はてなキーワード: 高市早苗とは
1987年、アメリカ合衆国へ渡り、左派リベラルでフェミニズム運動の急先鋒だった民主党下院議員、パトリシア・シュローダー(英語版)の個人事務所でコングレッショナル・フェロー(一定の団体のスポンサーシップにより、アメリカ合衆国議会の議員事務所や委員会に派遣される制度[7])として勤務した。
(中略)
1993年、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選。1994年、政策集団「リベラルズ」に参加し、リベラルズを母体に自由党(柿澤自由党)が結党され、党首の柿澤弘治が羽田内閣で外務大臣に就任し、与党入りする。同年7月、自民党を離党した海部俊樹を代表に自由改革連合を結成し、同年末に新進党に合流。
ちょっと気になるのが女性首相が誕生するとしたときに、女性リーダーを望む人たちの声の一部だ。
女性は協調的だから、女性は平和主義だから、こういった言説を語る人がたくさんいる。
男性リーダーは権力闘争が好きで、戦争を引き起こす可能性が高いということの表裏の理屈。
リーダーには、力強いリーダーシップも協調できるリーダーシップも両方とも必要だ。
もしどこかの国や地域から日本に向けてミサイルが飛んでくれば、防衛のために反撃することを決断しなければならない。相手の追加攻撃能力を奪うために同盟国や友好国に支援を求めなければならない。同盟国や友好国の国民に向けて力強さと協調性のどちらのメッセージも発信して、日本をその国の政府が助けることを納得してもらわなければならない。
例えば台湾の蔡英文総統は、力強さも協調も必死に努力していることだろう。もし台湾有事が発生したときに、台湾を助けるべきだと共感したり理解したりする日本国民は多いのではないか。
男性でも女性でも同じことだが、共感することも理解することも義務ではない。
容量が大きい人もいれば小さい人もいる。その容量は強制しても増えない。また、自分自身で増やしたいと思っても簡単に増えるものでもない。
すでに自分の容量が何かへの共感や理解でいっぱいになっている人は、別な何かへの共感や理解を示す余裕はないかもしれない。
せっかく女性首相が誕生しても女性であることに縛られて、「女性ならではの政策を」とか、「女性なのに結局は男と変わらない判断をするのか」とか、本来リーダーに求められることと関係ないことで評価するのはやめるべきではないのか。