はてなキーワード: マッスとは
20で増田を産んだら(産むのは母だけど)増田がハタチになるころ父ちゃんが40さいでしょ?すご!わっか!って感じだよね。40なんてまだまだ見た目若いし元気だし最早ともだちまであるよね。で、そういう現役で元気な父ちゃんと酒飲んで語り合ったり釣りしたりキャンプしたりなんかそういう思い出つくりたかったなーって時折うっすら思うのよ。ともだちみたいな父ちゃん、ほしかったなーって。
まあそもそも増田は父ちゃんいないんだけどさ、小学校にあがるちょうど手前で離婚しちゃってそこからずっと母親の手ひとつで育てあげられてさ。爺ちゃんはいたけどなんか部屋にひきこもってずっと静かに本読んでたまに出てきたと思ったらむずかしい顔して録画した映画(ビデオ)みたりするような陰気な爺ちゃんだったから、なんか不完全燃焼なんだよね。
ちなみに両親の離婚理由は父ちゃんがある日いきなり「種子島で宇宙開発をやるんだ!それでひと儲けするからおまえも一緒にこい!」などと言い出して母親を誘ったらしいのだけど、それで母親はもう付き合い切れんってなってバッサリ離婚されちゃったんだって。ダッサ。そんな昔話を数年前に爺ちゃんから聞いてうわーそんなことがあったのーっていうかまさか増田のおめでたい幼稚園卒業の裏でそんなバカなことやってたんだなーって驚いたよ。父ちゃんはロクな仕事してなかったみたいでほぼフリーターみたいな人だったんだってのも聞いて、たしかにずっと家にいたような気がするなーとおもいつつも流石に幼稚園の記憶なんておぼろげもおぼろげだからわかりっこないんだけどね。よく肩車してもらった思い出しか残ってないや。
そんなわけでちょうど小学校にあがるころに親の旧姓に戻った増田だったけどまあ運がよかったというか、幼稚園では皆から下の名前のニックネームで呼ばれてて小学校にあがったら上の名前のニックネームで呼ばれるようになったので、割合切り替えはスムーズだったのよね。小学校以来みんなからマッスー!って呼ばれ続けるようになってもうどれくらい経つだろうか。運とタイミングがよかったなあってしみじみと思う。
なんの話だっけ?ああそうだ若い父ちゃんが欲しかったって話。でも夢見てるだけかもしれないんだよな。若いからと言ってあかるく元気に楽しくやっていけるかってそうでもないというか。逆に20で産んだとしてさ(産むのは母だけど)増田がぴちぴちの12さいのときに父ちゃんが32さいだぜ??32とかほぼお兄ちゃんじゃん。いやお兄さんか。どっちでもいいが、なんか若気の至りでやっちゃっていろいろかかえてしまった鬱憤を一切合切増田にぶつけてきそうじゃん?やだなー。そうだったらやだなー。
これを読んでて、このマッスーのことではないけど
結婚相談所に金は払って入会するけど活動には前向きじゃない人ってありなのかなしなのか悩んでしまった
「いいカモじゃん」とか「そういう人がいるから経営が成り立ってる」とか言われるかもしれないけど
ワイも昔、大人になってから楽器のレッスンをマンツーマンで受けてた時期があって
完全初心者から教えてもらってたんだけど、仕事が忙しくて全然レッスン外で練習できなかったんだよね
定期的にレッスンは組んでもらうし、金は払い続けたし、レッスン中は全力で頑張ってるんだけど
レッスン外で練習しないから当然まったく上達しなかったし、だんだん自分の成長意欲も失われてきたし
とあるファッションビルの上りエスカレーターで前方の女性のポニーテールが美しいなあと思いながら立っていたら、後方からこんな会話が聞こえてきた。
「見えるもん~!」
「ダメよ!0.1って言ったら一番前の席でも黒板の字が見えないくらいじゃないの、大体0.1って小数点第一位で、もしかしたら0.0いくつにまでなっちゃうんだよ、ダメだよ」
降り口でチラッと後ろを見ると、小学生1年生くらいの女の子とそのお母さんだった。
「ねえ、正直ママ泣きそうなくらいなのよ、0.3でもショックなのに、0.1なんて考えられないよ」
親御さんは舌が回るタイプなのかたいへんな早口で娘さんを説得されていた。
ぼくはと言うと、メガネデビューしたのは小学3年生の頃だった。
ぼくは元々メガネというものに憧れていた。正確には、メガネをかけている、江戸川コナンに憧れていた。その頃はコナンという少年がとてもかっこいい存在に映っていて、ぼくは何でもコナンの真似をしたがった。キック力が増強する赤いシューズに憧れて赤い紐靴を所望したり、車並みのスピードが出せるスケボーに憧れてスケボーをねだったりした。
しかしメガネは目が悪い人のためのものであり、いくら欲しいと言ってももらえない物だと理解していたので、ぼくは身近なメガネ着用者である母親が風呂に入っている隙を盗んで母親のメガネをかけてはその姿を洗面台の鏡でうっとりと眺めたものだった。こんな風になりたいなと思っていた。
そんなことを続けていたせいかぼくの視力は次第に悪くなっていき、視力検査の後だったか忘れたがメガネが必要だろうという結論が出た。ぼくは喜んでメガネを受け入れた。はじめてのメガネはビジョンメガネだった。視界が鮮明になったことよりも夢見たコナンに近づけたことのほうがうれしかった。
当時ぼくの所属する3年3組は皆視力が良いか親が視力低下を察知していないかどちらかの裸眼者ばかりで、メガネ着用者は宮本君とぼくの二人だけだった。
ぼくがメガネをかけ始めて間もなく、マッスー(ぼくはあだ名で呼ばれていた)メガネ貸して!とぼくの席まですっとんで来たのが太田さんだった。目が細い太田さんはメガネに憧れているようだった。宮本君もずっとメガネをかけていたけど、彼は変な人だったので、太田さんは遠慮していたのだろう。
1日1回はメガネを貸す仲だった。さすがにそれくらい日常化してくると、彼女がメガネを借りたい理由は単なる憧れではなくて、ほんとうに視力がわるくて黒板の文字が読めなかったりしていたのだろう、ということを思った。
そんな思い出話はさておき、メガネは非常に大切なものだ。メガネなしではとても生活できない。あの女の子も視力が0.1というのは相当な不便があると思われるのでさっさとメガネデビューを果たせるといいなと思う。