はてなキーワード: 報道特集とは
「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、同胞にはその社会で貢献して欲しい」
「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。
日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞(キョッポ)にそんなことを言う資格などない。」
「 私は僑胞の連中を信用などしていない。
徴兵の義務を負わないくせに韓国人を名乗り、 日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。
以前にもこの発言は捏造ではないかと言うのを書いたけど、今日暇だったので自分で調べてみたところ完全に捏造だと分かったので、デマがこれ以上拡散しないためにも改めて注意喚起
このコピペの「03年6月の訪日時TBSのテレビ番組」とは具体的には2003年6月8日放送の「報道特集SP百人百熱 韓国・盧武鉉大統領 本音で直接対話」という番組のようだ。
番組HP上に掲載されていた盧武鉉大統領の発言の書き起こしは下記のようになっている。http://megalodon.jp/2012-0225-0000-46/www.tbs.co.jp/skorea_president/topic4_2.html
質問者(男) 私は在日韓国人ですが、今まで日本の社会から色んな物を受けて育てて頂いたと思っているんですが、将来はそれを自分が今まで受けた物を日本の社会に還元していきたいと思っています。それがひいては韓国と日本そして北東アジア、ひいては世界の平和と繁栄に貢献できると思いますが、それに対して大統領の感想をお聞かせ下さい。お願いします。
盧大統領 これまで韓国人が海外に出て、非常に多くの人々が海外で暮らしました。我々が幼い頃、ユダヤ人やそして中国には海外で暮らしていても、国籍を捨てず、そして言葉を捨てず、また家族の文化を捨てないというような事があり、それは非常に良いことであるといった教育を受けました。そしてそれが非常に良いことであると考えてきました。しかしながら世の中は変わっていきながら、世界が一つに統合していく過程の中で、必ずしもその国籍を守るということが称賛をするようなこと、称えることだけだと思いません。
どのような国の人でも自分の国の文化の誇りを捨てないにしても、現地の文化そして体制に適応して、またそこでその社会の一員として定着して、その社会に寄与することは非常に重要なことであります。したがってその李君がそのように話しをしてくれたことは、非常に進歩的な考えであると思います。自分の民族的なアイデンティティーは保ちながらも、この現地の一員として適応し、貢献していく考えはその二つの共同体を一つにつなげることのできる力になり、また架け橋になれるだろうと思います。私はその様な考えを持っており、国籍問題に対しても、もっと自由に考え、それで二つの民族をお互いに一つにつなげていく架け橋として、日本にいらっしゃる同胞の皆さま方が大きく寄与できるような、できたらという考えが良い考えだと思います。
見て分かるように、「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、同胞にはその社会で貢献して欲しい」に相当する発言はあるが、コピペのように在日を敵視した発言はしていない。
2ちゃんねるには放送当日の23時にコピペが投下される。(元々有ったコピペに追加されたものかも)
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/gogaku/1049668145/ (レス番号75)
http://www.logsoku.com/r/21oversea/1047336497/ (レス番号73)
75 : 名無しさん@3周年[] : 投稿日:2003/06/08 23:09:00
「在日同胞はいずれ帰化する運命にある」「在日は本国3千万の犠牲になれ」
「在日2・3世は完全に日本人となって日本に同調する社会人として生きることが望ましい」
「みなさんが日本国籍をとられたことについて、なにも恥じることはなく、
主体性の問題にも関係がないと思います。在日同胞は、住んでいる国にしたがって日本人、
「日本は兄の国、韓国は弟の国。劣ったものは力の強いものに対して嫉妬や羨望の感情を抱きやすいものだ」
「3世といえばもう日本人。彼らの問題をいつまで韓国政府が取りあげなければならないのか?」
そして…
「異国で国籍を死守することがいいとは思わない」
「同胞にはその社会で貢献して欲しい」
ただし、この時は実際の発言を要約した最初の1行目だけで、それ以降の在日を批判する文章は無い。
捏造された発言が追加されたコピペの初出は2004年3月10日、番組放送から半年以上経ってからである。
http://logsoku.com/thread/ex.2ch.net/korea/1076137626/
164 : マンセー名無しさん[] : 投稿日:2004/03/10 16:58:00 ID:IwGuoVRP [1/1回]
「在日同胞はいずれ帰化する運命にある」「在日は本国3千万の犠牲になれ」
「在日2・3世は完全に日本人となって日本に同調する社会人として生きることが望ましい」
「みなさんが日本国籍をとられたことについて、なにも恥じることはなく、
主体性の問題にも関係がないと思います。在日同胞は、住んでいる国にしたがって日本人、 アメリカ人、アフリカ人とならなければなりません」
「日本は兄の国、韓国は弟の国。劣ったものは力の強いものに対して嫉妬や羨望の感情を抱きやすいものだ」
「3世といえばもう日本人。彼らの問題をいつまで韓国政府が取りあげなければならないのか?」
「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、同胞にはその社会で貢献して欲しい」
「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。
日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞にそんなことを言う資格などない。」
「私は僑胞の連中を信用などしていない。徴兵の義務を負わないくせに
韓国人を名乗り、日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。つまりは、
その後、2ちゃん内で韓国・在日関連のスレなどにポツリポツリとコピペされて行く。
・Wikipediaには2005年4月4日 (月) 18:07 の版で初登場する
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%9B%A7%E6%AD%A6%E9%89%89&oldid=1670491
2003年6月6日から9日まで権良淑夫人とともに国賓として日本を訪問。この際筑紫哲也司会のTBSテレビの特別番組に出演し、日本の一般市民と交流を持っている。その時、在日韓国人について「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、同胞にはその社会で貢献して欲しい」 「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。 日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞にそんなことを言う資格などない」「私は僑胞の連中を信用などしていない。徴兵の義務を負わないくせに韓国人を名乗り、日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。つまりは、いいとこどりではないか。私たちが苦しい思いをしていた頃、僑胞の連中は私たちよりいい暮らしを日本でしていたのだ。僑胞は僑胞だ。韓国人ではない。」と、韓国政府が行ってきた在日韓国人の棄民政策を継承する考えを表明している。
これが2ちゃん外部のサイトで最初にデマが掲載された事例のようだ。
・その4日後に質問サイトのOKWAVEの質問に該当部分が引用されて回答される
http://okwave.jp/qa/q1317796.html
以後、知恵袋等の質問サイトやコピペブログに拾われるなどして「発言は真実」として爆発的に広まっていく。
しかし、広がっていく過程で誰もデマであるということに気付かなかったのか?というとそうではない。
Wikipedia上では、掲載から2ヶ月後の2005年6月26日 (日) 08:53の版でデマである可能性が指摘されている。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%9B%A7%E6%AD%A6%E9%89%89&oldid=2195139
この後、版を重ねる内にデマの部分がそっくり削除されてしまったことが拡散に歯止めを効かせられなかった要因の一つではないかと思う。
さらに、質問サイトでも2009年にはとっくにデマである指摘がされていた
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5165119.html
にも関わらず、2012年も終わろうかという今日でも、この盧武鉉発言を真実かのようにコピペしデマが拡散し続けられている。
この記事を読んでくれた人の中にも、デマだと知らずに信じてしまっていた人はいませんか?
デマが検証もされないままセンセーショナルさだけで次々と広まっていく様子を見て「ネットで真実」と言って簡単に信用してしまうことの危うさを再確認することになった。
それによってデマが終息するのかを今後見守ってみたい。
これの事か。
2004年3月11日、東京都立板橋高等学校卒業式が行われる。TBSの『報道特集』のカメラクルーが取材にきていた。まだ、開始の宣言もなく、卒業生入場もなく、保護者出席者が談笑を続けていた最中、午前10時よりもしばらく前のことである。被告人弁護側は、開始20分前の出来事としている。元教師Aは、サンデー毎日3月7日号の「東京都教育委員会が強いる『寒寒とした光景』」のコピーを配布し、「今年の卒業式では、教員は国歌斉唱の際に起立しないと処分されます。ご理解願って、国家斉唱のときできたら着席願います」と、保護者に呼びかけた。3分して、板橋高校教頭らが来て、元教師Aの行動をとがめ始める。元教師Aの主張によると、教頭が自ら、元教師Aの腕をつかんできたとしている。「なぜ来賓を追い出すんだ。私は、卒業生が一年のときの生活指導担当だ!」と抗議するも、元教師Aは卒業式の会場から退去することとなる。
午前10時のはずの卒業式開始は、後に、校長側の主張では、5分遅れたこととされていて、東京地方裁判所の認定では2分の遅れとしている。開式の辞の直後の君が代斉唱の際、出席者の多くが着席し、卒業生の9割が着席したとの情報もある。校長および教頭が起立しない出席者に起立を指示したが、多くは従わなかった。来賓の東京都議会議員の当時は民主党所属の土屋敬之も、立つよう声を荒げた。卒業式自体は、全体としては、清々粛々と行われた。卒業式直後のTBSの取材に対して、土屋敬之は、「立派な卒業式」だったとしている。
式典の最中にビラをまいて大声を出し来賓に起立しないよう呼びかける。
どう見ても威力業務妨害です。本当にありがとうございました。
こんなキチガイも一緒くたに擁護しなきゃならんとは、反対派も大変だね。
先日の日経を見てびっくらこいた。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100708k0000m040030000c.html
http://www.pref.toyama.jp/cms_cat/404030/kj00000275.html
日ソ間も「冷戦」だったのだが、そのころに見たTBS系「報道特集」で、
ソ連太平洋艦隊が「逆さ極東地図」を掲出していた画像が印象的だった。
「いかにソ連太平洋艦隊が、日本列島に進路を阻まれているか、を
ビジュアル的に実感できる」からである。
言われてみれば、そのころ「三海峡封鎖論」なんてのもあった。
「有事」に太平洋艦隊進撃を三海峡で「阻止」できるか、が軍事的議論になっていた。
「冷戦時代の遺物」のような気がしてならない。
というより、富山県側は「環日本海友好のシンボル」として販売していても、
逆さ地図を「ウラジオストクの上に覆いかぶさる邪魔な日本列島、を印象付けるためのシンボル装置」
として利用している危険性はないか?
(つまり、未だにロシア海軍は日本を仮想敵として、三海峡を軍事的に攻略したい、と
考えてはいないか?)
広告批評No.333 2009.1月号 特集「テレビのこれから」
より一部転載
Q1 いまのテレビの姿(状況)をどう感じていらっしゃいますか。
Q2 日本のテレビ放送史上で、「これが私のベスト3」と思われるものを「報道系」と「バラエティ系」「ドラマ(映画)・アニメ系」のそれぞれについてあげてください。
Q3 デジタル化やウェブの連動によって、テレビに可能性が生まれるとすればそれは具体的にはどういうものでしょう?
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P66
64年生まれ。「ぴったんこカン・カン」「うたばん」をはじめ、数々のヒット番組をプロデゥース。現在は「NoTV?ButTBS」キャンペーンなども手がける。
1
テレビの可能性を語る事がそもそも時代遅れになっている。テレビを観なくなったと語る事で時代に敏感な人間であるかのような優位を感じてしまってるのではないか。しかし、テレビを創ってきたのはテレビの制作者だけだろうか? それはちょっと議論の余地がある。テレビを観る人々の思いも確実にのっている。それぞれの時代の空気をテレビが吸収して、成長してきたのだ。そこに限界が来ているとは思わない。ズレが出ているだけだと思う。制作者達は必死にそのズレを修正すべきだと思う。まだまだ可能性のあるメディアだと確信している。
2
【報道系】
「ニュースステーション」 (テレビ朝日/85年)
【バラエティ系】
「8時だヨ!全員集合」(TBS/69年)
「天才・たけしの元気が出るテレビ=」(日本テレビ/85年)
テレビの前に釘付けになった番組、テレビの前で熟狂した番組、そんな番組を選びました。そういう意味でジャンルは関係ないと思います。
3
そもそもテレビの可能性を語るよりソフト(番組)をどれだけ豊かなものにしてゆくかが大切です。ソフトをどこに出そうが、良いソフトは永遠に観てもらえるはずです。番組(ソフト)とはそんなに容易いものではない。それは通信の側の人々こそが、知っているはずです。ただ、デジタル化やウェブとの連動で観る人の求める空気を制作者が感じ取れるようになれば、より良いソフトを創ってゆける助けになるとは思います。
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たまにyoutubeで昔のニュース番組の映像を観る事があるけど、昔のニュースは事実を淡々と語るだけに終始していた、もちろん論説や掘り下げた取材なんかは報道特集のような番組が受け持ってたと思うけど、それでも昔のそれと比べると今の民放のニュース番組は余計なものが多すぎると感じる。ぶっちゃけ分量としては夕方の場合、土日版でも十分なわけだ。もちろん奥さま情報とかの類は別番組にした方がいい
で、思うにこういうどうでもいい物をニュース番組に付けると言うのは20年ほど前からあったわけでその理由として「○○がわからなければニュースじゃない!!」とか「感情に訴えかけたい」とかがあったわけだ。つまりは本来だったらドラマとかを作りたかった人がニュースを作ってる、そしてニュースと分かっていても自分の考えとかを入れたがる人が報道の分野に多く存在する、特に「感情に訴えかけたい」類の人は良かれと思って「わざと」感情に訴えるような場面を入れてしまう、その結果ニュース番組とはかけ離れた物が出来上がってしまうし民放もスポンサーのためと思ってそれを許してきた節があったと思うのよ。しかしお客はそう言う番組には飽きてしまっている。
今、NHKをならって民放テレビ局もゴールデン帯に報道番組を入れようと躍起になってるようだけど、基本シンプルに徹しているNHKのニュースに対して装飾過多の民放の報道番組は到底受け入れられないと思うけどなあ。マイペースなテレビ東京の方がまだ見れると言うか。
まあ、筑豊に帰ってきて、山笠ば引いて走りよう時は、よか人に間違いなかけど、おれらには政治のことはよう解らんけん、太郎さんが首相としてどんだけ仕事ができるんかは、よう解らん。
ばってんな、こげな日本が大変なときに、嫌な顔一つせんで、一生懸命やりようなぁとは思うばい。
前の福田さんの陰気な顔よりは、ましやなぁ。
それだけじゃぁ、政治家は務まらんとやろうけどな。
ほんでも、どうやらマスコミさんには嫌われとうごとあるね。
大体が、権力にはたてつく方がかっこいいとか思とう人たちやけん、いつでん首相には難癖つけようけど、なんとなぁくばってん、今回は最初っから太郎さんには早く辞めて欲しいげな報道ばっかり目立つようにおもうっちゃ。
おれが、太郎さんが好きやけん、そげ思うとかもしらんけどね。
そやけどな、なんか聞いた話やけど、マスコミははよ選挙してもらわな、金にならんけん、それで太郎さんにはよう解散せい、解散せいち、言いようそうな。
マスコミも不景気やけん、報道特集とかですごいスポンサー料が手に入るんやそうな。
しかも、政治音痴の俺でん、こげな金融やら政治不安の時期に解散したら、何ちゅうか、政治空白ち言うと?
そげんことになって、なんも決まらん様になることくらいは解るとやけん、良か学校出て弁の立つマスコミん人が解らん話やないと思うとやけどね。
どげなんやろうね。
民主党さんがいちゃもんつけるんは仕事やろうけん、一生懸命難癖つけるんはしゃーないかち思うけど、あん人達でん、一応、大臣経験者とかおるわけやから、こん時期はまずかろうち思とうとやなかろうか?
もし、思うてないで、マジで解散せいとか、政権奪取とか思いようとやったら、マスコミ以下やな。
もう、長い間、大臣やら何やらしてない人が、この時期に政権取ってちゃんとできるとは、思えんやろ?
ううん、なんやら、話が大きゅうなってしもうたけん、このくらいにしちょくけど、まあ、何が言いたかったかち言うたら、太郎さん好きの俺としちゃぁ、訳の解らんマスコミの都合で、太郎さんが解散とか辞任とか言われるんは、はらわた煮えくりかえるごとあるね、ちゅう話や。
全部が全部中曽根ってわけじゃないがゆとり教育のスタートが1985年の臨教審というのは教育問題語る上では一般的な認識と思われ。
うぃきぺでぃあによると、
1972年(昭和47年) 日本教職員組合が、「ゆとり教育」とともに、「学校5日制」を提起した(2007年7月1日放送TBS「報道特集」にて 槙枝元文元委員長発言)。
1977年(昭和52年)??1978年(昭和53年) 学習指導要領の全部改正 (1980年度〔昭和55年度〕から実施)
学習内容、授業時数の削減。
ってことだから1985がスタートとは言えなくてもっと前からあるものでは?一般的な認識だから正しいとか言ってたら嘘でもみんなが日教組のせいと思ったたらそれが正しいって事になっちゃう。
自社さ政権で社民が与党にいた間は日教組が与党に影響を及ぼす余地がある程度あったのは否定できないが、非自民政権1993から1994年、自社さ政権1994から1998年、週休2日制に移行し始めたのが臨教審を受けた1989年改正1992年開始、ゆとり要項が1999年改正2002年開始。
1996年でも中教審で「ゆとり」を重視の学習指導要領を導入されてるから社会党が政権にいた96年でもとまることなく、着々とゆとり化は進んでたんじゃないの?
未曾有の大失敗というのはどういう根拠なのか気になる。
小泉政権くらいの頃はまだ「ゆとりは日教組のせい」というような論は見かけなかったように思う。自民いつ頃からこんな恥知らずなことをほざくようになったのだろうか。
ただ70年代に日教組が言い出してたらしいから、日教組のせいといえなくもないが、政権与党にいた期間が長い自民党の責任が大きいのは否定しようもないけど。日教組が言ってる政策でも悪いと思うなら採用しなきゃいいだけなんだし。
前に東名高速を東京に向かう高速バスに乗ったことがあって、そのとき思ったことからつらつらと考えたこと。
その車内には面白いようにバンギャとオタクしかいなくて、まあ、それなんて論座? っていう状況だったんだけど、そのときの彼ら(オタクのほうね)の話を聞いていると、やっぱり、地方の子から見ると秋葉原って「楽園」なんだなあ、と思ったのね。夢と憧れと、可愛らしい武勇伝(自称「アキバの達人」が、アキバ初心者に語ってるんだよ。笑っちゃうけどそれが地方の実状なんだって)に溢れてて。なんというか、地方のバンギャの子にとっての武道館なり何なりってのが、地方のオタクの子にとってのアキバなのかなあ、って。あるいは、(地方の女の子の読む)ケータイ小説におけるシブヤってのが、地方のオタクの子にとってのアキバにあたるのかなあ、って。実際にそこに行く機会は少ないし、行ったことのない子もクラスにはいるんだけど、漠然とした憧れと夢の対象として機能してる街って感じ。前に報道特集番組で、地方からアキバのメイドさんに憧れて上京してきた女の子のルポとかやってたんだけど、それ見たときも同じ印象を抱いた。ドラマで言うと『アキハバラ@DEEP』的な秋葉原像かなあ。
だから、秋葉原って、その夢に乗れない人たちからすると、十分に僻みの対象になるくらいに、いまや楽園なんだなあと思うんだよ。特に地方の子たちにとってはね。
>d:id:gotanda6 ケータイ小説にはシブヤは出て来ないぞ
『Deep Love』の舞台って渋谷じゃなかったっけ? それとも『Deep Love』はd:id:gotanda6さんの定義ではケータイ小説に含まれないのかな?
二年前ぐらいに関西でも系列の毎日放送が飛鳥会から始まる一連の同和叩きを激しくやったけど、また思い出したようにやるのかな。あの時は「同和地区」と「被差別部落」の区別もよく理解せずに報道してた部分もあったから、一般集落化してるところではかなり迷惑蒙ったところもあっただろう。税制優遇も就職あっせんも何にも関係ないからな。
うちの近所にもそういうところあるから。「エタ・非人」じゃなくて「雑賤民」の部落。住人の見た目も家も全部普通。言葉が汚いとか、マナーが悪いとかいうのも全然無し。行政側の援助もない一般集落として分類されてるけど、周囲からの差別感情だけは根強く残ってるパターン。
ずいぶん昔(二十年以上)になるけど、隣町に新しく本屋が出来て、しばらく通ってたことがあった。
ある日、地元の歴史研究家(自称)が(一般集落も含めた)部落史を綴った本を見つけた。全部で三部作の超大作(笑)。
地名総監は不味いってことは、そのころには俺も知識として知ってた。だけど、その本には研究を大義名分にして、地元の市内にある被差別部落の所在地がすべて網羅されてた。二時間ぐらいその場で立ち読みした。
なかでも引き込まれたのは、近代になって被差別部落だったところが一般集落化していった課程を書いたくだり。
行政側が部落側となんらかの取引をして、一般集落として生活することを約束させた例が書いてあった。
俺の住んでるとこの隣の集落には中学校があるんだけど、本読んでてそこがそうだったらしいことが判明。
親父に聞いてみると、校庭の隅のほうに「包丁塚」ってのが昔あって、屠殺に使ってた道具を埋めたらしい。ちなみにそこは「エタ・非人」部落に分類されるところで、冒頭の「雑賤民」とはまた別。今、そこの集落を被差別部落として認識してる地元の人がいたとしたら、かなりの高齢だとおもう。(もちろんだけど、一般集落だから行政からの特別な援助はない)
もともとは、すぐ隣町の被差別部落とひとつだったらしくて、行政区分としては二つの自治体に跨る感じになるし、そういう部分でも行政側としては一般集落化したかったらしい。
本屋にはあくる日も行ったけど、なぜか部落史の本は撤去されてた。その後もその本屋でその本を見かけることは二度と無し。それどころか、有名量販店が地元に乗り込んできたおかげで、いまその本屋のあった場所には別のテナントが入ってる。
基本的に水道局は役所の中では離れ小島だし、清掃局は身内(役所内)でさえ文字通り汚れ部署という意識だろう。
このご時勢だから、「旨いことやりやがって」みたいなのがあるのはわかるけど。
昔は見向きもしなかったのにな。
さすがに最近は背に腹は代えられん状況になってきて、例の問題になった奈良の清掃局には凄い応募があったみたいだけど。
先日、夕方のニュースで就任間もない京都市の市長が清掃局かどこかで初訓示してたけど、一部の職員に至っては作業服の前ははだけるわ、タバコは吸うわで舐められっぱなしだった。