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はてなキーワード: ミスコンテストとは

2023-11-17

ずっとテリーって誰だと思ってたけどようやく謎が解けた

Miss Terrieってミスアメリカとかミスコンテストの亜種かと思ってて

で、Terrieって誰なんだよってずっと思ってたけど

ようやくそうじゃなくて

2023-05-08

anond:20230508092558

👴「…昔はテレビで『電気紙芝居』ゆうて揶揄されとったCMがあってなあ、ミスコンテストなんか「応募条件は18歳までの未婚の独身女性」なんて女性アナウンスさせとったんじゃよ」

2020-03-03

高学歴と「中流階級」について

(はじめて投稿します)

ある大学生一部の人の「中流階級」という言葉定義の違いからその大学生Twitterが小さく炎上している。

その学生東大学部入学式祝辞と今年の入試現代文文章引用し、自分が恵まれいたことを振り返っている。

その際、自分の生まれ東京中流階級であったという発言をし、その後の恵まれていた環境が多くの人の中流階級定義から逸脱するようなものであったため、炎上している。

その後学生自分定義として社会学者定義引用し、批判の一部を反論を述べず晒しあげ、同調する人にのリプライをした。

また、リプライの表示設定をよりプライベートものにするという提案リプライ賛同している。

以下ではこの件について意見を述べる。当該学生攻撃する意図は全くない。むしろ私がハラスメントを受けているようにすら感じている。

=====

祝辞現代文で扱われた文章メッセージについて、今回の話に関係する範囲については、次のように捉えている。

祝辞努力したら報われるという思考は恵まれ環境で育ったからこそ与えられる。それを忘れるな

入試文章現代では教育媒介として格差再生産されるが、その仕組みは一見平等に見える

当該学生自分が恵まれていることに自覚的であることは重要である解釈して、その旨を説明していると私は捉えているが、

多くの批判学生が自信を表現した「中流階級」という言葉定義の差からまれているようであった。

言葉定義の差なので当該学生ツイートになんら誤りはないが、学生世間知らずとして批判されている。

祝辞入試で扱われた文章から多くの人が連想すると考えられる、一部のインテリ自分努力への自信や他者への誇示(努力マウンティングと呼ぶことにしている)の原因として、

世間知らず(自分社会階層での位置を知らない)が強い要因であることは間違いないと考えられる。

学生の「中流階級」の定義引用元については、おそらく20年以上前社会階層を元に定義されていて、

現在社会改装で「中流階級」を定義し直せば世論を反映するような、全く異なるものになるであろう。

ここ20〜30年程度の中流階級喪失などはインテリなら一度は耳にしたことがあるだろうし、それを想起すればそういった使い方はしないだろうが、学生は知らなかったのであろうか。

学生が後からツイート定義を付け足す様子は強引に見えるし、本来なら世間一般定義を用いるべきであろう。

もし私が祝辞入試問題の背景、さらに当該学生意思を正しく捉えられているなら、

当該学生はまさしく祝辞入試問題の背景にあるような世間知らずのインテリなのかもしれない。

また、中流階級喪失インテリの「世間知らず」をさらに加速させるのは明らかで、この不適切定義使用皮肉ものであるように自分には感じられる。

現代の著名な社会学者」という、内容ではなく発言者の権威自分の主張の裏付けをとるような引用の紹介も、一応理系であった自分には不適切に感じられる。また、自分学生より無知であるのは強く痛感しているため、むしろ小馬鹿にされている印象も受けた。

批判ツイートを、(裕福な家庭に生まれ、ゆがんだ社会構造の下で集められた税金提供される高度な教育を受けた人間が当然義務を有すると考えられる)

理論的な反論をなしに、感嘆詞のみで引用リツートしているのも、意地悪さを感じてしまい、憤りと悲しさを覚える。

加えて、不愉快批判リプライを表示しない設定を勧められ、その実施宣言している。議論放棄しているようだ。

こういった態度が、インテリへの不信感を生み、民主主義における反知性的政治家の台頭を助長しているのではないか

自分はこの20年ほどで先進国特に日本アメリカでは富裕層貧困層の分断が進んでいて、それが人類の次なる悲劇に繋がるのではという悲観論を持っている。

そのためインテリによるこの分断を促進するような発言を強く嫌っている。

また学生炎上に対して、学生を励ますようなツイートも見られ、それらの多くは学生の元々の認知の差について言及せず、嫉妬放置しろなどといった態度も見られる。

自分判断する限りそれらのツイート主も、分断の上側に属しているようだ。

このような分断を感じさせるやりとりを以前にも見た記憶がある。東京大学ミスコンテスト東京大学でこのような催しが未だに行われているのは理解しがたい。ブサイク・ブスで東京大学勉強をしに来ている学生気持ちを考えて欲しい。テニスサークル男女差別より遥かに重要性が高いと思う)の候補学生があまりハイスペック炎上した(のだったと記憶している)際に、多くの東大生が、嫉妬は気にすんなよとリプライしていた。

また、学生はこういったツイートをすることで自分努力をしていないと考えらえるのは嫌と感じるとしている。

私が例の入試現代文文章を読んだ限りでは、努力の因子も環境から与えられるため、努力やその能力他人に対して優劣をつけるものではないと解釈できる。

ただ、私が文章を読んで思ったのは、負の環境努力に正に働きかけ、しかしその中での努力精神的に相当な苦痛を与えるであろうから、その苦痛の中での努力に対しては同情的な賞賛を送ることができるかもしれないということだ。

私の解釈範囲では、学生文章をあまり理解していない。

もちろん私はアメリカの素晴らしい大学院合格していないし、勉強も全くしてこなかったため、私の推測は間違っているだろうし、推測も論理構成も正しくても、私は誤っているだろう。

なお、学生に対して、嫉妬は気にせず頑張れよなどとリプライを送っている人々に対しては、

私の考える範囲では、インテリに限り、どうして批判殺到しているのかを理解していない場合は愚かだし、理解している場合は指摘するべきだ。

これらの類のリプライには嫌悪感を覚える。

一応自分もこういった人たちと同じような大学卒業しているが、こういった発言インターネットで衆目の前で行う人間と同じ大学卒としてラベリングされるのは非常に苦痛だ。

なお、私は中流下流の間くらいの家庭(過小評価している可能性は多分にある)で育ち、貸与・給付奨学金を利用しながら大学に通った。

経済的理由で、家族の泊まり旅行が5年に1回程度しかない家庭だ(海外旅行20年で1度だけあった)。

進学実績のある高校入学した時も、裕福な家庭出身学生の多さに驚いたが、東京大学入学した時の驚きはそれ以上であった。

裕福な家庭出身で、仕送りを沢山もらって一人暮らしをしていたり、お小遣いをもらいながら実家から通っている学生が多くいるように見えた。

彼らと同じように青春謳歌しようとしたが(当時の自分サークル活動恋愛へのコミット強迫観念を抱いていた)、家事アルバイトの手間が多く、勉強がおろそかになった(文章から滲み出る頭の悪さから理解いただけるだろう)。

理系だったので学年が上がるにつれ忙しくなり、しかしついぞ一度も集中して勉強することはなかった。

牢獄とも呼ばれる三鷹(場所が悪く通学時間が長い)にある大学の寮で、裕福な学生に対する嫉妬自分の惨めさを日々感じていた。

都内一等地に住む学生から、前年度に親が休職していたため、授業料免除収入基準クリアすることができた、と聞いた時には本当に気分が沈んだ。

就職活動においても、裕福で勉強に集中し、高い能力を身につけた学生に幾度となく遭遇し、格差を実感し、嫉妬と悲しみを覚えた。

貧しさが原因で、留年したり、退学したり、失踪したりする学生を何人か見た。例えば貧しい地方出身学生が、家事アルバイトをこなし、貸与・給付奨学金を適切に申請し、その上で勉強に集中するのは、私には非常に難しいことに思える。

炎上した学生は違ったようだが、私にとって東京大学はまさしく教育媒介として格差再生産されていることを強く教えてくれる場所だった。

GDP世界3位の資本主義国家の、最も優れた大学である東京大学は、当然教育媒介とした格差について詳しく調査し、国内外に発表する義務があると思う。

私が知らないだけで、学生アンケートをとって学生の家庭の親の年収資産調査したものなどが公表されているのだろう(道義的公表しないはずがない)(追記公表されていました(https://anond.hatelabo.jp/20200304112604]))。

多様性を謳い女子学生の増加に日々努めている東京大学は、私が知らないだけで貧困な家庭で育った学生の増加にも日々努めているのだろう。

(本件とは関係ないが、現役の東大生が東大における女子学生の少なさと貧困について考える にて女子学生の少なさと貧困が語られている。私の推測では、東京大学では学生の家庭の経済状況の分布性別でかなり異なっている。私より貧しい家庭出身で、在学中苦しんでいた男子学生を私は何人も挙げられるが、女子学生については1人も思いつかないのだ。(追記あり))

追記

一部のコメントへの返信

東大ミスコンでも美醜を争うの? 賢さは争わないの?

美醜以外の要素でも争っていると思いますが、賢さは争っていないように見えます

でも格差再生産された結果大学に入れずキモくて金のないオッサンになってしまった人は自己責任であると決めつけ叩いてもいいんですよねわかります

そういう自己責任論を否定する理論が、祝辞現代文では展開されていると捉えています

ID:IthacaChasmaって奴は鶏並みのバカなのかな? この増田はこいつみたいな奴に対する批判に読めたけど。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4682255784618895810/comment/IthacaChasma

記事を読みましたが、大学入試が才能と努力量の掛け算の下で公平であること、また格差を生み出す元であるより良い教育を得るため頑張る価値があることは間違いではないと思います

しか入試で求められる才能(努力できる才能も含め)、努力できる環境の全人口への配分は明らかに平等になっています

東大生の親の資産調査したものがあるかどうかは分かりませんが、世帯収入については学生生活実態調査調査されているのでリンクを貼ります議論の参考になればと思います

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/students/edu-data/h05.html

ご教示いただきありがとうございますこちらの資料学生生活実態調査(2018年)

の39〜42ページに出身地や世帯収入家計支持者の収入が、男女別も併せて記載されていますね。

このようなデータがあることを知らずに上のような言及をしてしまったのは間違っていました。

東京大学入学した学生の貧富の調査公表を私の価値観の範囲では正しく行なっています

世帯収入出身地について、2007〜2008の間に特異的な変化があるものの(リーマンショックの影響でしょうか)、基本的にはより裕福な学生首都圏に住んでいる学生が増えているようですね。

特にその傾向は女子で顕著であるようです。そういった傾向を反映してか、東大が以前に女子学生向けの住まい支援施策として新たに「月額家賃の一部を補助(月額30,000円)」を実施していました。

当時の私としては、その傾向を理解できてはいたのですが、それはすなわち男子学生の方が在学中に貧しい生活を送っていることを意味しているため、非常に悲しい気持ちになりました。

こいつも、頭が悪いことでは差別してもいいと考えているんだよな。件の東大生と同じ。

努力のできる才能を持ち、努力のできる環境で育ったような特にまれ人間には、勉強をする義務があると考えています。そういった人間不勉強については反射的に批判してしまうのですが、もしかしたらその態度は間違っているのかもしれません。

2019-12-17

anond:20191216173906

はてブでは「正論!」と大絶賛だが、違和感があるので書いてみる。

話は飛ぶのだが、マイケル・ウォルツァーという政治哲学者が「複合的平等」という考え方を提起したことがある。

社会なかには様々な領域があり、カネを稼ぐ人が優遇される領域野球が得意な人が優遇される領域プログラミングが得意な人が…(以下略)など無数の領域存在する。ところが、往々にして人間社会ではそのなかの特定領域で優れた人が、他の領域にまでその影響力を行使してしまうことがある。たとえば、カネを稼ぐのが得意な人が、なぜか専門知識もないのに教育領域に口を出してくるとか。

ウォルツァーは、特定領域で優れた人が、その事実によって別の領域にまで支配力を及ぼしてしまうことをやめて、さまざまな領域自律性を担保することで平等を実現しようと主張する。つまりいくら金儲けが上手だろうとも、教育知識がないなら、教育の話に口出ししてくんな、このスットコドッコイ!というわけだ。

他方、この考え方に従うなら、ある領域ものすごく能力が乏しい人であっても、そのことが別の領域におけるその人の評価に影響を及ぼすべきではないという話になる。要は、いくらスポーツが苦手だからといって、プログラマーとしてのその人の評価に何ら影響を及ぼすべきではないという当たり前の話。

ところが、世の中ではそういうことがしばしば起きる。なかでも重要なのが、人の「見た目」。確かにファッションモデルアイドルが「見た目」で評価されるのは、ある程度やむをえない。そういう領域活動しているからだ。だから、複合的平等の発想に立つなら、ミスコンテストミスターコンテスト別に否定されないと思う。だが、ほとんどの人はファッションモデルアイドルではない。

実際のところ、男性もかなりそうなのだが、とりわけ女性場合、その「見た目」がその他の様々な領域での評価に大きな影響を与えがちになってしまう。

ここでようやく話が元増田に戻ってくるのだが、この元増田場合、「仕事の実績で評価される社会人」と書いているから、まさに「仕事の実績」という領域評価されたことが素直にうれしかったんだろう。ところが、見た目の麗しい新人が入ってきたことで、「見た目」という評価基準が不当にも拡張されているという感覚を抱いてしまった。

元増田自身追記で「差別っていうのは確かに言い過ぎだったかもね」と認めているように、新人が入ってきたことで元増田に対する周囲の評価が変わったのでないのなら、元増田差別されたどうかは微妙なところ。でも、複合的平等が達成されているかに見えた領域だったのに、また「見た目」という評価が不当に入ってきたことの失望理解できる。

こういう観点からみると、元増田も「女子としてちやほやされたかった」という増田は、元増田の主張を不当にゆがめているし、言っていいならハラスメントですよ、それ。

2017-09-27

ミスコンテスト

横だが、

井上陽水の曲で「ミスコンテスト」という曲が有る。

随分古い曲のようだが、学生時代にこんな曲が有るんだよと教えられて聞いたことが有る。

その教えてくれた奴が口ずさんだフレーズが「ファンファーレ ファンファーレが鳴る」という部分で、

増田を見て思い出した。懐かしいなー。

この曲、面白い曲だよ。

http://j-lyric.net/artist/a00071f/l0100bc.html

 
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