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はてなキーワード: 金槌とは

2011-09-07

ねこきもち

箱の中がすっかり暗くなってしまってから、もう随分と時間が経ちました。

入れられる以前に小耳に挟んだことなのですが、どうやらこの箱の中には猛毒の入った小瓶が置かれているそうです。小瓶は口を溶接されて密閉状態にあるものの、すぐ側には振り上げられたまま固定された金槌が設置されていて、その金槌とある時間がきた途端に振り下ろされるのだそうです

そのとある時間なる時がいつを指すのか、私には全くわかりません。いまこの瞬間にもその時が来ているのかもしれないし、あるいはもっと先のことだったり、考えたくないことではありますが、もう過ぎてしまったことだったりするのかもしれません。金槌は誰の影響を受けるでもなく、独立した一つの事象として、完全な確率五十パーセントで振り下ろされることになっているのです。小瓶は割れてしまうのかもしれないし、割れないままかもしれない。私は死んでしまうかもしれないし、生きたままいられるのかもしれない。

まったく、とんだ状況の中に押し込めてくれたものです

激しい憤りを覚えずにはいられません。私の生死という何よりもの大事項が、私はもとより誰からの手も離れて、唯一、五十パーセントなどという無機質極まりない確率だけに委ねられているなんて。ほとほと酷いにも程があるのではないのでしょうか。

加えて理不尽まりないことに、この五十パーセントという確率をより厳密なものにするために、箱に入れられた私には様々な枷が与えられたのです

例えば視覚について。小瓶と装置が見つかっては壊されかねないとのことから、箱には完璧な遮光が施されることになりました。完璧な暗闇。暗黒と呼んでも差し支えのない暗さが用意されたのです。よって私には、少し先の様子はもちろんのこと、私自身の輪郭さえ視認することができません。そこに本当に私の身体があるのかどうか、馬鹿げた話ではありますが、疑いすら持ち得てしまえる暗さなのです

また聴覚についても、同様の理由からか、自ら発した声さえ聞きとれない程に徹底した遮断が施されています。どのような原理が働いているのかは不明です。そもそもなにも見えないのですから、確認のしようがありません。ですから以下は推測になりますが、もしかしたらここに入れられる前に鼓膜を破られたのかもしれないし、あるいは箱を形成する外壁に特殊な吸音板が使用されているのかもしれません。

兎にも角にも、防音吸音共に優れすぎた暗い箱の中で、私の視覚聴覚は文字通り死んでしまっているのです

極めつけとばかりに、全身を支配する身じろぎひとつ取れない虚脱感もまた、私に与えられた枷のひとつでした。暴れないようにとの理由から、箱に入れられる際に何かしらの弛緩剤を投薬されたのでしょう。半ば強制的に同じ姿勢のまま横たわらねばならなくなったので、次第に皮膚感覚麻痺していきました。

何も見えないし聞こえない。嗅覚も味覚もあてにならない上に、触覚までも機能不全に陥った。つまるところ私は五感を全て支配されてしまった木偶のような有様を晒しているのです非情まりない状況です。これほどまでに不自由を徹底するくらいなら睡眠薬を投与してくれたらよかったのにと思わずはいられません。一つも外傷を与えられないまま生殺しにされている気分なのです。私という生命存在について、これ以上ないほどに蔑ろにされているという屈辱感が、辛うじて私の精神を狂わせず律してくれているのです

私は、私の生命を、その生き死にを決定する何よりも重大な決定権があからさまに奪われてしまっていることが憎い。生命の存続を決定づける要素というものが、たった一つ、誰から意図から独立した、純粋まりない確率にだけ寄っているという事実が、憎くて憎くて堪らないのです

どうして私はこんな箱の中に入れられなければならなかったのでしょう。こんな馬鹿げた箱の中で、徹底して自由を奪われたまま生死の恐怖に怯えなければならないのでしょう。

こんなに理不尽なことがあっていいのでしょうか。こんなに残酷なことがあっていいのでしょうか。

はいま、とても孤独です。胸にぽっかり穴が開いたとか、むせび泣いてしまうとか、そんな孤独よりももっと深淵にある、一面の虚空とでも言うべき孤独感にやられてしまっているのです。すごくすごく、ものすごくさびしいのです。独りぼっちのまま、永劫の暗黒に投げ出されてしまったものですから絶対零度にも等しい肌寒さに打ち震えることしかできないのです

箱の中からは一切の遠近感が失われています。暗黒だけが広がっていて、どこかにあるはずの小瓶と金槌は当然のごとく、箱の壁も底も天井も全て消えさってしまたかのようです。無論、実際にはそこにあるのでしょう。けれども、ありとあらゆる感覚器が閉ざされ麻痺してしまった私には、当然のようにそこにあるはずの物ども(実際にはそれ自体に何かしらの存在意義が与えられているはずなのに)が、ないも同然になってしまっているのです

正直に告白しましょう。私にはもう、箱の中に私がいるという前提にさえ自信が持てなくなってきています。確かに私というもの存在している。こうして取り留めもないことを考え、あるいは空想している私の自我ないし意識とか精神などと呼ばれている唯一性は確保されている。けれども、その唯一性が本当に箱の中に閉じ込められているのかどうか。本当はもっと違う、どこか異質な空間を漂っているのではないか。疑念を払拭し切ることができないのです

しかしたら、いまこうしてここにある私は、どこか遠く宇宙の果てを漂っているのかもしれませんし、マリアナ海溝の水底に横たわっているのかもしれない。あるいはキラウェア火山の火口からマントルの方向に向かって沈下しているのかもしれません。

私には私自身を覆う箱がどうなっているのか知る術がないし、五感が死んだままではここが箱の中なのかどうか判別がつかないのです

加えて、いまここにある私が本当に生きているのかどうか。そんなことさえも私には確認する方法が与えられていません。ともすれば私は、二分の一の確率をすでに通り過ぎてしまっているのかもしれないのですから。私はもう死んでしまっているのかもしれませんし、運良く生き残っているかもしれません。弛緩剤を打たれた身体で浅い呼吸と僅かな拍動を続けているのかもしれないし、その全てが停止したままだらんと横たわった肉塊になっているのかもしれません。

私は私自身の肉体を自由にできるだけの力を奪われてしまっているのです。私という思考が生命活動を続ける健全な肉体に宿っているなどと、一体誰が認めてくれるのでしょう。完璧な暗闇に毒された五感は、すでに感覚器としての意義を失くしています。私にはもう本当を確かめるだけの機会さえ与えられていないのです。ありとあらゆる想定は、もしかしたら私自身が作り出した捏造なのかもしれない。私を巡る様々な状況や、そもそもの私という唯一性についても、プログラムされたロールプレイにすぎないのかもしれない。

私という存在について、口惜しいことに、ゆらぎの只中にある私には振る舞い方を決めることができないのです

叶うことなら、誰かに私を見つけ出してほしいくらいです。私を閉じ込めた狭い箱をこじ開けて、私がどうなっているのかを観測して、私の有り様を決定して欲しい。私にはもうそれだけの力が残されていませんから。身動きも取れないまま、孤独に身を震わせ続けることしかできないのですから

全能の神であれば、光あれと呟くこともできることでしょう。無茶な願いだと承知のうえですが、そう告げることができたのならどんなによかっただろうと感じずにはいられません。

自身を巡るありとあらゆる不確定なゆらぎを自らの意思で確定できるなんて!

あこがれは、しかし一方で臆病な陰影を生み出すものです。箱が開かれ、私が見つけられて観測され、結果的に私の有り様が決まることについて、嘘偽りなく告白すると、確定されるいまに不安を感じていることから目を逸らすことができなくなるのです

生きているのか死んでいるのかさえも自分自身では確かめようのない私ではありますが、それでもやっぱり死ぬことは怖いのです。死んでいると決定してしまうことが生理的に恐ろしいのです。どうしても受け付けられない。きっとそれは私がまだ具体的な死という現象を体感することも想像することもできていないからなのでしょう。

いいえ、なにも私に限った話ではないのでしょう。人徳有望な仁君名君であっても、極悪非道殺戮者であっても、遍く存在する人畜無害一般人であっても、誰だってそうだろうと思うのです。年老いた人や、病床に伏せる難病患者であるのならば、もしかしたら限りなく近しい想像を働かせることが可能かもしれません。が、それでもやはり具体的な体験については一生不明なままだと思うのです

結局、死とはゆるがせにできない圧倒的な意味を持つ終着点だと思うのです時間というもの、あるいは意識というものが絶対的な不可逆性を有しているように、たとえそれが儀礼的な通過点や他に類を見ない印象深いイベントであったとしても、決して覆すことのできない絶対的な事柄に違いないのです

私は、いまここにある私という思考は、私を巡る様々な有り様が決まった瞬間にここから存在しなくなります。頭までどっぷりと浸かった、熱くも冷たくもない、温度を感じることのできない完璧ぬるま湯を抜かれてしまって、否応なしに外気に触れざるを得なくなってしまからです

そんな取り返しの付かない変化が恐ろしい。死んでいると決定づけられるだけに限らないのです。私にはもう、生きていると決まってしまうことさえ不安不安でたまらないことなのです

きっといまここにある私は、永遠とも感ぜられる点に留まった小さな小さな幻想のようなものなのでしょう。それ以上広がることもなければ縮まることもない、伸びることもなければ短くなることもない。拡散することも閉塞することもない、数学的に正しい唯一一点に留まったまま自己同一性勘違いしてしまった幽霊のような存在なのでしょう。

その点は、座標平面上の至る所に存在し、同時にとある一箇所には存在していないのです一心同体も同然となった私のことなんて気にも留めないで、ある特定の事象が起こった瞬間に、その事象が起こったありとあらゆる時空間の中のたった一つに、まるでバスから降ろすかのようにして私を収束させるのでしょう。

またそんな点に留まってしまった幻は、実物になる可能性も、霞となって消え去る可能性も平等に有している。

はいま、どんな時空間にも存在し、ありとあらゆる性質を有していながら、同時にどんな性質からも見放された孤独に苛まされています。誰かに見つけて欲しいと願う一方で、その時一体私がどこにいるのか、どのような姿になっているのかが不安でならないのです

因果の理から放たれてしまった私は、何時迄経っても不確定なままなのです

2011-05-22

異様な気配を察して目が覚めた

微妙にグロいかもしれん

こないだ、明け方に異様な気配を察して目が覚めた

足元の方を見ると薄汚れた感じのオッサンの姿が。

お約束のように金縛りにあっていて、首が少し動かせるくらいだった

にたあっと嫌な笑みを浮かべて、前に付き出だして、

ゆっくりとこっちに近寄ろうとしてきた

が、私はオッサンとは別の気配を本能的に察知していた。

起きた原因はこのオッサンじゃない

オッサンを警戒しつつ目だけで横をうかがうと、

なんと、枕元に20センチはあろうかというほどのムカデがいた

しかもすでに咬まれたらしく、おデコに痛みがある

私は反射的に跳ね起きた

無言のまま枕を床に投げ付けて、手近にあった雑誌をひっつかむと、

逃げるムカデを追いかけて雑誌で強打

雑誌では打撃力不足だとわかると、雑誌を上にかぶせて上に物を置き、

一時的に逃げられないようにしてから、オッサンの向こうにある工具箱へ。

オッサンがどいてくれたような気がしたが、そんなのは些細なことだ

から金槌をひっつかむと、すぐさまムカデのところに戻って、

雑誌をどけて、再びムカデに攻撃開始

動かなくなったムカデを捨ててからクローゼットからナフタリン(ムカデ除け)を取り出して、

ベッドの近くや窓際に置き始めた。その間、すべて無言。

ふと顔をあげたら、ベット脇につっ立ったままのオッサンがいた

目が合ったので、何となくオッサンの足のあたりにナフタリンを投げてやると、

オッサンはカタカタと小刻みに首を振りながら後ずさりをし始めた

そうだ金槌を片づけなくちゃと思って、オッサンの向こうの工具箱のところに行こうとした

オッサンはしりもちをついて、消えた

そういえばまだ手に金槌持ったまんまだったな、と後で気づいた

刺されたおデコにはキンカン塗っといた

2011-05-04

東電の免責については不可能だと思う。あの地震津波想定外天変地異に相当するかどうかだけど、実際に自然現象として発生したからには想定外とは言えないわけで。

フランスとか、オーストラリアとか安定的な地塊でM9.0レベル地震が起きることを予知するのは不可能だろうけど、日本のあの地域でそういう地震が起きるのは構造的に可能なのね。

重要なのは、今回の地震はこれでもまだ、人類史上、最大のものではないということ。

チリ大地震級の地震日本沿岸で発生するのは地質的に不可能であったのかどうかってこと。起きる可能性は低いと考えられていたけど、それを引き起こす構造的な環境はあったわけ。

たとえばプロ鳶職の人が高層ビル建築工事現場で、ナットやら金槌やらを下に落とすことは可能性としては低いけど、起こり得る可能性はあるわけ。

落下防止柵などを事前に手当していなくて、通行人けがした場合予測不能であったと言えるかどうかってことよ。

政府地震予知はこの地域であれほど大規模な地震が起きるとは予想していなかったけど、それは地震予知の問題であって、それに沿って見通しを立てていたか東電には責任はないなんてことはないのよね。

2011-04-14

増田さんの一部

大学生高校生が多いのかな?

金槌しか持っていない人は、すべての問題が釘に見える』的な発想で

書き込んでいる人がいるね。

http://goo.gl/ZMhmZ

2010-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20101110234248

金槌を持って歩いておき、今度会ったときに彼の腕の骨を砕いてはどうか。

2010-01-23

小沢秘書逮捕】 「警察帰れ!」「強制連行された3人の仲間を釈放して!」 在日民主党エール

ttp://netateki.blog46.fc2.com/blog-entry-1213.html

114 名前クリップ(関西地方)[] 投稿日:2010/01/18(月) 23:05:22.65 ID:9Ww5MAM+

»107

(>’A`)>ウワァァ!!

122 名前金槌(大阪府)[] 投稿日:2010/01/18(月) 23:07:21.27 ID:5R01IJn1

»107

日本終わってるな


124 名前: 銛(catv?)[] 投稿日:2010/01/18(月) 23:07:33.53 ID:T5VfThFb

»107

ハングルwww

2009-10-29

民主党職員「党本部に侵入した木刀男がパソコンサーバーを壊しまし

ttp://yutori2ch.blog67.fc2.com/blog-entry-725.html


233 : ノイズ2(大阪府):2009/10/28(水) 01:05:29.29 ID:Q1esRHwK

これで個人献金データは消されたんですね?


236 : ノイズx(千葉県):2009/10/28(水) 01:06:23.90 ID:V9uK9009

>>233

多分なw


253 : ノイズh(大阪府):2009/10/28(水) 01:26:11.49 ID:lIeSVEdU

そもそも、

木刀サーバーを真上から叩いても、

へこむ程度だとおもうんだが、

それにラックサーバーならそもそも真上から叩くとなればラックの真上叩くことになるだろ。

前からボコボコ殴っても前面が割れるぐらいだぞ。


289 : ノイズf(神奈川県):2009/10/28(水) 02:18:30.23 ID:rVPAuCKT

>>253

壊れたんです!

誰がなんと言おうと壊れました!

だから証拠はないんです!


297 : ノイズs(鹿児島県):2009/10/28(水) 02:53:10.98 ID:lFxtk+BS

HDって金槌で思いっきり叩いても壊れるかわからないのに木刀で壊れるわけないわな


299 : ノイズf(dion軍):2009/10/28(水) 02:56:13.51 ID:MHfOvACw

>>297

さすがに金槌で思いっきりぶっ叩くとピックアップはどうにかなるかもしれんが

中のデータは結構大丈夫だろうな


386 : ノイズc(北海道):2009/10/28(水) 07:53:19.31 ID:cQK0ImE4

事務所火事になったのもいたな



2009-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20091026000304

うーん、この元増田が嫌いなんだけど友人のために書いてみる。

うまく説明できないけど、あらゆるイデオロギーは人を不幸にすることを認識することかなあ。

たとえば右翼の人っているじゃん?

宗教の人でもいいし、政治団体の人でもいいんだけど、

彼らは自分が信じるものを他人に押し付けることに使命を感じている。

でも、そんなのはどうでもいいことなんですよ。

自分が死ぬときにそんなことはなんの足しにもならない。

そういうのと哲学的な悩みってのは一緒なんです。

悩むことは悩むっていうことで既に人生時間を使ってしまっている。

もしも右翼とか宗教者とか政治運動をやっている人をアホだと思うなら、

哲学的な悩みを持っている人も同様にアホなんです。

オレたちはもう既に「生きてしまっている」んです。

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死後について考えることはかなり意味がないんだけど、それと似ている。

オレたちの人生ってのは死ぬまでです。

死んでしまったらその先はない。

死んだ後のことがあるように考えることがあるよね?

それってのは幻想なんですよ。

人間のすべての思考は生きている間の基準で出来ている。

だから本来、適用できないはずの死んだ後の段階についてもそれらを適用しようとしてしまう。

あしかたない、手に金槌持ってたら叩きたくなるのはわかる。

でもそれは間違いなんですよ。

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自分意味があるとすると、それは他人が自分に対して持つ意味ってことです。

他人から必要とされれば自分の存在意義が発生する。

一番簡単なのは困っている他人を助けることです。

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野生の生き物は自分意味について考えない。

持っている金を捨てて、毎日生きるだけで精一杯になれば悩みは消える。

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自分の存在意義について悩むってのは、例えば家族ペットアイドルとして育てられていたケースがある。

そういう人は大人になるときに家族から離れると、存在価値がわからなくなって悩むことがある。

親と自分の位置関係の見直しがどこかで必要かもしれない。

2009-10-03

この前近くのコンビニに歩いて買い物に行って、帰りに小さい小学生ぐらいの女の子見かけたのよ

自転車ペダルの所にしゃがんでしゃくりあげてて、通り道だったからそのまま近づいていったんだけど、

自転車のチェーンが外れてて途方に暮れて泣いてたわけ

今の自転車って基本的にベルトチェーンでそんな事はまず起きないんだけど、

たぶん親戚や兄弟お下がりとかで、若干古臭いデザインだった

そこそこ田舎だから人通りが多いわけじゃないし、見過ごすのは流石に可哀想だったから声を掛けたんだけど、

こっちを見た瞬間に一目散にその子逃げ出したわけ

最近は物騒だし、親とかからよく言い聞かせられてるんだろうなあと思ったんだけど、

後々よく考えてみたらその時の俺の格好がそもそも物騒だった

茶髪グラサン耳にはピアスノースリーブダボダボ迷彩パンツ、どう見てもDQN

でまあ、逃げ出したその子に大声で言ったわけ「直しとくから後で取りに来いよ」って

自分がガキの頃はチェーンが普通だったし、大暴れするガキだったから自転車もよくぶっ壊してた

その度に自営業だった父親に泣きついて直して貰ってて、それを一緒に見てたし、

最終的には自分で直し方を覚えて、壊すたびに自分で何度も直してたから直すのは簡単だった

んで、ちゃちゃっと直してその場はさっさと後にした、居てもしょうがなかったしね

次の日の仕事帰りに遠回りしてその場所を通ったんだけど、自転車はなくなってた

なくなってたのはいいんだけど、自転車があった場所の家の石垣はぶっ壊れてるし、

明らかに車のヘッドライトウインカーの破片が散らばってるわけ

家帰って母親に聞いたらさ、昨日の夕方過ぎに交通事故があったんだって

そういえばコンビニから帰った後で救急車の音聞いたなとか思い出してさ

その時点で半分パニック状態だったんだけど、そのまま母親に詳しく話を聞いたわけ

こういうときの悪い予感ってのは的中するもんでさ、その交通事故被害者

どう考えてもあの時の子でさ、おまけにほぼ即死だったらしいって

家から母親と一緒に自転車を取りに行って、その子が急いで自転車まで駆けて行って

自転車のチェーンを見ようとしたら、わき道からまっすぐ飛び出してきた車に轢かれたって

いったいどこでそんなに詳しく聞いたのか知らないけど、そういう顛末だって聞かされた

その場は何とか平静を装って部屋に戻ったけど、頭を強く金槌で叩かれたようなって表現、

ああいう感情のときに使うんだろうね

いったい俺はあの日何をしたんだろうね、今でもさっぱり意味が分からないよ

2009-01-21

タケルンバグループディスカッション問題リンク収集

(あるいははてなにおいて戦線が拡大し収束不能になる過程の記録。)

悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語 - タケルンバ卿日記

卿@twitter(順不同)

ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。

@_temaki_ あ、そこか。あれは違うんだよ。話を聞いた女の子(研修した子)がそう言ってたんだよ。「感情論でおしたんだけど、ダメでしたー」って。俺が感情論って判断したわけじゃなす。

@y_arim (つづき)そういう考え方を開陳するなという発想には賛同しかねる。表現者として自殺行為だし、表現の自由だべや。もっとも、そんなレベルの話じゃないというのが率直な印象。単なる思考実験だよ。深くとられても困る。深くとるならお好きにどーぞって話だべや。

@y_arim 答えを出して、正しいかどうかを検討する場ではないからセクハラではないよ。絶対的に正しい正答はないという状況下でないとGDは成立しない。価値観が問われるのは確かだが、ビジネスではもっと厳しい選択を迫られるのが常なので、これでハラスメントなら働けないよ。

@y_arim だから単なる思考実験なのよ。「悪い」という定義を曖昧にするから、そこからGDがはじまる。価値観がぶつかる。まとまればそれでよし。まとまらなければ、どこかで多数決になる。多数決になれば、少数派が満足しないケースもある。そういう経験も含めてのGD。深く考えなくていい。

@taitoku そういう話っていいんですよね、GDとしては。ギッシリ人がのった救命ボートの中に、伝染病の患者が出た。どうする? とか。こういう倫理観が問われる出題を嫌がる人はいるけど、タブーだからこそ、思考訓練にはいい面もあるわけで。

@Yoi ああ、あるでしょうね。実際、その研修時、論理的な回答をした男性に女性陣はd nbkだったそうですw

dnbk=どんびき、らしい。

@_temaki_ うん。だからあれは同性のみのGDでしか使っちゃいけない論題だと思ってるよ。異性がいる環境では俺は使いたくない。ただ、思考実験として、自分だったらどうかって考えるのは悪いことではないと思うな。その意見を言うかどうかは別としてね。

@_temaki_ 現実行われた研修の話だし、昔からこの手のGDは他の場所でも行われてきたんだから現実としてしょうがないっしょ。ただ、それと、その現状を良いと思うかは別論点なんだけどね。企業のリアルな現場には、もっとひどいのがあるはずだよ。俺はそういうのが嫌だからフリーなわけで。

@y_arim それはあなたの妥当性であって、俺がどうこう言う筋合いではない。この件に関してはあらゆる意見が正しい。それ以上でも以下でもない。俺は俺以外の意見を尊重する。但し俺の意見も同様に正しい。意見の間に順位付けなどないし、人の意見に意見を挟みたくない。

@yoppa0516 そうそう。俺もそう思ってたの。こういう喧々諤々できる設問がいいのにね。価値観がバラバラだから、思考実験にいいのに。なかなかおもしろいリアクションだと思った。これは新発見。

@Yoi 思考実験とはいえ、身に置き換えて考えやすいからこそ、痛みを伴うのかもしれませんね。想像上の世界とか、思考や論理ではなくて、自分の身に置き換えて考えやすいのかも。

@Yoi そうですね。共通の答えを導くプロセスの学習と、ほどほどの妥協の必要性とか。そういう社会性を身に着けるのに適しているかと思います。

@Harashooter 講師の導き方次第で、如何様にも教訓を学べる設問ですよ。論理的思考を学べますし、議論がまとまらないことから価値観の多様性も学べますし、性的な話に対する嫌悪感とか、結論を出さなければいけない場面において、納得のいかない結論になるケースを理解するとか。

@_temaki_ そうなんだけど、それを会社の研修という強制参加の場でどうよって反発はようわかる。わかるが、それは俺のせいじゃないw 第一、俺が講師か研修担当者なら、この論題選ばんよ。

@threelz つか、研修受けた人の話聞く限り、そういう研修なんよ。まとまらないことを学ぶ研修というか。あるいは強引にまとめることで、まとめたかに見えて、実はバラバラになる体験をしたりとか。

@satokom そうなんですよ。だからこの研修もグループごとに結論が違ったり、グループで出た結論に対し、どれだけの人間が反発を感じるかってテストでもあるんです。集団の決定だなんて、こんなもんなんだみたいな。社会性のテストでもありますね。

トラックバックしてるエントリからいくつか

※以下流れを大づかみにつかむための説明文なので、詳細は本文を参照してくださいです。

無人島のこと - はてな読み

論理的思考と説得の技術を試す機会だ、という考え方は『それはそれでひとつの考え方なのでしょう。』としながら

女性感情論を、ムリヤリ数の力と、論理で押し切ったようですな。』という卿の発言を批判。

会社の行った研修に対しても『低俗心理テストもどき』として短く批判。

悪いのは性根の腐った似非貴族に決まってるだろ。 - 消毒しましょ!

卿がエントリで示した考え方に対する罵倒

『「関係を迫った男が許せない」、「関係を持つことを条件に、船を直すだなんてヒドイ!」という極めて当たり前の道徳を、平気で「女性感情論」と切って捨てることの出来る非道さを見るだけでも、このバカが如何に拙劣人間性しか持ち合わせていないことは即座に理解できよう。』

そもそも善悪の判断つけるべき話か? - NC-15

感想自分が体験した類似のGDの話と卿の回答対する批判。

「川を渡る女」の改編であると指摘。

『まあ、こういうしょうもないディスカッションって新人研修でやるところあるよな。俺が最初にこの業界で潜り込んだ会社でもやってた。正直アホらしかったがな。』

『ちなみに研修のときの回答は、「ただ、Lさんが金槌持ってSかBの後頭部ぶっ叩いて気絶させて有り金と船パクって渡っちまったら万事すべて解決するだけの話じゃね?」と。研修担当産業カウンセラーから「あなたはめちゃくちゃ反社会的で歪んでる。」と言われたけどね。アホらしくて付き合う気にもなれない。』

『そもそもさ、このくだりもかなり偏見が入ってるわけで。元々、その女性たちの意見を「感情論」と片付ける発想と、「金出せばやらせてくれるからいーじゃねーか」というのを論理と考える発想ってさ。それこそ以前炎上した原因そのまんまの話なわけで』

「○○についてグループで一番を決めてください」って何がしたいかわからない - 遥か彼方の彼方から

価値観を問題にするのであれば一つの結論を出せるはずがないので、ディスカッション意味がよくわからない、という批判。

タケルンバ卿は「おじいさん」になってほしくない - 魔王14歳の幸福な電波

卿のtwitterでの発言に対し批判に対し傍観者になるべきでないと批判。

(後に卿は該当の発言は仕事に対するものだったと弁明。)

id:takerunba これだけブコメがついて、誰一人、個人的な仕事についての発言という可能性を考えない件について。何でもかんでもブログのことについて発言してると思ったら大間違いあるよ。

『ある無人島漂流の物語』がセクシズムである理由 - ロココの足袋

このテーマGDをセットした企業を『題材提示の時点で既に性差別存在している』として批判。

『もし欧米企業で同じ研修が行われたら、担当責任者の首が飛ぶ問題になりかねません』日本企業性差別へのデリカシーのなさ等を批判。

論題の意図と改変の意味 - 地を這う難破船

無人島」は「「川を渡る女」の『「性的な局面においてその人の大事にするものがわかる」という認識に基づく改変です』と指摘。

『その発想が新入社員研修において持ち出されることがセクシャルハラスメントでないなら、セクシャルハラスメントという概念が何であるかさっぱりわからない。』と批判

F's Garage:この話はチェーンメール的な悪魔の話

『そう。この設問は、それそのものが理不尽なんだろう。』としながら一連の流れが面白いという反応。

『この話では誰が悪いという結論はどうでもよくて、その過程の反応にこそ価値がある。』としている。

話の論点は『「答えの出ない理不尽な状況下に、個人とビジネスどちらを優先するか?」』にあるのではないかという考察

GDの議題に対する個人的回答。

ゲス問題なGDを切り抜ける方法と、ゲス話にイライラしないですむライフハック - 春巻たべた

問題文を読み変え再設定することで上手く切り抜ける方法を提示。

その後、『こういった鬱展開に揺らがないためにはどうすればいいのか?』という問題に対し、独特の考え方が続く。

『そしてもちろん僕は僕自身の宗教を打ち立てる道を選んだ。大学一年の春のことである。』

『僕の宗教に神はなく、ただ僕と僕以外がいるのみである。世界に不幸があるのはつまるところ僕が世界を救わなかったからだ。』

id:takerunbaは擁護可能かw - 幸せの鐘g(r

twitterでのy_arimとのやり取り提示しながら卿の意図の推測と卿への批判。

2009-01-21 - planet カラダン

ビジネスの場、それも一企業の内部では、多くの場合で前提状況そのものを問うことは禁じられている。

いや、禁じられてなどいないかのようになってるけど、誰も歓迎はしない』として

この議題は差別的なジェンダー規範内面化させものではないかのではないかとして批判。

研修という聖域 あるいはモラトリアムの憂鬱 - 背後からハミング

『それにしてもid:takerunbaさんは少し叩かれすぎだと思います。』卿を条件付き擁護。

研修アウトソーシングされそこで企業日常業務では到底ありえないような行為が公然と行われるケースが多くあることを指摘。企業研修が「聖域」となり、パワーハラスメントの場になってしまうケースが少なくないことを指摘。

選択の自由 - raurublock on Hatena

卿は厄介な問題だという認識を欠いたまま首を突っ込んでしまったのかもしれないとコメント

『あの課題の設定された目的(どの価値観を重視するかという話)とはかなり離れたところで、ふと哲学的な疑問が沸きました。選択の余地があるのと無いのと人間はどっちが幸せなんだろうという話。』

セクシュアリティにからまない別の設問を提示した上で、正答の無い問題を考えること自体は良いことなのではないか、という視点を提示。


戦線が拡大しすぎてこれ以上追うのはむりぽ。

興味がある人は元エントリのはてブ>「このエントリを含むエントリ」で確認してください。現時点で32コある。

あとはキーワード無人島はてブ検索とか。エントリについてるタグで飛ぶとか。

派生エントリにはトラバ売ってるけど元エントリトラバ打ってないエントリも多い。

はてブコメントにも興味深いものが多いけど力尽きた。

(そしてこのエントリ戦線の一部となった。)

>id:Midas 面白そうなのでエントリ書いてここのブクマで告知してもらえればまとめに追記しますよ。

>id:matcho226 あまり考えてなかったので反省した。まとめエントリがほしかったけどなかったので書いてみた。

2008-10-29

自分の殻に閉じこもっていた男の話

「あなたは自分の殻に閉じこもりすぎている」

ある女性にそう言われた。

ショックだった。

僕は自分の身体を見下ろした。

丸く固い表面。

一分の隙もない、滑らかで捉えどころのない皮膚。

無機質で、均一で、触ると冷たかった。

これじゃいけないと思った。

こんなだから、僕は周囲と打ち解けられないし、誰からも相手にされないのだ。

僕は殻を破り、本当の自分をさらけ出す決心をした。

僕は金槌を手に取った。そして、自分の殻を思い切り叩いた。

激痛が走り、目の前で何かがビカビカ光った。

それから、鈍い痛みが腹の中でゆっくりととぐろを巻いた。

殻は歪み、ひびが入り、赤や黄色の血が隙間からにじみ出てきた。

僕は金やすりを手に取った。そして、自分の殻を削った。

固い表面が粉となって落ちて、あるところで柔らかいものに触れた。

その瞬間に僕は甲高い声を上げた。

金やすりから脳天へ、背骨に沿って痛みが走り抜けた。

思わず手を止めると、焼け付くような熱が、削りとった辺りから広がった。

綿のような血と肉が、金やすりの下から現われた。

僕はノコギリを手に取った――――。

僕は――――。

鏡の向こうに、見たこともないグロテスクなものが現われた。

握りつぶされたように歪み、全体から血や体液を滴らせ、

立っているのも危うい姿だった。

僕ですらその姿から目をそらしたくなった。

だけど仕方ない。

そう僕は思った。

これが本当の僕、

殻に閉じこもっていない本来の僕なのだから。

アドバイスをくれた女性に僕は会いに行った。

見てください。

僕はもう殻に閉じこもっていませんよ。

これが本当の僕です。

よく見てください。

赤くなって熱を帯びている。

血も出ている。

ここなんか骨まで見えてます。

どうですか?

これで僕のことが良く分かったでしょう。

僕はもう殻になんか閉じこもっていません。

僕を受け入れてくれますか?

女性は目をそむけて逃げていった。

誰も彼も僕から目をそむけ、離れていった。

僕は独りになった。

前よりずっと、独りになった。

血はとめどなく流れ、足元には赤い水たまりができた。

やがて冬が訪れた。

ひび割れた殻の間に冷気は容赦なく入り込んだ。

乾いた傷口がひりひりと傷んでいた。

僕は道端で汚れた毛皮を拾った。

何の動物だかも分からない、黒くて大きな毛皮だった。

僕はそれを身にまとった。

傷口は塞がり、寒さも耐えやすくなった。

しばらく歩くと、もう一枚毛皮を見つけた。

僕はそれも身にまとった。

冷気はより遠ざかって、傷の痛みも徐々に引いていった。

歩き続けているうちに、手袋をなくした子供が通りかかった。

子供は、赤くなった両手を僕の毛皮に突っ込んだ。

あったかい、と子供は微笑んだ。

親が叱りに来ると子供は慌てて僕から離れた。

僕は毛皮を探して歩いた。

何枚も何枚も、見つけるたびに拾い、身体に巻きつけていった。

そのうち身にまといきれなくなって、

上等のものが見つかったら汚いものを捨てる事にした。

いつのまにか僕は、

白くてふさふさしたきれいな毛皮で覆われていた。

すれ違うたくさんの人が足を留めるようになった。

何人かは僕の毛皮を撫で、頬を付け、身体を埋めていくようになった。

あまりに居心地がいいのか、

毛皮に埋もれたままずっと僕にくっついてくる人も現われた。

僕はもう、孤独ではなかった。

毛皮はあまりにも厚くなって、

もう固い殻を見ることも触れることもできなかった。

僕は毎晩、自分の身体をまさぐって殻や傷跡を探そうとする。

だけど、それらはもうどこにも見つからなかった。

僕の殻はどこへ行ってしまったのだろう。

本当に消えてしまったのか。

身体のどこかにまだ残っているのか。

消えてしまったとしたら悲しいことなのか。

残っていたとしたら不気味なことなのか。

僕にはわからない。

ただ、分かったと思えることが一つあった。

「あなたは自分の殻に閉じこもりすぎている」

それは、僕が裸ではない、という意味じゃなくて、

むしろ、殻が見えるほど裸でいてはいけない、

というアドバイスだったのだ。

2008-02-18

俺の兄貴は飼い犬を殺した。 

 ある日俺が学校から帰ると、庭先でトマトが血まみれで倒れていた。

 トマトは犬で、雑種で、七歳で、去勢されたオスで、もちろん可愛かった。

 死骸のかたわらにはうちの兄貴が居て、金槌左手ぼんやり立ち尽くしていた。

「俺(オイ)が、やった」

 こっちが聞いてもいないのに兄貴はそう、言った。俺は気持ちの整理というか混乱というか、何で兄貴が普段可愛がっていたトマトを殴り殺したのか全然理解できなかったし、そうだ、兄貴はいつも猫派犬派の話になると猫派の姉貴をけちょんけちょんに貶めていたぐらいで、何でというかそもそもリア充で常にストレスフリー笑顔を周囲に撒布しまくってて、こんなわけわからんことをやるぐらいに追い詰められたはずはなく、そんなわけで俺の中で様々な疑問と感情が混ざり合って、

「なんでなん?」

 という一言に集約された。

 

 兄貴はそれだけで俺の意味するところを理解するくらいにスマート人間だった。はずだが、その時は俺の問いには答えず、

トマト・・・」

トマト?」

「赤くなってもたな。トマトだけに」

 俺の中の何かがキレて、放たれて、その矛先である兄貴に殴りかかった。勝てるわけないのに。

 そのあとのことはよく覚えてない。兄貴トマト殺害を素直に認めたため、家族全員がショックを受けたようだったが、幸い近所の人に目撃者もいなかったので事件が外に漏れることはなかった。トマトは不幸な事故で死に、兄貴優等生生徒会会計なままで、日常は続いていった。俺には到底理解の範疇外だったけれど、家族も普段どおり兄貴と接していた。

 俺だけがその日から、比較的仲の良かったはずの兄貴とあんまり会話しなくなった。

 貸していた映画代1500円も借りていたエロ本も話の種とはなりはしなかった。

 それから間もなく兄貴東京大学に入るために上京して、卒業して、就職して、そんで、つい最近会社の同僚の人と結婚した。

 結婚する前、うちの家族に紹介するために兄貴彼女を家に連れて帰ってきた時、成り行きでペットの話になった。

 彼女実家で猫を四匹も飼っていて、兄貴同棲してたマンションでも捨て猫を拾って育てているとなんとか、そういう感じだったように思う。その場で兄貴が熱烈な犬派はずだっていうことを誰も口にはしなかった。だって、トマトをどうしてもトマトを思い出してしまうだろうから。

 今まで会話の輪に参加しつつも、巧みに兄貴との絡みを避けてきた俺はここでようやく兄貴と目を合わせた。

「でもさ」

 何が「でも」だったのか、自分でもよくわからない。会話の流れ的にそうだったのだろう。多分。酔っ払ってたし。

トマト殺したの兄貴じゃん」

 俺は笑っていた。笑顔だったと記憶している。鏡見てないのでなんともいえないが、酒が入るといつもそうなる。

 姉貴もそうだ。とーちゃんも、かーさんも、おじいちゃんも、いとこのせんたろうにいちゃんも。そういう家系らしい。

 兄貴はどうだったのだろうか?

「ああ」

 兄貴はやっぱり微笑みを浮かべて

「そうだったけなぁ・・・」

 

 それ以来、兄貴と話を交わしたことは一度もない。

2007-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20070924133628

後に映画監督岩井俊二が、やはり学校で一人でいることが多くて、先生

「もっと友人を作るようにしなさい」と言われたところ、「どうして友達を作らなくてはいけないのですか?」と答えたのを聞いて、頭を金槌で殴られたようなショックを受けたのを覚えています。

自分ひとりでも十分に生活に満足していれば友達というのは必要性がないのです。

そうか、そう答えればよかったのか…。

中学の頃、同じように呼び出されて余計にプレッシャーかけられて、意識して余計空回りしたっけなあ……。

「お友達」について

この人に対するレスです↓

http://anond.hatelabo.jp/20070924130119

中学3年生のときはこんな感じでした。

今にして思い返せば、お友達ができるかどうかも「縁」の問題で、

クラスがあんまり仲良くしたくないタイプの人々で構成されている場合は

なかなか「お友達」ってできないと思うのです。

後に映画監督岩井俊二が、やはり学校で一人でいることが多くて、先生

「もっと友人を作るようにしなさい」と言われたところ、「どうして友達を作らなくてはいけないのですか?」と答えたのを聞いて、頭を金槌で殴られたようなショックを受けたのを覚えています。

自分ひとりでも十分に生活に満足していれば友達というのは必要性がないのです。

でも、今の社会では「友人がいない」ということがそれだけで何かものすごい悪のようにいわれている部分もあります。

美輪明宏さんの本からの受け売りなのですが、「本当の友達なんて、一生に一人出会うことができればそれで十分に幸福」という言葉があります。

一緒にお酒を飲むために友達は必要なのか。

何か悩み事を相談するために友達は必要なのか。

万が一のことがあった場合に、借金を申し込むために友達は必要なのか。

ただ近所に住んでいる人、学校クラスが一緒の人間職場の同僚を便宜上「友達」と読んでいるのか。

「友人がいない」ことは一つの悩みですが、多くの人と付き合いがあれば、それだけ悩みも増えることになる。

友人ができるかどうか。というものは「ご縁」に任せてしまってもよいのではないかと思います。

とはいえ、友人や一応付き合っていることになっている人(←と書いたら本人はまたトラウマになるのかもしれないけれども、一度もリアルではデートをしたことが無かったりするのです。)にメールを送っても返信が無いので少し寂しくなってしまいました。

こういうときには、やはり友人は多い方がよいのかな。という気もしてきます。

オフ会にでも参加してみようかな。。。

2007-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20070415104043

カッターナイフで指先を切って血が出た」「金槌で親指を打ちつけた」「タンスの角に小指をぶつけた」

ならば経験があるので感覚を想像できます。が、経験しようが無い「心を切り刻まれた」という、

「心」なんておよそ実体の無いものに一々傷ついた傷つけられたと言う人間の感覚がよくわからないのです。

言葉が単なる文字の羅列では無く実在の凶器にも勝ると考えている人の意見を多々聞いてきましたが、それは

特定の人種、信条、性別、社会的身分の人間ピンポイントで殺せる道具が有り得ると考えているわけで、

アメリカ人だけ黒焦げ死体にできる爆弾」「イスラム教徒だけ中毒死させられる毒ガス」「縦に読んだ瞬間

心臓麻痺で死亡する長文」これらはおよそ誇大妄想の域をでない代物で実在する筈がないと言えます。

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