやめますとは言えずそのまま入った。
さすが大阪、関西弁丸出しである。なんとかやねん、とかそういうのではなく、イントネーションが関西なのである。顔を見ていないと大阪のおばちゃんを連想してしまうが、顔を見ればギャル曽根。
近くで見た肌のハリから察するに年齢はおそらく20後半か30前半。メイン通りは20代メインと聞いたが…。だがさすがに綺麗ではある。シミやシワといったものは見当たらない。また、口臭もしない。というかミントかつ甘い匂いがしてすごいと思った。何をしたらこんないい匂いになるんだ?
口淫はさすがのプロ。舌がどんな動きをしてるのか分からないがとんでもなくグルングルン動く。思わず笑いそうになった。
あと雰囲気を出すためだとは思うが喘ぎながらだった。喘ぐ要素あるんか、と一瞬冷めてしまったがサービスの一環だと思い感謝することにした。
向こうが裸になったさい、脇横の手術痕が見えてしまいそれもまた冷め要素だったが、そういう人に出会えたのも経験だなと思い受け入れることにした、が胸はそんなに触ろうという気持ちにはならなかった。力加減を間違えたら怖い。
行為を終えたのちまた雑談をしてたらアラームが鳴った。これ果てる前に鳴ったらとんでもなく情けない感じになるな。
キャンディをもらって解散と聞いてたが駄菓子の詰め合わせをもらった。もちろんキャンディも入ってた。サービス良くなったのか?あるいは店ごとの特色か。
飯を食べてなかったので店を出てすぐに煎餅をむさぼったがしけってた。あんまり客の入りが良くない店だったのだろうか、と思いながら飛田新地をあとにした。
かれこれ40年ぐらい前、小学校低学年の頃の話だが
私が住んでいる田舎では地方の呼び名で出店とよばれる個人商店が町内にぽつりぽつりとあり、私が歩いて行けるお店には日用品と雑貨(オシャレでは無い方の)に紛れてマンガのコミックが数冊売られていた。
その店はヨボヨボのおじいさんがいつもひとりで店番というか 、呼ぶと奥の生活圏からゆっくりと出てくるスタイルで、
なんだろう、当時の自分はそのお店でお金を落とすことが義務のようなそんな気持ちで駄菓子やらなんやら買っていた。
そして売っている本は通常の半値ぐらいで並んでおり親の目を盗んでは店まで行って立ち読みしたり、気に入ったらお小遣いを貯めて買っていた。
ドラえもんの一桁頃や、何故かスターウォーズ帝国の逆襲のコミカライズ日本語版とか色んな本がその店から自分の本棚に移動し並んでいたのだが、この本たち、読むのにちょっとコツがいる、値段の理由もそこにある。
途中でページが逆さまになったりめくる方向が逆になったりして本をクルクル回しながら読むことを強いられるのである。
子供だったし自分としてはそれが普通になっていたのでなんとも思っていなかったが
ある時、遊びに来た友達に指摘され、急に気恥づしくなって乱丁の本たちを皆箱に隠してそれっきりどうなったのかわからなくなった。
その店は数年後にお爺さんの寿命と共に無くなったのだが、跡地を見る度に スターウォーズ帝国の逆襲のストーリーが逆さのページで甦ってくる。
祖母と母とその兄弟と、まあ家とか土地とかいろいろ揉めたらしく、ここ数か月次第に口論が激しくなるようになっていた。
俺は22歳超えてなお子供部屋・学生・チー牛のゴミカス野郎なので発言権は無いに等しく、大人たちが言い合いしているのを傍目にしていた。
2週間くらい前、とうとうなにか決定的な決裂が起こったようだった。それからもうあれあれよと祖母の荷物が片付き、3日前に母の弟と引っ越していった。行先は知らない。
俺が生まれてこの方、実家に祖母がいないということがなかった。
小さい頃は勝手に入って怒られた。けどそのあとには必ず駄菓子をくれた。
俺一家が実家を離れて暮らしていたとき、親と喧嘩したら何も言わず泊めてくれた。
戻ってきてから、母と祖母はなんかずっと揉めていたが、それでも毎日晩御飯を用意してくれた。
祖母がいなくなった実家はどこか浮いたようで、この家は祖母がいて、初めて俺にとっての「実家」だったと感じた。
「(俺)くんありがとね、お世話様でした」がたぶん最後の言葉なんだと思う。次会うときはそういう時だろう。
ぽつんと部屋に残ったアシステックのそこそこ高いベッド(これは母が祖母に買ったもの)が寂しくて、ここで30年近く寝起きしていた人がこの部屋に戻ることはもう無い事実がただ苦い。